4.精神攻撃してくるタイプのボスだった
痺れを切らした少女ボスが運転席を乗っ取ろうとしてくるので、俺は慌ててレバーをPからDに入れる。ドライブ再開だ。
今や辺りはすっかり様変わりしていた。
空は快晴。先程までの黒雲が嘘の様に消えてなくなっている。
朽ち果てていた街も、まるで時間が巻き戻ったかのように綺麗な有様となっていた。アーチ型の窓にはきちんとガラスがはまり、花や洗濯物が靡いている。よくならされた石畳みの通りには屋台まで並び、遠くの広場に立派な噴水がキラキラと水飛沫を上げているのが見えた。
ただし、人っこ1人いない。
さっきまでのおどろおどろしい雰囲気よりはマシだが、これはこれで不気味な光景だった。
そんな中を、話を聞きながら進んでいたのだけど…少女も勇者くんも道を指示するだけで、一向に着かない。
どこに向かっているんだろう。そろそろ思いきって聞いてみることにした。
「えーっと、あとどのくらいですかね?」
「ごめん。もう2回くらい通り過ぎた」
「はい!?」
「楽しくてつい」
「気づかんかったであろう。同じ所をぐるぐるしとるぞ」
「早く言ってよ」
しばらくして、勇者くんが示したのは一つの小さな家。左右の建物とぴったりくっつき背景と同化していて、「これだよ」と言われなくては普通にスルーしてるような建物だ。
駐車してエンジンを切る。道のど真ん中で、完全に路駐だけど大丈夫だろうか。訊ねれば、二人とも問題ないとのことだ。
「この街並みはわしの造りし幻影だ。魔境の最奥であることに変わりはない」
ピョンと元気よく降りた少女ボスが言う。
勇者くんも静かに降りてドアを閉めるが、半ドアだ。教えると、不思議そうにしながら閉め直してくれた。これで良し。
しっかりロックしてから、慣れた様子で入っていく二人の後に続く。
中はテーブルとイス、空っぽの本棚やラグ。それでお終いな実にシンプルな部屋だ。強いて言えば、テーブルの上に似つかわしくないゴツいランプが置かれているが、それだけだ。
「お邪魔します…」
「どうぞ」
気のせいか、二人は何やら嬉しげだ。
「ホレホレ、茶でも淹れぬか」「今やる所だ」とお客を構う姿勢を前に、俺も居住まいを正す。落ち着かない。
「お二人はここで暮らしているんですか?」
勇者くんは奥の部屋へ引っ込んでしまったので、テーブル向かいの少女ボスに訊ねる。椅子に座って足を組む様は、お人形の様だ。
「ここはあやつが寝ぐらにしておる。わしは気が向いたら来るが、普段はその辺をプラプラしておる」
退屈での、と憂いのため息をつく美少女。
「幻影って言ってましたけど、今いるこの部屋って幻覚なんですか?」
「その通り。どれ、見せてやろうか」
少女はすい、と両手を軽く上げると、ひとつ手を叩く。
途端に、辺りは暗くなる。空には先程までの曇天が広がっていた。
薄汚れた壁、雑草の茂る床に、椅子や家具の残骸が隅に追いやられている。机や今自分が座っている椅子も、何か分からない真っ黒なもので汚れていた。
机の上のごついランプだけが、さっきまでと同じ様にそこにあった。
しかしそれは一瞬で、少女がもう一度手を叩くと、晴れた午後の、簡素で清潔な部屋に戻っていた。
「どうだ。わかったか」
「はっ、はい!」
もうどっちが幻覚でどっちが現実かわからなくなったが、とりあえずコクコクと頷く。
「フフフ。これこそが、最奥の主たるわしの力よ」
「おい、急に幻覚解くのやめろ。お湯こぼしたろうが」
「うるさいな、今わしの力の説明をしてやっとるんだ。黙ってまた沸かせ」
少女ボスがドヤ顔で語り始めたところに、部屋の向こうから勇者くんの文句が飛んでくる。なんだか申し訳ない。
話の腰を折られムスッとしながらも、少女ボスは話してくれた。
彼女の種族名は「上位悪魔」。今の少女の姿は、仮のものだと言う。
この天空都市を訪れた者の記憶を覗き、その者の一番心地よい幻覚で戦意を失わせ、魔境に取り込んでしまう。それが彼女の十八番らしい。
「どうじゃ、実に悪魔的であろう?」
「な、なるほど……いかにも最後に立ち塞がるボスって感じですね…」
「フフフフフ!そうであろう!あっちで茶を沸かしておるのも、わしに腑抜けにされた者よ」
勇者くんは単身この魔境に挑み、少女ボスの待ち構える奥まで辿り着いた。
だが彼女が与える幻の安らぎを前に、なす術なく敗北。全てを諦め、こうして住み着いていると言う。
魔境のボスとしては、いずれ養分になるのならいつ死んでも構わないという事でそのまま勇者くんを放置、もとい暇つぶしの話し相手にしている。
「何しろここまで来れた者は、あやつとおぬししかおらん。記憶を覗ききって、さぁどうしてやろうと思うても、道中で結局力尽きてしまいおる。わしの退屈さがいかばかりか、それで知れよう?」
「そういう…ものなんですね…」
「ああ、因みにおぬしの場合だが……突然転がり込んで来たからな。ようやっと少しずつ記憶が見えてきた所だ」
魔境に足を踏み入れた気配もなく、いきなり内側から現れた謎の人間。つまり俺を感知した彼女は異変を探るべくすっ飛んで行き、それに平穏な引退生活を失くしたくない勇者くんも同行した。
で、今に至る。
「…て事は、うかうかしてたら俺も幻覚の餌食になるんですよね?」
「愚問よな」
「やっぱそうですか」
このままでは、エグい精神攻撃を受けて魔境でお陀仏だ。どうする。ナビで検索した他の出口に向かうしかないか。
今思えばナビが中心を指したのも、このラスボス少女へ案内していたのだろう。わしを倒せば出口が開く、と彼女自身が言っていたもんな。
他の出口候補を後でチェックしないと…と思ったが、俺ははたと気がつく。
ここ、空中に浮かんでるんだよな?出口に行ったところで、地上は遥か下なのでは……
どうやって降りんだ?車じゃ無理じゃねーか。
今更思い至って真っ青になる俺を、少女ボスは満足気に笑って眺めている。無邪気な美少女の笑顔だ。
ああ……これが悪魔か。
「顔色が悪い」
そこへ、奥の部屋からお盆を手にやってきた勇者くんが声をかけてくれた。
俺の前に、大粒の宝石が散りばめられた金ピカなゴブレットを置く。何コレ!?一杯数万円しそう。
「こいつに何か言われたか?…とりあえず、これでも飲んで。俺が育てた野菜の葉っぱで淹れたやつだけど、結構旨い」
金ピカの中には透明な液体が湯気を立てている。やや青臭いが、何とも素朴な香りだ。
「一息ついたら、俺で良ければ話を聞く。何か困ってるんだろう?ここで会ったのも何かの縁だ、一緒に考えよう」
勇者くんは少女と自分の前にもお茶の器(こっちは普通のコップだった)を置きながら、なんて事ない様にそう言った。表情は変わらないが、緑色の瞳が真摯にこちらを見つめている。
俺にはその姿が、後光がさして見える。
今確信した。この人はめっちゃいい人だ。
迷える人々に希望と勇気をもたらす勇者様だ。
ああ……これが勇者か。今日から俺、この人のファンになる!
「なんじゃあ?青くなったり赤くなったり……気味悪い奴よの」
少女ボスが呆れた様に俺を見て言った。
「それより何じゃ、その趣味の良いコップは。何故わしのより豪華なんじゃ?」
「この間拾った。お客さんにぴったりだろう」
「……それは茶を飲むのに使うモノではなかろう」
勇者くんの淹れてくれた素朴な金ピカ茶で一息入れると、少しずつ落ち着いてくる。スーッとするほうじ茶みたいで美味しい。ゴブレットに指紋が付いてしまうのがどうしても気になるが。
ふと自己紹介がまだである事を思い出し、俺は切り出した。
「今さらですが、お二人の名前を伺ってもいいですか?俺は島屋というものです」
「わしに名などない。不要じゃ」
「ラスタだ。よろしく」
勇者くん改めラスタさんは、辺境の村で生まれ育った。6年ほど前に村を発ち冒険者をしている内、やがて勇者と呼ばれる様になったそうだ。
「21か…俺の四つ下だ」
10代後半かと思った。言わないけど。
見た目はほっそり体型だし、3つも属性が使えると言うなら魔法使いさんなのだろうか。
「ん?魔法使いだったか?お主」
「剣士だ」
「おー、そうじゃったよな。お主の持っておったあの剣、あれは見事じゃった。何処にしまったか忘れたが」
剣士さんだった。やはり勇者だ。体力が満タンなら、剣からビームが出せるのだろうか。いつかそれとなく聞いてみよう。
ラスボス少女に敗北したのは、大体2年ほど前。時間の感覚が無いから、正確には分からないそうだ。
そんな年単位もの間、どうやってライフラインもないこんな場所で暮らしてきたのだろう。たずねると、食料はこの魔境にいるモンスターを倒して手に入れているらしい。
ダンジョンでモンスターを倒すと死体は消えてなくなるが、代わりに「ドロップアイテム」としてその魔物の一部が出現するらしい。加工された状態で。
なんか、本当にゲームの中の世界みたいだなぁ。
それで肉が手に入る。野菜はその辺で育てており、土に埋めて数日で収穫できるものもあれば、芽すら出ない物もあるという。
飲み水は、元々ラスタさんが持っている魔法の水筒で飲み放題。彼はかつて世界のあちこちを冒険して、他にも色んな便利アイテムを多く所持している。そうして、安定したリタイア生活を送れているそうだ。
それでも、不便に違いない。世捨て人同然の生活を、2年なんて。
俺が首を傾げると、彼は静かに「気楽に勝るものはない」と言った。
「フフフ!なんと負け犬らしい台詞よ!勇者の重圧というモノか?良いではないか」
お茶をずずず、していた少女ボスが嘲るように笑って言った。
「諦め投げ出した所で、何だというのだ。こやつは真の勇者などではなかった。それだけの事じゃ」
俺には何とも言えないので、黙って二人を交互に見る。
元勇者くんはどこまでも無表情で、少女ボスはひたすら愉しそうだ。
「…その通りだ」
何の感情もこもらない声で、ラスタさんが呟いた。
ーーー
要するにラスタさんは、RPG終盤で魔王に挑む前の勇者様なのだった。ステータスつよつよ、アイテムも飽和気味。いいなぁ、チートじゃん。
そんなぶっ飛んだ生活力の無い俺は、是非とも地上に帰還したい。じゃなきゃ生きていけない。
そんな旨を相談すると、もう一度あの車を鑑定させて欲しいと言われたので俺はすぐさま車の元へ戻る。
ここで緊急事態が起きた。車が影も形もなくなっていた。
「ウソォーーーッ!?」
「…おい、お前なんかしたか?」
「あん?知らんのう……ああもう、鬱陶しい。しとらんったらしとらん、本当じゃ!」
ラスタさんが真顔で人さし指を少女ボスに向けると、パチパチと輝く光の球が次々と現れ、少女へ飛びかかって行った。彼女はそれをハエのように追い払う。
初めて光の魔法を目の当たりにしたが、今はそれどころじゃない。
「ぬ、盗まれた!?誰に!」
「リビングメイルあたりが鉄の馬と思うて連れて行ったのではないかー?」
「いや。探知に引っかかった跡がない。シマヤ、さっきクルマに何かしてなかったか?」
「へ?さっき?」
真っ白になりつつある頭で考える。何した?カギかけたくらいだ。
俺はポケットからカギを出した。
「ド、ドアにカギをかけたけど…それくらい」
「鍵?」
「あ、ハイ。こうやって」
アンロックのボタンをポチッと押してみせる。
するとガチャリと音がして、目の前に車がスーッと現れた。何事もなかったような顔をしてそこにある。
「良かったな」
「よ、良かったけど…!」
「落着だの」
「落着だけど…!」
どういうこっちゃねん。人騒がせな。
俺はその場で車を消したり出したりを繰り返してみた。さっきは気づかなかったが、ロックをかけるとその場から消えるようだ。
暫く繰り返していると、どうやら車は見えなくなっているわけではなく、本当に消えてしまっているのだと判明した。
この際、色々と検証してみる必要がありそうだ。