36.リヒャルトのお祖母様
俺はそっとイアニスに近寄り、気になっていた事を尋ねた。
「なぁ、魔族の国ってここから近いのか?どうしてギルドから出した手紙が、こんなに速く着くんだ?」
「ああ。あれは速達で送ったからね。ドルトナのギルドには、転移の魔道具があるんだ」
イアニスは何故か少しだけ誇らしげに説明してくれた。
この世界で言う速達は、転移の魔道具によってワープで運ばれる。つまり国を跨ぐような距離であっても、物や書面がeメールのごとく一瞬でお届けできるのだ。ただし大きさの制限がある上、大変高額だと。
そうだったのか…手紙を届けるのも難儀な世界かと思いきや、そんな裏技があるとは。格差えぐいな。
「貴重で大掛かりなものだから、普通はこんな小さな街のギルドにはないんだけどね。ここはグリフォンの群生地や魔境べラトリアから最も近い支部だ。有事の際、即座に報告ができるよう置かれてるのだよ」
「ギルドから直接、あの人の家に送られたってこと?」
「いやいや、対応した魔道具のある場所にしか転移はできない。ドルトナのギルドから彼の国のギルドへ転送されてから、家へ届けられたはずだ」
「ふーん。…なら、それで手紙を受け取って、今日ここに到着したって、おかしくないか?」
「僕はよく知らないけど…グウィストン家は向こうでは高名な貴族だったというから、同じ経由の転移でやって来たのかもね」
「……人も転移できるの?」
「できなくはないよ。少々非常識だけど」
「この無礼者が!!口を慎めっ!」
「あら、わたくしはここに飛竜できたのよ。人間共のお手紙や荷物と一緒に運ばれるのはちょっとねぇ…」
烈火のごとく怒ってイアニスへ叫ぶリヒャルトに対し、美女は気分を害した様子もなく美しい微笑みを浮かべてこちらを見上げた。
「ウフフ!リル…じゃなかった、リヒャルトがこれっぽっちしか怒らぬとは……。随分と我が孫に気に入られているようでないか」
「なっ…!?」
「気を楽にするが良い。名は?」
微笑みの上にわずかな圧をのせて、リヒャルトの祖母はイアニスと俺に話しかけた。風貌も相まって、思わず傅きたくなる。
「はい。私はこの地を治めるルーシェン・レダート子爵が次男、イアニス・レダートと申します。隣りの人間は遥々異世界より転移してきた者で、名をシマヤと」
「ほぉ…?」
「は、初めまして」
「リヒャルトとは王立学院で知り合い、以来6年程でしょうか。親しくさせて貰っています」
「あ、お、俺は昨日知り合ったばかりです。はい」
「これは面白い。人間の貴族となった魔族に、異世界人とはな。わたくしの名はヴァレリア・グウィストン。この国ではそうだな、ただの孫想いのおばあちゃんよ。これからも、リヒャルトと仲良くしておくれ」
勿論です、と穏やかに返すイアニスに対し、俺は曖昧に頷いた。それをぐぐぐ…と何か言いたげにして睨みつけるリヒャルトだが、祖母の言葉に盾突く気はないようだ。
「さて。お前たちには聞きたいことがあってな。その前に、ガムドラド?」
「はい」「うーっす」
扉の前へ姿勢よくお座りしていたオルトロスーーガムドラドさんが、突如ぐにゃりと歪んで姿を消した。驚いて目を剥いたとたん、廊下の向こうからくぐもった声が聞こえてくる。
「おおっとぉ~?こいつは何だい、おっさんよぉ」
「わが主は、家族とそのお友達との水入らずなひと時をお望みです」
「そうそう。あ、因みにおれ様は男の背肉みたいなサッパリした部位がお望みだぜ?!ここんとこ脂っこいもん続きでよぉ…」
「次は無い。いいですね?」
「クククク…」「きひひひひっ」
どう考えても脅してる…大丈夫かこれ。
「ああ、しまった…きちんと警告しておくべきだった」
「何の前触れもなく飛竜でやってきて、オルトロスを使役する見ず知らずの魔族。当然の警戒だ。わたくしへの無礼には目をつぶろう」
「それはどうも」
どうやら、ギルド職員がここでの会話を盗み聞きしようとしていたらしい。心配だったのだろう。
イアニスが慌てたが、ヴァレリアさんはそれを自分への配慮だと思ったのか、「かまへんがな」と言って嗤った。彼女曰く、人間の貴族の口調だ。
絶対ギルド側に対しての配慮の方が大きい発言だと思うが、イアニスはただ苦笑するのみで何も言わなかった。
ああ。リヒャルトの血縁だ、こりゃ。
「それよりも…リヒャルトや。お前が見つけた物の話を詳しく教えておくれ」
「はい!」
リヒャルトのしかめ面はさっきから消えっぱなしだ。他人への見下した態度を隠そうともしない奴だが、それはおばあさんへの親愛も同様らしい。
リヒャルトは山荷葉を見つけた時や、中に入った時の様子を伝える。静かに聞き入っていたヴァレリアさんは、話が終わると満足気にリヒャルトを褒めた。
「素晴らしいわ!その場所こそ、わたくしがお前に言って聞かせた場所に違いない。よくぞ探し当てた…!」
「は、はい…っ」
「お前が遠い人間の土地でも腐らず励んでくれたこと、嬉しく思うぞ。なんと誇らしい子だろうね」
「そんな……何よりでございます」
「これでわたくしも、念願の温泉に入れる!いゃっほーい」
宝石がいくつも光る指輪と、それに全く引けを取らない美しい造形の両手をぐっと握りしめ、ヴァレリアさんは力強く言い放つ。
…ん?温泉?
「早速向かいたい所だが、案の定ダンジョン化しておったか。お前の見立てでは、復興にどれほどかかろうかねぇ?」
ワクワクした面持ちでそう尋ねるヴァレリアさんに対し、リヒャルトは突然地の底へ叩き落とされたかのような表情で固まっていた。
なんかちょっと、流れがおかしいぞ。
まさか彼女の口から温泉て言葉が出るとは。このひとって、リヒャルトに魔境化するっていうダンジョンがあると伝えて、探させたんだよな?復興なんてしたらダンジョンでなくなるだろ。いいの?
「そ、そそそれは…どういう……?」
動揺のあまり孫の声がうわずっている。そりゃ、せっせと魔境の為に山荷葉を見つけ出したリヒャルトはこうなるよ。
「あの、グウィストン様。お尋ねしても?」
「なんだ?」
「貴女は、あの地がダンジョンで魔境になり得るからこそ、リヒャルトに捜索を命じたのではないのですか?」
「うん?魔境とな………」
ヴァレリアさんは小首を傾げ、イアニスの問いかけを反芻した。意味がわからない、といった面持ちで考え込んでいたが、やがて「ああ!」と手を叩く。
「そういえば、そんな話をしたか。すまぬ、あれは嘘だ」
「は!?う、ウソ!?」
「あー、うん。あの頃はお前も幼子であったからねぇ。温泉と言ってもいまいちピンときておらんかったようで、そう言い聞かせたのよ」
数十年前。
祖母の若かりし時代ーー魔王が全盛だった頃の昔話を聞くのが大好きだったリヒャルトへ、彼女は温泉の話を聞かせた。そこは極楽のように心が安らぐという場所だが、思い立って行こうとした時には既に無くなっており、ついに訪れる期を逸してしまったと。
『どうにも心残りでねぇ。温かな湯に浸かりのんびりくつろぐと、身も心も洗われるというのだ…』
『ゆ…?ですか?』
『そうだ。…それもこれもテオドラのチビガキやイナーフィアのあばずれが頑として場所を明かさぬから!ったく……』
『?』
『コホン。残念だが、人間の国に埋もれて今は廃墟となっていることだろう』
『ニンゲンにとられてしまったのですか…?おのれ…』
『あやつらの住む地は、コロコロと色んなものが変わりゆく。もしかすれば、ダンジョンにでも成り果てているかもしれぬ』
『ダンジョンに…。ではなおのこと、とりかえしましょう、おばあさま!』
『ウフフ、それは良い。いっその事、魔境となるやもしれぬな』
『おぉ…まきょう…!?』
『そうとも。良いか。彼の国には魔境となり得るダンジョンが…って、既にベラトリアがあったな。まぁいいか……あの国にはもう一つ、魔境となり得るダンジョンが生まれ出づる』
『ふおお…!』
『人間どもの目に触れれば潰されかねん。我らが秘密裏に見つけ出し、守らなければならぬぞ!……なーんてな』
『ふおぉっ…!』
かくして「取り敢えず魔王とか魔境の話をすれば喜ぶだろう」と考えた祖母と、案の定大喜びしてその事だけを覚えていた孫の間には、大きな食い違いができたのだった。
え。そんなノリだったの?
俺は戸惑ってリヒャルトを見るが、やはり彼も愕然としている。
すると何だ。リヒャルトがお祖母様から聞いた話ってのはほぼデタラメで、彼はその為に数年間も費やしていたというのか。
小さな頃の美化されたあやふやな記憶に踊らされていたというなら……流石に哀れみが沸いた。というか、そんなのに巻き込まれた俺って…。
「リヒャルト…」
「い、いや…!お祖母様、実際あそこはダンジョンとなっているのですよ?!時間をかければ、魔境にだって…」
「おお。幼かったとはいえ、あまりにもいい加減な事を言い聞かせてしまった。悪かったの。魔境とは、生まれるべくして生まれるもの。意図的に生み出せるような存在ではないのだ」
「そんな……だ、だって…」
「悪ノリしたババアの言葉を間に受けてしまったのだね。本当にすまない。…それはそうと、我が孫よ。温泉は良いぞ」
「そんなぁーーっ!」
リヒャルトは頭を抱えてソファに沈み込んだ。
イアニスはそんなリヒャルトへ哀れみのこもった一瞥を投げたが、切り替えるかのようにため息をつくと、真剣な面持ちでヴァレリアさんへ向き直った。
「彼と共に現地を視察しましたが、ごく小規模なダンジョンに過ぎませんでした。ギルドへの報告は後回しにする予定です」
「……ほお?それは重畳だが。この地を治める者としてその判断は如何なものか。何を考えておる?」
「リヒャルトの意思を尊重したいというのもありますが…あの山への交通を整えられるなら、我が領としても懸念が一つ減ります」
「交通……。おお。もしやお前…」
「その地に富をもたらすのは、何もダンジョンだけではありません。これは領主とよく相談して決めようと思っていますが…」
どんよりと落ち込むリヒャルトを尻目に、イアニスはこれまでの経緯をヴァレリアさんへ話した。
精霊爺さん、俺、そして山荷葉で見つけた装束へと話が続いていく。
「問題は源泉です。今そこが枯れているのか現存しているのか、確認できていません」
「それは大変。なんとしても残っていて欲しいところだが!その装束は持ち出しているのだね?」
「ええ。シャムドフ様のご意向もありますから、リヒャルトに持たせています」
「これ、リヒャルトや。わたくしにもお前が手に入れたニブシキとやらを見せておくれ」
「………」
元気を失くしてしまったリヒャルトは、それでも祖母の言葉に従ってアイテムボックスから年季の入った箱を取り出した。
彼女はそれを受け取ると、立ち上がってリヒャルトの隣に腰を下ろす。まるで弟の気を取りなす姉のようだ。




