35.ドルトナがオルトロスにオロオロしてた
門の周りは相変わらず賑やかだが、どこかピリピリとしていた。不安そうな表情で話し合う者や、緊張したように門を見つめる者。来た時とは違う不穏な様子に、俺たちは顔を見合わせる。
「ちょっと様子が変だね」
「面倒ごとじゃないだろうな…」
そんな空気の中だというのに、やはりイアニスは行列を素通りして門へ進んでいく。横入り気まずい。
門兵の元へ寄っていくと、イアニスに気づいた彼らは「あっ!」と声を上げた。二人だった人数は10人程に増えていて、全員顔色が良くない。
「レ、レダート様!いらしてくれましたか!」
「どうしたんだい?何かあった?」
「それが…」
門兵の一人が事情を話そうとしたその時、彼らの背後から渋い男の声が静かに上がった。
「リルファ様、お久しゅうございます」
街の中へ目を向けると、赤黒い毛並みの獣が1匹こちらを見据えていた。眼前の門兵たちが、途端にガシャガシャッと武器を手に身構える。
「なっ…魔物が街に!?」
イアニスがギョッとしたように叫んだ。これまで聞いたことがないほどの焦りを含んだ声色に、俺は無意識に一歩下がった。
そうこうしてると、同じ獣から今度は別の声が上がる。
「おら、邪魔だぞ人間共!何もしねーっつってんだろうが、鬱陶しいぜ全く」
その魔物は首が2つある狼の姿をしていた。デカ過ぎる。馬ほどもある体躯に、フサフサの赤黒い毛並みは首元だけ雪のように白い。
右側の首が、ガサガサしたダミ声で口を開く。それは鳴き声ではなく、明確な人の言葉だった。
「よぉ、リルちゃ~ん!イメチェンしたんか?ヴァレリア様が首を長ーくして待ってるぜ、早く来いよ!」
「ご案内いたします」
「ガムドラド…?何故ここに」
そばにいるリヒャルトが、呆然とした声で呟く。
「が、ガム?知ってんの?」
「リヒー、どういう事だ!?」
「…お祖母様の従魔だ」
「え!」
まさかの身内だった。俺もイアニスも驚いて彼を見やるが、表情からするにそれはリヒャルトも同じらしい。
ともあれ、突然街が魔物に襲われたという状況ではなさそうだ。相手は話が通じるーーというか、思いっきり人の言葉を話せる魔物らしい。
「相当上位のオルトロスだね…人語を操るなんて、一体どれほど長生きしてるか」
イアニスも少々落ち着きを取り戻して、冷静にそう呟いている。
二つ頭の巨大狼は、どうやらオルトロスという魔物らしい。左の首からは落ち着いた口調の渋い声が、右の首からは荒々しいダミ声が上がっている。どちらも金色のギラギラした両目をスッと細め、門の前で立ち尽くす自分たちを見据えていた。
「何処のどなたか存じませんが、お褒めに預かり光栄です」
「でもよあんちゃん、年の話題なんてヤボだぜ。さ、リルちゃんの従僕だか友達だか知らねぇが、まとめて付いて来な!」
「主を待たせております。今すぐ参りましょう」
そう言うと、オルトロスさんは立ち上がってくるりと背を向ける。そこで初めて、街の中に人の姿が一人も見当たらないのに気がついた。
イアニスがすぐそばの門兵へ声をかける。
「みなは避難させているのかい?」
「は、はい。建物の中へ」
「ただ、まだ全体へ情報を伝えきれておりません。従魔の主人がギルドに留まるといってくれたので、その周辺にだけ警備を回している状態で…」
「そうか、よくやったね。済まないが、急いで行ってくるよ」
「は。3人…いや、5人だ。同行する。いくぞ」
「は、はい!」
うわぁ、路銀だなんていってられない雰囲気だこれは。
2歩、3歩と門の外へ戻ろうとする俺を、何故かイアニスががっしとふん捕まえる。見た目以上の剛力で腕を引っ張られ、恐ろしい魔物の後へ連行されていった。
「え、え…何で?」
「良いから良いから」
「よくねぇ!あんた何企んでんだよ?!」
「リヒャルトがここで手紙を出したのを覚えてるかい?要件は例の『サンカヨウ』についてで、宛先は彼のお祖母様…つまり、リヒャルトの手紙を受けて、遥々魔族の国から飛んできたという事さ」
突然の話に俺は面食らう。
確かに昨日の朝方、ドルトナのギルドで手紙を出してた。…手紙着くの速くない?魔族の国とやらはそんなに近いってのか。
「孫に会いにくるにしても、異常なスピードだよ。十中八九、サンカヨウについて聞かれるのだろう。となればどの道、貴方の話も聞こうって事になりそうだろう?ニホンの温泉だもの」
「俺に関係なくない?」
「まあまあそう言わずに」
腑に落ちない。非常に、とても凄く。
何でも、この国に魔境となり得るダンジョンがあるという情報をリヒャルトに与えたのは、そのおばあちゃんなのだという。
て事は何だ、今度はリヒャルトLv100みたいな頑固老人が、魔境だ魔王だなどと言いにくるのか?想像するだけで嫌だな…!
このまま流されてはいけないと頭の中で警鐘がなっているのに、すごすごと着いて行くしかなかった。力強いなこいつ。武装した付き添い門兵の方々も、こいつ何?という訝しげな顔でこっちを見ている。
因みにおはぎはオルトロスさんを目の当たりにした途端、上着の裾に潜り込んでブルブル縮こまってしまった。知ってたけど、俺の従魔ざっこ…。
人っ子ひとりいない街並みや物々しい付き添いの兵士を全く意に介さず、巨大狼は悠然と道を先導した。当のリヒャルトはすっかり押し黙り、どこか緊張した面持ちで狼の背を見つめてる。
辿り着いたギルドに入ると、のしのしと乗り込んできたオルトロスさんに屋内の空気が張り詰めた(あんなにでかいのに、人間サイズのドアをどうやって通り抜けたのだろう…)。
幾度か訪れた際はいつもまばらだった人が、今は20人はいるだろうか。武装した冒険者たちだ。
「あんた方は?」
「僕はイアニス・レダート。レダート家の次男だ。あのオルトロスはこちらのリヒャルトの知人の従魔だよ」
「…それが本当なら嬉しいね。ここにゃ、オルトロスを叩っ斬る自信のある奴なんていないもんで」
「心配いらない」
イアニスが強張った顔の周囲にそう説明している間にも、オルトロスさんとリヒャルトは気に留めずさっさとギルドの奥へ足を進めてしまう。
ざわざわ、と驚きの声が上がる中、イアニスが穏やかに続けた。
「これから話を聞いてくる。皆はいつも通りに。なぁに、こちらから手を出さなければ、危険な相手ではないよ。ただ街人の不安を煽っては事を荒立てかねないから、くれぐれも対応を慎重にね」
見覚えのあるお兄ちゃん職員と、落ち着いた中年職員が「は、はい」「わかりました」と返答した。門兵たちも頷いて、イアニスの指示で戻っていく。
しかめ面や心配気な顔に見送られて、ギルドの奥まった廊下を進む。オルトロスさんは一つのドアの脇でお座りをすると、「こちらへどうぞ」と告げた。
リヒャルトは丁寧にノックをして、ドアを開ける。
ローテーブルとソファが並んだ応接間には、眼鏡をかけた背の高いおじさんと、これまた見覚えのあるおっとり美人さん職員がソファの脇に立っている。そしてただ一人、くつろいだ様子でソファへ腰掛けている長髪の女性がいた。
「お祖母様……!」
リヒャルトの目線の先を見て、俺はあんぐりと口を開けた。
こんな綺麗な人を見たことがなかった。波打つ豊かな金の髪はまるで光を帯びているかのようで、赤と黒のドレスを無造作に彩っている。口元にうっすらと妖美な笑みを浮かべた彼女は、リヒャルトの姿を見上げるなりぱっと目を輝かせた。鮮やかな黄緑色の瞳に喜びが見て取れる。
「あんれまぁ~、リルファ!元気そうだがや!おばあちゃん会えて嬉しいわぁ。しばらく見んうちにすーっかり変わっちまっただなぁ~」
その場の空気が、ピシッと固まった。見目麗しいキラキラ美女の口から、どこかの田舎弁のような言葉が飛び出す。
その容姿はとても孫がいるとは思えない若さだが、魔族は長生きらしいからきっと普通のことなのだろう…ギャップで風邪引きそう。
美女はちょいちょいと気さくに手招きをし、恐る恐る近づいたリヒャルトを捕まえて、ぎゅ!と抱きしめた。「んぶっ」とリヒャルトが美女の胸の中で間抜けな声を上げる。
ハッキリ言って、羨ましいんだが…?
「まぁまぁ、髪もこんな短こくしただか?もったいねーなぁ。んでも、これはこれでよう似合っとーよ」
「もまーまま、ももむめもんまもももめ…」
「ウフフ、驚いただや?おめが人間の国で何年も頑張っとるっちゅーんで…おばあちゃんもなー、人間の貴族の喋り方、勉強したんよ!どうさね、完璧ずら?」
「むまま…」
美女はにっこりと華やかな笑みを向けながら、そう話した。どうやらこのきつい訛りを、人間の貴族の喋り方だと思っているようだ。
リヒャルトは世界一羨ましい締め技から逃れると、かくかくしかじかと誤解を解いている。
「あれーっ、そうなのけ?貴族っちゅうても人間だらば、こんくらい田舎っぺ丸出しな喋り方しちょるとばかり思っとったがや!ウフフフ」
うっかりさんと思いきや、彼女はナチュラルに人間を侮っているのだった。さすがリヒャルトの祖母としか言いようがない。
ていうか…リルファって何だ?確かオルトロスさんにもそう呼ばれていたが、リヒャルトの家族内の愛称だろうか。
「お祖母様、その、お祖母様もお元気そうで何よりです。…わざわざこの様な、薄汚れた人間どもの巣窟などへご足労をさせてしまい、申し訳ありません。お呼びたてしてくだされば、喜んで馳せ参じましたのに」
「良い良い。わたくしがいても立っても居られず赴いたまでのこと。お前の顔を見たかった、というのもあるしね」
美女の口調が、何事も無かったかのように標準語へ切り替わった。おお、しっくり。常に仏頂面だったリヒャルトも、彼女相手にはしおらしく照れている。別人と言われてもおかしくないほどの変貌ぶりだ。
「お祖母様…わ、私もお会いしたかったです」
「ウウッ……!孫がカワイイ…!!」
照れて歯切れ悪くなりながらも、リヒャルトが思わずといった風にそう話すと、キラキラ美女は力強い叫びと共に彼の頭をヨシヨシした。口調のギャップが取り払われたと思いきや、突然のご乱心である。
「ああ、わたくしも歳をとったこと。若い頃は子供などなんとも思っていなかったのに。あの子たちはあちこちでこさえまくった上、今やすっかり育ち切って可愛げのカケラも無いけれど……孫は別格ねぇ」
ペリドットのような瞳に感涙を浮かべ、リヒャルトの頬を愛しげに撫でる美女。
それを受けてか、俺の隣から「……わかるッ」と小さくも熱のこもった同意の声が上がった。そんな場合か、爺さん。
そんなイアニス爺さんは、ソファのそばで手持ち無沙汰気味に立っている眼鏡おじさんと美人職員さんへ頷いてみせる。
二人は顔を見合わせると、イアニスへ会釈を返して部屋を出て行った。リヒャルトが来るまで、あの二人が彼女の対応をしていたようだ。
「ところでお祖母様。私はグウィストン家から離れた身として家訓に乗っ取り、今はリヒャルトと名乗っております。どうかこの場では、お祖母様もそうお呼びください」
「はて…家訓とな?」
リヒャルトの言葉に、美女は首を傾げた。そのまま二人でヒソヒソ…まぁまぁそれで…と家族の団欒が続いている。




