18.ボンボンと令息
「花売りコカトリス亭」で最後の一泊。ベッドで寝られるのも、今日が過ぎれば暫くお預けだ。温かい食事と寝床のありがたみを強く噛み締めた日々だった。これだけでも、コソコソ車を隠しながら街へ訪れる意味は大いにある。
「そうかい、もう行っちまうのか。お客さん景気がいいから残念だぜ」
「どこへ向かうんだい?イェゼロフ?」
おお、知らない名前が出てきた。
東にある都市で、ここらを取り持つ領主のいる栄えた街らしい。なるほど、県庁所在地か。
「南に行きます。南方面で大きな街ってありますか?」
「南ねぇ…リモダくらいしか思い浮かばんな。国境の街だ」
国境の街リモダは、ナビでも目にした。こうして人の口からも名前が出ると、ルートの確認ができて安心する。
他に街がないなら、気兼ねなくジズを使えそうだな。
奥さんが朝食の他にお弁当を作ってくれるというので、喜んで代金を払う。いい宿屋だった。次泊まるところも、これくらい快適だといいな。
ただ欲を言えば、部屋の中で車を出し入れできたらなお良かった。ここは3階だから、車なんか出して床が抜けたらと思うと出来なかったのだ。
部屋に上がり荷物を置くと、窓からドルトナの街を見渡す。全く見慣れない、ヨーロピアンな風情。そういうテーマパークのホテルにでもいるみたいだ。
日が沈むまでそうして外を眺めた後、俺はベッドに入り眠りについた。
そうしてぐっすりと眠った翌日。
来た時と打って変わり、空はどんよりとした雲に覆われていた。
ベッドが名残惜しすぎるが、頑張って起き上がり支度をした。革の防具は見た目にそぐわすフリーサイズだ。「テオドラ」で教わった通りの手順でトレーナーの上に装着して、上着を着る。
ここへ来た時とは見違えるほど、旅人装束である。
朝食をとった後、奥さんの弁当を受け取って「花売りコカトリス亭」を出る。来た時と同じく、気さくな挨拶で見送られた。お世話になりました。
飲用水を補給した後、街の門へ向かう。入った時のとは別の、反対側にある門だ。
カードを見せたりすることもなく、レンガ造りの門をくぐって外へと抜けた。
門の外は賑やかだった。検問を待つ人の列が長く、辺りには屋台まで出てわいわいしている。入ってきた方の門とは大違いだ。
「そうか…向こうは荒地があるだけだけど、こっち側は国の中央だもんな」
集落や村もポツポツと点在するから、そこから人が来るんだろう。屋台のいい香りの中を通り、やや整備された街道を歩く。
周囲はやはり見晴らしのいい平原で、林や木立が点在している。見上げる灰色の空は、いつ降ってきてもおかしくない雰囲気だ。
そんな空模様から視線を外し、遠目に広がる林へと目をつける。あの中なら人目につかなそうだ。早いところ車へ乗り込むべく街道から逸れて歩き出した、その時だ。
「おい!そこの人間!」
嵐のような男に声をかけられたのは。
ーーー
時は遡り、島屋がドルトナの街を目指して疲労や尻の痛みに耐えながら車を走らせていた頃。
はるか東の街イェゼロフでは、一人の若者が賑わう通りを闊歩していた。
青みがかった黒髪に、宝玉のような深紅の瞳。貴族の装いを纏った若者はしかし共も付けず、不機嫌そうな顔を引っさげてずんずんと通りを行く。
やがて彼が入り込んだのは、学舎として解放されている建物だった。この街に数カ所あるうちの一軒だが、いずれもそうである様にここも閑散としている。
「うわっ、でた」
「また来たなー、じしょーきぞくおじさん」
「リヒャルト、じゃましないでよ」
数人の子供たちが授業から顔を上げて若者ーーリヒャルト・グウィストンへ言い放つ。
「黙れクソガキども。誰がおじさんだ」
「今年で46だろー?」
「おっさーん」
「ジジイ!」
「とうのたった独身中年」
「やかましい!」
子供たちに便乗しリヒャルトを中年呼ばわりしたのは、若い教師だ。柔和な笑みを浮かべ、子供たちに読み書き計算を教える彼もまたリヒャルトと同じ魔族だった。ちなみに年齢も同じくらいだ。
二人が実年齢にそぐわず10代後半の容姿をしているのは特別なことではなく、魔族が人より長寿の種族である所以だった。魔族としては若者でも、人間からしたら二人ともおっさんである。
「人間のガキ2・3匹相手に時間を割くなど、理解できん……おい、チビども。私はこの男に用がある。とっとと巣に帰って、人間らしく芋でも耕してろ」
「ブーブー!」
「ひっこめー」
「じゃましないでっ!」
「リヒー、せっかく来てくれて悪いけど、みんなの授業はまだ少し残ってるよ。よければそこにかけて、大人しく待っていてくれないか」
「そうだそうだー!すっこんでろ、ばーか」
「うん。つまりそういう事だね」
「貴様ら……!」
リヒャルトは憤慨した。
これだから人間の街は嫌だ。本来ならば家畜か奴隷程度の存在が、さも己が上位種であるかのように振る舞っている。挙げ句の果てには自分に向かって「おっさん」だの「ばーか」だの…!
つーか魔族のくせに何馴染んでんだこの男は!そういう事だね、じゃないわ!
「この私を誰だと思ってーー」
「できたよ、レダートさまっ、これあってますか?」
「どれどれ」
「あっ、わかった!レダートさまっ、オレもできたっ。今度こそぜったいあってるぞっ」
わやわやと3人の子供たちが、若い教師へ親しげに計算の回答を見せる。リヒャルトへ向けた辛辣な態度とは正反対で、きちんと尊敬しているのが伺える。
それもそのはずで、彼はこの国の歴とした貴族令息だ。イェゼロフ辺境伯家に連なる、レダート子爵家の次男イアニス・レダートは奉仕活動として子供への無料教室に従事していた。
対してリヒャルトは、かつて魔王の領地を賜った貴族の生まれだが…つまりは何百年も前に滅んだ魔王と共に、爵位はとうに失われている。
己を由緒正しい貴族だと信じているのは本人だけで、当然この国では認められていないのだった。
なのでイライラと席の一つに大人しく座り、しょぼ教師とチビガキ数匹のやりとりが終わるのを待つしかなかった。
相手は庶民の子供。文字や計算を教わる機会は、本人の強い意志でも無い限り訪れない。皆生活の為に働くのを優先するのが当たり前で、故に何処の学舎もスカスカなのが現状なのだ。
「じゃあなー、レダートさま」
「ありがとうございました、さようなら!レダートさま」
「レダートさま、またねー!」
「ああ、またおいで。みんな気をつけてね」
「はいっ」「はぁーい!」「はい!」
ボードとペンを教室の隅へ片付けると、子供たちは忙しなく帰っていく。パタパタと出ていく際「リヒャルトもあばよー」「レダートさまを困らせるなよ、おっさん」「ふーんだ」と傲慢ちきな魔族にも律儀に声をかけていった。
リヒャルトは舌打ちで返事をすると、胡乱な目でイアニスを見上げた。
「いつまでこんな時間の浪費を続けるんだ貴様は」
「勿論、許される限り続けるさ。みんな素直で可愛くてね、僕の癒しの時間だよ」
細い目をさらに細めて笑みを浮かべるイアニスは穏やかにそう言うと、リヒャルトの向かいの席に腰を下ろす。
こうしていると、王都の学院で寝食を共にしていた頃を思い出す。今と変わらず魔族である事を誇りとしていた友人は、今以上に浮いていた。せめて人間を貶すような態度さえなければ…と何度思ったことか。
「それで、今日はどうしたんだい?」
「これを見ろ」
リヒャルトは己のアイテムボックスから何かを取り出し、机の上に広げた。
それは年季の入った地図と、紋様の刻まれた水晶玉だった。
「ついに5つ目の魔境を生み出す時が来た!」
発せられた突飛な言葉に、イアニスは答えあぐねて固まってしまう。彼の糸目が珍しく開いて、アイスグレーの瞳が覗いていた。
「商隊の馬車を襲ったアホどもを駆除した際、荷物から転がった物だ。この僥倖は偶然などではない!いいか、これは」
「ん?あれ、ちょっと待った」
リヒャルトは嬉しそうに水晶玉の説明をしだしたが、イアニスが反応したのは、隣の地図だった。
「この地図、うちにあった物じゃないか?」
「そうだ。この間呼ばれてやった時に持って帰った」
「悪びれもなく窃盗を白状すな!怖いよキミ」
見覚えのある山や街の名に川の形…レダートの大して広くはない領地を詳細に記した地図は、書斎にあったはず。
先日、ひどくしつこく子爵家へ来たがったので執事を拝み倒して家に招いたのだ。そういえば、やけに長くトイレに入ってたなこいつ。
「リヒー…僕らの友情に亀裂を入れたくないんだ、何もなかったことにしてやるから、これは回収するよ」
「友情?笑わせるな、そんな物あるわけないだろう!」
「よく言った。検兵のところへ行こうか。一緒についてってやるから」
「まぁ待て。そして聞け」
机の上で地図の引っ張り合戦を始めながら、リヒャルトは話を続ける。
始まりはリヒャルトの祖母だった。
魔王が存在し魔族が世界を席巻していた時代を生きた祖母から、彼は伝え聞いていた事がある。
「良いか。あの国にはもう一つ、魔境となり得るダンジョンが生まれ出づる。人間どもの目に触れれば潰されかねん。我らが秘密裏に見つけ出し、守らなければならぬ」
敬愛するお祖母様からそんな事を教わったリヒャルトは長年その場所を捜索し、ついに見つけ出した。
「それが…うちの領にあるって?ダンジョンが?んなアホな」
すっかり貴族の物腰を崩して素を出したイアニスが半信半疑で呟く。
半信半疑どころか、全く信じていなかった。イェゼロフ領をはじめこの辺りに、ダンジョンは一つもない。各領主が目を光らせ毎年調査させているが、出てきたという話は聞いたことがなかった。あれば大ニュースだ。
ダンジョンは冒険者を呼び、財を成した冒険者がその地に金を落とす。それでどこも調査を行うが、残念ながら未だに発見された例が無い。
「正確にはまだダンジョンではないが、なりかけだ」
「ああ、やっぱり」
つまり、あるとすれば放っておいてもいずれ消えていくだろう小規模で弱いモノという事だ。
「そんな弱い場所が、どうして魔境になると言うんだい?」
「あの場所は異様だ。かつて集落でもあったのだろうが…何のためにあるのか分からんものがゴロゴロしている」
お前も一目見ればわかる。と自信満々に言うリヒャルトに、イアニスはため息をつく。見ないよ。行かねーよ。
…と言いたいところだけれど、なりかけとはいえダンジョンだ。未発見のものなら報告義務があるが、問題は情報源がこのお騒がせ厄介野郎だという事。そんな真偽不明な報告を、忙しい養父の耳に入れたくない。
跡継ぎでもない身軽な次男坊が確認しに行くのが道理だよなぁ。
この先の展開を既に予測してしまったイアニスは、我知らず天井を仰いだ。
「それで、こいつだ。あの地をダンジョンへと育て上げるにうってつけの物が手に入ったのだ!」
手のひらで机をバシバシ叩いて、リヒャルトは小さな台座におさまった透明な球体をアピールする。
その隙にイアニスはさっと地図を奪い返した。己のためというよりそれは、目の前の男のためであった。窃盗の罪が露見したらただでは済まない。
「魔導のオーブ。劣化版だが、充分役割は果たせるだろう」
「また貴重なマジックアイテムを……商隊の荷物じゃなかったのか?」
「私が命を助けてやったんだから、私のものだ!」
「返してきなさい」
「こいつで魔力の高い者を見つけ出し、ダンジョンもどきへ放り込めば、すくすく育つに違いない。すでに1匹、その辺にいた魔力の高いジジイを拾ってある!」
「そいつも返してきなさい!」
魔導のオーブは、鑑定アイテムとして有名なマジックアイテムだ。国が保有するレベルの物なら、スキルにレベル、年齢や種族、魔力や魔法の所有属性などあらゆる物を知ることができる。
今目の前に置いてある小さなオーブは、触れた物の魔力に関するものしか測れないらしい。
「もう分かるな?今はジジイ1匹で済んでいるが、これから回収した人間どもを囲っとく場所が必要になる。なんとか用意しろ!」
「こんのバカタレ…」
そんなことに手を染めれば、立派な誘拐補助。そして軽く言っているが、人間をダンジョンもどきへ放り込むという行為は立派な殺人である。しかも死体が残らない悪質なやつ。
そこん所わかってるのかこいつは。…どうでもいいんだろうな。完全に暴走してる。
「リヒー…残念だけど、僕にそんな物を用意できる甲斐性は無いよ。職権乱用ができる立場ではないんだ、ご存知の通り」
「ふん、役立たずめ…では人間の回収を手伝え」
「だからそれは、」
「関わらないというなら、ダンジョンの場所は教えられんな!」
「………あ~、もう」
まさかもう手を下していないだろうな。イアニスが恐る恐る尋ねると、リヒャルトはまだ人間をその地に食わせた事はないという。ホッとした。
「今までは狩った魔物を放り込み、小規模ダンジョン状態を維持してきた。だがそれでは、育つのに年月がかかりすぎる」
「そうか……僕はそれで良いと思うけどな。ダンジョンってそういうモノだろう?」
「バカをいえ!下手したら枯れてしまうではないか。それではいかんのだ。魔境にふさわしい、魔力の坩堝へと育てねばならんのだっ」