16.辺境の街ドルトナ
「つ、着いた…」
いま、目の前には石レンガ造りの壁がドドンとそびえ立っている。
ちらりと門の外から中を覗くと、人々が行き交い建物や屋台が並んでいるのが見えた。ドルトナの街だ。
列の最後尾に並んで、俺はほーっと深くため息をついた。何だかどっと力が抜けて、とてつもない疲労を感じる。
でも同時に、とても嬉しかった。無事に辿り着けて、本当に良かった。
列に並んでいるのは、やはり冒険者装束の人たちだ。俺の格好はかなり浮いている。魔物の出る場所での活動は、最低限あんな装備が必要なのだろう。
その列を捌いている門兵らしき人も、皮でできた簡素な鎧と剣を身につけていた。
自分の順番が近づいてくるのをドキドキと待ちながら、行列を進む。
様子を伺っていると、硬貨を払う人は滅多にいなかった。みな首から下げたカードのような物を提示して、門兵の人が二人がかりでハイハイと確認している。
あれがギルドカードというやつか。
ついに俺の番が来て、「身分証を」と言われる。キビキビしているな。
「持ってません」というと、少し驚いたような顔をしてから「なら規則だから、6000Gだ」と言われる。支払うと、特に怪しまれる事もなくあっさり通してくれた。
「身分証の紛失は、早めに届け出ておくように」
おお。失くしたと思われとる。
キビキビした門兵に、俺は思いきって尋ねた。
「すみません。再発行ってどこでして貰えるんでしょうか」
「ああ。役場ならこの通りを行って、右の階段を登ると見えてくるからな。ただギルドカードの類なら、役場ではなく冒険者ギルドへ向かえよ。ギルドは街の中心だ」
門兵さんは役場の場所を尋ねられたと思ったのか、親切にそう教えてくれた。
ふむふむ。やはりラスタさんの言った通り、身分証は役場で問い合わせるものと、登録してギルドカードを貰うものがあるんだな。
大事な物だ。でも今は、それ以上に大事なものが俺を待ってる。ギルドカードは明日だ明日。
門をくぐって、ドルトナの街へ入る。幻覚なんかではない、本物のお天道様がさんさんと照らす、本物の人の街だ。
キョロキョロと忙しなく見渡してしまう。テレビで見たような、ヨーロッパの田舎だ。
ごつごつした灰色の石畳に、茶色や白の家。通りを隔てる建物の間からは洗濯紐が伸びて、服やらタオルやらがひらひらと靡いてる。向こうに見える坂道が、びっくりするほど急勾配だ。
そんな通りを、人々がのんびりと行き交っている。買い物かごを手に駆け回る子供たちや、大きな荷物を担ぎ黙々と歩くおじさん。井戸の前では女の人が3人、本物の井戸端会議をしていた。
野菜を売ってる屋台の前を通り過ぎて、俺はついにお目当ての建物を見つけた。「宿屋・花売りコカトリス亭」と看板の下がった、大きな建物だ。
宿屋!お宿だ!
「おう、らっしゃい。何人だい」
突撃すると、ひょろっと背の高い男性店主がカウンターごしに声をかけてきた。すごい、髪の色がオリーブ色だ。
道ゆく人たちも、日本では考えられないようなカラフルな目や髪色をしていた。異世界だな。
「一人です。今から入れますか、もう眠たくて…」
「へいへい、もうちょっと保ってくれよ。相部屋でいいか?」
「できれば一人部屋で、2泊できますか」
「一人部屋な。1泊3500Gになるぞ。メシは?」
「いらないです」
へとへとな客の対応に慣れきった様子の店主へ代金を払い、カギを受け取って部屋の場所を教えてもらう。3階にある一人部屋はちょうどビジネスホテルのシングルみたいな広さで、夢にまで見たベッドが窓際にある。天国だ。
「うおー…長かった…」
靴を脱いでベッドへゴロリ。この2日まともな睡眠をとれなかった俺は、上掛けに潜り込んで目をつぶると、あっという間に意識を手放した。
ーーー
目を覚ますと、見慣れぬこじんまりとした部屋の中。宿の部屋も窓の外も、夜が更けて真っ暗だった。
一度ソロソロと下に降りたが、人気はなく寝静まっている。腹が減ったけど、こんな夜更けでは仕方ない。
奇跡的に見つけ出したトイレは、離れにあった。
いそいそと部屋に戻り、至福の贅沢、the・二度寝を決め込んだ。
そうして2度目の起床。日の差し込む朝方に、ドンドンと大きなノックの音で目を覚ました。
「ダンナ、起きてるかー?」
「お掃除、いるー?」
子供の声だ。ドアを開けると、店主の子供だというチビっ子が二人、掃除の有無を聞いてきた。
こんな朝早くに、こんな小さな子が働いている。良い子達だと感心してると、兄らしき少年が「もう昼間だぜ。父ちゃんに生存確認してこいって言われたんだ」と呆れられた。
ダメな大人になった気分だが、俺だってほとんど寝ずに長距離運転した後なんだ。堪忍してください。
掃除はいいよと断ると、兄妹は別の部屋へ向かっていった。
たった一つの荷物を担ぎ、俺も階下へ降りる。
店主さんとその奥さんらしき女性が、カウンターから挨拶してくれた。
「おはようさん」
「どうも。ちょっと出てきます。また戻りますので」
「ハイハイ、いってらっしゃい」
何も考えず、最初に目についたというだけで入った宿だが、アットホームで良い所だ。「花売りコカトリス」という名前はちょっと謎だな。
宿を出て街を歩く。よく眺めて堪能したいが、キョロキョロして他所者感丸出しだとスリとかに合いそうだ。
今まで人気のないところにしかいなかったのであまり気にならなかったが、ジャケットにチノパンという日本にいた時のままの服装は思いっきり目立った。こんな格好でおどおどしていたら、たちまち犯罪者にカモられてしまう。
何とか服屋さんを見つけ、普段着を購入。周囲から浮かなければ良いので、安いのを数着選んだ。
袖に留め金のついた上着に、綿のズボン。店員さんにことわって、ここで着替えていく。靴とベルトと、中のトレーナーはそのままだ。
「おう、似合ってんね。にしてもお客さん、随分変わった服だったな」
店員のおじさんにどストレートな感想を言われ、思わず苦笑いした。
俺、とうとう本格的にここで生きていくのだな。
異世界の風貌に身を包んだからか、今更ながらそんな事を思いしみじみする。
それはそうと、お次は身分証だ。
街の長い階段をひいこらと上り、門兵さんに教わった役場へと向かった。
尋ねた結果、やはりここで俺が身分証を1から作ると、時間も金もかかって大変そうだとわかった。何しろこの国の国民として、戸籍を得る所から始めねばならない。
因みにここは、モストルデン王国。ラスタさんをこき使っていたという王の治める国だ。
お国の事情は知らないが、どうも隣国と争う気でいたらしい。今の所、そんなとこに戸籍を作る気にはなれん。
次に向かったのは、冒険者ギルドだ。
役場もそうだったが、ギルドもまた人はまばらでのんびりとしていた。
受付のカウンターへ声をかけると、職員からギルドカードを得るための簡単な説明を受ける。
冒険者ギルドはどの国にも属さない独立した機関なので、無戸籍な俺でも登録料を払えばそれで済む。名前やら何やらの個人情報を登録してから貰えるギルドカードを身分証にできるのだ。
ただ有効期限があって、駆け出しである俺の場合は1ヶ月。それまでに最低一度はギルドの出す「依頼」を受けないと失効してしまうという。
そうなればまた登録料を払う羽目になり、あまりにそれを繰り返すと再登録も受け付けなくなってしまう。ブラックリスト入りだ。
「受けられる依頼が無い時はどうすれば良いのでしょう」
「選り好みさえしなければ、依頼が無くなるなんて情勢はありませんよ。魔物討伐の他にも、街の清掃だとか商会・商店の下働きなどの依頼もありますので」
受付のお兄ちゃんがそう言って、カウンター横を指さす。大きな掲示板が2つ並び立ち、紙がたくさん張り出されている。あれが依頼か。
「魔物を狩ったり、薬草採取でしたりは街の外へ出ますので危険が伴います。その辺りは、自己判断・自己責任ですね。この街はそういった依頼は難しいという方ばかりですから、誰でも受けられる低ランクの依頼は多いです」
依頼は危険度によってランク付けられており、誰もが全ての依頼を受けられる訳ではない。ランクは「この依頼はこのくらいの危険度だから、実力がある人が受けてね」というギルドからの指標だ。依頼と同じく、冒険者にもEからSまでのランクがあって、相応の依頼を受けるには、相応のランクが要るという。
外で野宿をしたり、命がけで魔物を追い回したりしたくない俺には願ってもない事だ。
当初の予定通り、冒険者ギルドへ登録しよう。
登録料の40000Gを支払い(金貨4枚だ。必要経費だから良いけど、安いのか高いのかさっぱりわからん)、項目を記入する。市役所手続きみたいだな。
名前。年齢。住所…は無しで。登録時のレベル。ステータス…知らん。これも記入なしで。スキル…一応書いとくか?うーん、いいや。面倒なことになったら困る。
ほぼ真っ白なんだが、こんなんで身分証が貰えていいのか?訝しみつつ提出すると、お兄さんにカードを渡される。
「そこの右下の絵柄に、魔力を流してください」
見ると、カードの隅に曲剣と竜のマークが小さく描かれている。
久しぶりにやるので焦ったが、なんとか言われた通りに絵柄を握って魔力を込めた。それを受け取ったお兄ちゃんは奥に引っ込んでいく。
暫く待機だ。隣のカウンターではおじさんが別の受付さんと話している。おっとり美人の受付嬢さんだ。ちょっと羨ましいぞ。
そうこうしてるとこちらの受付兄ちゃんが戻ってきて、再び俺にカードをくれた。
「魔力の登録が終わりました。どうぞ、ギルドカードです。紛失しますと再発行は、失効と同じ手続きとなりますので注意してくださいね」
なるほど。ひょっとしたら、魔力が生体認証になるのか?
何はともあれ、ついに身分証をゲットだ。
カードには穴が開けられている。できるだけ肌身離さず持っていた方が良いとのことで、ベルトや首にかけて所持するのが一般的だそうだ。
確かに、検問所の冒険者たちは殆ど皆そうしていたな。俺も紐を貰い首からかけて、服の中にしまう。
ありがとうございます、とその場を離れて、掲示板を覗いてみた。
「色々あるな」
掲示板に貼られた紙には、依頼内容と報酬が書かれている。Eランクの俺が受けられるのは、EとDの箇所に張り出された依頼だ。
道路の清掃、屋根の清掃、ゴミ集めと処理…本当だ、掃除多いな。
あとは薬草採取、畑の収穫作業、倉庫の備品整備…飼い犬探しなんてのもある。
「お。こういうの、俺にはもってこいなんじゃ…?」
目についたのは、「収穫物の運送、納品」という依頼だ。報酬の額が掃除などよりかなり良いぞ。
だが、残念ながら依頼のランクがCで俺は受けられない。他にも隣町や村への運搬系はB~Cと高ランクなのだった。
「そうか…魔物とか出るから、運送業も命がけの仕事になるんだな」
街の中ならそんな事はないが、街と街とのやり取りは危険なのだろう。そうやって考えるとこの世界は、旅行や帰省といった遠出が気軽にできないのかもしれない。
にしても、報酬の額がだいぶ違う。労力とうまみを考えると、ぜひこういう依頼を受けたいんだけどなぁ。せっかく貰った特殊スキルを活かしたい、という気持ちもあった。
依頼を真面目に受けて成功させてれば、ランクが上がるだろうか。
とりあえず、ギルドを後にする。