表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
10/60

10.魔境に落ちた太陽

何てこった……まさかこんな事になるなんて。


予想外の流れに、不安と焦りが膨らんでいく。てっきりいつもの言い合いの延長みたいな、軽いしばき合いでもするのかと思っていたのに。


ラスタさんと少女ボスの関係は、とても良好なもののように見えた。それが崩れてしまったのではと思うと、居た堪れない。

なんて安請け合いをしてしまったんだ。


剣を返してくれと言われた途端、少女ボスはマジギレしていた。まるで事情を話すどころでない。あの時の剣に対する「どこにやったか忘れた」って態度は、何だったんだ?


何もラスタさんは、少女ボスを討伐する気でいるのではない。むしろここから出る気がないのに。……誤解が解ければいいが。


俺はカウンター向こうの棚へ目を向ける。

そこにあった剣は、やはり忽然となくなっていた。



ーーー



島屋が1人残され途方に暮れているその頃。

通りをいくつも挟んだ別の建物に、ラスタもまた1人で立っていた。


転移の魔法で飛ばされる直前、間一髪で剣を掴むことができた。柄を握る感触は彼にとって実に数年ぶりのものである。

かつては片時も離さなかった…離せなかった物なのに、その剣は今や何の馴染みもなかった。


「最初からこんなモノ、手にしなければ良かった…とでも思っておるのだろう」


ドアの向こうから、聞き慣れぬしわがれ声がする。声は違っても、それが誰かはよく分かっていたラスタは、いつもの様に淡々と答えた。


「そうかもしれない」


鞘に収まったままの剣に目をやる。白銀の柄と鍔。鞘に施された細やかな模様も同じ色。鍔の中央に一つ、鞘の中央にも一つ、黄緑色の美しい魔石がはめられている。

翳りの湖でこれを手にしてから起きた事、出会った人たちの顔が浮かんでは消えていった。


ふいに、ドアの向こうが騒がしくなる。人々の怒声や悲鳴。獰猛な生き物の唸り声。

この場所は、もとより何もかもが幻覚であり、外の景色が様変わりしたのだと分かった。


鞘から剣を引き抜くと、ゆっくりドアの外へ踏み出した。


「勇者様だ!」

「ああっ、助かった!」

「勇者よ、どうか、どうかあのドラゴンを倒してくだされ!」


いつもの街並みは、どこにも無かった。岩山の斜面にひっそりと並ぶ集落。暗雲が立ち込める空からひっきりなしに落雷が起こり、滝のような豪雨に見舞われている。

集落に暮らす人々が、こちらを見るなり助けを求めて集っていた。


雷竜の脅威に怯えきった人々の顔、顔、顔。


その全てが、こちらに向けられている。


「また戻ると言うのか。このくだらぬ世界に」


聞き慣れない悪魔のしわがれ声が、人々の向こうから微かに届く。

人だかりの向こう側で、黒い鱗を持った巨大な生き物が血まみれで倒れていた。すぐ側には折り重なるように小さな身体がーー雷竜の子供たちが、親と同様事切れて横たわっている。

その内の1匹が、青い血の溢れる口からしわがれた声を上げていた。


「愚かなことよ。人々の苦しみや悲しみに寄り添う事を止めたお主に、戻る場所などあるものか」


声はせせら笑う。

今は何とも思わないが、かつてはたくさんの人の「助けて」に応えるのに必死だった。何のために、あんなに頑張っていたのだろう。声の言うように、己の戻る場所を守るためだろうか。


グルルルッと頭上から雷のように鳴き声が轟く。

仰ぎ見れば、家族を殺され怒り狂った雷竜が雷を身に纏い、こちら目掛けて飛びかかってくる所だった。

人々が、悲鳴をあげて散り散りになる。


雷竜が距離を詰める最中、マジックバックから「魔法攻撃無効」のスクロールを出して発動させる。ごっそりと魔力が抜けて行く感覚と共に、間近に迫った雷竜の爪を腕ごと斬り捨てる。

グワッと呻いて動きが止まった刹那、剣先をその首目掛けてひと息に突き刺した。

大きな身体が、重々しく崩れ落ちる。


「隙ありだ」


その途端、左の肩に衝撃が走る。子供雷竜が後ろから深く噛みついていた。


振り払おうとするが、その前に小さな竜はあたりの景色ごとかき消えた。

強烈な光が辺りを照らして、眩しさに思わず目を覆う。


雷雲で真っ暗だった場所から一転、空は燃えるような夕焼けで、温かな茜色が空気のように満ちていた。

広がる草原に、夕陽で黒く染まる山々の尾根。草を踏み締めてできた見慣れた街道。その先に小さな村があるのを、ラスタは知っていた。


「どうしても行っちゃうの?」


振り返ると、困ったように笑う1人の少女がいた。同じ村で生まれ、兄妹のように一緒に育った子。


「おじさんはああ言ってるけど、寂しいんじゃないかな。一人息子だし……。あ、そうだ。いつものオンボロ風車!ラスタが居なくなったら、いよいよ廃屋になっちゃう。直す人いないもん」


風になびく長い黒髪を押さえて、遠くの風車を指さす。

昔見た最後の姿のままの彼女は、すっかり大人になり肩から血を流すラスタの様子に、全く無頓着だ。


「ラスタが居なくなったら……」


ぽつん、と小さく呟いて、風車からこちらへ視線が向く。宝石のような紫の瞳が、夕陽を受けてきらめいていた。


「居なくなったら、私たちは皆んな殺されちゃうよ」


幻覚だと分かっているのに、我知らず柄を握る力が強まった。


「初めから、ここを出なければ良かったのに。村は焼かれずに済んだし…私だってまだ生きていられた。ずっとここに、居てくれればよかったのに!」


ああ。あの時、本物のこの子がそう言ってくれたなら、どんなに良かっただろう。身勝手極まりないが、そう思わずにはいられない。

何か変わっただろうか。変わらないかもな。元々、冒険者には憧れていた。村を出ないという選択肢は無かっただろう。

それを分かってくれていたから、本物の彼女はあの時最後には「頑張ってね」と笑って見送ってくれたのだ。


でも勇者なんてものにならなければ、魔族を退治してくれと頼まれる事も、その報復として魔族に故郷を滅ぼされる事もなかったかもしれない。


だから、諦めた。


「出ていくわけがないだろう」


ピクリ、と目の前の相手が動く。幼馴染の少女ではなく、その足元に落ちた影が一瞬揺らめいだ。


帰る所だの、居場所だの、もう自分には必要ない。居場所があるという事は、それを守らなくてはいけないという事だから。

でも魔境(ここ)は違う。簡単には奪われないし、無くならない。


守らなくても、生きていける。


「俺にとって、奇跡みたいな場所なんだ。誰が出ていくものか」


ズブ…と少女の影から粘着質な音が上がり、不気味に蠢き始めた。ボコボコと泡立つように盛り上がり、やがてそこから血走った一つの目玉と異様に多い歯の並んだ口が生み出される。

その口がしわがれた声を出した。


「あん?お主はここから出ていくという話しではなかったか?」

「誰がそんなことを言った」

「………」

「………」


ざわり、ざわり、と夕暮れの風が草原を走る。


「何を脳なしのデグの棒のように黙っておるのだ、たわけが。さっさとそれを言わぬか」

「その前にけしかけて来たのはそっちだ」

「だから黙っとらんで口に出せっつーの」

「そんな雰囲気じゃなかったろう。突然キレだして…チビるかと思った」

「嘘つけェ!憎たらしいほど涼しい顔してからに。そもそもあんな大層なスクロール、どこに隠し持っておった。わしの()()()()に全て献上しろと言ったではないか」


そんなものに従うわけがなかった。いざという時のため、主要な装備やアイテムは別のマジックバックへ詰めて、シマヤのクルマにこっそり隠しておいたのだ。おかげでバレずに済んだ。


「お前があそこまで怒るとは思わなかった」


聖剣は勇者の証だ。それを返せとなれば悪魔への挑発に等しい。絶対に喧嘩をふっかけてくるに違いないとは思っていたけど、予想以上の怒りように驚いた。


「………怒ってなどおらぬ。ただ随分都合のいい事を抜かしおるから…ここは悪魔らしく、古傷をブスブス刺してやろうと思っただけよ」


不気味な影の塊が、ぐねぐねと蠢きながらしわがれ声を上げる。濁った目玉も歪んだ大きな口も、醜い正体のほんの一部だ。

そのそばに突っ立っている幼馴染の幻影は、気まずそうに目を逸らしている。自分を生み出した主人が突然会話に入ってきて、どうすればいいかわからないみたいだ。


「怒ってないは嘘だろう」

「嘘でないっ」

「なら、もういいか?これはシマヤに預ける。彼に元の場所へ返してもらう」

「は?ああなんだ、その剣か。あのペテン師の手には余るだろうに」


ぎょろりと目玉が聖剣を捉える。アダマンタイトの両刃には人智を超えた古代魔法が宿り、本来黒い剣身を輝くような白銀に染め上げている。この世の誰にも再現できない、神々の贈り物と称される一振りだ。


だが悪魔は軽口を叩くだけで、特に反対はしないみたいだった。本当に、何で怒っていたのだろう。

別の理由だったのかな。

聞いてみたいが、せっかく腹の虫を治めてくれたようだから今は止めておこう。


「俺はここに居座るけど、シマヤは出してやってくれないか」

「それをわしに吐かすか、フン。はいどうぞ、なんて言わんぞ。出られるものなら好きにすれば良い」


それが聞ければ十分だ。

剣を鞘に納める。今にも沈みそうでいつまでも沈まない夕日が、相変わらず辺りの草原を照らしている。


帰り道はどっちだろう。幻覚のせいでさっぱり見当もつかない。やはりあの「かーなび」というスキルは便利だよな。

案内する声もマップもない自分は、ただ目の前の悪魔の気が済んで幻覚が解かれるのを待つしかない。


魔境の到達者とは思えないほどの臆病者なシマヤは今頃、目を白黒させているだろう。少し心配だ。



ーーー



あれからコンビニを出てステルスモードの車内に籠っていた島屋は、街並みが突如としてかき消え見知らぬ場所になっていく様に大混乱していた。


「何じゃこれ!幻覚?これも幻覚か?!」


瞬きをする間に何もかもが変わっていた。空を覆い尽くす真っ黒な雲。ゴロゴロとひっきりなしに鳴る雷。荒地に広がる集落が、バケツをひっくり返したような雨で霞んでいる。何処だよここ!?


気を落ち着かせようと車のライトをつけ、ワイパーを動かす。石畳ではなく辺りはゴツゴツとした岩の山間で、岩肌にポツポツと家がくっついている。人はやはり見当たらない。

ナビで確認しようと見てみれば、いつもの街並みの地図のままだ。やはり幻覚を見ているだけ、と言う事なんだろうか。


「何でもありだな……ひぃっ!?」


突然なにか大きな生き物の咆哮が上がったかと思うと、バカでかい雷が落ちた。

あまりの近さと大きさに堪らず耳を塞ぐ。ステルスモードにも関わらず、車がぐらぐらと大きく揺さぶられた。そんな事は初めてで、恐怖に駆られる。ジズを倒してる時ですら、こんな風にはならなかった。


今すぐ逃げないと。いや、だがラスタさんは無事だろうか。今の恐ろしい声と雷から察するに、恐らく少女ボスと戦ってるのだ。あんな雷に巻き込まれたら、流石にひとたまりも無いんじゃ…。

助けに行くべきだろうけど、2人に比べ雑魚も雑魚な俺に何ができると言うのか。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ