1.さよなら、現世と道路交通法
「ここ……何処だ…?」
俺は萎れた声で呟いて、運転席からキョロキョロと外を見渡した。
ついさっきまで、国道の交差点にいたはずだった。そして対向車線から突っ込んできたトラックとゴッツンコしたはずなのだ。ところが、どこにも怪我がない。車も買った時の姿のまま。
辺りは道路じゃなく、明るくて真っ白な靄が何処までも広がっていた。見た事ない程、白一色だ。
おかしいな。
俺は数時間前までの記憶をたぐる。
買ったばかりの車で、中古車販売店から出た。実家でたまに運転するくらいのペーパードライバーな俺は、超ガチガチの安全運転だ。それがどうして、車を買ったその日に貰い事故で天国にいるのか?
最悪だ!最悪!
「あのぅ…はじめまして」
「うわっ!」
突然した声に驚いて見ると、ドアの横に知らない女性が立っていた。
一体何処から湧いたのか。まだ若い女の子はスーツ姿で、なぜかおどおどしている。
「どうしよう、えっと、とりあえず、自己紹介。相手の確認。落ち着いてもらってから、転生先の説明……うん。よし」
何やらぶつぶつ呟いたかと思うと、フレッシュな笑顔を浮かべ、俺に向き直る女の子。営業スマイルだ。
「こんにちわ。私はどこにもない世界の住人です」
「はぁ」
「貴方のお名前は、島屋健斗さん。日本国で事故に巻き込まれて、此処へきました。お間違いありませんか?」
「たし…かに、そうですね」
相槌をうつと、彼女は「はい、記憶に齟齬はございません、と」と何やら確認している。
薄々だが、自分の置かれた現状がわかってきた。
あれだ。異世界に行くやつ。漫画とか小説でよくあるやつ。
「えと、では、ご説明します。残念ながら、島屋さんは事故によって生涯を終え、こちらに来ています。元いた世界に戻ることはできません。ですが、全く違う世界になら、このままご案内することができます………たぶん」
「たぶん?」
俺が不安になって聞き返すと、謎のスーツ女子は途端にあたふたとスマイルが崩れてしまった。「え、いや、その」と吃ってる。
俺は以前居酒屋で見かけた新人バイトっぽい女の子の店員さんを思い出していた。まんまあの子だ。思わず「新人です 元気いっぱい頑張ります!」てプレートがないか胸元を探してしまう。
「うう…すみません。突然の事でびっくりしてらっしゃるのに……」
「ああ、いや…」
「いつもならすぐにご案内できるんですけど、この車が……ちょっと予想外と言いますか……どうしよう」
新人ちゃんはすっかり困りきっている。
でも待ってくれ。俺も困りきっている。どうやら25という若さで死んじまったようだ。その上何の前触れもなく訳の分からない場所にすっ飛ばされようとしている。それでは堪らない。
「あー、よくわからないけど………ここには君一人なの?誰か他に、相談できる人はいない?」
「他に……あっ!そうか。わ、私ちょっと呼んできます。すみません」
「はい、頼みます」
「お待たせしました」
「うわっ!?」
反対側のドアの外に、ややくたびれたスーツのおじさんがノータイムで現れた。こちらは居酒屋の店長…というよりは大手会社の課長みたいな男性だ。
それにしてもおじさんも新人ちゃんも、どこから来たんだ。影も形もなかったのに急に出てくるからびびってしまう。
「いやぁ、驚きましたね。交通事故でこちらへいらっしゃる方々は何人もいますが、事故った車ごとというのは初めてですよ」
レアケースですね、と笑うおっさんに、俺は「はぁ」と返す。こっちはレアもクソもないが。
「あのそれで、俺はこれから異世界?に放り出されるんですかね」
「はい、そうなります」
こういうやり取りは慣れているのか、おっさんは享年25の俺に向かって容赦無く頷いた。新人ちゃんはそんなおっさんと俺の顔を交互に見上げてる。
「本来であれば、いくつかのスキルを差し上げ、ご要望なら転生という形で1から人生を始めて頂くことも可能なのですが…こちらの車ごといらした貴方は、来た時と同じく、車ごと転移していただく必要があります」
「そ、そうなんだ……」
げーっ、何でやねん。
無類の車好きならまだしも…何の感慨もない、買ったばかりの中古車なのに。
俺が買ったのは、何とかって名前の黒い軽だ。「初めは擦ったりするもんだ」と家族に言われ、それなら安いのでいいや、と拘りなく選んだのがこれだった。
俺の不服そうな顔面に気づいてるのかいないのか、おじさんは話を続ける。
「その代わり、できるだけの特別スキルでサポートさせて頂きます。ですので、少々車を見させてください」
「えっ、あハイ」
俺はようやく車のドアを開けて、オズオズと外に出た。あまりに突拍子もない事が起こり過ぎて、車から降りるという発想すら湧かなかった。
おじさんは車の周りを回り、中を確認しながら何やらブツブツ。
「どれどれ…?ありゃ、カーナビ無いんか…いいや付けとこ。ここをこうして…あとはこれも……うーむ、こんなのどうかな?フフフ…」
おい、大丈夫かよ。楽しそうにしやがって…
不安になって思わず新人ちゃんを見るも「車、ピカピカですね。お好きなんですね!」と笑ってる。いや好きじゃねーわ!
「お待たせしました!スキルの準備が終わりました。カーナビつけておきましたので、まぁまずは色々とお試しください」
サァどうぞどうぞ~と追い立てるように、俺は再び運転席へ押し込まれた。
言われた通り、ハンドルの隣に立派なモニターのナビが組み込まれている。普通車にあるような、ちゃんとしたやつだ。いつの間にこんな工事したんだよ、ブツブツ言ってただけなのに。
「そのカーナビが、スキルの根本になります。大体貴方の知っているカーナビと使い方は一緒ですのでね。
また、こちらは特殊スキルとなりまして、それに伴いボーナス特典もお付けしました」
おじさんが指をさすので見ると、助手席にダンボールの包みが置いてある。
もう次から次へとツッコミ所がいっぱいだが、二人はすっかり俺を送り出す雰囲気だ。
「いやいや!もう少しきちんと教えて貰えない?ガソリンは?異世界なんだろ?レギュラーなんて無いでしょ」
「それでしたら、おいおい分かりますのでご心配なく~。あっ、カーナビ確認してくださいね~」
「ちょっと!道路交通法は?」
「そういうのはありません。常識の範囲で、安全運転で大丈夫ですよ~」
ええ、フワフワ。
呆気に取られている間に、おっさんと新人ちゃんは上品に手を振った。その姿が、白い風景にモヤモヤと紛れていく。
「おい!ちょっと待て!」
慌てて叫ぶも、二人は聞きやしない。煙のように消えてしまった。これが本当の、煙に撒くってか。
なんて奴らだ。もっとちゃんと説明してくれてもいいのに!
愕然としていると、真っ白な景色が徐々に様変わりしていってるのに気がついた。とうとう異世界とやらへ行くらしい。車も一緒に。
固唾を飲んで眺めること暫し。
「うわ……何だ、ここ」
明るい雲の中のような景色は一変した。車内から見える周囲はどんよりと暗く、廃れた建物が並んでいる。
石造りの道に、西洋風の家や門。その全てが薄汚れ、崩れかけていた。
はあ?ここが異世界?
それはそれは雰囲気たっぷりの、ゴーストタウンである。俺は思わず頭を抱えそうになった。怖い。怖過ぎる。
「どうしてこんな目に……」
石畳の地面は所々割れて、隙間から雑草が茂っている。こんな所、下手したらパンクしちまうじゃないか。
だが、車の中からでも伝わってくる、この淀んだ空気。外に出歩く勇気はない。
とりあえず、あのおっさんの言う通りにしてみよう。
周囲に動くモノが居ないのを一通り確認して、俺はエンジンをかけた。エンジン音と共に、カーナビの画面がパッと点る。
「見た感じ普通のナビだけど…」
自分を示す三角形に、恐らく周辺のであろう地図。機械が不慣れな両親に代わりもっぱらナビ操作役に徹していたので、運転よりは慣れているのだ。カーナビは。
画面をポチポチして、地図を拡大してみる。
すると現れる、円の地形。これが街の全体図のようで、名前らしきものも表示された。日本語じゃない、見たことのない文字なのに、読める。
魔境・天空都市ベラトリア
天空都市……マチュピチュ?山の上って事だろうか。
いや、まさか。ファンタジー的世界だとしたら、空島?んなもん車でどうやって降りんねん。
ピピピと更に拡大。ゴーストタウンの円形とその周りが色分けされているのが分かった。
周囲が緑色なのに対し、円形は赤く表示されている。真っ赤だ。そしてベラトリアという名前に寄り添う、『魔境』の文字。
…………。
「で、出口……」
息苦しさを覚えながら、俺は「案内」のボタンを押す。
いつものなら名称、ジャンル、電話番号…等々出てくるが、表示されたのは入力画面だ。
思いつくまま入れてみる。
ベラトリア 出口
候補が複数あります。ピンを選択してください。
現れたカーナビ画面の文字に思わず「いや、あるんかい」とツッコミを入れてしまう。
しかし、超助かる。異世界の地名も住所も知らない俺が、目的地を設定できるわけがない。キーワードでパパッと出できてくれるなんて便利だ。
再び画面を鬼タッチして地図を縮小。出口候補は3箇所あった。一つは中心。残り二つは円周上。つまり、街の中央と端だ。
「真ん中が一番近いけど…本当に出れるのか?」
少し迷うが、現在位置から一番近いのでそこを目指すことにした。ひょっとしたら、抜け道階段でもあるのかもしれない。
「目的地を設定しました。ルート案内に従って、走行してください」
レバーをDに入れる前に、少々確認。ワイパーはこれ。ライトは暗いからハイビーム。切り替えはどうだっけ、あ、これか。
ガソリンは流石にフルのままだけど、いつまで保つのだろう。不安だ。
「遭難・死亡事故多発区域です。ステルス運転モードへ移行します。車外へ出るときは安全を確認しましょう」
ひええ。今すげーおっかないこと言ったな。