第424話 美味しいリッコ?
フィレール侯爵領の復興は、アルクロ北西の川から引かれた水路が完成したことにより、新たな段階へと入っていた。
かつては乾燥し、作物が育ちにくかった土地が、今では豊かな水を湛えた水路のおかげで見違えるほど生命力に満ち溢れている。その農地を、僕はジョセフィーナとアスィミを伴って視察に訪れていた。
「エドワード様、素晴らしい光景ですね。水路ができてからというもの、農夫たちの顔つきも明るくなったように感じます」
ジョセフィーナが活気に満ちた畑を眺めながら感慨深げに言う。彼女の言う通り、開墾された広大な土地で働く人々の額には汗が光っているが、その表情は充実感に満ちていた。
視線の先には、この土地の気候に適した作物が植えられている。その一角では瑞々しい赤い実をつけたリッコが、太陽の光を浴びて輝いている。
僕の姿に気づいた農夫の一人が、鍬を置いて駆け寄ってきた。
「おお、フィレール侯爵様! わざわざご視察、ありがとうございますだ。これもひとえに、侯爵様が作ってくださった、あの見事な水路のおかげでございます」
彼は心からの感謝を口にしながら深く頭を下げた。その手には収穫したばかりと思われる、完熟したリッコが抱えられている。
「順調に育っているようだね。出来はどうかな?」
「へい! 水が安定して手に入るようになってから、実の大きさもさることながら、甘さが出たと領内でももっぱらの評判でございます。見てくだせぇ!」
そう言われ、僕は艶やかなリッコを二つ受け取った。柔らかな布で表面の土を軽く拭い、そのままがぶりと一口。
「えっ!?」
農夫は食べた僕を見て驚きの表情を見せる。
口の中いっぱいに爽やかな酸味と甘味が広がった。スヴェートで食べたものはただ酸っぱいだけだったが、これは別格だ。この土地の強い日差しが甘みを凝縮させたのだろう。
「うん、これは美味しい! 今まで食べたリッコとは違い、このままでもいける」
「本当でございますか!? エドワード様にそう言っていただけるなら、汗水流した甲斐があったってもんで!」
農夫は自分のことのように喜び、顔をくしゃくしゃにした。そのやり取りを隣に立つアスィミが、じっと真剣な眼差しで見つめている。その視線は僕が持つリッコに釘付けだ。
「アスィミも、一つどうかな? とても美味しいよ」
「……はい。いただきます」
僕が新しいリッコを差し出すと、アスィミはこくりと頷いた。そして、小さな口で、可憐にかじりつく。
しかし、次の瞬間。彼女の動きがピタリと止まった。眉間に深い皺が刻まれ、血の気の引いた顔で、口元をわなわなと震わせている。
「……す、……酸っぱい! やっぱり、リッコはリッコですぅ――!」
アスィミは叫ぶと、がくりとその場に膝から崩れ落ちそうになる。撃沈、という言葉がこれほど似合う光景も珍しい。
「アスィミ。大丈夫ですか?」
「……不覚、です。エドワード様が、あのように美味しそうに召し上がっていたので……」
悔しそうに唇を噛むアスィミの様子は少し可笑しかったが、僕の頭の中は先ほどの甘みと酸味の記憶でいっぱいになっていた。
パスタで使うリッコのソース、そして良質なチーズを乗せた熱々の……そうだ、ピザだ!
チーズはペーターが飼育しているアジュール・サーペントホーンのミルクがある。あの濃厚なミルクなら極上のモッツァレラチーズが作れるはずだ。
問題はピザを焼くための高温の釜だが……。
ふと、町の復興作業中に見たある光景を思い出した。
「資材なら、心当たりがある。行ってみよう!」
◆
僕が向かったのは、町の復興のために設けられた資材置き場の一角だった。ここは戦火で崩れた建物から出た瓦礫を、再利用できるものとできないものに分別している場所だ。
石材、木材など山と積まれた瓦礫の中から、僕は目的のものを探し出す。
「エドワード様、このような場所で何をお探しで?」
たまたま作業の視察をしていたクレストが、不思議そうに声をかけてきた。
「特殊な釜を作ろうと思ってね。そのためのレンガを探しているんだ」
「レンガ、でございますか。それでしたら、あちらにパン窯で使われていたものが……」
クレストが指差した先には丁寧に積み上げられた、ベージュ色のレンガの一群があった。一つひとつは黒く煤けているが、熱に強く、欠けも少ない良質なものだと一目でわかる。
「これなら使える……! クレスト、このレンガを少しもらってもいいかな?」
「もちろんでございます。むしろこうしてエドワード様のお役に立てるのでしたら、レンガも本望でしょう」
◆
レンガを屋敷の中庭に運び込み、僕はさっそくピザ釜の製作に取り掛かった。おじい様や、噂を聞きつけたマルシュ君たちも興味深そうに集まってくる。
「エディ、ずいぶんと本格的な窯を作るようだが、パンでも焼くのか?」
「いいえ、おじい様。これはウルスから聞いたピザというものを焼くための釜です。パン釜とは少し違うんですよ」
蔓で土台を作り、レンガを積み上げながら説明をする。
「ピザとパンは、どちらも薪を燃やした窯の輻射熱で調理する点は同じです。ですが、決定的な違いがあるそうです」
僕は手を休め、説明を続けた。
「パンを焼く窯は、まず中で薪を燃やして窯全体を十分に温めた後、燃え殻や灰を完全にかき出して、その余熱だけでじっくりと時間をかけて焼き上げます。扉を閉めて、熱を逃がさないようにするのが特徴です」
おじい様やマルシュ君は分かっていないようだが、クレストは頷いている。
「ですが、ピザは違います。ピザ釜は薪を燃やし続け、その直火とドーム状の天井から反射する強い輻射熱を利用して、ごく短時間で一気に焼き上げるんです。だから、釜の入り口は開けたままで、常に薪をくべられるようにするそうです」
「思想がまったく違うというのは分かりましたが、どのような料理なのか分からないだけに楽しみですね」
マルシュ君は感心しているなか、僕はアーススライムの糸をモルタル代わりに使い、レンガを寸分の狂いなく組み上げていく。ドーム状の天井は熱が効率よく循環するよう、完璧なカーブを描かせる。一時間ほどで立派なピザ釜が中庭に完成した。
◆
釜が完成すると、次はいよいよ調理だ。
新料理ということで、料理人のクレアたちも駆けつけている。
まずは、ペーターに頼んで届けてもらったアジュール・サーペントホーンの新鮮なミルクで、モッツァレラチーズを作る。温めたミルクが凝固剤によって、みるみるうちに美しい純白のカードに変わっていく。お湯の中でそれを練り上げ、引き伸ばすと、独特の弾力を持つチーズの塊が出来上がった。
ちなみに、この凝固剤、地球ではレンネットと呼ばれ、仔牛の第四胃、いわゆるギアラから抽出するのが一般的だった。この世界ではどうしているのか以前ロブジョンに聞いたところ、ピウスフリーシアンのような牛系の魔物から同じように抽出するらしい。
小麦粉をこねて作った生地を手で伸ばしていく。その上に完熟リッコを潰して作った簡易ソースをたっぷり塗り、出来立てのモッツァレラチーズを贅沢にちぎって乗せる。仕上げに庭で摘んだ香草を散らせば、準備は完了だ。
ピザ釜に薪をくべ、炎が安定し、釜全体が灼熱の空気を帯びるのを待つ。
「よし、焼いてみよう」
急遽リュングに作ってもらった木製の長いパーラーにピザを乗せ、釜の中へと滑り込ませる。
ジュウッ! という音と共にチーズとリッコの焼ける、たまらなく食欲をそそる香りが中庭全体に広がった。
おじい様やメグ姉、マルシュ君、そしていつの間にか集まっていた騎士団やレギンさんたち、誰もが固唾を飲んで釜の入り口から漏れる赤い光を見つめている。
九十秒ほどだろうか。完璧なタイミングで釜から取り出したピザは、まさに芸術品だった。生地の縁は香ばしく膨らみ、中央のチーズはとろりと溶け、ソースの赤と香草の緑のコントラストが目に鮮やかだ。
「さあ、熱いうちにどうぞ! ピザの完成だよ!」
僕が切り分けた一切れを、まずはおじい様に手渡す。
「うむ!」
一口食べたおじい様は驚きに目を見開き、そして満足げに頷いた。
「これは絶品だ! 外はさっくり、中はもちもちとした食感、リッコの甘みと酸味、そしてこの乳製品の濃厚なコク! すべてが口の中で完璧に調和しておる! これは冷えたエールに合うはずだ!」
おじい様とレギンさんは早速冷えたエールを頼んだようだ。
クレアたちのピザも次々と完成し、みんな美味しそうに食べている。
「エドワード様、この料理は……革命的ですね。まさか、大嫌いなリッコがここまで美味しく感じるとは――」
クレストもリッコが嫌いなようだ。この辺りではリッコを魚介類の臭み消しや塩漬けにして食べるのが一般的で、生で食べる人は珍しいそうだ。
「エドワード様! このピザという料理。フィレール侯爵領の名物にしてはどうでしょうか?」
「名物?」
「はい! リッコは元々栽培していますし、ペーターのミルクも安定して手に入るようになれば、きっと名物になります!」
クレストの提案はなかなか良さそうだ。
水路ができた効果は作物の味にも影響を及ぼしていることが分かり、育てられる品目を見直す必要があるなと感じたのだった。
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