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第418話 隻眼の赤兜

 フィレール侯爵領の復興作業は順調に進み、人々の顔にも少しずつ笑顔が戻り始めている。僕は新たに用意された執務室で、窓から見える穏やかな海を眺めながら、ジョセフィーナが淹れてくれた紅茶を飲んでいた。


「ふぅ……やっぱり休憩時間はこうでないとね」


 プラータ産の紅茶の爽やかな香りが鼻腔をくすぐり、ここのところ続いていた書類仕事の疲れを癒してくれる。頭の上で丸くなっているヴァイスも、穏やかな日差しを浴びて気持ちよさそうに寝息を立てている……寝るなら頭の上じゃなくてもよくない?

 

 しかし、しばらく港の風景を眺めているうちに、ふと違和感を覚えた。


「ん? 何か……静かすぎないか?」


 いつもなら漁から戻ってくる船や、新たに出港していく船で賑わっているはずの港に、一隻の漁船も見当たらない。停泊している船はあるものの、漁師たちの姿はまばらで、活気が完全に消え失せている。まるで嵐が来るのを、皆で息を潜めて待っているかのようだ。


「エドワード様、どうされました?」


 僕の思考を読み取ったのか、ジョセフィーナが声をかけてきた。


「いや、港がやけに静かだと思ってね。いつもならたくさんの船が出ているはずなんだけど、一隻も見えないなと思って」


「本当ですね。先ほどクレストを見かけましたので、呼んでまいります」


 ジョセフィーナはクレストを呼びに行った。



 ◆



「クレスト、少し聞きたいことがあるんだけど」


「はい、エドワード様。何でございましょうか?」


「港のことなんだけど、今日はずいぶんと静かだね。漁に出ている船が一隻も見えないようだけど、何かあったのかな?」


 僕の問いに、クレストは少し困ったような、それでいて諦めたような複雑な表情を浮かべた。


「ああ、その件でございますか。実は、この時期になりますと、度々漁が休みになる日が出てくるのです」


「休み? 天気が悪いわけでもないのに?」


「はい。原因は天候ではございません……『ロートヘルム』が現れたとの報告が、今朝ありまして」


「ロートヘルム?」


 聞き慣れない単語に、僕は首を傾げる。クレストは頷き、説明を続けた。


「はい。この近海に棲む、非常に厄介な魔物でして。全長は十メートルを超え、全身は真っ赤。特に頭部が特徴的でして、まるで赤いヘルメットを被ったかのような硬い甲羅で覆われているのです」


 ロートヘルム……。ドイツ語で『赤いヘルメット』か……。


 赤いヘルメット。その言葉を聞いて真っ先に浮かんだのは、前世の記憶にあるプロ野球の球団だった。赤ヘル軍団。そこから連想されるのは、もちろん鯉だ。


 なるほど、海だけど鯉の魔物がいるのか。しかも十メートル超えとは、かなり大きいな。


 僕が勝手な想像を膨らませていると、クレストはさらに深刻な顔で言葉を続けた。


「このロートヘルム、ただ大きいだけならばまだやりようもあるのですが……非常に凶暴で、船を見つければ執拗に攻撃してきます。過去にイグルス帝国軍が討伐を試みたことがあるのですが、返り討ちに遭い、多大な被害を出しておりました」


「そんなに強いのか……」


「はい。その際、かろうじて左目に一太刀浴びせたのですが、それが限界でした。以来、ロートヘルムは片目となり、さらに狂暴性を増してしまったのです。今では『隻眼の赤兜』と呼ばれ、この海の恐怖の象徴となっております。ですので、出現が確認された場合は、過ぎ去るまで漁を自粛するのが暗黙の了解となっているのです」


 隻眼の赤兜。その言葉を聞いて、僕の脳裏に浮かんでいた鯉のイメージは霧散し、代わりにある恐ろしい熊の話が蘇った。


 まあ、放置しておいていい相手じゃないな。住民の生活にも直接影響が出ているわけだし、鯉か熊、どっちなのか見てみたい。


「クレスト、討伐しよう!」


「……は? い、今、何と?」


 僕のあっさりとした一言に、クレストは目を丸くする。


「だから、そのロートヘルムを僕が討伐する。危険な魔物を野放しにはしておけないからね。それに、漁ができないと住民たちも困るでしょ?」


「……なるほど。シュトゥルムヴェヒターを討伐されたエドワード様なら問題ありませんね。毎年恒例のことだったので、失念しておりました」


「どんな魔物か分からないけど、おじい様もいるし大丈夫だよ」


「承知いたしました。エドワード様のご決断、皆に伝え、船の準備をしてまいります!」


「うん、頼んだよ」


 こうして、フィレール侯爵領を脅かす隻眼の厄災、ロートヘルムの討伐作戦が急遽始動したのだった。



 ◆



 話を聞いたおじい様も「面白い!」とノリノリだ。討伐隊は、いつものメンバーに騎士団の半分を加えた構成……誰が残るかでバトルになりそうな勢いだったので、くじ引きで決めたのだが、ハズレを引いた班のうなだれ方が凄かったので、今度船に乗せる時は逆にしたほうが良さそうだ。


 僕たちは急いで準備を整え、港へと向かう。港には、僕たちの出航の噂を聞きつけた住民たちが集まっている。彼らの顔は、期待に満ちあふれていた。


「エドワード様が、あの『隻眼の赤兜』を討伐なさるって本当かい?」

「無茶だ……あれには帝国軍ですら歯が立たなかったんだぞ」

「エドワード様は海神を討伐なされているのだぞ。楽勝に決まっている!」


 ひそひそと交わされる会話には、楽勝ムードかと思ったが、僕たちの身を案じる声も意外と多い。それだけ、このロートヘルムという魔物が、長年にわたってこの土地の人々の心を縛り付けてきたのだろう。

 

 僕たちを乗せた船は、静かに桟橋を離れ、ロートヘルムが目撃されたという沖合へと進んでいった。



 ◆



 船がしばらく進むと、それまで穏やかだった海面が、不自然に波立ち始めた。


「来るぞ! 全員、衝撃に備えよ!」


 おじい様が鋭く叫ぶ。その直後、船のすぐそばの海面が、まるで巨大なクジラが浮上するかのように大きく盛り上がる。そして、ゴボォッという不気味な水音とともに、そいつは姿を現した。


「……大きい」


 思わず呟いてしまうほどの巨体。全身を濡れた深紅の鱗が覆い、ぬらぬらと不気味な光を放っている。そして、僕が想像していた鯉のそれとはまったく異なる、長くしなやかな体躯。頭部には確かに、鈍い光沢を放つ兜のような甲羅がついており、その左目があったであろう場所は、醜く抉れた傷跡になっている。


 鋭い牙が並ぶ巨大な口を開き、僕たちを威嚇するその姿は、鯉でもなければ熊でもない。


「……もしかして、うなぎ?」


 そう、それは紛れもなく、巨大なウナギの化け物だった。全長は不明だが、クレストが言った通り、十メートルは超えてそうだ。そのあまりに想定外の姿に、一瞬だけ思考が停止する。


『エディよ! こやつ、なんとも美味そうな匂いがするぞ! 脂がのっていそうだ!』


 僕の頭の上で、ヴァイスが叫ぶ。涎は垂らさないでよ?


 それにしても、世界最大のオオウナギは脂が少なく淡白な味わいだというが、目の前のロートヘルムは、脂がのって美味しそうな匂いがするのか……。


「グルオオォォォッ!」


 ロートヘルムは、僕たちの存在を完全に敵と認識したのか、咆哮を上げて巨大な体躯をしならせ、船に襲いかかってきた。船員たちが悲鳴に近い声を上げる。うなぎなのに鳴き声をあげるんだな。


「エディ?」


 おじい様が僕の名前を呼ぶ。……どう調理しようか考えてしまった。


 船員たちと違って、おじい様や騎士団のみんなに焦りなどは感じられない。


「――遅いのは、君の方だよ」


 ロートヘルムが海上に現れた瞬間、アラクネーの糸を蜘蛛の巣状に展開しておいたので、ロートヘルムはアラクネーの糸にくっついた。海上に姿を現さないで船に直接攻撃されたら、危なかったかもしれない。


「ギッ!?」


 ロートヘルムは奇妙な声を上げ、身をよじって抵抗しようとするが、アラクネーの糸はその程度の力で切れるほど脆くはない。むしろ、暴れれば暴れるほど、身動きがとれなくなっていく。


「グル……ギギギ……」


 ほんの数秒前まで海の暴君として君臨していた魔物が、まるで漁で網にかかった小魚のように、なすすべなく動きを封じられていた。


 船員たちが、目の前で起こった出来事を信じられないといった顔で見つめているなか、おじい様たちはロートヘルムをまじまじと観察している。


「……さて、とどめだ」


 僕は連接剣を空間収納庫から取り出すと、糸を使い拘束されたロートヘルムの頭上へと軽やかに跳ぶ。赤いヘルメットはゴツゴツとしていてルビーのようだ。


 できるだけ美味しく食べたいので神経締めしてみたいが、普通のウナギと同じ方法でいけるか?


 剣でロートヘルムの頭を背骨ごと半分に断ち切ると、頭は力なく垂れ下がるが、体はまだ激しく抵抗している。真っ赤な外見とは違い身は普通の色なんだな。


 切断面に神経の穴らしきものを見つけたので、アダマントの糸を差し込み神経を破壊すると、ロートヘルムの巨大な体から完全に力が抜ける。長年、この海を恐怖に陥れてきた片目の厄災は、こうしてあっけなく、その生涯に幕を下ろす。

 

 船上は、一瞬の静寂の後、割れんばかりの歓声に包まれたのだった。

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