第189話 黒いアレ
デーキンソン侯爵領、主都グロッタの町へ到着した僕たちは、侯爵家の屋敷に向かって馬車で走っている。
『エディよ、あそこから美味そうな匂いがするぞ!』
「えっ! どこから?」
ヴァイスが脚を指した方を見てみると、露店で何かを売っているのが見えた。
「おばあ様、ヴァイスが美味しい物を見つけたと言うので、ちょっと見てきます!」
飛び降りると露店へ向かって走って行く。
「こんにちは、見せてもらってもいいですか?」
「えっ! もちろんいいですよ」
露店を開いているおばさんが答えると、隣のおばさんが話しかけてきた。
「坊ちゃんが買うような品はそこには有りませんよ。何せ魔物の排泄物を、商品として売っているのですから」
「だから、排泄物じゃないって言ってるでしょうが!」
魔物の排泄物? 売っている物を見てみると、コレットさんが言っていた通り、キノコ類がほとんどだ。隣のおばさんの店も似たような品だと思うんだけど……これか!
なるほど、魔物の排泄物か……確かに見えるかもしれないな、黒トリュフ。
ヴァイスが匂いを嗅ぎつけたのは、黒トリュフで間違いなさそうだ。
キノコ自体が敬遠されるこの世界では、黒トリュフを食べようと思う人なんかは皆無なのかもしれない。
トリュフは、ギリシア神話の最高神ゼウスが怒って放った稲妻がブナの木のもとに落ち、トリュフとなったという言い伝えがある。
ゼウスが浮気ばかりをしていたことから、トリュフには『媚薬』の効果があると有名になってしまい。中世になると教会で食べることを禁止し、悪魔に属する食べ物とされたため影が薄くなる。その後、ルネサンス時代になってから扱いが変わり、王侯貴族の間でブームが到来して現在にいたるとか。
「エドワードはいったい何を見つけたんだい?」
おばあ様たちがやって来た。
「「クロエ様!?」」
おばさん2人が、おばあ様を見て驚いている。さすがおばあ様、有名人なんだな。
「あら、あたしを見た事あるのかい?」
「はい! 王都で行われたパレードを見に行きました!」
「へー、そうなんだね? その子はあたしの孫だからよろしくね」
「クロエ様のお孫様……あの、ウェチゴーヤ商会や帝国の内通者ブラウ伯爵を滅ぼしたという、小さな英雄様ですよね!?」
ナンダソレハ?
「あんた、それだけじゃないよ! ご領主様の2人のご令嬢の命を救ったって話だよ!」
どういう事なんだ!? あの話って、秘密にしておくんじゃなかったのかな?
「それで、エドワードは何を見つけたんだい?」
「コレです!」
トリュフを手に取っておばあ様に見せる?
「……エドワード、それは食べ物なのかい?」
「そうですよ、おそらくキノコの一種だと思います」
「キノコ? ……キノコねぇ」
「エディ君、どう見ても美味しそうには見えないんだけど?」
おばあ様だけじゃなく、カトリーヌさんも……いやみんな嫌そうな顔をしているな。
「まあいいやお姉さん、コレあるだけ全部売ってもらえますか?」
『――!』
「エドワード、いくらなんでも、全部は買いすぎなんじゃないかしら?」
「母様、大丈夫です。ヴァイスが美味しい匂いと言っているのですから、安心してください!」
「ヴァイスちゃんが? でもねぇ……」
「えっと、エドワード様はコレを全部買い取って下さるのでしょうか?」
「そのつもりですけど、問題があるようでしたら、売れる最大限の量でもいいですよ?」
「いえ、問題ありません! 直ぐご用意いたします!」
「そうだ、この木箱に入れてもらえますか?」
空間収納庫から、買い物用に作ってもらった木箱を取り出す。
その木箱に黒トリュフをどんどん入れて行くが、結構あるようだ。
「あっ、あとそのキノコとそのキノコもお願い。そっちのお姉さんも、あのキノコとそのキノコを売ってもらえます?」
「畏まりました!」
大量の黒トリュフと、キノコを買いみんなで馬車へ戻る。もちろん売ってくれた2人には、言い値より多く支払ってきた。まあ、それでも激安だったんだけどね。
「エドワード、本当にキノコを食べるつもりなのかい?」
馬車が走り出すとおばあ様が聞いてきた。ちなみに、デーキンソン侯爵の屋敷までの馬車の御者は、ジョセフィーナとコレットさんに代わっている。
「もちろんですよ! 旅の間も食べていたので大丈夫ですよ」
本当はヴァルハーレンに向かう旅の間は危険だと思ったので、食べてはいなかった。デーキンソン侯爵領の人たちは、食べる物がない中、先祖が実際に食べてみて毒のないキノコを判別していって、安全なキノコを探し出したのだろうと思う。その中から、なんとなく地球上で見たことがあるっぽいのを、いくつか選んできたので大丈夫なはずだ。
「エディ、キノコはダメって教えたのに、そんなに食べ物がなかったのかしら?」
確かに、孤児院ではキノコはどんなに食べられそうに見えても、手を付けてはいけないと習ったんだった。
「メグ姉、ヴァイスが美味しそうって言ったものについては、本当に美味しいんだよ」
「そうなのね? 確かに、狼は嗅覚に優れているという話だけど、それでもあの黒いのは無いわね」
「そうね、現地の人でもあまり食べてない感じでしたし……」
「まあ、そんなに高い物でもなかったので、みんな食べられないようなら、無理して食べなくても大丈夫ですよ」
「私はエディが食べるのなら、食べるわよ?」
「私もエディ君が作る物なら、何でも食べるわ!」
メグ姉とカトリーヌさんが食べる宣言をした。宣言しなくても、美味しいんだってば……多分。
「まあ、あたしもエドワードが作る物は、どんなものでも食べるんだけどね」
「お義母様! もちろん私も食べますわよ?」
おばあ様、母様も食べる宣言、最後の人にみんなで『どうぞどうぞ』と言いたくなるのは、何らかの法則が働いているせいなんだろう。
そして町の中をゆっくり走りながら、デーキンソン侯爵家の屋敷に到着した。
考えてみたら、事前通知してないので、いない可能性も考えられる。それはそれで、宿屋に泊まればよいだけなので、楽でよさそうだ。
予想に反してデーキンソン侯爵一家が出迎えてくれる。なるほど、ジョセフィーナに似た雰囲気の女性が、お姉さんのシンディさん(18歳)なんだな。
「これは、これは、クロエ様にフィレール侯爵、よくいらっしゃいました。旅でお疲れでしょう、中にお入りください」
「ブルズと会うのはエドワードのパーティーぶりだね。元気してたかい? カサンドラも元気そうで何よりだよ」
「なかなか、ヴァルハーレン領まで行く機会に恵まれず申し訳ございません」
「クロエ様に、またお会いできて幸栄でございます。フィレール侯爵様も、先日は娘を助けてもらってありがとうございます」
「今回はモイライ商会の会頭のエディの護衛としてついて来てるから、過剰のもてなしはいならいよ」
「モイライ商会としてですか?」
おばあ様がそう言うと、カサンドラさんの目が一瞬輝いたように見えた。
堅苦しいのはいらないという、おばあ様の要望でリビングに通されると、ぬいぐるみが置いてあるのに気がつく。
「ウルスぬいぐるみだ」
思わず声に出してしまうと、アウルム嬢が答える。
「先日行われた、エドワード様のパレードへお使いに行ってもらって買って来てもらったのです!」
アウルム嬢が持っているウルスぬいぐるみは3体……全種類持ってるじゃん。
「この2体は庶民向けとお聞きしましたが、とても素晴らしいものですわ! それでも最上級のエディベアはやはり他の2体とは一線を画しますわね」
ん? 今、アウルム嬢は、何か聞いてはいけないようなワードを発していたぞ!
「アウルム、そのぬいぐるみの事を今なんと呼びました?」
「おかしなことを聞きますのね? エディベアですわ。だって、ここに書いてあるじゃないですか?」
そう言ってアウルム嬢は、ウルスぬいぐるみの、お尻と脚の付け根付近に小さなタグを僕に見せた。本物のウルスのタグには、アルファベットで【Minerva】と書かれているのだが、量産型ウルスのタグには、この世界の言葉で【エディベア】と書いてあったのだった。




