夜の小窓と睡眠薬 本筋
「あ、そうそう」
「うん?」
「あいつ、自殺未遂したらしい」
「へぇ……は?自殺未遂?」
学校の水道で手を洗いながら、さらっとそんなことを言ってくる親友君。一瞬、思考が停止してしまった。心臓がドン、と緊張を主張してくる。
いや、よく考えてほしい。こんな場所で、ものすごく軽々と、耳を疑うような発言をしてくるのだ。正常な思考で返答できる人は、そうそう居ないだろう。
「うん。飛び降りたらしいよ、三階から」
「よく死ななかったな……」
その言葉に、とりあえず一安心をする。いや、死んでいたら洒落にならないからな。
『あいつ死んだら僕も死のうかな』
そんな言葉が脳裏に蘇る。彼の声そのままで、とても鮮明に。
今でも覚えている。学校の階段で、周りに人がいる中、笑顔で言われたその言葉を。
『あいつ』というのは、親友君の親友……自殺未遂したやつだ。
あの言葉が、だんだんと質量を持っていく。
……心臓の鼓動が、全然一定にならない。
「あいつ、最近また全然学校来てないし……いつかポッと死にそうだよな」
「ね。心配になるよ」
「お前が言うなよ」
いかにも、「自分は違いますよ」アピールをする親友に苦笑しながらツッコむ。
なんていったって、こいつらは二人仲良く不登校だからだ。
しかも、両方ご丁寧に腕に傷があるタイプの不登校だ。それも、まるで鉄の刃で引かれたかのような、きれいな一直線の傷だ。
びっくりするのは、自殺未遂をした方――こいつを仮に、B君としよう。そのB君には、首にも傷があったということだ。ほんとうに、よく今まで生きているな、としみじみと思う。
「ええ?」
「ええじゃねえよ」
目を見開いて返答してくるこいつに、俺は苦笑するしかなかった。
眼の前に居るこいつも、つい先日まで学校に来ていなかった不登校だ。こいつはB君より、学校に来る頻度は高いが……それでも二週間に一回程度。酷いときは一ヶ月連続でぶっちしたこともある。
なんというか。うん。心配になるよね、親友様がこんなだと。
突然キンコンカンコン、とチャイムが鳴る。
「やべえ授業だ」
「わー間に合わん!うおおお!」
大慌てでハンカチで手を拭き、その場から教室へと駆け出した。
――数少ない親友を失い、取り残される男ってのは。ほんとうに寂しいんだぞ。とくに、お前に依存しかけている男はな
自分が前に言った言葉を、反芻させながら。
*
「やめろ、近くで吸うな。副流煙がこっちまで来る」
ケホケホ、と咳き込みながらもその場から避難する。
「あ、わりぃわりぃ」
悪びれもせずに親友君が謝ってくる。……火のついた、一本のセブンスターを片手に。
こいつは未成年のくせに、タバコを吸う。しかも学校の敷地内で、俺の眼の前で。
ここは、学校にある山である。山と言っても、地面はコンクリートで覆われている、人の手によって整備されたものだ。真ん中に一つ、大きい土台があり、その上には学校創設者の像がそびえ立っている。
その土台の裏で、タバコを吸う。いつ考えてもとんでもねえ野郎だ。
吸い殻は、その山の近くにある木の群れに向かって捨てている。いつか見つかんねえのかなあと心配になる。ただ、その木の群れの中によく行っていた俺の友達は、「タバコなんて見たことねえ」と言っていたから、まだ見つかってないのだろう。……今度、自分で探してみようかな、吸い殻。
「にしてもお前、なんで学校来なくなったんだ?別にいじめられていたわけでもないだろう」
数メートル離れてから親友君に聞いてみる。
そう。この男、なぜ不登校になったのかさっぱりわからないのだ。友達も多いし、ちょっと前までは成績優秀だった。なのにパッと来なくなった。……本当に、なぜだろう。疑問でしかたない。
「う~ん、なんでかあ……わからん」
「はぁ?」
そんな訳のわからない返答に、思わず鳥のような声が出てしまう。
「わからんって……自分のことだぞ?」
「さあ。わからんもんはわからんよ」
ふぅ、と煙をふかす親友君。俺ははぁ、とため息をつく。タバコを吸っているなんてイキっているようにしか見えないのだが……しかしこいつは顔がいい。俺の親にも、「かっこいいわねえ」と言われるほどの、折り紙付きのイケメンだ。こいつはそんなイケメンであるため、その姿がまあたいそう似合っているのが癪である。
タバコに憧れる学生ってこんな姿が好きなのか、となんとなく思う。まあ臭いし、俺はこういうのまったくかっこいいと思わないが。
結局は顔なのである。
でも親友君は、「かっこいいから」ではなく「美味しいから」タバコを吸うらしい。
やはりこいつは、よく、わからない。
まあタバコが美味いかどうかは、成人式に出るその日までわからないのだろう。
よくわからなくて、いいのだ。多分。
「そういやさ、今日ゲーセン行かね?」
いつもどおり、親友君に聞いてみる。
「あー、いいね。行こうぜ」
こいつもいつもどおり、スマホとタバコを手に、そう返してくる。
実は親友君は、俺の唯一と言っていいほどのの趣味仲間である。
一緒にゲーセンに行って、ゲームをする。そんなやつは、こいつしか居なかった。
他の奴らはキモいだのなんだの、俺の趣味をキモいだのなんだの罵倒したうえで、僕を避けてくる。
親友君は……イケメンだから、許されている。
他の趣味は自転車であちこちに行くことくらいだ。自転車仲間も、一人しか居ない。
ほんとうに、俺は友達というものが少ない。そして、その少ない友人、二人だけが俺の親友だ。
そして……二人とも親友だ。
だから、その二人の打ち一人であるこいつがいなくなったら、俺は……どうなってしまうのだろう。
また涙が出そうになる。いかんいかん、と堪えて話題を変える。
「にしても自殺未遂だなんて。あいつに何が起きたんだ?」
先程の会話の続きを俺は始める。
「さあわかんね。多分病んだだけじゃね?」
「PTSDか?」
「多分な」
「……PTSDか。なったことないから詳しくは知らんな」
寝っ転がりながら、そうつぶやく。B君は家で虐待を受けていたらしく、それが原因かは不明だがPTSDを発症しているらしい。無論、俺はPTSDについては一つも知らない。
別に理解しなくてもいいと思っている。
「別に理解しなくていいんじゃない?」
「……そんなもんか」
スマホを突きながら返す。
「……お前も、あいつが死んだら死ぬのか?」
スマホを手放して聞いてみる。
「う~ん、どうだろうね。前はああいったものの、今じゃ死ぬかどうかはわからない」
けど、と親友君は言葉を続ける。
「今、生きてる意味を、感じないんだよね」
すこし、そのご尊顔が、くたびれて見えた。
親友君の言葉に、涙腺が崩壊しかける。しかし、俺はなんとかそれをこらえた。
「別に、寝て起きて飯食ってりゃ、十分生きる意味があるだろ」
「えぇ?」
いつもの調子で、親友君がそう返してくる。風向きが変わり、こちらへと煙がやってくる。
「ごほっ、ごほっ。やべえ、風向きが変わっちまった」
ぐるん、ぐるん、と転がって移動して、どうにか異臭から脱出する。
「そっか、お前喘息持ちか」
「いかにも」
少し残る煙にむせながら答える。そう、俺は喘息持ちだ。だから副流煙は、とっても俺を痛めつけるのだ。
「すまんな」
「いいんだ別に。大したことねえよ。それにだんだん慣れてきたしな」
避難しきった俺はあくびしながらそう言う。
「……ときどき思うんだけどさ」
「ん~?」
スマホから顔をそらし、親友君の話に耳を傾ける。
「どうしてお前、こんな僕と仲良くしてくれるの?」
「え?親友だからだけど?」
あっさりと答える。
「……親友だからって、僕がタバコを吸っても仲良くできるのか」
少し困惑しながら聞いてくる。
「うん。だって、親友ってそういうもんじゃない?」
思っていることをそのまま言う。
俺だってこいつがタバコを吸うのに苦言を呈したさ。まあでも、やめる素振りもなかったし、こいつのタバコが親に認められてから、止めることはなくなった。
実は俺も、カフェインが大好きで、依存しかけている節がある。だからこいつの気持ちが少しわかるのだ。好きだから、仕方ないだろうという気持ちが。
そして、だんだんと思い始めてきた。……俺はこいつを深くまでは知らない。だから、好きにさせてやろうって。俺が受け入れるのが、二人が幸せになる方法なんだって。
……受け入れさえすれば。それでいいんだって。
吸い終わった親友君がタバコを足で潰して、木の海に投げ捨てる、
「吸い終わったか。よし、帰るぞ」
投げ捨てたバッグを広い、背中に担ぐ。
「おけ、帰ろっか」
笑顔でそんな事を言う親友君。
明日も、こいつは学校に来ないんだろうな、と思いつつ、やはり、こいつはよくわからないと。素直にそう感じた。
なんで、こんな曇一つ無い笑顔ができるやつが、不登校で、病んでいるのだろう。
隣を歩くイケメンの横顔を見つめる。
でも、俺はこいつが不登校だろうと病んでいようとタバコを吸っていようと。
俺はそいつのすべてを"受け入れる"し、こいつのことが、大好きである。
……できるならずっと一緒に居たいな。そう、思わずには居られなかった。
*
翌年。親友君は心中した。
B君とともに。
作者より。
この話は説明の通り、二つのルートに別れています。
バッドエンドが読みたい方は「前の話」を選択、ハッピーエンドが読みたい方は、「次の話」を選択してください。
引き続き、この話をお楽しみあれ