魔女のプレゼント
ジュリアン様の午後のお休みが急遽なくなってしまったと伝えられたのが午後2時。生誕祭がらみの事かもしれないと急な予定変更にも素直に対応したミリアにその後告げられたのは、ジェネルー侯爵の娘であるリリスとジュリアンが部屋をともにする事になったらしいという情報だった。それも晩餐の後で。
「ど・・・・どうして?どういう事なの?陛下はわたくしと過ごすお約束をおやめになってまでジェネルー侯爵令嬢とお過ごしになっていたという事・・・?」
頭のてっぺんから血の気が引いていくのがわかる。なんならサーッと音までする。こんな事言っても情報が嘘か本当かなんて判断がつかない。
今までこんな事一度もなかった。そもそもジェネルー侯爵令嬢と仲が良いなんて聞いた事がない。噂でもまして本人の口からも。ミリアも狼狽していたが、その情報を伝えた侍女の顔色も真っ青だった。
「わたくし、ジェネルー侯爵令嬢にお会いします。先触れを!」
「か、かしこまりました!」
大声を出してしまったミリアに即座に反応した侍女がジェネルー侯爵令嬢が宿泊するという客室へと急ぐ。足音が遠ざかるのを聞いて、ソファーに座り込んだ。
暫くたった頃侍女が戻ってきた。走ってきたのか息があがっている。
「お返事をいただきましたが、その・・・」
「どうしたの?お会いになっていただけないというお返事だったの?」
「いえ・・・あの・・・」
「大丈夫よ。あなたに八つ当たりなんてしないわ。お返事をきかせて?」
「・・・・・・・・陛下とすでに寝所へ入られている為、明日にしてほしいと・・・・・」
「は?」
人間はあまりに驚くと言葉を紡ぐ事ができないらしい。心臓が嫌な音をたてている。貧血もおこしそうだ。でもわたくしは王妃だ。弱い部分を見られてはいけない。ジュリアン様が優しすぎる所があるから余計に。
「わ、かりました、わ。それでは明日リリス様にお会いしましょう。もう、下がっていいわ。わたくしも休みたいから・・・」
そう告げ、侍女を下がらせる。休めるわけがない。何か事情があるはず。ジュリアン様がわたくしの事を裏切るなんてないわ。あんなにもたくさんお手紙をいただいたし、会える時間が少しでもできたらお茶を飲む位しかできなくても会いに来てくれた。
そんな彼の事を愛しはじめているのよ。絶対大丈夫、大丈夫、大丈夫・・・・
重くなる心に少しでも抗うように「大丈夫」という言葉を何度も繰り返した。
そして翌朝。
「酷い顔色だわ・・・」
鏡を見て自分の顔色がこんなにも悪かった事が今まであっただろうか、人生の中で一番ひどい顔色かもしれない。でも震える足を叱咤してでも向かわなければならない場所がある。そう、リリスが使用している客室だ。
今日も必要ないとは思ったが先触れを出している為、失礼にはあたらないだろう。考えなくてもいい立場のはずなのに、ミリアはぼんやりとそんな事を考えながら廊下を進んだ。
「失礼いたします。王妃殿下がおみえです」
侍女の声が嫌に響く気がする。侍女がわたくしの来訪を告げてすぐパタパタとこちらによってくる足音が聞こえる。
「ミリア様!お越しいただかなくともジュリアン様とそちらに参る所でしたのに!」
なんのしおらしさも感じられない声色、派手なドレスで現れたのはもちろんリリスだ。
「昨日こちらに陛下がいらっしゃったと聞いて、お話を聞きに参りましたの」
ここでくじけてはいけない。とっさに強い口調で言ったが、自分の目で確かめない限り真実と捉えられないだけだ。
「もちろんですわ。ここではなんですので、応接間へどうぞ」
「はい」
ミリアは自分の声のトーンを聞いても何の変化もないリリスが少し怖くなった。物怖じしないタイプの令嬢だとは聞いていたが、物怖じしないというよりは常識がないというほうが正しいだろう。これは冷静さを欠いたら負けだ。冷静に。冷静に。れ・・・
ミリアの思考が途切れたもの無理はない。応接間にはまだジュリアンが居たのだった。
「ミ、ミリア・・・・・・・・・」
聞こえるか聞こえないかという声量で紡がれたミリアの名前はミリアには届いていなかった。
「陛下・・・」
ミリアの声のほうがはっきりとジュリアンを拒絶していた。それに気が付くとジュリアンはさっとミリアから目をそらす。ミリアの心を壊すのに、十分な出来事だった。そこからミリアの記憶は曖昧でしかない。ジュリアンも話などしていなかったが、リリスだけが嬉々としてこうなったいきさつを伝えてくる。
「昨日は父と共に登城しておりまして、そこでジュリアン様と会ったんです。父と打ち合わせされるとの事でしたので資料を預かっておりましたわたくしも共に会議室を使わせていただきましたわ。打ち合わせが終わりましたら、ジュリアン様からお茶にお誘いいただいたんです。わたくし嬉しくて・・・。ね?ジュリアン様?」
「あ、あぁ・・・」
「それでお茶をいただいている内にジュリアン様から気持ちをお伝えいただきまして、わたくしを是非側妃にと」
「側妃?」
さすがのミリアもこの一言には口を挟まざるを得なかった。自分が嫁いでまだ1年もたたないのに側妃とはどういう事なのか。
「はい、是非側妃にとお話しをいただきましたし、昨日は閨も共にしましたので」
側妃という言葉だけでも頭をハンマーで殴られたような衝撃を受けたのに、加えて閨。しかも紡がれていく言葉の数々に対して否定しないジュリアン。ミリアの顔色は部屋へきた時よりさらにひどい事になっている事が考えなくともわかる。何故否定してくれないのだろう。それとも本当に彼が側妃にと求めたのだろうか。わたくしがいても側妃にと求めるのであれば元から関係があったのだろうか。リリスは相変わらず何やら楽し気に話を続けているがミリアは考えがまとまらず、茫然とするばかりでリリスの言葉などこれっぽっちも耳に入ってこない。
「という事ですので、生誕祭の日にわたくしが側妃として召し上げられる事をジュリアン様が発表する事になっております」
わかったと告げたのだろうか。ジュリアンはなんと言っていただろうか。どうやって自室まで帰ってきたのだろうか。
何もわからないままソファに座り込んでいたが、気づけば外は真っ暗。外だけ見るのでは夜なのか朝に近いのかさえわからない。まだドレスのままいるという事は侍女たちが声をかけたであろうに反応できなかったという事か。気持ちを落ち着かせる為、ミリアはバルコニーに向かった。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・風、冷たいわね。」
独り言だ。誰に言うわけでもない。でも、本当は誰かに聞いてほしかったのかもしれない。
「ジュリアン様・・・・・・・・・・・彼女の事がお好きなのかしら・・・・・・・・・・・」
考えたくない事ばかり考えてしまう。それにリリスのあの勝ち誇った顔。ジュリアンも居た事だし、一夜を共にした事は事実だろう。そして生誕祭で側妃として召し上げられる事を発表するのも決定事項なのであろう。ミリアだってまだ嫁いで1年に満たない。子ができないと言われたわけでもない。
それなのに自分以外にも相手が必要になるのだろうか、それともやはり前から恋人関係にあったのだろうか?
あんなに自分と会いたいと手紙をくれたジュリアンが?少しの時間でも一緒にいたいと言ってくれたのは嘘でリリスを側妃にする為の時間稼ぎだったのだろうか?
「でも・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・好きなのよ・・・・・・・・・・・・・愛しているの。ジュリアン様・・・・・・・・・・・・・」
夜に溶けていくような声でミリアがこぼした言葉はまぎれもない彼女の本音だった。ミリアは同じ城内にいるにも関わらず手紙をくれたり、食事だけでも一緒にといって食事の時間だけ執務室から戻ってきてくれるジュリアンを愛していた。愛と呼ぶにはまだ幼い恋心かもしれないが、「愛」になるはずだった感情だ。そして妻になってまだ短い期間だが、ミリアの心の寂しさを作るのも埋めるのもジュリアンだったのだ。
「そんなに好きなの?」
突然かけられた声に反応できず、ミリアは固まる。ここは自分の部屋のバルコニーだ。下には見張りの騎士がいるのも気配でわかる。それなのに今のこの声はどこから聞こえたのだろう。それに年をとっているようにも若いようにも感じられた。
「ねぇ、聞いてる?あんな気弱な王がそんなに好きなの?って聞いてるの」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・えぇ、そうよ」
意を決して声がした方に向き直ると顔が隠れる位フードをふかく被り、裾をひきずる位のローブを身にまとった誰かが居た。
「ここは王妃の自室のバルコニーよ。あなたはどなた?」
「私?面白い事を聞く。ほんとはわかってるでしょ。一応説明すると、私はこの世界に3人ほどいる魔女の一人だよ。名前は教えられない。呼ばれると駆けつけなきゃいけなくなるから」
「・・・・・・・・・・・・・・そうですか。ではあなたはどうしてここに?」
魔女だと言われて「はい、そうですか」と普通はならないと思うが、急に現れた事や不思議な声色、どう見ても巷で売っていないであろう服装を見てミリアはこの人は魔女で間違いないだろうと確認した。
「いや何ほんの気まぐれだよ。私は他の2人よりも人間の事が好きなんだ。今回だって100年か150年ぶりに城の中を見て回っていたら急に国王が浮気したみたいだって聞こえてきたからずっと見てたんだ。あんたも大変だね。あんなに気の弱い伴侶じゃあ他にいいようにされるよ?あ、された後か」
「でも、わたくしはジュリアン様の事を憎むことができないようです」
「なんでよ。見ただろう?浮気相手のあの顔。このまま側妃でおさまっているようなタイプじゃないよ。あんたも何されるかわかんないよ?」
「でも、わたくしは正妃ですから」
「なんだ、固執してるのは立場か」
「違います」
「正妃だからって今言っただろう」
「確かに言いました。でも、わたくしはジュリアン様の気の弱い所も含めて彼を愛しているのです。短い時間でも会いに来てくださったり、会えない時間が長く続くときは手紙をくれたり。ジュリアン様とのやり取りは決して義務ではなく、わたくしがしたくて行っていた事です」
「でも浮気されたじゃないか」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・そうですね。・・・それ、でも・・・・・・それでもわたくしはジュリアン様を諦めたくないのです。きっとわたくしが固執しているのはジュリアン様だわ。ジュリアン様ともっと一緒に居たいのです。今回の事は確かに裏切られたように感じました」
「実際裏切られてるよ」
「そうですね、でもわたくしはジュリアン様が今まで伝えてきてくださったわたくしへの気持ちをなかった事にはできません。忘れる事もできません。まして今わたくしは彼の正妃です。弱くあってはならない」
「あっちが気弱すぎるものなぁ」
「ふふ、そうですね。ジュリアン様は気が弱い所が少し人より多いと思います。それでも、わたくしの心にいらっしゃるのはジュリアン様なのです」
ミリアの頬に涙がつたう。
「そんなに好きかい?」
「えぇ。呆れていらっしゃるとは思いますが、わたくしはジュリアン様の事をやはり愛しているのです・・・・・・・本当にどうしてかしら。好きなの・・・」
最後の言葉は突然吹いた風の音にかき消される位小さいものだった。
「そうかい。じゃあそんな健気な王妃様に私から一つプレゼントをあげよう」
「なんでしょう?」
「これは「約束の指輪」という。はめる指はどこでもいいよ。これを死ぬ時にお互いが指にはめていれば次の生でも会う事ができる。そしてなんと記憶も引き継ぐんだ」
「・・・・・・・・そんな指輪が?」
「あるのよ。これだって。これ」
魔女は二つの指輪をずいっとミリアの顔の前まで差し出した。
「別に何か対価をとろうってわけじゃない。これは私のほんの気まぐれだよ。こんな目にあっても伴侶の事を愛しているっていうんだからきっと相手だってあんたを憎く思っているわけじゃないだろうし。次に会ったら何かかわるかもしれないし、私の暇つぶしになるし」
「ふふ、最後におっしゃった事が本音ですね?・・・でもわたくしが頂いてよろしいのですか?」
「意外と素直に信じるんだね。もっと疑ってくるかと思ったのに。まぁ、あんたの言う通り本音は暇つぶしだ。私はいつ死ぬかわかんないし、それなら少しでも楽しみがあるように生きていたいのさ」
(不思議な人ね。嫌なことを言われているはずなのに嫌ではないわ。それにこの指輪があれば次の生でも会えるかもしれないなんて・・・)
ミリアは少し迷うような素振りを見せたが、最終的に受け取った。
「さっきも言ったけど、死ぬときにお互いがはめてないと会えないからね。私はあんた達の事見つけるのは簡単だけど、あんた達はそうじゃないだろう?」
「そうですね、きちんと覚えておきます」
「そうだ、それでいい。じゃ、私はこれで失礼するよ。気弱すぎる旦那さんによろしく」
「あ・・・」
お礼を伝えていないと声をかけようとしたが、魔女はすぐに闇に溶けていった。
(約束の指輪ね・・・ジュリアン様はつけてくださるかしら。でも重いと思われるのは嫌だわ・・・そうだ、生誕祭の時にプレゼントとして渡してみましょう)
ミリアは少し気持ちが楽になった気がした。まだ心の底には黒い靄がかかっているが、今の自分の立場を考え生誕祭へ向けて気持ちを切り替えることにした。
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