入学試験
朝から雨が降っていた。
「グレッグ様と会うのに雨だなんてついていませんわ」
雨と言っても土砂降りではなく、霧雨程度の雨だったのだが、ヒラリーは靴が濡れると言って、玄関前まで馬車を寄せてもらった。なるべく濡れないようにササッと乗り込んだ。
私はヒラリーの後ろから傘を差し出しながら、ドレスに雨のしずくがかからないように気を付けていた。
ヒラリーのドレスを庇ったおかげで、私は少し雨に濡れてしまった。
馬車に乗り込み、ハンカチでしずくを拭いていると、ヒラリーが私を見て言った。
「イルカの着物は裾が広がっていないから、拭くほど濡れていないでしょう」
確かに着物はドレスの様に裾が広がっていないけれど、ヒラリーのドレスが濡れないように傘を差しかけていたら、必然的に私は頭から雨を受けていたと言うことに気付いてないのだろうか。
大雨ではないから我慢できるが、ヒラリーは人を労うという心を持っていないようだ。
ゲームの全体を知っていて、悪役令嬢になりたくないのなら、そこを直す学習を何故しないのだろう。
そもそも、まともな日本人の心を持っているのなら、この世界の貴族も平民も皆同じ人間だと思うはずなのだが、ヒラリーは違うようだ。
昔も自己中だったから、この世界に来ても直ってないのかも知れない。
馬車が動き出すと、ヒラリーは雨の事もドレスのことも忘れて、久しぶりに会うグレッグ様の事で頭がいっぱいになってしまったようだ。
私の前に座り空想の世界に浸っているようで、ニヤついたり恥じらったりと一人百面相をしている。何を考えているか丸わかりである。
推しが婚約者になって、浮かれる気持ちは分るが、このゲームはまだ始まっていない。まだまだ先は長いのに、いつまでも夢ばかり見ているわけにはいかないのが現実なのである。少しでも考えを改めてもらわないと、国外追放に直行しそうである。
ヒラリーの保護者になったような気分でため息をついていたら、いつの間にか公爵邸に着いた。
馬車のドアが開くと、執事が迎えに出ていた。
よく見ると玄関までのアプローチの両側から傘が差し掛けられている。
私が先に降りて傘を差し掛けるよりも前に、ヒラリーは執事の手を取って馬車から降りた。そして、傘のアーチを通って玄関に向かった。
傘のアーチはヒラリーだけの様で、後から降りた私にはなかった。
私は傘も差さずにヒラリーの後を追った。
一年半近く会わなかったけれど、公爵家の使用人は私のことを覚えていてくれたようで、着物にエプロン姿に驚く者はいなかった。
屋敷の中に入ると、サロンに案内された。
執事が開いている扉をノックして「アル様、グレッグ様、ヒラリー様とイルカ様がいらっしゃいました」と告げる。
あれ、私まで様付けで言われた?それにしても名前がイルカで認識されているような。
正面の椅子にアルとグレッグが座っていた。
「やあ、久しぶり」とアルが片手を上げた。
「ご無沙汰いたしております」とヒラリーがお嬢様らしく挨拶をする。そのやや斜め後ろで私もお辞儀をした。
「今日来てもらったのは、来週に迫った入学試験の話しをしたかったんだ」とアルが座ったまま向かいのソファーに座るように勧めた。
私たちは並んで座る。
メイドがお茶とお菓子を持ってきた。
一年半前に何度か公爵邸を訪ねていたせいか、私の分までお茶が出てくる。
身分的にはとても肩身が狭い・・・
「入学試験の勉強は進んでる?」
アルの問に、ヒラリーが「少し・・・」と小さく答えた。
「どんな問題が出るのかご存じですか?」
すかさず私が確認を入れる。
「毎年あまり変わらないと聞いていますが、過去問があると助かるのですが・・・」
「あるよ」
しまった!過去問があるのならもっと早く聞いておくべきだった。
「宜しければお貸し願えませんか?」
過去問があれば授業料無料の近道だ!と思わず聞いてしまった。
「うーん、グレッグのお兄さんから借りた物だからな」
アルが隣のグレッグを見る。
「貸し出すのはちょっと・・・」グレッグは渋った顔をする。
「兄上は他には見せてはいけないと言って貸してくださったから・・・」
「僕たちは一応全部見たけど・・・」
「そうだ、ここでみんなで勉強すれば良いんじゃないか?」
アルはみんなで勉強することにしたら貸し出ししないですむとグレッグに提案し、グレッグはそれならと一緒に勉強することに応じた。
同じ問題が出るわけではないけれど、出題傾向が分れば対策は立てられるかも知れない。
過去問を見せてもらったが、あまり参考にはならないような気がした。
なぜなら、どの教科も問は一つか二つ、多くて四つ。『○○について論じよ』だったからである。
日本でいったら、小学四年生の子に論述の試験問題を出しているようなものだ。
問題を解くには、内容を理解していないといけない。どのくらい物事を理解しているかを知りたいのだろうか?
日本式の穴埋めとか簡単な問題を考えていたから、事前に問題の傾向が知れて良かった。
「えーっ、私こんな問題の出し方されたら答えられませんわ」
早くもヒラリーが根を上げた。
「これでは何の問題が出るか分りませんね」
「そうだね、だから勘を働かせて、去年はこの問題が出たから、今年はこの問題がでるかも・・・って予測して、練習問題を作って解いているのさ」
簡単に言われますが、それが分っていても難しいのです。
「問題は分らないけれど、回答の書き方は勉強できるだろう。いろいろな問題を作って、その解答を考えてみよう」
アル達が王都で習っていた内容は、領地で家庭教師に習ったこととあまり変わらなかった。
試験は、国語、数学、地理、社会、歴史の五科目。
入学したら、礼儀作法にダンス、音楽なども習うらしい。
貴族の子女は試験で落ちることはないと聞いたが、私は平民なので頑張らなければ!
入学試験までの一週間、最後のあがきの様な気もするが、ヒラリーと公爵邸に毎日通い勉強をした。
試験当日、馬車に揺られ二時間、初めて学園都市を訪れた。
学園都市は高い塀で囲まれている。正面と左右の三方に門があるらしい。らしいというのは、実際に見たわけでは無く、あくまでも人から聞いた話しだからである。あまりに広すぎて塀をぐるりと回るのに馬車で一日かかると聞いた。
私たち受験生は正面の大門から馬車で入った。
正門から目の前の建物までは百メートルくらいあり、道の両側にシンメトリーの広々とした庭園が広がっていた。
学校の本館だろうか、正面の建物は宮殿程では無いが、重厚な感じで大きかった。
建物の入り口の手前で馬車が停められている。馬車から受験生と思われる子供達が降りて集まっている。受験生を職員が建物内に誘導していた。
私たちの馬車も停まった。そして職員から受験生は降りるようにと指示された。
私はヒラリーと一緒に馬車を降りた。
私の姿に職員は一瞬驚いたようだが、さすが、王立学校の職員。「受験番号をお願いします」と顔を引き締めた。
ヒラリーはCクラス、私はFクラスと言われた。
「あら、受験番号は一つしか変わらないのに、同じ教室じゃないの?」とヒラリーが職員に尋ねる。
「受験番号とは別に、みなさんランダムで教室が決められております」
職員はそう言って私たちを別々に案内した。
教室に行って分ったことだが、どうやら貴族と平民とを分けているらしい。私のクラスは平民の子女らしき人達がいた。全部で四十人くらいだろうか。平民の中に入っても私の姿は浮いているらしく、遠巻きに見られた。着物にエプロン姿の者は流石にいなかった。
机の上に受験番号が書かれた紙が貼ってある。私は同じ受験番号の机についた。
着物のたもとから受験票と筆記用具を出して机の上に置く。後は時間が来るまでじっと待つことにした。
しばらくすると遠巻きに見ていた人達も私の姿にも慣れたのだろう。みんなそれぞれ受験番号の貼ってある机についた。試験前だからだろうか、話し声も聞こえない。
チャイムが鳴った。
試験管が三人教室に入ってきた。
一人が印刷面を下にした用紙をそれぞれの机に置いていく。
「試験問題の下の空白に解答を書くようになっています。時間になったら机の上の紙を表にしてまず受験番号と名前を必ず書いて下さい。そして問題を解いて下さい」と中央にいる試験管が言った。
「試験はチャイムが鳴ったら始まります。一時間後に二度目のチャイムが鳴ったら修了です」
用紙が全員に行き渡ったころチャイムが鳴った。
「試験始め!」
瞬間、頭の中が真っ白になった気がした。
昔はほどほどに点数があれば良いと思っていたから試験に緊張したことはなかったが、今日は授業料免除を狙っているのでめちゃくちゃ緊張している。
問題用紙を表にしてまず受験番号と名前を書いた。
そうしたら少し落ち着いた。
今回は学費免除を目指さないといけないと思ったら頭が冷えてきた。
私は真剣に問題に取り組むことにした。
簡単だったのか、難しかったのかよく解らなかった。とりあえず全部解答は埋めた。
昼食の休みを挟んで全5教科の試験が終わった。
昼食は学校側から各教室に配られたので、トイレ以外は教室から外に出ることは出来なかった。
試験が終わり、校舎の正面玄関に行くと、青い顔のヒラリーが待っていた。
「どうしようイルカ、全然出来なかった」
ヒラリーの全然出来なかったは当てにならない、だって前世で彼女が全然出来なかったと言って赤点を取ったことは一度も無かったから・・・ある程度は出来ているのだろう。
「お疲れ様です、お嬢様。何か書いていれば大丈夫なんじゃないですか?」
「そう言うあんたはどうなのよ」
「私ですか?とりあえず全部書きましたけれど分りません」
「そうね」
ヒラリーは大きなため息をつくと、
「終わった事にくよくよしても仕方ないわ。帰りましょう」
ヒラリーと校舎を出たところで、遠くにグレッグ様の姿が見えた。
「あっ、あそこにグレッグ様がいますよ」
ヒラリーは私が指さす先を見た。
「あそこ?誰かが馬車に乗るのは見えるけど、顔まで見えないわ」
確かに、ヒラリーには見えないかも。
「あの馬車に乗り込んだ人の後ろ姿がグレッグ様の様な気がしたのですけど・・・」
そんな話しをしている間に馬車は行ってしまった。
「まあいいわ。入学したらいつでも会えるのですもの」
しばらく待っていると、私たちが乗る馬車が近づいてきた。
三日後、侯爵夫人に呼ばれた。
ヒラリーと二人で応接室に行く。
「お母様ご用は何ですか?」
「まあ、慌てないで座ってちょうだい」
華やいだ声で侯爵夫人が椅子に座るように勧める。
「先ほど王立学校から旦那様宛に連絡が来たのよ」
夫人の機嫌が良いところを見ると、ヒラリーも私も合格したのかも知れない。
「合格したの?」
ヒラリーは母親を見つめる。
「ええ、二人とも合格よ」
「やったーっ!イルカと一緒に行けるのね」
ヒラリーは突如私に抱きついた。
そんな私たちの姿を侯爵夫人は微笑んで見ていた。
ヒラリーが落ち着くのを待って、
「もう一つ嬉しい連絡があるのよ。ルカ、あなたは特別学費免除の三人の一人に選ばれたのよ。すごいわね」と侯爵夫人は誇らしい顔で私を見た。
「イルカ!やったじゃん!」
ヒラリーも喜んでくれる。
私は侯爵様に迷惑をかけずに学校に行けることにホッとした。
「ところで、学費免除のあと二人って誰?」
ヒラリーが聞いた。
「それは書いていなかったと思うわ。ルカ、旦那様も喜んでいたわ」
「ありがとうございます」
私は本当に嬉しかった。
「さあ、今夜はお祝いよ。楽しみにしていてね」と侯爵夫人は軽くウインクをして、応接室を出て行った。
私は嬉しさでしばらく呆けていたが、ヒラリーの一言で現実に引き戻された。
「さあ、ゲームが始まるわ。イルカ宜しく頼むわね」
にっこり笑ったヒラリーの顔が悪役令嬢に見えた。




