九十四話 本気の拳
この世に生を受けてから、千五百年余り。
スカーレット家には千年ほど仕えさしてもらっている。
レティシアお嬢様がこの世に生を受ける瞬間も、立ち会うことが出来た。
故郷に帰る手段を自分たちで破棄しながらの道程は私に世界の広さを教えてくれた。
ただただ主人に仕えていた日々も悪くはない。
さすがに一日一日、鮮明に覚えているのかと言われると私であっても自信はない。
それでも思い出せる日々がたくさんあるというのはどれほど幸せなことなのだろうか。
レティシアお嬢様に仕えるようになって、分かったのだがお嬢様の好奇心は泉のように無限に湧いてくるものだという事を最初に知った。
魔族でこれほどまでに他のことに関心を持つ者はいない。
私が見てきた魔族では、だが。
レティシアお嬢様のご両親にしても、そこまで様々なものを知ろうとはしていなかったはずである。
様々な知識を携えて、世界を飛び回っていたレティシアお嬢様。
その頭脳と血統、力を勇者と戦っていた魔王様の目に留まり、魔王軍の幹部に任命されることになる。
最初は乗り気ではなかったが、その権限をフルに使って、人間界での情報収集という建前を作り出して、いっそう世界の秘密を探らんという勢いで、街以外にも遺跡等に出入りするようになった。
魔界で戦う魔王軍幹部たちを尻目に、レティシアお嬢様は人間界を渡り歩いていた。
一度、マリアが聞いた。
どうして戦いに参加しないのか、と。
少女のような姿のお嬢様は笑って、着ていた深紅のドレスを翻す。
「私は今、魔王軍で最弱よ? 吸血種って人間の血があれば、魔族の頂に近い力を得られるのだけど、もし、その血が飲めなかったら? どんどん抜けていき、今の私の姿よ」
歌う様にして言葉を紡いで、蝶のように踊る。
レティシアお嬢様はお強い。
私でも遠く及ばないほどに。
けど、レティシアお嬢様が最強ではないのは当人の性格によるところにあるだろう。
人など塵芥に等しいと、切り捨てるのであればずっと最強の座についている。
しかし、レティシアお嬢様は人間のこともどこか好いている。
だから、本気になろうとはしない。
ところがどうだろう。
この千年そうならなかった、レティシアお嬢様が血を吸い最強の力を使って、人間を殺すという。
ならば、私達従者一同が従わぬわけにはいかない。
個人的な理由で戦う理由は十二分にあるのだが。
「さて、私の相手はこの方ですか」
目の前にいるのは多分男性だろう。
長い手足が隠れるボロ布を着ている。
他と一緒で頭には縫われた後で髪は剃られてしまっている。
顔つきはどこかマサキ様たちと似たような感じがする。
性別が違うので、もしかしたら違うかもしれないが。
さて、どう動きましょうかと相手を観察する。
向こうにも動きがない。
膠着状態では無駄に時間を過ごすばかりですな。
「それでは、私から行かせてもらいましょう」
一足で拳の間合いまで近づき、軽く右腕で頬を殴る。
普通ならこれで頭が飛ぶのだが、返ってきた感触は妙な硬さだ。
殴った箇所は銀の光沢を放っていて、全く凹み一つない。
右腕を引いて、左で今度は顔の正面から殴ってみるが、同じように防がれる。
しかし、硬い。
こちらの腕には何も支障がないのだが、軽くひねる程度の力ではどうにもならないということだろう。
そうして、拳を引いている間に男が両手で岩を拾い上げる。
岩が徐々に銀の光沢を放ち始める。
器用なことも出来るのだなと思わず感心した。
振り上げた岩に少しよろめきながらも、私の方に振り下ろそうとした。
しかし、そんな悠長な攻撃を受けるわけがない。
軽く引いて避けるが、岩の方は砕けることなく転がる。
鉄、なのだろうとは思う。
しかし、ただの鉄であれば、先ほどの兵たち同様軽々拳で潰せる。
だが、目の前の男には通じなかった。
後ろに飛んで、間合いを取る。
単純に硬度が違う、という事なのだろうか。
それならば多少力を込めれば大丈夫か。
あまり本気を出さなくて済むと最初はこの戦いのことを思っていた。
レティシアお嬢様がこの領を大事にされていると知っていても、気持ちが入っていなかった。
しかし、私にもこの領で守らなければならないものが出来た。
それは、マサキ様が作りになったオンセンだ。
今では毎日の楽しみになっている。
千五百年余り生きてきた中で、これほどに生きがいになるものが見つかるとは思っておらず、長く生きてみるものだと思ってしまう。
それにマサキ様がそれほど気に入ってくれているなら、もっと色々なお風呂の形態とかサウナという未知の物まで作ってみようかと言ってくれている。
あれを壊されるのはたまらない。
従者の中でも私が今回の戦い、一番覇気に溢れているのではないかと思っていたりもする。
一息つき、構える。
今度はしっかりと拳を握る。
「それでは、少しばかり本気で行きましょう」
厄介なのはあの手だ。
手に触れられるとあのようなに鉄に変化するのだろうか。
他にも条件があるのか。
思考を巡らせるが、判断材料が少なすぎる。
とりあえず、相手から接触されるのは良くないと思っていいだろう。
殴るだけではいけない。
どこまで体を鉄に変化できるのか、そちらも見極めないといけない。
「では、いざ一撃」
同じように一挙に間合いを詰めて、男の腹に突きを入れて、瞬時に肩を入れて二度目の突きを入れる。
腹の方の感触は鉄、そして、衝撃を伝えた背中に痛みを訴えている様子もない。
男の手が私を捉えようと伸びてくるが、一歩引く。
体の内側まで変化できるのかもしれない。
内側を破壊できれば楽が出来ると思ったが、なかなか思惑通りに出来るとは限らないものだと痛感する。
では、本気で力を入れて殴ったらどうだろう。
しっかりと、構えを取り、腋を締める。
男の肩目掛けて腰を入れて当たった瞬間に力を入れる。
確信した。
相手は余裕そうな表情を浮かべているかもしれない。男は感情が抜け落ちたように無表情なのだけど。
腕をこちらに向けようとしたところ、肩が凹み、腕が外側を向いてしまっていた。
本気を出せば倒せるという事ですか。
こうなってしまえば、畏れる物など何もない。
「それではご覚悟を」
苦しめて殺す趣味はない。
しっかりと地面を踏みしめて、腰を入れながら一発ずつ拳を叩き込む。
丁寧に頭から体に打ち込んでいくが、どんどん男の形相が変わっていく。
鉄の体を元に戻せば、その瞬間に絶命するだろう。
だから、元に戻すことは出来ない。
ずっと潰れた状態だろう。
顔は特に入念に潰しておく。
形が変わり、そこに顔があったかどうかも不明なまでに殴り続ける。
手にしても反撃を受けないように注意しながら確実に潰す。
殴るには高さが足りないと思えば、足を使う。
本気で蹴れば男だったものは吹き飛んでいく。
氷の壁まで蹴り倒して、さらに殴りやすい高さにほとんど球体に近いまで蹴り倒した体をめり込ませる。
入念に殴り続けて、全身をしっかりと潰す。
命までは奪い取ることは出来ない。
それならば、もう二度と立ち上がったり、危害を加えないような形にしないと問題になりかねない。
一息つく。
氷の壁にめり込ませた直後は球体に近かったのに、今は頭と手と足だけは入念に潰されて紙のように細く伸びきってしまっていた。
これで能力の解除も人に危害を加えることは出来ないだろう。
随分と奥まで来てしまった。
「まずは、合流ですかね」
そう言って、最初の場所まで歩いて戻る。
人間界でこれほど本気で拳を振るったのは初めてだった。
満足いく戦いではなかったが、たまには本気を出してみるのも面白いという事を知ることが出来た。
それだけが唯一の成果だった。
謝辞
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