八十六話 不穏な気配
氷の季節は不気味なほど静かに通り過ぎて行った。
宿も温泉も客を入れる準備は出来ている。
だが、不穏な気配だけがひしひしと感じていた。
マリューネが行った帝国の酒場はどうやら順調に始まったらしい知らせは来た。
繫盛はしてないが、閑古鳥は鳴いていない。
いい塩梅だったようだが、氷の季節が終わりを告げると事態は変わる。
安く提供していて、帝国の軍人たちも使ってくれていたようだが、寄り付かなくなった。
またツケをしていた軍人たちがしっかりと清算していったらしい。
動き出したという事だろう。
風の季節、か。
タイミングとしては最悪だ。
王国はフィオリが聖櫃に入るという事で、大きなイベントとして持ち上げられていると聞く。
そんなところに私が帝国が侵攻してくるなんて手紙を送ったところで一蹴されかねない。
だが、私たちの領には戦えるのは九人。
軍で攻められてはひとたまりもない。
被害はここだけではない。
ここが簡単に攻め滅ぼされたら、橋頭堡にされかねない。
というか、されるだろう。
だから、手紙は送らないといけない。
それが一蹴されようとも、だ。
風の季節の初めに出した手紙。
返信は未だにない。
そうして、静かにだが日々は過ぎていく。
領内は平和そのもの。
明日も次の季節も、平和に過ぎていくそう信じている。
だから、私はそれを叶えなければならない。
そして、異常に気が付くのはいつだって、異能の目を持つ彼女だ。
「レティ、精霊さんたちが怯えてこっちに向かってくるんだけど……」
不安そうな顔をして、マサキが私に告げた。
確かに帝国の方から精霊たちがこちらに向かってくる。
この異常に気が付けるのは彼女しかいない。
「みんなを屋敷に集めましょう」
そう言って、この領で戦える主要な人物が私の屋敷に集められた。
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執務室には私の従者、そして、転移者二人に、現勇者に引率の戦える者たち。
「マサキ、悪い話ともっと悪い話といい話どれから聞きたいかしら?」
「……普通、二択じゃない?」
「ここでは三つあるのよ」
「……いい話、かな」
先日届いた手紙を開けた。
可愛らしさのある文字で書かれた手紙の主はフィオリだ。
「私が送った手紙で王国軍を派遣してほしいと頼んだのだけど、今やっと派遣する方向に話が進んだみたいよ」
従者たち以外が首を傾げる。
なぜ、軍を派遣してもらわないといけないのか分からないだろう。
「じゃあ、悪い話に行くわ」
言葉を一回そこで切る。
そして、紅茶で口を湿らせて言葉を紡ぐ。
「帝国軍が王国に進行してきてる。狙いは多分、ここに向けて」
マサキ以外、怪訝な瞳をこちらに向けてくる。
それはそうだ。
こんな話あり得るわけがない。
なぜなら休戦協定があるのだから。
「なぜ、ここに向けてか。疑問はあると思うが、一番大きいのはまだここの領は、他に比べて新しく出来たところだから、何もかも足りてないのよ」
「待て、吸血鬼。だったら、さっきのここに派遣するかどうかって」
「ええ、話し合いが終わった頃にはここは焼け野原になっていて、生き残りがいればいいけど、マサキたちのこともあるから奴隷にされてるかもしれないわね」
ジェシカが目に見えて苛立っている。
王国貴族たちは暢気なものだと私は思う。
これが長い間平和に晒されてきた人たちの末路なのだと。
「領民を逃がすことは?」
「まだ小さかった頃はよかったのだけど、今では難しいわ」
リニアの孤児院もまだ子供が送られてきていて、それの面倒もある。
「だったら、どうするんだ」
「迎え撃つしかないわね。これだけの人数で」
「いやいや、無理っしょ!」
「真咲の言う通り、現実味がない。何か策とかあるの?」
「この人数で何かやろうとしたところで数で踏み倒されるだけ、無駄よ」
ユリナが非難の目を向けてくる。
けど、言葉を濁して時間を無駄にするわけにもいかない。
「正面からのぶつかり合いなら、私たち四人でどうにかするわ」
従者四人を見れば、誇らしい様子もなければ、当然と言った反応だ。
「いや、まぁアンナさんたちが無茶苦茶強いのは知ってるけど、ちょっと無理っぽくない? 相手は軍だよ? 数とかめっちゃいるんだよ、きっと」
他の人たちも四人の力を見てはいるだろうが、本来の力から程遠いものだ。
「私の従者たちは一人に付き、一軍団は必須の化け物たちよ? ま、たったの一軍団程度なら軽く一捻りよ」
ジェシカはともかく、ユリナは信じていない目をしている。
普段からそんな力を見せていないから、当然と言えば当然か。
「それに私も戦場に立つわ」
そう言ってみたが、場が盛り上がることもない。
マサキなどぽかんと口を開いている。
「どうしたのかしら?」
「いや、レティって戦えるんだって思って」
「もちろんよ?」
「あれ……今までそういうことしてきたっけ?」
「兎は狩ってたわね」
「飛びついてきたから首を刎ねてただけだけどね」
あれを戦いの一つに入れてしまうと、ジェシカと戦った二人に失礼だ。
「レティが戦うってイメージ沸かないかも」
「それもそうでしょうね。今までは従者の四人に任せていたのだし」
「どうして?」
魔族。
私たちの種族はどうやって力を付けて、生き延びてきたのか。
それを知る者たちは少ない。
「私が吸血鬼だからよ」
マサキが首を傾げる。
どうやら、理解してくれていないようだ。
魔族には様々な種がいる。
私もその一つ、吸血種。
「私の主食は何か分かる?」
「え、いつも肉食べてるから、肉じゃないの?」
「あれは仕方なくよ」
ほとんど焼かれていない生に近い状態。
まだ血も滴るような動物の肉。
「私は吸血鬼だから、血が主食なの。人間の血がね」
私たち魔族の多くは人に寄生しなければ生きていけない。
私であれば血。
他にも夢、欲、精気等様々。
だけど、今魔界への扉は閉じられてしまっている。
魔界に残った魔族はどうなってしまったのか、私には知る術はない。
「どれくらい吸ってないの?」
ユリナは紅茶に口を付けながら私に投げかけてくる。
「忘れてたわ」
だけど、血の味は忘れない。
本能に染み付いている味だから。
「男爵、どれほどのお手前で?」
「元魔王軍、柱が一人よ。血さえ吸えばね」
「何で血を吸うと変わるの?」
「私が吸血鬼だからよ、マサキ。私は純血よ、人と混じり合った魔族じゃない。だから、余計に人間の血じゃないとダメなのよ。あとは量ね」
「別に――――」
「色々試してきたんでしょ。私たちより生きているんだし」
マサキの言葉を遮り、先にユリナが答えてくれた。
マサキも納得が行ったのか引っ込んでくれた。
今の私は正直言えば、全く動けない。
他の動物の血で補っているけど、全く足りない。
激しく動けばそれだけすぐに体力が切れるし、喉の渇きが血への飢えで誰彼構わず吸血してしまいそうなほどだ。
戦うなんて以ての外であるが、こうなってしまってはやるしかない。
「それで、どういう風にするんだ?」
「従者四人を正面からぶつける。マサキとユリナは領への侵入者たちに対応。ジェシカとモーリッツはこの屋敷の防衛ね」
「私たちがでしょうか? しかし、ここは……」
「私とユリナたち逆の方がいんじゃないか?」
「いいえ、この屋敷の地下に領民を匿うつもり。だから、勇者らしく弱き民を救ってみなさい」
「言われないでも救うさ」
ジェシカが私から顔を逸らす。
「それにしても穴だらけの配置ね」
「ええ、たったの九人よ。これが限界よ」
「勝てるかな……」
いつも明るいマサキが不安そうな暗い顔になる。
「勝たなきゃいけないわ」
「勝てる見込みも結構薄いのに?」
「けど、私は領主で、ここは私の物よ。他人に踏み荒らされるのは我慢できないの」
「出た、レティシアの強欲」
「あたなたち、一人一人の頑張りに期待しているわ。頼むわね」
マサキとかは露骨に照れていたが、ハッとして私の方に身を乗り出してきた。
「そう言えば、もっと悪い話って?」
「え、ああ、そういえば」
完全に忘れていた。
だけど、伝えておかないといけないことだ。
「相手は神造兵装を持っているかもしれない。それにあなたたち転移者も連れてくるかもしれない」
まだ憶測であるが、多分、というか、転移者がどれだけの数か分からないが、その神様からの授かりものは戦いに大きく貢献するだろうから、連れてこない方がおかしい。
「相手はあなたたちを殺しに来るし、私達魔族も転移者の神様からの授かりものは天敵に近いわ」
この世界のルールの外側の力にはさすがに対応しずらい。
「私にとっても死闘になるし、相手は同じ地球に住んでたあなたたちも関係なく攻撃するわ」
これを告げるのは嫌だが、もう状況が許さない。
「マサキ、ユリナ、人を、同じ地球の人を殺さないといけないかもしれない。だから覚悟を決めておきなさい」
謝辞
いつも読んでいただきありがとうございます。
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