七十八話 フィリーツ領の日常
アユムの娘が五歳を迎えて、生誕祭なるものを王都であげるらしくレティとマリア、アルフレッドさんが豪華に飾り付けられた馬車に乗って出かけて行ってしまった翌日。
アタシたちは畑や子供たちの面倒を見るのを終えて、ジェシカとモーリッツさんが屋敷の庭で稽古を行っているのをゆりなと二人で眺めていた。
「どうですか?」
声をかけてきたのはアンナさんだ。
「んー……ジェシカがずっと押してるのにあっという間に負けてる、かな」
アタシがボーっと眺めていた感想をいえば、訓練用の木剣を頭に置かれた。
「あれを押していると見るなら、今夜の夕食はなしですね」
「いや、てか、夕食アタシも手伝ってるからね?!」
「賑やかしの間違いじゃない?」
「ひっど! ゆりなよりもちゃんと出来ますよー!」
「それよりも、ちゃんと見ていなさい」
一度木剣が浮いて、頭の上にコツンと置かれる。
見ていても、さっきから結果は変わらない。
ずっと攻めていて、イケイケだと思っていたジェシカが、突然バランスを崩して終わってしまう。
「モーリッツさんが誘ってる……?」
ゆりなの独り言のような呟きに、アンナさんが頷いた。
「何度もバランスを崩している。崩されているのに気が付いていても、誘い込まれてる。経験の差ですね」
そう言って、アンナさんが私たちの側を離れて歩いていってしまった。
「この世界で生きる人ってそーゆーの分かるのかな」
「知らない。私たちはこの世界の人じゃないし、どっちかと言えば異物だし」
ゆりなの言う事に同意する。
アタシたちはいるべき存在じゃない。
だが、ここから去ることも出来ない。
「なんかこーゆーのってさ、なんだっけ、や……や?」
「やるせない?」
「そんな感じ!」
アタシがそういうとゆりながため息をついたが、「分かる」と小さく同意してくれた。
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あの似非勇者に剣も覚えておけと言われて、訓練用の木剣を借りて、モーリッツに稽古をつけてもらっているが、一太刀も入れらない。
また私は体勢を崩されて、負けてしまった。
「もう一本だ」
「ええ、ジェシカ嬢」
距離を取り、剣と盾を構える。
呼吸を落ち着かせる。
吸いて、吐いて。
もう一度吸ったところで盾を顔の前に構えて距離を詰める。
外から切りかかる刃はモーリッツの盾に阻まれる。
一歩だけ下がると、そこにモーリッツが剣を突き出していた。
慌てて、弾く。
付きだした剣を弾いた。
普通なら相手の体は伸び切り、チャンスであるはずが、私の体勢が崩れたままだ。
なんとか踏みとどまり、無理やり体勢を元に戻すが、その頃にはもうモーリッツも元通りになってしまっている。
さっきからこれの繰り返しだ。
そこからは剣と盾を使っての打ち合いになる。
この打ち合いで主導権を得ないといけないのに、ずっとモーリッツに握られていて、思ったところに振るえない。
モーリッツを誘うようにわざと大振りに見えるように剣を振るっているのに、それを読んで返す刃でこちらの体勢を崩してくる。
完全に読まれていた。
どれだけ読めるかは分からないけど、これまで全て読まれている。
経験の差って奴だろうか。
諦めに似た気持ちが一瞬だけ広がるが、あの似非勇者の姿が思い浮かんだら、霧散した。
そうだ、私に諦める選択肢はない。
例え、彼我との実力差が決定的だったとしても、諦めてはいけない。
そんな風に挫けていては勇者になんてなれるはずがない。
余計にレーデヴァインたちに見放されてしまう。
だから、前に行く。
退けない。
私から仕掛けるんだ。
そう、思った時、モーリッツが上段に剣を構えていた。
避けるべきか、受けるべきか。
受けるなら剣で、それとも盾で。
剣、いや、盾だ。
そう思った時にはもう遅かった。
上段に構えていた剣から一度力抜いたと思ったら、刃を下に向けるようにして構えなおす。
そして、そのまま刃を落とされて、私は地面に叩きつけられた。
「どうします? ジェシカ嬢」
「もう」
「次は私が相手してもらいましょう」
似非勇者アンナが木剣の剣先をモーリッツに向けて、微笑みを浮かべていた。
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ジェシカ嬢は納得いってないようであったが、勇者であるアンナ様に言い包められて納得いかないように口を尖らせてマサキ嬢たちのいるところまで下がっていった。
「私のようなものが相手でもよろしいのでしょうか?」
「ご謙遜を。先程も見事な太刀筋、それに経験も豊富。あなたほどの実力者を探す方が王国では難しいでしょう」
「勇者アンナにそれほどまでに褒めていただくとは……恐悦至極、これほどの誉はないでしょう」
「どうですか? 私とお一つ」
「ええ、ぜひ。剣技の頂をどうか私に」
剣を構えるのはほぼ同時。
沈黙が二人の間を支配する。
そこに一陣の風が舞う。
その瞬間、訪れたのは殺気。
気が付けば、目の前に上段に剣を構えた勇者アンナの姿があった。
「ぐうっ!」
剣で受けたが、重い。
全力で踏ん張らないと、そのまま力でねじ伏せられる。
魔王だと言っていたが、それだけじゃない。
この人の剣技に力は衰えていない。
ずっと研鑽を積んでいた。
一太刀でそれがありありと分かってしまう。
「いいですね。よく受けました」
さらに力を籠めようとする勇者アンナと組み合う剣を斜めに倒して、刃を滑らせる。
そして、体勢を立て直せば、こちらから打ちに行く。
力で打ち合っても弾き返されて、こちらが窮地に陥るだけ。
だから、相手と剣が組み合うと思った瞬間に力を抜いて、刃を滑らせて抜けて行かせる。
幾太刀と浴びせても、全く相手の隙を見つけることが出来ない。
「楽しいですね」
「私はあなたのお眼鏡に適っているのですね」
「ええ、久しぶりです。このような気持ちは」
勇者アンナが付きだしてきた盾をこちらも盾で受ける。
吹き飛ばされそうになるのを踏ん張り耐える。
「いつまでも楽しんでいたいですが、そうも言ってられませんね」
どちらかもなく、盾を引かせた。
「決着を付けましょう」
そういうと、勇者アンナが剣を突き出してきた。
無防備すぎる一撃。
誘っている。
乗るわけがない。
盾で受け流そうと斜めに当てようとした。
そこに勇者アンナの手があった。
どういうことか。
そう思って、視線を上げると剣から手を離していた。
腕を掴まれて、思いっきり引かれるとそれだけでつんのめるように体が前に出てしまう。
手早く勇者アンナが私に密着するように私の腹に背中を合わせると、そのまま世界が一回転した。
気が付けば、天を仰いでいた。
そして、私が落とした剣を勇者アンナが拾い、突き付ける。
「私の勝ちですね」
「剣技での勝負だと思っていました」
「私に剣を教えてくれた人はこう言ってました。私は騎士じゃないから、お行儀のいい剣は必要ない、と」
私は思わず笑ってしまった。
勇者は確かに騎士ではない。
けど、このような戦い方をすると知れば、多くの人は驚き、幻滅するかもしれない。
それほどまでに勇者の伝承は高潔なものとして伝えられているのだ。
「そうすることに迷いはないのですね」
「ええ、もちろん。我流ですが、ここまで昇華させることが出来たのは、かつていた仲間たちのおかげです。誇りこそあれ、どこに迷う必要があるのでしょう」
そこには確かな自信がある。
体を起き上がらせると、驚いた眼を見開いているジェシカ嬢と目が合う。
「ジェシカ嬢は迷っておられる」
「そうでしょうね。目の前に迫った剣への対応が遅すぎます」
「戦いもそうでしょうが、勇者という事にも。勇者アンナ、どうかジェシカ嬢を導いてくれませんか?」
「私が……私が導くことはできません。全て彼女自身が見つけ、決めなければいけない」
厳しいことを言う。
それを見つけるのにどれだけの時間がかかるのか。
「それが勇者の宿命です。ただ、勇者の装備をもらって、勇者になれたというのはただの思い上がりです。勇者の装備はきっかけ。たくさんの道の先、自分の中にある正義と向き合い、ようやく本当の意味で勇者になるのです」
女性である勇者アンナが私の方に差し出してきた。
普通なら恥であると思うのだが、彼女は勇者であり、また魔族だ。
私は彼女の手を取って、起き上がらせてもらった。
「道のりは険しいですね」
「勇者であれ、剣であれ道というのは険しいのが常です」
優しく目を細めて、ジェシカ嬢たちを愛おしそうに見つめているように見えるのは私だけなのだろうか。
私の勘違いだったかもしれない。
それでも構わない。
私は顔を伏せて、笑みを浮かべる。
「ええ、そうですね」
謝辞
いつも読んでいただきありがとうございます。
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