四十三話 復讐の覚悟
「私を呼んだこの世界に。私たちにこんなことしたこの世界に。まずはこの国に復讐したい」
「無理よ、あなたたちには絶対に無理よ」
可哀そうだと思う気持ちはある。
多分、平和な日々を過ごしていたと思ったら、突然こんな世界に飛ばされてきて、酷い目に合って、多くの傷を負ったのだろう。
私達が間違っているという事は理解している。
そして、彼女の復讐は尤もだと言う事も理解している。
だけど、否定しなければならない。
「やる。どんなに困難でもやり切って見せる」
「そう言う事じゃないのよ……マリア、ナイフ」
「はい、お嬢様」
マリアがナイフをスカートの中から取り出して、渡してくれた。
私がユリナに握らせて、その手を左手で包む。
そして、机の上に右手を置く。
「私の手、刺してみなさい」
「は?」
「復讐、するんでしょ? ナイフで刺すぐらいやれないとダメじゃない」
分かってる。
こんな事を強いるのは間違っている。
けど、通過しないといけないことだから、私はやる。
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何だこの状況。
何で私が恩人の手を刺さないといけないの。
この人には私は傷つけたいと思っていない。
「ほら、どうしたの? もう手をそのまま下ろせば刺さるわよ?」
分かってる。
見れば分かる。
けど、怖い。
刃物は持ったことがある。
包丁も使ったことがある。
けど、こんなナイフで積極的に人を傷つけようなんて思ったことない。
「あら、遠慮しているなら問題ないわよ。それぐらいの傷ならすぐに治るから」
言われなくても分かってる。
私を誘導するようにレティシアがナイフをゆっくり上下させていく。
息が苦しい。
こんなに呼吸するのって難しかったっけ。
ナイフの先端に視線が吸い込まれる。
「ほらほら、遠慮しないの。簡単よ、私がこのまま刺して上げてもいいわよ?」
そうやって、ゆっくりとナイフが下りていく。
このまま行くと、レティシアに刺さる。
「いいの? このまま行くと刺すことになるわよ?」
もう少しで肌に突き刺さる。
止めなきゃ。
けど、止めたら私は自分を否定することにならないのか。
だけど、だけど、こんなの――
「もう、二人ともやめてよ!!」
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私の手の甲にナイフが突き刺さる直前に止めに入ったのはマサキだった。
私の手を持ってそれ以上ナイフが落ちないように支えていた。
マサキの力位振り払えるのだけど、これはそう言う場ではない。
「おかしいよ、こんなの! どうして、こんな事をしなくちゃいけないの!」
おかしい、そう言える彼女が羨ましい。
人を平気で刺すことが出来る私たちにはない、私たちが遥か彼方に置いてきた感性であり、もう風化してしまったもの。
「ゆりなもゆりなだよ、レティに流されてそんなことしちゃうなんて! どうしちゃったの!」
私たちの手を横にどけたところでユリナから手を離して、ナイフをその手から奪う。
後ろを向いてナイフを投げるとマリアが指に挟んで取り、そのままスカートの中に仕舞った。
「嫌だよ、ゆりなが人を傷つけるところなんて見たくない……」
「……」
マサキがユリナを抱き締めているが、ユリナの表情は晴れない。
自分が言った復讐に対して、早速否定されてしまったのだからそれも仕方ない話である。
けど、これでいい。
「ユリナ、あなたが人を傷つけられない。それもあなたが復讐が行えない理由の一つよ」
けど、これは弱さではない。
「傷つけることが出来ない。それは弱さかもしれないけど、マサキ、ユリナ、あなたたちの美点の一つだから大切にしなさい」
言われたユリナが不思議そうな目をしてこちらを見てきているが、それもそうだろう。
さっきまで積極的に傷つけようとした人がこんな事を言い出すんだから。
「私たちを含めて、この世界の命は軽い。簡単に人を傷つける人たちが多いわ。私と私の従者たちも傷つけることに躊躇いもない、命もたくさん奪ってきてる。私は言わずもがな、アンナは村一つ焼き払ったし、マリアはそこまで虐殺行為はしてないけど、それでも人間相手に一切躊躇いはない。そうよね?」
「まぁ……はい」
「そうですね。いっぱいいますし、一人二人気にしていてもしょうがないことかと」
アンナは歯切れが悪いが、マリアは人間のことだから興味なさそう。
驚いているのは目の前の二人だ。
特にアンナのことについてだろう。
理由はあるけど、それは今はいい。
「その美点を大切にしなさい」
そこで一度言葉を切る。
そして、単純な疑問だ。
「復讐したいって、誰にしたいのかしら? あなたたちに鞭打った人なら私が殺しちゃったわよ? あの店の店主も私たちが殺しちゃったし」
「は? え?」
ユリナには理解できなかったようだけど、時間をかけて咀嚼してくれている。
そして、目を泳がせながら答えた。
「国とか……そういうところ」
曖昧な回答。
思いつかなかったんだろう。
「それなら、今のあなたには無理よ。王城に押し入った五秒もしないうちに殺されるわよ」
「そ、そんなことない」
「あるわ。あなた自分の力、まだ上手く使えないでしょ?」
「……っ!」
小さな舌打ちが聞こえた。
それはもう肯定しているとしか聞こえない。
召喚される人間には二つの力が神様が授けてくれる。
一つは言語の翻訳だ。
ただし、読み書きは出来ない。
二つ目は特殊な力。
この二つを必ず神様が授けてくれる、らしい。
もしかしたら、例外がいるかもしれないがいたとしても今の時代だと処分されて明るみにはならないだろう。
特殊な力、神様からの授かりものは強大な力であり、これを目当てに召喚されてきていると言ってもいい。
この二人もそれを秘めている。
「それもあなたが復讐を行えない理由の一つ。ただの犬死によ」
「だけど、それなら、一体どうしたらいいのよ!」
「他に過ごすことがないなら、この村で過ごす? って聞いてるじゃない」
私がそう言えば、マサキが手を上げた。
「じゃあ、アタシはこの村で過ごそうかなー。ゆりなも一緒にいない?」
無邪気な笑みをユリナに向ける。
そのユリナは答えない。
「だってさ、レティたちってここでは最強なんでしょ?」
「最強、とは違うけど、強者ね。上から数えられるぐらいには」
「じゃあ、アタシたちがここに住むって言ったら守ってくれる?」
「当たり前よ。私の領にいる限り、どんな暴力や脅威から守って見せるわ」
もう嘘を吐かない。
二度の嘘など、レティシア・ヴァリアス・アドガルド・フォン・スカーレットの名を貶めるだけだ。
「ね、ほら、ゆりなもここにいようよ。ここならむっちゃ安全そうじゃん?」
「……分かった」
「歓迎するわ、二人とも。フィリーツ領にようこそ」
二人に向けて笑みを浮かべた。
出て行かれなくて、良かったと思う。
「あ、そういやー……アタシたちお金とか住むところとかないんだけど……」
「そうね……じゃあ、いずれは作ってあげる。それと仕事はー……」
マサキに私の助手を務めてもらおうかと思ったが、ユリナの方がいいかしらという風に目を走らせてしまう。
「色々とやってみてあったものを探してみましょうか」
「うん!」
「じゃあ、私教えて欲しいことがある」
「何かしら?」
「この力に、武術とか剣術とか教えて」
教える自信がないことを言ってくれる。
だけど、能力を知るという意味では貴重かもしれないと好奇心が覗かせてきた。
「昼間の仕事がないときに、という条件が付くけどいいかしら?」
「いいよ」
「じゃあ、いいわよ」
剣術の相手が出来るのは、アンナだけだからやってもらうしかないけど、あの子の剣技って我流なのよね。騎士団が使っているような剣術とかまた違って、参考になるか分からないけど、彼女ならいいだろうと勝手に結論付けた。
「それじゃあ、二人とも、明日からよろしくね」
明日から始まる新たな生活に向けて、不安など消し飛ばしてしまうような、今日一番の笑みを二人に捧げた。




