三十四話 夜の訪問者
最近ずっと忙しい。
あの忌々しい吸血鬼のせいで輪にかけて忙しい。
面倒ごとばかりこちらに押し付けてきて、と思うが先日の商人が持ってきたものは満足するものであった。
多少金額は吹っ掛けられたものであったが、研究資材としてみれば安いものだ。
魔石には金額の以上のリターン効果がある。
吸血鬼は気が付いているだろうが、分かっていてこちらに流してきたのだろう。
仕事は何とか一段落付けた。
今日は一度休もうと思い、部屋の扉を開けると、部屋の中から冷たい殺気を感じた。
「――っ!」
声を上げなかった自分を褒めてあげたい。
「遅かったわね、アユム」
真っ暗な部屋に月の光を浴びて銀の髪は輝きを増し、赤い瞳は宝石のように妖しく光らせ私の姿をじっと見つめている。
吸血鬼が私の部屋に置いてある椅子に座っていた。
「……どこから入ってきた」
「正面からよ?」
当然と言う風に返されるが、侵入者に対する魔術もこの王城には組み込まれているし、私が感知できるようにもしてあるのに全く気が付かず侵入されたことになる。
また組み直さないといけない。
いつまでもこの吸血鬼にフリーパスで通られても困る。
しかし、いつからここにいるのだ。
この部屋には大切な書類を置かないようにしているのだけど、それでもまだ本にはしていない魔術式や理論のメモ、一般に出回っていない高額な本がある。
全て読まれてしまったのかどうか分からない。
監視カメラでもあればよかったのだが、まだそれを作るのは到底叶わない。
「それで何の用だ」
「許可を。ポートリフィア領領主を討つ許可をもらいに来たわ」
どういうことだ。
話の意味が分からない。
部屋の中に踏み入り、扉に鍵を閉めた。
「無理だ。意味が分からない。何故そんな事をしないといけないんだ」
率直なところを述べたところで、彼女の口が半月のように開く。
最初に会った時に見せなかった、魔族の持つ羽も伸ばしている。
「ポートリフィア領領主が帝国に人を売っている疑いがあるわ。そっちは今人をやって調べているわ」
思わず、顔をしかめてしまう。
人身売買はこの国では禁止されている。
ましてや、それが敵国であるなら立派な反逆行為である。
見逃せないが、本当にそうなのかという疑いがないわけではない。
「そこはお前が以前手紙で言っていた領だったな? 私から国王に依頼してしっかりと指導されているはず、それで――」
「だったら、なぜ私の領民が攫われないといけないのかしら?」
刃を首筋に添えられているかのように、冷たい声音。
この吸血鬼は一応抑えてくれてはいるみたいだ。
それが今回の許可なのだろう。
「私の所有物を奪われる。私にとっては最高の侮辱だわ、屈辱だわ。お前の枷がなければ今すぐにあいつの身をあの街を償いのために消し去ってやりたい」
そうなった場合、この吸血鬼の討伐に出ないといけない。
どれぐらいの被害が出るか分かったものではない。
そうなったら私はまた死ねなくなる。
疲弊した王国は帝国にも狙われる。
それだけは避けたい。
避けなければいけない。
「アユム、私はね、ここにお願いが来たわけじゃないの。命令に来たのよ」
彼女が椅子から立ち上がり、一歩踏み出す。
私はそれに合わせて一歩下がろうとするが、そこはもう扉。
壁に手を付けると術式が部屋の中を駆け巡り、幾何学模様が部屋中に浮かび出る。
「許可を出しなさい。その程度の術式では私には脅しにもならないわよ」
部屋一つ爆発させる程度の術式では無理だと言われたが、それでも解くつもりはない。
「椅子に座っていろ」
そう命令したが、吸血鬼は従わない。
彼女の首の紋様が動き、全身に広がり、そのまま締め付ける。
「貴方とお茶やおしゃべりに来たわけではないのよ。早く許可を出しなさい。それとポートリフィア領領主が反逆行為を行っていたという書状も」
疑いのレベルではなかったのかと心の中でツッコむ。
しかし、従属の契約は正しく実行されているのにこの女は平然とした顔をしているのに、思わず舌打ちをしてしまった。
「私の命令を聞けと言っているんだ」
「私の命令を聞いてくれたら、聞いてあげるわ。早く出しなさい」
従属の契約と吸血鬼の力比べなのだが、契約の方が押し切れない。
肉に食い込むほど締め付けているというのに顔色一つ変えない。私の力では完全に足りないというのか。
「忌々しい吸血鬼が」
「キュウケツキ? 私は吸血種よ。魔族の吸血種であり、純血の誇り高きスカーレット家の当主。そして、種の頂点。それが私よ」
どうしてこんなのが人間界にいるのか。
分かるわけがない。
「全てお前の望み通りには出来ない。書状だって私が書くわけにはいかないから」
「するのよ。貴方が、私の望みを叶えるのよ」
今日に限っては強引過ぎる。
そこまで大事なの物なのか。
何を言っても相手は引くつもりはないらしい。
ここでどれだけ問答しようが、跳ねのけることが出来ない。
それに拒否した場合、この調子で行けば枷が付いていても暴れ出しそうな気配もする。
最悪な日になった。
ポートリフィア領領主、自分の利益のためにわざわざ獅子の尾を踏みに行く馬鹿だとは思ってもなかった。
軽率な行為で、全て水泡に帰すところだ。
心の中でポートリフィア領領主に悪態を吐いて、心を落ち着かせる。
「今日はもう無理だ。陛下もお休みになられている」
それだけでどうするか吸血鬼には分かったらしい。
魔族のくせに、頭は回るし、目もいい。
魔族でさえなければ、親交を深めてもいいと思っているのに。
魔族である、その一点で私には無理だ。
「そう、じゃあ、明日日が高く上った頃にまた来るわ。その時には書状と許可を出しなさいね」
彼女が満足そうな笑みを浮かべると、部屋が暗闇に包まれて、視界が奪われる。
そして、気が付いた時には部屋から彼女が消えていた。
開いた窓を残して。
「クソが」
私は窓から姿を消した吸血鬼を思い出して、イラついた気持ちを込めて一度壁を叩く。
まだあの吸血鬼は必要だ。
「そうだ、まだ必要だ。だから、今はあいつのご機嫌を取っていればいいんだ」
自分に言い聞かせる言葉はどこか白々しく聞こえるが気にしない。
やっと出来ることだからだ。
「いつかお前に刃を突き付ける者が向かう。勇者が再びこの世で選ばれたからだ」
あれに伝えようとしていたことだった。
忘れていたが、どうせ明日にも会う。
その時に直接ぶつけてやろう。
「精々強者ぶっていろ。私が死ねるように」




