二十話 訪問
初めて領主であるレティシア様の屋敷に訪問することになった。
自分がこうして領主様のところに訪れて、何かをするとここに来た時は思いもしなかった。
ただの平凡な村民として、毎日のちょっとした幸せを糧に夫である、エリックと共に楽しく生きていければいいと思っていた。
それがレティシア様に言われて、今では文字の読み書きに、簡単な計算といった今でも信じられない、知りもしなかったことを教えてもらう毎日だ。
ここでの生活を過去の私に言っても、絶対に信じられない。
学校というものが王都にはあると聞いているが、そこに入るには私達村で生きる人にとっては何十年と貯めないといけないぐらいのお金が必要だと噂で聞いている。
それと同等の事をレティシア様は村で教えてあげると言っている。
美味い話。
鼻で笑ってしまいそうなことなのだが、実際に私達以上に子供たちはどんどん知識を吸収していっている。
自分の子供もそう遠くない未来、私よりもずっと賢くなるだろう。
ただ、まだ子供は子供だ。
私たち大人が、今は守ってしっかりと成長を見守らないといけない。
それが出来るように私たちもまた成長する。
そのための訪問が今日だ。
解体作業が終わって、十日ほど経って今日ようやく商人がこちらに着くらしい。
私たちはそれに同席するだけだが、それで私たちに何が出来るようになるというのか。
大きな屋敷を目の前にして、私とソーニャの足は完全に止まっている。
「本当に入っても大丈夫なのでしょうか……?」
「……大丈夫、大丈夫なはずよ」
ソーニャに言っているつもりだったが、自分でも不安になる。
それでも私たちはレティシア様に言われてきているのだ、大丈夫だと自分にも言い聞かせるように心の中で何度も呟く。
目の前の建物をついまじまじと見つめてしまう。
けど、立派な屋敷だ。
作りもしっかりとしているし、それに二階建てであるけど、全体的に大きい。
本当に尋ねても大丈夫なのだろうかと改めて思ってしまう。
気後れしてしまう。
「わ、私、こんな服で大丈夫でしょうか?」
「……分からないけどこれ以上の物はないから」
私とソーニャも、レティシア様が普段の格好でいいと言ってくれていたけど、そういうわけにもいかない。
一応、二人とも余所行きの服だ。
失礼のない様に、家の中で一番良い服を選んできた。
けど、それでも相応しいか疑問だ。
隣のソーニャは自分の服をぎゅっと握りしめて、「大丈夫、大丈夫……」と自分に言い聞かせている。
そんな姿を見て、ソーニャが羨ましくなる。
私は人前であんなことが出来ないから。
恥ずかしいから。
一度咳払いをして、気持ちを落ち着けようとしたが落ち着かなかった。けど、先に進まないといけない。
「あまり遅くなっても失礼だわ、行きましょう」
「う、うん」
そう言って入り口の扉を開けると、レティシア様の従者であるアルフレッド様が立っていた。
「ようこそおいでくださいました、サリー様にソーニャ様。すぐにレティシア様お嬢様をお呼びしますね」
「アルフレッド、もう着ているから大丈夫よ」
その声に顔を上げると、階上からいつもよりも華やかで赤を基調として、白が透けているし露出の多いドレスを身に着けたレティシア様がアンナ様と降りてくるところだった。
いつもよりも煌びやかで装飾は細かい。いつも髪を下ろしているだけの髪ではなく、一つにまとめて、しっかりと編み込んであり、化粧もした目元はいつもより妖艶さを増している。
同じ女性の私でも、年下に見える体のレティシア様の目付きやちょっと憂いのある表情にドキッとしてしまうほどの艶やかさがある。
髪も化粧もドレスに負けていない。お姫様が身に着けるようなドレスを着られることなく着こなしている。その姿は昨日まで、私達と一緒に外で作業していた人とは別人に見えてしまう。
レティシア様に見惚れていると、いつもと違う優しい笑みを浮かべた。
「ようこそ、サリーにソーニャ。貴方たちがこの屋敷に初めて入る人間の客よ、歓迎するわ」
そう言って、ドレスの裾を摘まんで礼をする。
私たちはどうしていいか分からないので、とりあえず領主であるレティシア様が頭を下げたのであれば、私達も膝をついて頭を下げないとと思って、急ぐ。
「ほ、本日はお招きいただき……」
「ふふ、そんな畏まらなくてもいいのよ。私は領主として格好をつけただけだから」
私とソーニャが呆然とした顔で見つめていた。
「どうしたの、二人とも」
「あの……レティシア様」
「何かしら?」
「あの、本当に良かったのでしょうか……? 私達が同席するの、服装もこのようなものしかなくて……」
そう言うと、レティシア様は私たちの姿をじっと見つめた。
値踏みされているようで、恥ずかしさもある。
「アルフレッド、何か問題あるかしら?」
「いいえ、ございませんな」
「そう言う事よ。アルフレッド、客間に案内してあげて」
「分かりました。ソーニャ様、サリー様、こちらにどうぞ」
そう言ってアルフレッド様に案内されたのは大きな部屋。
豪華なソファに机、綺麗な花が飾られているのは私たちでは手が出せないような値段がするだろう大きく見事な造形な壺。描いた人は分からないが目の前にあるように感じる絵。それらが飾られた部屋に案内されたが、部屋に入るのすら躊躇ってしまう。
「どうぞ、おかけになってお待ちください。もう少ししたらレザード様もお付きになりますので」
そう言ってアルフレッド様は二人座れるソファを勧めてくれて、部屋から出て行ってしまった。
置いていかないで欲しいと思っていたが、レティシア様は客人を迎える立場だから準備があるんだろう。
あまり甘えているわけにもいかない。
ソファに座ると、体が沈み込んでしまうという未知の体験を味わった。
先に座ったサリーが声を上げた。
「きゃっ……! すごい、なんでしょう、これ」
サリーに釣られて、ソファに座ると、体が沈み込んでしまって、こんなソファもあるのかと驚いていた。
「すごい、すごいですね、これ!」
「え、ええ、そうね、こんな跳ねて……!」
そうやって、未知の体験に夢中になっていると扉が開く。
アルフレッド様が扉を開けて、入ってきた。
その手にはお盆を持っていた。そこにはカップと焼き菓子が添えられ、乗せられていた。
「気持ちが安らいでいたようで何よりですな」
アルフレッド様が柔和な笑みを浮かべているけど、全部見られていたようで恥ずかしくて顔が赤くなる。
「どうぞ、ソーニャ様、サリー様」
カップと焼き菓子がそれぞれ置かれる。
「わ、私たちにですか?」
「そんな、こんな……」
「レティシアお嬢様のお客人に対して何もしないというのは失礼にあたります。どうぞ、腕によりをかけましたので、しばしの一時をお楽しみください」
そう言って、アルフレッド様は一礼をして、扉を出て行ってしまった。
二人で残された紅茶と焼き菓子を見てしまう。
甘い匂いが鼻をくすぐる。
「ど、どうしましょう」
手を付けるべきだとは思うが、つけていいのかと言えば悩む。
けど、アルフレッド様が腕によりをかけたと言っていた以上、手を付けない方が失礼にあたるのではないだろうか。
「も、もらわない方が失礼じゃない?」
私がそう誘えば、 ソーニャが胸の前で拳を握る。
「そ、そうですよね! 絶対にそうです」
そう言って、二人で焼き菓子を口にした。
「お、美味しいです……!」
「え、ええ、こんなにも、甘くておいしいもの食べたことないわ」
甘味があまりない生活のせいか、一枚二枚と食べてしまう。
味わって食べないといけないのに、サクサクとした食感、口に広がる芳醇な香りのせいで手が止まらない。
紅茶も凄い美味しい。
茶葉もそうだし、入れ方自体が私たちの入れ方と違うのかもしれない。
それにしてもすごい。
すごいとしか感想が出てこない。
これがレティシア様が毎日食している物なのかと思うと、やはり自分たちとの差を強く感じてしまう。
隣で幸せそうに食べているソーニャはどうか分からないけど。
二人とも焼き菓子を食べ終えて、紅茶を飲み終える頃、レティシア様がドアを開けて現れた。
私たちの方を見て、その後視線が少し下を向いた後に楽しそうな笑みを向けてきた。
「寛いでくれているようで何よりよ。レザードが到着したわ」
そう言って、レティシア様の後ろから現れた青年は、細い目に笑みを浮かべた青年であり、その表情から狐に思えてしまった。
いつもレティシア様は笑みを浮かべているが、それとは違う怖さがその青年にはある。
「レティシア様のご紹介に預かりました、ロジック商会の代表を務めているレザード・ジーニアス・ロジックです。フィリーツ領のお二方、どうぞロジック商会をごひいきに」




