百二十六話 一年目 その三
火の季節も残り僅か。
骨を折られていた元騎士団員はほぼ全員歩けるほどに回復した。
まだ完全には骨がくっついていないから、過度な運動は控えるように言われている。
それでもこうして制限なく外を歩けるというのは気が晴れていいものだ。
私達騎士団はそれぞれ仕事を割り振られた。
農業、動物の世話、村の警備。
騎士団をそれぞれ三班に分けることになった。
しかし、騎士団に所属しているのはどれも貴族の娘。
農業も動物の世話、馬以外の物はやったことがない。
当たり前のことだ。
私だってしたことはない。
それでもやらないといけない。
騎士団から反対の意見は出た。
出たが、抑えられることになった。
あれはスカーレット男爵が私達の前に立った時のことだ。
「怪我の加減はどうかしら?」
そう言ってみんなの前に立ったスカーレット男爵だったが、全員から殺気が向けられていた。
しかし、それを受け止めるスカーレット男爵は涼しい顔をしている。
剣を持っていれば、今すぐにでも切りかかられるかもしれないが、そうなってもあの従者の主人だ。
受け止められるのが目に見えているし、剣が効くのかどうかも怪しい。
「イーラ団長どうかしら?」
「スカーレット男爵のおかげで、お心遣いのおかげでこうして不便なく怪我の療養に専念出来ております」
「そう、ならいいわ」
満足そうに私から視線を外した。
少女のなりをしているのにその仕草は堂に入ったものだ。
「そろそろあなたたちの足の骨がくっつく頃合いだから、外に出て歩く訓練もしてもらおうと思うの」
私も含めて騎士団が首を傾げているような気がした。
「私は医者じゃないし、私の娘からの受け売りなのだけど、あなたたち、ずっと動いてなかったでしょ? だから、筋力が落ちているそうなの。その周りの関節とかも硬くなっているから、それをほぐしたり、筋力を元に戻してあげなきゃいけないとか?」
心配になるほど、疑問符の多い話し方だ。
だけど、スカーレット男爵の言わんとしていることは理解出来る。
帝国で骨を折った者がそのような処置をされていたような気がするが、しっかりと見聞きしたわけではない。
「怪我が完治したら、あなたたちの誰かが逃げるかもしれないわね?」
そんなことをするわけがないと思うのだが、確実ではない。
私が帝国に戻れば処刑を免れないように、この騎士団に所属する誰かが帝国に逃げるかもしれない。
そんな浅はかなことをする者はいないと信じたい。
信じたいのだが、もしかしたらと思ってしまう。
「それで、こう考えたわ。イーラ団長」
スカーレット男爵がそういうと、一人の老人が姿を現した。
身なりはよく、背筋もしっかりと伸びていて、気品もある。朗らかに見える顔付きから、温厚そうに見えるのだが、この男爵の従者だ。
どこに暴力的な要素があるのかあるのか分からない。
支えられる体に力がどうしても入ってしまう。
しかし、その老人は私に何をすることもなく、支えるだけだった。
そして、首元を晒された。
そこにあるのは首を一周するようにある黒い鎖の紋様。
「あなたたちの誰かが逃げたら、イーラの首が飛ぶ仕掛けをさせてもらったわ」
にこやかに告げるが、騎士団全員から非難の声が上がる。
当たり前だ。
私を人質に取ったということだからだ。
罵る言葉がスカーレット男爵に集中している。
止めないといけない。
止めないといけないのに、にこやかな表情を崩さないスカーレット男爵に恐怖を覚え、体が委縮してしまって動けない。
そして、大きな破砕音が地下室に響いた。
にこやかな顔のままスカーレット男爵が壁に拳を打ち付けていた。
「黙りなさい。イーラの命は私が握ってるのよ。それとも全員ここで殺してほしいの?」
スカーレット男爵が怒っているのか、それとも演技なのか分からない。
ただ、地下室はそれで静まり返った。
殺気自体は本物だ。
殺す気であれば、今すぐに可能だろう。
私たちは動けないのだから。
「それじゃあ、これからのことを話しましょう」
それから始まった話だった。
今のところ逃亡を考える団員は誰もいない。
おかげでこうして私の首は繋がっているわけだが。
私の仕事は農作業。
農作業なのだが、過度な運動は厳禁とされているので、少し手伝う程度だ。
私が畑に入ると、そこには村の男たちが作業を開始していた。
そして、畑の真ん中で一人の娘が座っている。
鎖をまるで手のように動かして、何かの作業をしているのだが、どういう原理で行っているのか意味が分からない。
「マサキちゃんがいると、野菜の育ちがいいんだよねぇ」
「んふふふ、でしょー?」
ご満悦そうに笑う彼女の髪は異質だ。
前髪の一房が虹色に輝く髪をしている人など見たことがない。
「けど、アタシも手伝わなくてもいいの?」
「いいよ、いいよ、いつも手伝ってもらってるのだから」
「えーいっつもっていつもこうやって座ってるだけだしさぁ」
虹色に光る瞳と金色に輝く瞳をした珍しい女性は、マサキという。
変わった雰囲気の女性だ。
「あ、イーラさん、こっちこっちー!」
彼女が鎖と一緒に手を大きく振っていた。
私は彼女のようには出来ない。
それははしたないことだと教わったから。
それにちょっとだけ気恥ずかしい。
だから、私は小さく手を振るにとどまった。
▼
温泉に行けば、勇者であるジェシカさんが入っているところだった。
彼女の体には生傷がたくさんついている。
屋敷の方でアンナ様と稽古しているところを何度か見たことがある。
それにしてもすごい人だと思う。
私よりも年下なのに、世界のためとかそういうので戦っている。
戦いになれば死んだりすることもあるはずなのに、それを怖がったりしている様子もない。
私みたいなただの平民というか、農民には使命なんて大それた物なんてものはない。
毎日、仕事をして食べて寝て、それを繰り返す。
たったそれだけだ。
今は少しだけ違うけど、大方の人間はそれだけだ。
私が見つめ過ぎていたのかもしれないが、ジェシカさんがこちらを向いた。
「何か私の体についてるのか?」
「あ、いえ、そんな、何も、す、すみません……!」
慌てて頭を下げる。
この人は勇者だ。
だから、私達よりもしっかりとした身分のある人。
何か機嫌を損ねたりしたらきっとよくない。
「いや、そんな、謝られるようなことは……あなた、あの吸血鬼のところに通ってる、えーっと……」
キュウケツキというのはどういう意味なのか分からないのだが、多分、レティシア様のことを言っているのだろうと勝手に理解する。
「えっと、ソーニャ・トロンです」
「私はって言わなくても知ってるか。入ったらどうだ? そんなところに立ってると体が冷える」
勇者なんて言われる人と一緒にお風呂に入るのは気が引けるのだが、勧められて入らないのももっと失礼かもしれない。
それにお金も払っているわけだし、入らないのは明確な損だ。
「し、失礼します」
「私の物じゃないんだ。断わる必要はない」
ジェシカさんは苦笑いを浮かべていた。
「ソーニャ、さん」
「あ、そんな勇者様にそんな! ソーニャで大丈夫です!」
「勇者というのはやめてくれ。ジェシカでいい」
気まずい。
そこで会話は途切れてしまった。
何か話した方がいいのか、それとも早く上がった方がいいのか考えていると、ジェシカさんが立ち上がる音がした。
良かったと安堵したが、お風呂の縁に座っただけだった。
「ソーニャさんは来年、あの吸血鬼が何かしようとしているのにかかわっているんだろ?」
何かしようとしている。
明確には聞いていないのだが、取引が増えるから手伝ってほしいとは言われている。
「え、あ、はい」
「羨ましく思う」
「へ?」
何か聞き間違いだと思った。
私のことを羨ましく思う?
ないないない!
そんなのありえない!
だって、ただの平民だ。
ただの平民のどこが羨ましいのか全く理解できない。
「ソーニャさんを羨ましく思う」
聞き間違いじゃなかった。
えっと、お世辞かな。
あ、きっとお世辞だ。
それに違いない。
私の中で勝手に結論を出して、そう思うことにしたのだが、ジェシカさんはそれを許してくれないらしい。
「独り言だがな」
宣言して話し始める人を初めて見た。
ジェシカさんは少し困ったような顔をしていた。
「私は元々人付き合いが苦手なんだ。肩書もあるし、貴族社会というのにかかわっていいこともなかった。だから、余計に苦手になっていった。そんな私と親しくしてくれるのもいるのだけど」
私がジェシカさんを見ると目が合った。
「人付き合いが苦手そうなのに堂々としている人を見て、私には出来ない事をしている人を見て羨ましく思った」
これは独り言だ。
私に意見を求めている類のものではない。
それでも、私は何か言わないといけない気がする。
何をだろう。
考えている間に、ジェシカさんが立ち上がる音がした。
それに慌てて答える。
「あ、あの!」
脱衣所に向かって歩いていこうとするジェシカさんが立ち止まり、こちらを振り向く。
今だ。
今しかない。
しかし、言葉が出てこない。
一緒にやりませんか、というのも一つかもしれないが何か違う気がする。
勉強しましょうも、現状やっているので私が言うことじゃない。
悩んでいるけど、答えは出ない。
だから、こういうしかなかった。
「何でも、ないです……」
ジェシカさんが口元に笑みを浮かべて、小さく手を振って出て行ってしまった。
どんなことするのが正解だったか分からない。
ただ、何も出来なかった自分が情けなく感じてしまう。
もっと何かできるようにレティシア様のところで勉強しないといけない。
悔しさをばねに私は明日へ意欲を燃やした。
謝辞
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