百十五話 長い一日の終わりに
「レティ、今ここに帝国製の物、何かあるよね?」
マサキにしては珍しく、真剣な瞳で私のことをしっかりと見つめていた。
机の上に置いてある映像と音声の送受信が出来る機器を持ち上げる。
「これのことかしら?」
「それ、貸して」
爛々と輝く左目。
彼女の無意識で行っているのか、それとも意識的な行為なのか非常に気になるところであるが、刺激はしない方が賢明だろう。
「ええ、どうぞ」
投げて渡せば、彼女が鎖で器用に絡めとる。
ある程度強度はあるものだけれど、それでも優しく抱きしめるように捕まえることが出来るとは思ってもなかった。
使い方を説明していないが、マサキは開けていく。
「へーカメラみたいじゃん」
「あなたたちの世界にもある物なのかしら?」
「似たような形状だけど、これの方がまだ大型だね。私たちのところだと、片手に収まるサイズのとかあるし」
技術が発展しているということだろう。
それもこんな風に他所の世界から知識を引っ張り、ゆがめているようなものでもないのだろう。
一人一人が、ある程度の教養を持ち、様々な人たちが発展に尽力している、羨ましい世界である。
マサキは私たちの話に参加しないで、送受信機を弄っていた。
すると、蓋が外れて、中身が露出した。
「あった」
中身の板の中心に取り付けられていた、濁った石をマサキが取り外す。
そして、優しく抱きしめるように手で包み込み、目を閉じる。
虹色の光は瞼を貫通して、光を漏らしているのだが、どういう理屈なのだろうか。
「静かに眠り、自然に還りましょう」
マサキの包み込んだ手の隙間から、光の粒子が散っていく。
「いずれまたあなたが咲き、私の下に来るのを待っていますよ」
ゆっくりとマサキは目を開けた。
そこにはもう光はなく、いつもの七色の瞳があるだけだった。
「レティシア、すごいでしょ」
「ええ、さすが精霊の次期女王ね」
「アタシ、もしかして、そんな感じになってた?」
「ええ、いつもと別人のような雰囲気だったわよ?」
マサキは頬を掻いて、苦笑いを浮かべた。
嬉しいというわけでもないみたいだ。
「なんか、髪がこうなってからかな。その精霊さんたちのことが前より感じやすくなったっていうか、もっと精霊さんたちを使えるとか、漠然と出来るって分かってきたって感じ…?」
要領を得ない答えだ。
多分、マサキは感覚的には色々と理解しているのだが、こちらに伝える語彙がないのだろう。
ユリナを見れば、彼女も両手を上げて降参というように肩をすくめていた。
「前よりも出来ることが増えたのね」
「多分……? 声も聴きやすくなったし、アタシの声を前よりも遠くまで運んでたくさんの精霊さんに手を貸してもらえるから、そうかも」
「出来ることが増えてよかったじゃない」
「そうだね、うん、きっと、そうだね!」
マサキが嬉しそうに笑顔を浮かべた。
その方が彼女に合っている。
ユリナもそんなマサキの様子を優しい表情で見つめていた。
しかし、ユリナもマサキもここに来てから随分と変化した。
肉体もそうだが、その精神の有り様も。
ユリナの状態はよく分かる。
なぜなら、同族であると同時に血を分け与えた相手だからだ。
意識を向ければ、心のうちは分からないが、肉体の状態はよく分かる。
ユリナはと言えば、分からない。
果たして、彼女の肉体と精神は人間なのか。
肉体も精神も『精霊の目』に引っ張られて行ってしまっているのではないか。
それを見極める術は私にはないため、彼女がどんな存在になってしまっているのか分からない。
ただ、ユリナと結婚するから、私達に良くして、協力できる関係だとは思っている。
「レティ、ごめん、これ返すね」
鎖が掴んでいた送受信機が優しく置かれる。
数分前から随分様変わりして、悲惨な形に変わってしまった。
「よく気が付いたわね」
「レティ、聞こえなかったの?」
「恥ずかしながら、ね」
不思議そうにこちらを見てきているマサキだが、私は必要な時に、必要なだけ相手に与えて、力を貸してもらっているだけに過ぎない、私に比べて、マサキの方が遥かに高みにいる。
彼女の場合、念じるだけか考えつくだけで即実行できる精霊を扱える。
一方的に、強制力を持ってだ。
そのすごさに当人が気が付いていないから、好き勝手に精霊を使ったりしないのかもしれないのだけど。
マサキが優しいからなのも大きいだろう。
好き好んで人を傷つけたりはしない。
しかし、この返ってきたものをどうしようか。
返ってきた送受信機を手に持ち、考える。
今のままでは動かない。
動かすための力がない。
「これどうしたら直るのかしらね」
二人に聞いても頭を悩ませるだけで返事はない。
一番に閃いたのはマサキだった。
「レティって術式使えたんだよね?」
「使えるかどうかなら、使えるわ。まだちゃんとしたものは組んだことがないのだけど」
「なら、術式で組んでみたら?」
なるほど、と納得してしまった。
確かにその手があった。
しかし、映像の送受信を行うのであれば、複雑なものになるに違いない。
どんな組み合わせにしたら、正しく動くのか理解していないといけない。
大変なことではあるが、同時にいい暇つぶしになるだろう。
「そうね、やってみようかしら」
「なら、受信する方もお願いね、レティシア」
ユリナが私に笑いかけて、立ち上がった。
「あなたたち、どこかに行くの?」
「温泉。これから真咲と湯船掃除しにね」
マサキはちゃんと責任をもって、温泉の方を切り盛りしてくれているらしい。
任せて正解だったと今なら言えるだろう。
「垢が浮いていたりしたら嫌じゃん。それにベタベタしてたりも無理だから」
「アタシだって、っていうか、みんなきっと嫌じゃん、そういうの」
二人はそう言いながら、扉の方を向かって行った。
彼女たちが扉に手をかけたタイミングで、思い出したことがあった。
「二人とも」
二人して振り返る。
マサキは首を傾げて、ユリナは何か用があるのかと言わんばかりに眉が歪む。
「夜、声を落とした方がいいわよ?」
「へ?」
マサキの顔が一気に赤くなった。
ユリナはニヤニヤといやらしい笑みを浮かべて、こちらに向き直る。
「盗み聞きとは感心しないね」
「人の話し声ならよく聞こえるのよ、私達魔族には、ね」
「ききき、聞こえてった、え、あ、え」
マサキは真っ赤な顔で、壊れた人形みたいにがくがくと動いている。
チラリとユリナはマサキを見ると、何か思いついたかのように、笑みを深くした。
「それでどうして声が落とした方がいいの? どんな声が――――」
「ゆりな!」
マサキがユリナの発言を遮り、そのまま手でユリナの口を手で抑えてしまう。
「き、気を付けるから、これから」
「ええ、私達じゃなくて、ジェシカにも聞こえてるかもしれないからね」
「なっ!?」
壁が薄いわけではない。
マサキの声がよく通るのと、屋敷内が静かなせいで響いて私のところにも聞こえるのだ。
だから、あんまり大きな声でしていると、ジェシカに丸聞こえになるわよ程度のことだったのだが、マサキは全身力んで、鎖で何とかドアノブを回そうとしているが失敗している。
ようやく開けれたところで、逃げるように扉の向こうに行ってしまう。
けど、そのまま去らずに顔を覗かせた。
「き、気を付けるから……」
本当に小さくて、ギリギリ聞き取れる小さく呟かれた言葉。
そして、マサキは影に引っ込み、扉が閉められる。
だが、扉の向こうで、マサキがユリナに何か詰め寄っている様子であるが、本気で怒っているわけでもない。
二人の仲のいい声を聴きながら、作業を再開させることにした。
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夜、もう領民たちみんな温泉に入り終わった様な時刻に入りに行くと、マサキとユリナが入っているところだった。
すっかり二人の雰囲気を邪魔することになったので、さっさと済ませてしまおうとしたのだが、なぜだかマサキに捕まり、ゆっくりと温泉に浸かることになってしまったのだった。
二人とは屋敷に戻ったところで別れた。
私はリビングルームにアユムの書物を持ち込んで、目を通していた。
送受信機の改造と、受信機の作成。
難易度は高いだろうが、アユムが残してくれた術式を元にしたら出来そうな予感はある。
さて、と手を付けようとしていると、リビングルームにジェシカが入ってきた。
「あら、もう寝ていると思ったわ」
「一つだけ聞きたいことがある」
不躾な物言いは変わらない。
一応、アンナから勇者の装備を取り戻したようで、精神的にも変化があったらしいが、私への対応は相変わらずだ。
「元勇者のあいつは何を見ている。どうして私に稽古なんて付けているんだ?」
「一つじゃなかったのかしら?」
笑みを向けると、彼女はキッと睨みつけるように鋭い視線を向けてきた。
「いいわ、答えてあげる」
ここで意地悪して暴れられても困る。
だけど、私は従者の契約はしているが、ただ一緒にいるために結んでいるだけで、縛ってはいない。
「私にも分からないわ」
正直に答えた。
心の内まで分かるわけがないし、その心を暴き立てることもしたくない。
だって、私がされたくないことを相手にするのは公平ではないから。
「……期待した私がばかだった」
言い捨てて、背を向けたところでそのまま進まずに立ち止まっていた。
「あいつは勇者としての思いは本物だ。レーデヴァインたちに残っていた思いの欠片が教えてくれた」
苦虫を嚙み潰したような顔をしている。
「だからこそ、分からないんだ」
私にも分からないから答えることは出来ない。
だから、私もジェシカのつぶやきには何も答えないでいた。
ジェシカはリビングルームに出て行った。
残った私はこれ以上術式の作業をやる気が絶えていることに気が付く。
明日もやることがある。
だから、私も今日は練ることにしよう。
書物をまとめておけば、あとでアルフレッドが片してくれるだろう。
私は必要なものをまとめてテーブルの片隅に置いておいた。
リビングルームを出て、自分の寝室に向かう。
長い一日だった。
朝から色々あり、やっと終えることが出来る。
明日は明日でやることが山のようにあるのだ。
自分の寝室の扉を開けて、ベッドに入る。
明日のことを思い、目を閉じることにした。
謝辞
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