百十話 プロポーズ
「真咲、話がある」
彼女の隣に座ると、彼女が可愛らしく首を傾げていた。
私が隣に座っているというのに彼女はずっと手の匂いをすんすんと嗅ぎ続けていた。
何が匂うのか分からないが彼女はずっと嗅いでいる。
「真咲、どうしたの?」
「……匂うかなって、血が」
「匂うの?」
「うん、血の匂いがするかも。それになんか血が付いてる感じがするし」
綺麗な手のどこに血が付いてるのか、私には見えない。
きっと彼女にはその手にべっとりと血が付いてるのが見えているかもしれない。
けど、それはただの幻覚だ。
「ごめん、やっぱりちょっと手洗ってくる」
そう言って、立ち上がった真咲の手を私は掴んだ。
「ゆりな、離して。ゆりなの手まで汚れちゃう」
もうとっくに汚れてるのに、何をいまさら。
「じゃあ、私の手も嗅いでみて。私もいっぱい血が付いてるはずだから」
真咲の手が汚れているなら、私の手も汚れているはず。
だって、私はあんたの何倍もの人を殺したんだから。
「ゆりなの手が汚れてるわけないじゃん」
「いいから、嗅いで」
私がそう言うと、真咲は私の手を取り、臭いをかぎ始めた。
人には見られたくない事ではある。
ちょっとだけ恥ずかしさがあるのだが、今は我慢だ。
匂いを嗅ぎ終わった真咲が私の手から顔を離す。
「全然匂わないよ」
「私の手は血で汚れてる?」
「ううん。全然」
それもそうだろう。
私たちは今日も温泉に入ってきたんだ。
汚れているわけはない。
「だったら、あんたの手も汚れてなんてないわよ」
「え?」
「もう何日経ってると思うの? 温泉にだって何回も入ったし、手なんて数えきれないほど洗ってる。あんたの手が汚れているわけないじゃない」
「けど、けど、けど、こんなにも匂うよ、血でべとべとするよ」
「匂わない。何度でもいう。あんたが現実と向き合う必要があるなら、私は何回も言う」
彼女の瞳が何かを探すように左右に揺れる。
「真咲、あんた何人殺した?」
「え?」
「何人殺したって聞いてるの」
「さ、三人だけど……」
私は笑みを浮かべた。
「私はその五倍以上の人を殺してるわよ? けど、私の手には血の匂いも感触もない。なんであんたにあって、私にないの? おかしいとは思わない?」
私が平気でいられるのは別に精神的に強いというわけでもない。
人も傷つけたくないし、傷つけるなんて発想もない、ただの女の子だったはず。
違いがあるとすれば、私はここにきて箍が外れてしまったというところだろう。
今までずっと悩んでいた。
だけど、最初の一人をやったところで、そんな物どこかに飛んでいってしまった。
一人も十人も変わらない。
私は人を殺せるんだ。
やっと、復讐が出来る。
私を呼んだこの世界に。
彼女を傷つけたこの世界に。
躊躇いはもうない。
殺せる力を持って、振るう心も備わっている。
私は殺しを厭わない。
これから必要があれば、私は躊躇わずに処理をしていくだろう。
そんな確信めいた気持ちがある。
「けど、ゆりなにはないけど、アタシからは匂って、それに手に感触が」
「現実を見ろ、関口真咲。あんたから血の匂いも、血が付いてるところもないんだ」
「そんな事……ないよ」
「目を背けるなって」
そうやって、彼女の手を握る。
彼女は私の手から逃れようとするけど、この手は決して離さない。
「あんたの手が汚れてるなら、私のだって、汚れるはず。ほら、見なさい、真咲。私の手は汚れているの?」
「……」
真咲がじっくりと握った手を見つめている。
それでいい。
もっと見なさい。
「汚れちゃうよ、ゆりな」
「真咲、私は事実を言えって言ってるの。汚れてるの? 汚れてないの? どっちなの?」
可能性の話をしているわけじゃない。
そんなものは今は必要ない。
必要なのは事実だけだ。
「汚れて……ない」
肩の力が抜けて、息が吐きだされた。
ずっと怖い顔をしていたかもしれないぐらい、自然と頬が緩んだ。
「だったら、あんたの手は汚れていないし、汚いところなんてないの、分かった?」
「うん……」
私に手を引かれるままゆりなはベッドの縁に座った。
その顔は沈んでいるのか俯いていて、表情までははっきりしない。
「アタシ、手まで汚れちゃったんだ。体もこんなにされて、アタシ……」
私からそこに関して言えることはない。
その体は全部私のせいだから。
体の傷も、汚れた手も私が全部そうさせた。
真咲は温泉に入るのを最後か最初に決めている。
その体を人に見せたくないからだろう。
「バカだよね、アタシ。後悔なんてしないって思ってたのに、あの時ゆりなを見捨ててればよかったんじゃないかって、そうすれば、アタシはこんな風にならないで良かったんじゃないかって思っちゃう」
顔を上げた真咲は、口を閉じて、瞳に涙を貯めていた。
そんなことで悩まなくてもいいのにと思うと同時に、何も変わらない彼女に安心感すら抱いてしまう。
「その通り、私なんて見捨てて自分一人助かる道を模索してればよかったのよ」
「だけど……!」
「そう、あんたにはそれが出来ない。だから、私がはっきり言ってあげる。あんたは同じことが百回あったとしても、百回同じことをする。真咲、あんたはそういう人間よ。ジェシカやアンナさんよりも、私にとってはあんたが一番の勇者様よ」
真っ直ぐ見つめて、吐き出された言葉。
真咲は驚き硬直してしまっている。
けど、瞳は外さない。
じっと穴が開くほど見つめ続ける。
少し頬を染めて、視線を下げながら真咲の口が動いた。
「勇者なら、もっとカッコよく助けたかったなぁ……なんて」
「十分格好良かった。他の人には真似出来ない」
不安そうに顎を引いて上目遣いでこちらを見てきた。
「……そうかな?」
「そうよ」
真咲の前に立ち、力いっぱい持ち上げる。
魔族の体ってすごいわね。
私に持ち上げられて驚く真咲には目もくれず、そのまま押し倒す。
私はナイトウェアの裾を踏まないように真咲の上に乗った。
「ゆりな?」
「真咲、あんたの体は汚くもないし、汚れてもない」
そう言って倒した真咲のナイトウェアの裾に手を入れる。
真咲は驚いて、声も出ないようだ。
それでも私は止める気はないんだけど。
「女同士は嫌い?」
「嫌いっていうか……ゆりなってそういう系だったの?」
「嫌いか好きかの二択を聞いてるんだけど」
「嫌いじゃないけど……好きかどうかなんて分からないんだけど……経験ないし」
「私も経験なんてない」
真咲のナイトウェアの裾を上げてしまう。
服に隠れていた真咲の綺麗な体が現れるが、真咲は苦痛のように顔をゆがめてしまっていた。
「やっぱり嫌だった?」
「嫌じゃない、けど、やっぱりゆりなにもあんまり見せたくないよ……こんな汚い体」
素肌には多数の傷跡に火傷の痕が残っている。
日本だったら痕が残らないように治療が出来るかもしれないが、ここでは無理だ。
麻酔もまだない、医薬品もままならないこんな異世界ではこの子の体を癒すのはどれだけ待たないといけないのか。
いや、生きている時代では無理な話だろう。
一つの傷痕を指でなぞる。
「くすっぐたいよ、ゆりな」
それでも止めない。
私には愛おしく感じるから。
「どうしたの、ゆりな。今日のゆりな、変だよ」
「変かもね」
真咲に微笑む。
緊張を誤魔化そうとしているけど、心臓はさっきから早鐘を打つ。
「ねぇ、真咲」
「なんですかー?」
さっきまでの悲壮な雰囲気はどこにもない。
おどけた調子になった真咲。
「私と結婚しない?」
「はー……え?」
真咲の動きが止まって、魂がどこかに飛んでいってしまったかのように呆然としている。
そういう反応にもなるだろう。
真咲ならしそうな反応だと思っていたけど。
「えっと、アタシとゆりなが結婚するかってこと?」
「その通り」
真咲にしては呑み込みが早い。
ゆっくりと顔色が赤に変わっていく様子を眺めている。
「女同士が好きか嫌いかって、だから……けど、でも、私」
「他に好きな人がいるの?」
「いや、出会いとかないから、それはないけど……」
「けど?」
「私こんな体だし、好きになるところなんて」
「じゃあ、好きなところ全部言ったら言いわけ?」
「いや、あの、それはそれで恥ずかしいから止めて!」
「じゃあ、どうしたら信じてくれる?」
真咲が考え込む。
私はゆっくりと彼女の体を味わうように触る。
魔族であるが、血の量も少ない。
そのせいで吸血衝動なんてないに等しいのに、彼女の体に噛みつき血を吸いたくなる気持ちが湧いてくる。
彼女の白い肌に牙を立てて、彼女の血を吸いたい。
「ねぇ、ゆりな」
「何?」
「牙見えてるんだけど……え、どういうこと?」
「説明してなかったっけ?」
自分の中ではもう説明したことだと思っていた。
なんかいろいろごたごたしていて忘れていたかもしれない。
だから、真咲に魔族になった経緯を説明した。
長い話でもないけど、彼女は真剣に聞いてくれたのは嬉しかった。
「そうだったんだ……」
「それで、何か?」
「あーうん……」
歯切れの悪い答えだ。
真咲が考え込んで、恥ずかしそうにこちらをちらちらと見てくる。
「じゃあ、じゃあ、これだけは約束してほしい。それ守れるなら、私、ゆりなと、してもいいよ。その、け、結婚とか?」
「何?」
「……私が死んでも私と一緒にいて」
意味が分からなかった。
全く意味が理解できない。
死んでも一緒にいるってどういうことだ。
「どういうこと?」
「死んじゃうまで分かんないけど、もしかしたら、私精霊になるかもしれないから」
なぜという疑問が浮かぶ。
どうして、彼女にそんなことが起きているのか。
いや、変化はあった。
あの髪か。
あれでもしかしたら、神造兵装が正しく動き出した証とかそんなことかもしれない。
「それでだめかな……?」
「いいよ、それぐらい」
それぐらいたやすいことだ。
なぜなら、私はきっと真咲よりもうんと長く生きることになるだろうから。
しかし、そんな私の言葉に真咲は不満げである。
「どうしたの?」
「……プロポーズってもっとロマンチックなの期待してたから、なんかちょっと違うかなって」
だから、私は体を起こして真咲の体を上る。
そして、耳元に顔を近づけた。
「指輪もまだ用意してないから次はちゃんとする」
「うん、お願い、ありがとう、ゆりな」
顔を上げて、真咲と見つめ合う。
どちらからとか合図もなしに、真咲が目を閉じる。
ゆっくりと彼女の唇に私の唇を重ねた。
謝辞
いつも読んでいただきありがとうございます。
いいね、評価、ブクマ、誤字報告もありがとうございます
これからもどうか、本作「美少女吸血鬼の領地経営」をよろしくお願いします