百九話 私は彼女が傷つく姿をずっと見てきた
関口真咲との出会いは薄暗い牢の中だった。
汚い包帯で目を覆い、腰が引けた歩き方をしていた彼女だった。
ただ、ここでは見ない髪色に興味を示した。同じ牢に入れられてたのもあったわけだし、同居する人とは仲良くなっておきたかったし。
日本人であれば気が付くだろうと思って、試しに手の甲にひらがなを書いてみる。
最初は真咲も反応が薄かったのだが、徐々に理解すると、大はしゃぎするように喜び、様々なことを話した。
あんまりうるさいと牢の見張りに鞭で打たれるから、声量はかなり抑えめであったが。
私が牢から連れ出されると、あの領主に散々な目に遭わされた。
声が出せないのを良いことに、好き放題殴ったり、鞭打ちにしたり、炙られたりとそれはもう楽しそうにいたぶってくれた。
「やめてほしければ、懇願してみろ」
出来るわけないのを知りながらも、私の頭を足で踏みつけて言ってきたあの男の顔は生涯忘れないだろう。
牢の中に戻された私は生きているのがやっとの状態。
それもそうだ。
限界のギリギリ、別の男に止められていなかったら、私はきっと死ぬまであの男の暴力にさらされることになっていたのだから。
真咲はそんな私の姿を、いつも「酷い」とか「こんなにしなくても」と嘆いてくれていた。
目を抉り取られて、見えないはずなのに。
そんな彼女が突然の行動を起こした。
「アタシが彼女の代わりになります」
止められなかった。
今まで声を出せなくて後悔したことはあった。
けど、これほど恨んだことはない。
真咲は私の代わりに連れていかれて、散々いたぶられて帰ってきた。
やっとのことで生きている。
そんな体でだ。
声をかけてあげられない自分が情けない。
私が受けるべきだった暴力を彼女が代わりにその身に刻み込まれて行っていく姿は見るに堪えないものになっていく。
ある時は、全身を赤くはらして帰ってきた。
肌が切れて、出血している箇所も多数あるが、ここには満足に傷を癒すものはない。
股から血を流して帰ってきたこともある。
彼女はしばらくの間、泣いていた。
女性の尊厳を踏みにじる行為に怒りしかない。
真咲の体が傷つき、優しく綺麗な心を壊していったのは全て私だ。
私がこんなことになってなければ、彼女はここまでボロボロにされることはなかったはずなのだ。
そうして、私たちが出荷されるということを言うの聞かされた。
私たちに飽きたから売るそうだ。
勝手すぎる言い分だ。
到底許されるはずがないのだが、私たちに今の状況を打破する術はなかった。
好機が訪れたのは出荷すると言われていた三日前。
アルフレッドさんたちが来た。
薄暗い牢の中から連れていかれたのは大きな屋敷。
清潔な部屋で、私も真咲も綺麗に拭かれて、傷の手当てをしてもらった。
レティシアに出会い、私は口を、真咲は目を治療してもらって、ここでの生活が始まり、全ては上手くいく。
そう思っていた。
真咲と一緒の部屋で寝起きするように言われて、大きなベッドで一緒に寝ることになった。
薄暗い牢の中で散々一緒に寝てきたので、今更抵抗感もない。
夜、真咲は暗闇を非常に恐れることが分かった。
部屋を明るくしていないと彼女は眠りにつけない。
「ごめん、ゆりな。暗いと思い出しちゃって、頭がそれで、いっぱいになっちゃって、ごめんね」
謝ることでもない。
それだけの仕打ちをされてきたんだ。
トラウマにだってなる。
「手つないでいてもいい? 目閉じると、本当はこっちの見えない状態が本物かも知れないって、そんな事ないのに、思っちゃう。バカだよね、アタシ」
「好きにしたら? 抱き締めてあげよっか?」
私が抱き締めてあげようかと言ったのに、私が彼女に抱き締められていた。
それで彼女が眠れるのであれば、文句は言わない。
私は彼女がいなかったら、死んでいた存在だからだ。
真咲がいたからこそ、私は今こうして話したり、笑いあったりと色々なことが出来るんだ。
だから、これぐらいいくらでもしてあげよう。
ただ、私でもどうしようもないことはある。
それは彼女の負った体の傷だ。
裂けた皮膚とかはちゃんと治療をしてくれたので、分かりにくい傷になってくれた。
けど、問題は真咲が踏みにじられた女性の尊厳たる場所だろう。
それを含めて真咲には治せない傷が多数ある。
温泉に入るようになり、鏡が屋敷に設置されるようになり、自分の傷ついた体を、他人と違う体になってしまったものを見るたびに彼女は傷つき、私にはバレないように陰でこっそりと泣いていた。
それでも真咲はみんなの前では笑っていた。
ボロボロに傷ついた心で、彼女は笑う。
私は信じていたんだと思う。
これから時間をかけて、どれだけ時間がかかるか分からないけど、いつかは、きっと彼女の心をゆっくりと癒してくれるんだろう、と。
実際、夜の症状とかに変化は大きくなかったのだけど、それでも陰で泣くようなことは私の知る限りではなくなっていた。
安心した。
それだけでもいい変化だと思って、彼女を見ていた。
女神様がいたのなら、なぜ彼女にばかり試練を与えるのか。
恨まずにいられない。
先日の戦い。
彼女は初めて人を殺した。
戦いが終わり、汚れた体を綺麗にしようと、壊されることなくしっかりと残っていた温泉に行った時のことだ。
私も真咲も体を洗っていた。
私は洗い終わり、湯船に行こうと思って真咲の方を見ると彼女はまだ熱心に洗っていた。
まだ洗っているならと湯船につかって真咲の方を見るがずっと洗い続けている。
「真咲、もう良いんじゃない?」
「……血が取れてないから」
取れているように見えるが、真咲には何が見えているんだろう。
その時はそれぐらいの認識だったのだが、これが大きな間違いだということに次の日気が付いた。
レティシアはまだ目覚めていないのだが、それでも村の復興の手伝いをしようと屋敷を出たのだが、彼女はずっと鼻を鳴らして手の匂いを嗅いでいた。
「何してんの?」
「……血の匂いがするような気がする」
そうして、村に着くまでずっと匂いを嗅いでいたのだが、村に着くや、
「ごめん、ちょっと手洗ってくる」
それだけ言い残して、彼女は水をためてある瓶の方に駆けて行った。
手を洗っている彼女をこっそりと観察する。
彼女は泣きながら、手を洗っていた。
「何で、何で、何で」
もう綺麗なはずの手が赤くなるぐらい必死に手をゆすいでいる。
「血が取れないの、こんなに洗ってるのに」
彼女の目には私に見えない血が見えているんだろう。
平気に見えたあの戦いは真咲の心を大きく傷つけたのだ。
彼女の優しさが、彼女を苦しめている。
人を殺したことで彼女のボロボロな心は崩れてしまった。
もう真咲の心は本当の意味で壊れかけている。
いつまで持つか分からない。
ふとした拍子に気が付かないうちに彼女のあの笑顔は永遠に失われることになると思えば、怖くなった。
私にとっては彼女がどれだけ支えだったのか。
私が今こうして立っていられるのも真咲がいたからではないか。
そんな私が真咲の力に何もなれていない事実が辛くのしかかる。
だから、決めたことだ。
その関係に愛はあるのかとか、同情ではないのか、と言われるのは分かっている。
けど、愛ならこれから育んでいけばいい。
同情でもいいではないか。ずっと見てきた私だから彼女を支えたいと思っているのは何もおかしいことではないはずだ。
後ろ指を指されることになるかもしれない。
それが、彼女をさらに傷つける行為かも知れない。
だけど、それでも一つだけ彼女の心を癒せることだと分かっているから、私はやる。
真咲、あんたは幸せになる必要がある。
人のためにあれだけ自分を犠牲に出来るあんたは、幸せになる権利があるはずだ。
いいや、なくちゃならない。
絶対に幸せになるべき人だ。
知っておいて欲しい。
私はあんたが不幸になるのであれば、そんな運命を引きずり込んできた女神だろうとその座から降ろして殺してやれるということを。
寝室の扉を開けると、そこは随分と風通しのいい部屋になっていた。
窓は割れて、穴が開いている。
これが氷の季節だったら、寒さで凍えていただろうが、暖かい季節だ。
気持ちのいい風が入ってきて、過ごしやすくなっている。
虫が入ってくるのが玉に瑕なのだが。
ベッドの縁に彼女はいつもナイトウェアを着て座っていた。
鎖の先端がほのかに光、部屋を照らしている。
「真咲、話がある」
彼女の隣に座ると、彼女が可愛らしく首を傾げていた。
謝辞
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