第10話「糸に導かれて」
世界とは神の状態であり、神は72の名前で、72番めの世界に我々の物質世界となったのであれば、73番めの世界への変質は今まさに起こる現代の人間の変化の強さと似るものがあるのではないでしょうか?
〜著ミコラーシュ・フラメル“73番めの秘蹟”〜
相部屋だった誰かと話した。
病院の中庭のベンチだ。
潮混じりの風、海が近い。
「フラメル博士を知っているとは驚きだ。キチガイだからな、あれは。だが天才だ。ミコラーシュ・フラメルは、陽本で何かをしていたのだろうさ。陽本で死んだんだからね」
嫌に声の枯れた男が喉を掻きながら、
「最後に見たときは、癌細胞に興味を示していたな。発電癌細胞て知っているかい? ジオフロントを肉塊で満たして、クソを喰わせてエネルギーを作ろうてのがあったのさ。
まあ普通のありきたりになってるな。軍病院は龍骨山脈に近いんだ。都市に出られる汚染レベルの低い人間、移植しなければならない人間が沢山いてもドナーなんてシャバでも不足しているものだ。人間でなくなるて言うものは多い。
73教は慰めだろう。別種になることが当然なんだと。病院には信者が多い。73番めの世界、新しい世界の新しい人間なのだからおかしいことはない。そう思いこもうとな」
真守優希は目を包帯で覆っているのでどんな人間かわからない。少し声が高いが、男と言われればそうも聞こえる話し方の誰かだ。
「有意義な時間だったよ。俺は退院だが、電話番号のメモを残そう。楽しかったよ。またいつか、メカを話しあいたいものだ。……だけど、もっとも楽しかったのは神への認識だ。意外といないからね」
革靴の固い反響、スーツの擦れる音が遠ざかった。
「何の話をしていたのですか?」
「オカルトですね」
声だけでキーラとわかる人間が椅子を引いて腰掛けるのを聞いた。だが足音はもう1つだ。
「キャロ!」と優希がクイズに答えた。
「正解だな」とキャロは少し上擦った。
「それで、オカルトは?」
と、キャロは話の先を聞きたがった。
「簡単に言えば、絶対にありえないと思いこむことを仮定したとき、人間はどうやって受け止めるべきかということです」
「……例えば?」
「科学的に神が証明されたとき万人は全て神を信じるうことができるのか、神話が事実であるとき現代の矛盾はどうなるのかとか、仮定の話です」
「オカルティストじゃん」
「博識でしたよ」
「インテリてのは人間の心がないサイコパス予備軍だ。半分は人間じゃない」
「キャロ、酷すぎです」
「目はいつ治るんだっけ」
「そうやって誤魔化す。経過を見ながらですが、外しても大丈夫そうです。破裂していた眼球に水分も溜まってちゃんと形にはなっているそうですよ。見ますか?」
「キモいからいい」
「キーラは?」
「エグいの嫌い」
「……グーラ16の2人はどこにいるのですか? 重傷なら見舞いくらいしたいものです。目がイカれているわけですけど」
「面白いジョーク」
「連中、ボロボロだけど元気にやってる。看護婦に殴られていたけど」
「何をやったんですか」
「夜な夜な無断でエレベーターを使って抜け出そうとしたところを捕まってた。昼間は目立つから寝てる。骨が何箇所も折れてるのに病院や周辺を探検だか偵察だかなんとか。
あぁ、猪を狩ると言ってた。メシが不味いと罵倒したから脳天に一撃。ロボットに給餌されてたな」
「馬鹿ですか」
「それと『原隊』から病院に通知が来たみたい。かなり白い目で電報を渡されたよ」
「遠回しに死ねと言われているんですかね」
「北はもう少し賢く紳士だから、帰してくれると約束はしてくれたけどな。生きた心地はしないわな」
優希は、肌寒い風に吹かれてくしゃみした。
「夜がくるよ。冷えても面白くない。ぬくぬくのに帰ろうじゃないか。外国旅行だと思えば悪くはない。そうだろう?」
キャロが無造作に優希の手を引いた。目の見えていない優希は突然の力にふらついたが、なんとかバランスを保つ。
「任せるよ、キャロ。頼りにしてる」
「優希」とキーラが言ったが、
「キーラ」
優希は自分の唇に人差し指をそえた。
「……わかった」
病室まで、キャロのエスコートだ。
潮混じりの風が吹いていた。
「目が見えるようになれば、海に行こう。病院からは海が見えるんだ。釣り人もいて、魚を釣っている。病室の窓からも海が見えるんだ」
と、キーラは足がもつれて倒れかけた優希を支えながら、
「海か」
「同じこと考えました?」
「……いや、何も?」
キーラは白々しい。
優希は確信していた。
「どゆこと?」とキャロが聞いた。
「戦艦ですよ。戦艦の主砲なら、流石のマンモスも一撃で砕くことが可能でしょう。駆逐艦並みでしかない並みの自走砲の榴弾よりも遥かに分厚い弾殻です」
「せ、戦艦?」
キャロの声がうわずった。
優希はおかしさを含んで、
「私は戦艦扶桑が好きですね」
「なにそれ」
「1916年、陽本帝国海軍が第一次塔州大戦最大の艦隊戦に投入した4姉妹の長女です」
「女の子なんだ」
「シップは彼女と呼びますから」
「豆知識だ。優希はオタクだな」
キャロは呆れた声だ。
「男は戦争か兵器の話しかできないのか? 女子は恋愛話とか好きなんだ」
「嘘ですよね」
優希は笑った。
キーラが話題を少し戻して掬った。
「扶桑型戦艦は扶桑、山城、伊勢、日向だな。ジェットランドでは4隻とも大破したは沈みはしなかった。
でも2度の大戦を生き残ってクラ海峡戦争で運河に艦砲射撃している最中に、最後の扶桑型姉妹が生き残っていた」
「キーラさんは博識ですね。1973年です。扶桑型の扶桑が対艦ミサイルに轟沈して姉妹は全て戦没しました」
「最初で最後の先制核兵器を使った事例だね」
「先制と言ってもクラに運河を作る為です。1897年、ピクトべスクがクラ海峡を開削しましたが、レセップスは政治から半端なものしか作れませんでした」
優希の手を握る力が強まった。
キャロは硬く握り、強く引く。
「そうですね。ネットには繋ぎましたか? 病院ですから端末で繋ぎ放題ですよね。私は見えませんが、看護婦さんが医療用のアシストスーツやロボットたちもいるはずですよ」
「アイちゃんとか言うAIに道を聞いた」
と、少しムスッと不機嫌なキャロが、
「アイなんて名前、ありふれているよな? 猫のタマくらい聞き飽きた名前!」
優希の足裏の感覚が変わった。
中庭の草と土の柔らかさから、テラスのコンクリートの固さ、病院の通路の冷たいツルツルとした反発が伝わった。
「段差ある」
「気をつけます」
──夕飯、魚系だ。海が近いから地物かも。
優希は嗅ぎながら腹を小さく鳴らした。
「思ったのですが」
「なんだいー?」
「どうした?」
「私だけでなくキーラやキャロも入院している形ですよね。看護婦さんとか大丈夫なんですか」
「ヤバいよ」とキャロは言った。
トレーが片付けられた。
かちゃかちゃと音を立ててさげられていく。
相部屋の幾らかは、不味いと言って大嫌いな食べ物から逃げようとしていた患者が、恐怖の看護婦に給餌されているような音も響いた。
「よっ……おあっ」
目に包帯のまま、手探りでベッドを降りた。
優希も少しは間取りを覚えているのだ。
壁を探しあて、手摺りを見つけ……
「いたっ」
少し見誤り壁にキスした。
「何をやってるんですか!」
看護婦が、派手な衝突音と鼻の中を裂いて血を垂らした優希に駆け寄った。
「すみません。電話をしようと思って……」
「電話? わかった! 付いて行ってあげる。ドク! ちょっと外します」
少々乱暴な応急処置で鼻血は止まった。
優希は「鼻を摘んでて」と言われたのを守りながら、受話器に耳を当てる。
──本当は許可がいるけど、鼻血を流してたから何も言われなかったな。許可は下りているはずだ、と思い込んでたけど。あんまり良い方法ではない。
呼び出しが止まった。
相手が電話を取っている。
「もしもし」
「車の足が欲しい」
電話の先で強い舌打ちだ。
「丁寧にダイヤルを回してはいないだろう。番号はインプラントから組み立てたものだ。繋がった相手は信じられないがな」
「話を進めよう。WT、山岳地帯の走破ができる装備のものを4両」
「特別な価格で色を付けるが、法外にふっかけるつもりもない。用意しよう。支払いはどうする。金がないことには話にならない」
「組織がライバル組織のボスを消したとき、支払いをケチったうえ暗殺者まで送り込んできた不義理の貸しを清算したくはないか?」
「……」
「それと、抗争の尻拭いをしてやる。組織同士の顔を繋いでやる。うんざりしているだろう?」
「ダーティな仕事ばかりで稼いでる悪党だな。わかった。受け渡しはどうする?」
「プレゼントボックスは開けるまで神秘的であるべきだ。大型トレーラーに格納して持ってきてくれ。座標と時刻はあとで指定する。装備を整えることができたら電話してくれ」
「病院!? 合流は無理だ」
「腕の良い連中であることを願うよ。トレーラーは返却するが、余計な準備分の対価はなんとかしよう」
優希は受話器を置いた。
「ずっと受話器を耳に当てていただけど、繋がらなかったのか?」
パジャマ姿のお姉さんが、悲しそうな顔で声を掛けた。優希は、
「嫌われているようです」
「なら、ネットゲームをしよう。男は歓迎だ」
「目的は“それ”では?」
「入院生活に華を付けてくれるとな」
優希は黄色い歓声に迎えられた。
オープンスペースに集まっている女患者たちはみんな傷痍……戦いの傷を負っていた。
尊敬するべき人間を無碍にはできないのだ。




