短編 花
練習のために書いたものですが、何かを伝えられれば良いなと思い、投稿いたします。
室内には鋏の音が響いている。開け放たれた障子から見える庭木と春の風景が、何かを囁きかけているのに私には分からない。それは草や花が喋らないと考えてしまっている為で、ちゃんと耳を傾ければ聞こえますよ。先生は穏やかな口調で答えてくださる。
何か習い事をしなさい、と厳しい口調の父。好きなことが見つかると良いですね、とどこか他人事のような母。その間に私は立っていた。周りの子がピアノや習字、外国語などを習っていて羨ましいと言ったのがきっかけだった。無料で体験出来るという華道教室に母が申し込んでくれたのだ。初めて見る花や道具に驚きながら、先生の言葉をしっかりと聞く。あまり難しく考える必要はなく、自分らしさを形にすることが大切なのだと分かりやすい言葉で、ゆっくりと伝えて下さる。
その日の生徒は私一人だけだった。無料体験というと興味や関心のある人がたくさん来るイメージだったけど、そうでもないのだと先生は悲しげな表情で言った。フラワーアレンジメントや色彩検定、副業として役に立つものは人気があるが、華道の場合には難しいのだという。そんな所まで考えていなかった私は、まず何をすればいいのかの手順すらも分からない。
まず、どんな風に作っても構わない、自由な生け方でいきましょうと提案される。花器……器に剣山を置いて、その上に自分の置きたいものを重ねていく。それは枝であってもいいし、自分が作りたいと思うものなら何を使っても良い。ただ、花や木を大切にして下さいね、と先生は付け加えた。
「ここに並べている中に無ければ、近いものを持ってきますので、何でも仰ってくださいね」
安心するような、外から差し込んで来る太陽の光のように微笑む先生に、私は自然と「ありがとうございます」と答えていた。
いくつかの器のうち、白い二つの花器がどうしても気になる。他の色や形はあるのになぜ気になるんだろう。木製のテーブルの上に並べられた物の中から、丸い方を手に取る。川原の石のような冷たさが心地よい。もう一つの正方形の方を手に取ると、なぜか緊張してしまった。ゆっくりと落とさないように机へと戻すと、丸い方を手にとって席に戻った。
目の前にゆっくりと置く。この円の中に何を入れたらいいんだろう。周囲を見渡して気になるものを探す。ふと、見覚えのある花が目に入った。
白とピンク色が枝の上に散りばめられている、名前はなんと言うんだろうか。結婚式のブーケで見たことのある小さな花。ここにある他の花は全部一色なのに、これだけは一本がグラデーションになっていたり、互い違いになってたりする。気がつくと、その束の中から三本だけ持って席に座っていた。
花が落ちてしまわないよう、新聞紙の上に静かに置いた。剣山を取ってきて器の中央に置く。五百円玉ぐらいの大きさにびっしりと生えたトゲ。間違って踏んでしまったら怪我では済まない、危険なもの。正しい置き方があるのか不安になって、自分の席を立って先生の作っているものを見に行く。
ぐにゃりと曲がったねずみ色の器の中に、白い大きな花が立っている。木と花の両方の良いところが、私と同じ時間しか経ってないのに表現されている。その根本に置いてある剣山は私が選んだものより大きくて、四角くて、トゲも長い。昔絵本で読んだ針山地獄を思い出してしまった。
「どうかされましたか」
「ええと、剣山の置き方が分からなくて」
先生はゆったりと席を立ち、私の器の中を見る。
「なるほどね、ちょっと待ってて」
襖を開けて何かを取りに行ってしまった。一人ぼっちになってしまった私は、もう一度先生の器をこっそり観察する。
よく見ると、真っ直ぐではなくほんの少しだけ斜めに刺さってる。倒れないのかな、この後はどうなるんだろう。この白い花はどんな気持ちなんだろう。質問したいことがあるのに先生が居ない、居てもちゃんと聞けるか分からない。
襖の開く音がした。
「ごめんなさいね、お家にもあるものをと思って」
先生が手に持っていたのはキッチンペーパーだった。料理をする時にしか使わないし、こういう時に使うとは予想もしてなかった。
「こうやって」
先生は鋏を持つと、じゃきんと切った。四つ折りにして五百円玉大にすると、私の前に差し出してくれた。
「これを敷いてみると滑らなくなるはず」
「ありがとう、ございます」
この白い花について聞いてみたい、どんな風に作られていくのか気になる。だけど、それ以上に自分の器の中に置いて、どうなるのかを試してみたかった。
剣山を取り出して、その場所にさっき貰ったキッチンペーパーを置いた。席に置かれた、小さな象の形をした水差しからキッチンペーパーに水をかける。少しだけ透明になった紙の上に、剣山をもう一度置いた。置いただけでは横にずれてしまいそうだったけど、今度はしっかりと受け止めてくれそうな、頼もしい存在に感じた。
次はどうしよう。持ってきた花は剣山のトゲ……針に刺さないと立てられない。私でさえ痛そうだと感じるのに、こんな細い茎に刺さったら可哀想で、戸惑ってしまう。
針金だ。すくっと席から立ち上がり、机の端の鋏の隣にあった、針金を取ってくる。一円玉の銀色をしたその線が、三本の花を一本にしてくれた。ぐるぐると巻く時にも、茎を折ってしまわないよう、傷つけないように気をつける。
茎を剣山に刺すかどうかも自由なら、これでも良いんじゃないかな。針に寄りかからせるように、針金部分がひっかかるように剣山へと固定した。手を離しても倒れない事を確認して、もう一度見る。
白とピンク、ランダムに並んでいるようで、全部がそれぞれの方向を見てる。もう少しだけ私を見てくれるように一本ずつ角度を変える。この角度のほうが喋りやすそう。お互いの顔がちゃんと見えないと不安だし、聞いてくれてるかも分からない。だから、ちゃんと顔を見たい。
先生が壁の時計をちらっと見た。少し黄色くなった時計が二時間も進んでいた。
「もう、いいの?」
「はい」
結局、あの後は他の花を剣山に刺さなかった。三本だけでは寂しいかなと思ったけど、もっと多いと見つめてあげられるか心配だった。ふふ、と先生が笑った気がしたけれど、こちらを見つめる表情はさっきのままで、別の誰かが笑ったようにも聞こえた。
「なるほど、ね」
「ええと、これで良いんでしょうか」
「正解は無いし、自分の中にあるもの。あなたが考えて形にした、花から作品にしたの」
先生はゆっくりと、私の後ろへ移動する。見るのに邪魔しちゃ悪いなと立ち上がろうとすると、足が痺れて立ち上がれなくなっていた。
「そのままで大丈夫」
私の肩にそっと手を置くと、そのまま先生が話しかけてくれる。
「これは何をイメージしたのかな。霞草が三本。あなたのご家族と自分自身なのかな」
そこまで考えてなかった。違う、気づいてなかった。ただこの花が気になって置いたんじゃなくて、自分自身だったのかも知れない。三本が寄り添っていて、ちゃんと顔を見てくれて、剣山の上に立っていたとしても針金でしっかりと支えてくれて。
気がつくと、なぜか涙がこぼれていた。
「ゆるやかで、良い作品ね」
私が勝手に作ったものを、作品と呼んでくれた。認められたという感覚は私の涙を大粒にしていく。
春のそよかぜが、もう泣かないでと言うように。私の作品の中に吹き込んだ。小さな花がそれに答えるように、わずかに揺れた。
「本日はどうもありがとうございました」
「いえいえ……興味を持ってもらえたようで何よりです」
私は、先生の包んでくださった三本の霞草を大事に抱えつつ、母と先生のやり取りを少し離れて見ていた。
「先生にもう一度ご挨拶を」
「……ありがとうございました」
母に呼ばれて近づき、先生へとお辞儀する。先程の教室で見ていたのとは違う、しゃきっとした顔だ。見つめられている事に気がついたのか、こちらへ向き直ってこう呟いた。
「そのお花と心を大事にしてね」
私は、また泣き出しそうになってしまった。
帰りの車の中で。住宅街がゆっくりと通り過ぎて行くのを眺めながら、母に確認する。
「もしこのまま教室に通いたいって言ったら、怒る?」
「怒らないけど、パパに聞いてみないとね」
恐らく、父は許してくれない。もしかしたら興味が無いか、いつもの通り「そうか」とだけ返ってくるかも知れない。
でも、もっと花の事を知りたい。机に並べられた花の名前も、先生の考え方も。いつの間にか握りしめていた針金を、ゆっくりと指で伸ばしていく。良い回答が出来た時の○のように、輪っかへと形を変える。出来れば「やってみなさい」と言って欲しい。
車に乗るまで晴れていた空が、雲で埋め尽くされていく。今にも雨が降り出しそうな天気に、私は少しだけ気が重たくなる。
どうか、続けられますように。雲の切れ間から見えた太陽に、私は小さな願い事をした。
以前と同じようにランダムジェネレーターを使用しお題を生成しています。
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霞・教室・乱数
を使ってなにか制作します。
ランダムテーマジェネレータ:http://therianthrope.lv9.org/dai_gene/
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華道自体は学生時代に、友人がやっているのを少しだけ見学した程度です。調べ始めると全く知らない言葉が一杯で、調べるほどに興味が湧いてくる、不思議な世界に迷い込んだような感覚です。
お題をただ消化するのではなく、文字の持つイメージやゆったりとした空気を意識し書けたのではないかな、と思います。初めて、人に見せても大丈夫な文章が書けた気がする。