第91話 無酷
「それにしても…。こいつらの体を移植しないと、戦えないなんて……ククク…あり得ないでしょ」
死体の安置室で、中村は笑った。
中村だけではなく、安置室内にいる学者達も笑った。
「……」
学者達の前で腕を組み、死体を眺めている舞子に向かって、笑うのをやめた中村が訊いた。
「しかし、マヤ様。何故、あの女に、このことを教えたのです?あやつが、テラ側についた時、厄介では…」
中村の言葉に、舞子はフンと鼻を鳴らし、
「どうでもいいことだ…」
ぼそっと呟くように言った。
少しの苛立ちを感じたその言葉に、中村は焦った。
「し、しかし、我々…ブルーワールドから来た者達は、この世界の魔物をどうすればよいのですか?ここでの解剖の結果、こやつらと我々の体は、ほぼ同じであることがわかりましたし…」
中村は、死体に開けた傷口から、内部を見た。
「我々魔物とは……つまり、我々は人間から、進化したということが…」
「違う」
舞子は、中村を睨んだ。
中村は、身を震わした。
舞子は、中村とその後ろにいる学者達を、目だけで見回した。
「お前達と違い…こいつらは、人間から生まれた。例え、内部構造が変わろうが、その事実は消えない」
「つまり…あんたも、まだ人間ということ?」
いつのまにか、安置室の中に、リンネがいた。
舞子は、リンネの問いにはこたえないで、ただ黙って立つ。
「ヒイイ!」
中村と学者達達は、思わず床から飛び上がった。
舞子を中心にして、床が凍り始めたからだ。
「フン!」
リンネが一歩前に出ると、凍りついた床が溶け、燃え上がった。
「文句があるんだったら、態度じゃなくて、言葉に出してよね」
リンネは、軽く笑った。
「あたしは…」
舞子は、リンネに背を向け、目を細めた。
「人間ではないわ」
「じゃあ~」
リンネは肩をすくめ、舞子の背中を見つめた。
「質問を変えるわ。どうして、あの女のもとへ行かすようにした?あの女は、ブルーワールドへの道を開く鍵になる。例え、今はあちらが、気にしていなくても」
リンネの言うことは、もっともだった。
舞子は振り返り、
「あの女は…危険だからこそよ。あんたも気付いているはず。危険なのは、あの女だけじゃない…でしょ?」
リンネを睨んだ。
リンネは片眉を上げ....やがて、にやりと口元を緩めた。
二人の魔神のやり取りに、ただ狼狽えていた中村は、雰囲気を変えようと、二人の間に割って入った。
「リンネ様…マヤ様。我々はこれから…どうすればよいのでしょうか?」
中村は震えながらも、二人に質問した。
「こ、このせ、世界の魔物達や……テラをどうすればいいのでしょうか?」
舞子は、また背を向けた。
リンネは、クスッと笑った。
「まだ…テラは、完全ではないわ。一人は、目覚め始めているけど……もう一人は、まだ自覚すらしていない」
リンネの言葉に、中村は目を丸くした。
「テラが、二人!?」
リンネは、頷いた。
「進化は、一つではない。運命には、いつも選択がある」
舞子は、安置室の灰色の壁を見つめ、
「選ぶか…選ばないか…」
その言葉は、自分に向けてでもあった。
「……で、お前はどうするんだ?」
灰色の空の下、携帯で話しながら、美奈子は歩いていた。
「まさか…そんな素性も、本当かどうかわからない男と、行動を共にする気か?」
電話の相手は、明菜だった。
「……え!マンションが、見張られていただって!」
美奈子は道で立ち止まり、明菜の話をきいていた。
「今どこだ?………わかった。店に来るんだな?どれくらいで着く?……一時間か……」
美奈子は腕時計を見、ため息をついた。
「わかった。一時間後に、落ち合おう」
電話を切った美奈子は、劇団の店に戻る為、来た道を戻ろうとした。
ふと…美奈子は、考え込んだ。
「何しに…来たんだ?」
どうして、歩いていたのか…わからなかった。
考えても仕方がない。
思い出せないことなら、大した用でもなかったのだろう。
体の向きを変えようとした時、視線が何かをとらえ、美奈子の動きを止めた。
美奈子は振り返り、気になるものを見据えた。
「喫茶店……?」
それは、カフェと呼ぶには、古風な煉瓦造りの店だった。
どうしてか…入りたくなってきた。
(まだ…時間はある)
たかが、茶店に寄るだけだ。
美奈子は、店に向かって歩きだした。
(…でも……こんな店あったかな?)
劇団の店が出来てから、一年。ほぼ毎日、この辺りに来ているけど、この茶店の印象がない。
単に、見落としていただけなのか。
美奈子は、木造の扉を開いた。
「いらっしゃいませ」
扉を歩くと、正面のカウンターの中から、初老のマスターが頭を下げた。
カウンターと、2つのテーブル席。どちらかを選ぶ選択は、できなかった。
テーブル席は埋まっており、カウンターしか開いてなかったからだ。
1人…カウンターに、お客が座っていたが、席は離れていた。
美奈子は躊躇うことなく、カウンターに座った。
「ここは、コーヒーしかございません。それも、一種類しか…」
美奈子が座った瞬間、コーヒーが出された。
「まずは…一口だけ」
突然置かれた小さなカップを見て戸惑う美奈子に、マスターは微笑みかけ、
「全部飲まなくていいです。それで、わかりますので」
指ですっとカップを近付けた。
初めて受けたサービスに戸惑いながらも、美奈子は素直にカップを手にした。
そして、飲む。
口の中に広がるコーヒーの味に、少しだけ…顔をしかめた美奈子を、マスターは見逃さなかった。
すると数秒後に、新たなコーヒーを出した。
今度は、カップの大きさも違った。
香りさえも。
郷に入れば、郷に従え。
美奈子はカップを取り、一口飲んだ。
「え?」
小さく驚愕する声が、無意識に、美奈子から漏れた。
「当店のコーヒーは、一種類だけで御座います。但し…お味の方は、お客様によって、異なります」
マスターは、また頭を下げた。
説明もしていないのに、二杯目のコーヒーは、美奈子の好きな味だった。苦いのは嫌いだが…甘たるいのも、美奈子は嫌いだった。
まさに、中間の絶妙な味がした。
「当店のモットーは、お客様だけの一杯を提供すること。コーヒーしかございませんが、味は千差万別です。これから、仰って頂ければ、その日の気分や体調によっても、調節させて頂きます」
美奈子は、普通に感動していた。
しばらく、コーヒーを楽しむ美奈子から、マスターは離れ…カウンターに座る男と、談笑する。
「マスター……やっぱ俺、無理だわ。あの男、ぶっ殺したい!」
カウンターの上で拳を握り締め、わなわなと震える男に、マスターは口を開く。
「ぶっ殺すなんて…物騒な言葉。使わない方がいいですよ」
にこっと笑うマスターに、男はきいた。
「だったら、何て言えばいいだよ!」
マスターは、即答した。
「食べる」
そして、自分の発言に苦笑して、
「いえ…頂くの方が、いいですかね?」
笑いながら、言った。
「頂くってえ〜!」
男は少し、引く動作をした。
「意味が違ってくるだろ!」
二人は、大いに笑い合った。
会話の意味は、わかったけど…比喩が、美奈子にはわからなかった。
だけど……。
(ゲスな会話)
美奈子は、心で毒づいた。
突然、店の扉が開き、美奈子の後ろに足音が、近づいてくる。
「これは…珍しい!」
マスターは常連との会話を止め、カウンターの中から感嘆の声を上げた。
「隣…よろしいかしら?」
後ろから、声をかけられ、美奈子はカップを置くと、振り返りながら頷いた。
「ええ…どうぞ………?」
美奈子の隣に座った女の横顔を見て、美奈子の体は凍り付いた。
視界に入ってきた…その顔は。
「舞子!?」
舞子は、美奈子の方を向け、にこっと微笑んだ。
「お久しぶりです。会長」
美奈子と舞子は、大路学園で、生徒会長と副会長の間柄だった。
舞子が行方不明になってから、会ったとはなかった。
「あんた……今まで、どこで…」
美奈子は、久々に会った舞子に言葉が出ない。
舞子は、クスッリと笑った。
「それは、知ってるはずですよね。会長は、行きませんでしたけど…」
美奈子は、口を詰むんだ。
高校生の時とあまり変わらぬ姿に、驚愕しながらも…明らかに、雰囲気は違っていた。
確かに冷たい程、冷静な女だったが、こんな…氷柱のような鋭い冷たさは、なかったはずだ。
「何があったんだ?」
美奈子は、席から立った。
「大したことは…!」
舞子は、出されたコーヒーをそっと返した。
前に立つマスターを見上げ、
「新しいのを出さなくていいわ。別に、コーヒーを飲みに来たわけじゃないし」
舞子の言葉に、店中にいるお客の体が、ぴくりと動く。明らかに、殺気を纏っている。
それを、マスターが目で止めた。
「ここで…あんた達と揉めても、仕方がない」
舞子は、美奈子の方に体を向け、真剣な表情で彼女を見た。
「舞子…」
美奈子は、一度体を震わした。
「会長……。あたしは、人間を守りたかった。あの世界で、出会った人の願いだったから…。だけど…」
舞子はクスッと笑い、
「あたしには、無理ね…。あの世界でも、この世界でも……もう人を守る気持ちに、なれないの」
ちらりと、後ろのテーブル席に座るお客を見た。
「こいつらにも…何をする気にもなれない」
舞子の言葉をきいて、テーブル席にいたお客の1人が、立ち上がった。
「やめろ!」
マスターが、叫んだ。
それでも座ろうとしないお客に、マスターは言い放った。
「ここにいる者だけでは…勝てない…」
苦々しく絞りだすように言ったマスターの姿に、お客も座った。
そんな様子に、舞子はクスリと笑うと、再び美奈子を見た。
「会長。人を…よろしくお願いします」
舞子は、お金をカウンターの上に置くと立ち上がり、美奈子に頭を下げた。
そして、頭をあげると…そのまま、扉に向かう舞子に、美奈子は叫んだ。
「舞子!」
舞子は足を止めると、扉に手を伸ばした。
「会長。あの人は、言ってました。例え…人以上の力を持っても…人であろうとする者こそ、人であると…。あたしの分も、負けないで下さい」
舞子は扉を開け、店を出た。
「詭弁だ!」
舞子が出てすぐに、カウンターに座っている男が、吐き捨てるように言った。
「まさか…あなたも、そう思われるんですか?」
マスターがカウンターから、立ちすくむ美奈子の背中を睨んだ。
美奈子は、聞こえなかったのか…マスターの問いにこたえず、振り返ると、千円をカウンターの上におき、
「ご馳走様!」
急いで、店の外に消えた舞子の後を追った。
音を立てて閉まった扉を、マスターは睨みながら、
「チッ」
舌打ちした。
「舞子!」
扉を閉め、辺りを伺った美奈子の目に、舞子の姿をとらえることはできなかった。
慌てて走りながら、周囲を探したが……もう二度と舞子を見ることはできなかった。
そして、前を探す美奈子の後ろに……今出たはずの茶店がないことにも、美奈子が気付くことはなかった。