第88話 理由
警官は上半身裸のまま、明菜に向けて、頭を下げた。
う
「俺には、あんたの剣が必要なんだ!」
玄関で、土下座する警官の姿…そして、機械により、無理矢理接合された…痛々しい肩口。
明菜はとっさに、化け物ではないと判断した。
それでも、少しは警戒しながら、明菜は部屋の奧から、玄関横のキッチンまで近づいた。
持っていたホウキをそばに置くと、明菜は土下座する警官に、話し掛けた。
「…まず、あたしの質問に答えて下さい」
その言葉に、警官は顔を上げた。
「どうして…あたしが剣だと知ったのか…。そして、あなたの正体と…やろうとしている目的……。そして、先程のおばさんの変化…あたしには、普通のおばさんにしか見えなかった」
明菜は、今朝もおばさんと挨拶を交わしていた。気さくで、いい人ぐらいしか認識していなかった。
警官は正座し直し、明菜の瞳を見据えながら、こたえはじめた。
「あなたが…剣…次元刀だと俺に告げたのは、守口舞子という女だ…」
「守口舞子…」
学生時代…生徒会副会長だった女。明菜の一つ上の為、記憶には残っていない。
生徒会会長だった美奈子からは、名前をきかされていた。
(クール過ぎる女と…)
警官は、警察手帳を明菜に向かって差し出した。
「神野真也…。去年まで、刑事課にいた。今年からは、交番勤務だったが…退職した。いや…首になったと言った方がいいかな…」
神野はフッと笑い、手帳に目を落とした。
「本当は…手帳も制服も…銃も返さなければいけないんだが……。やつらに、追われていたからな」
「やつら?」
神野は、明菜を見据え、制服の袖を捲った。
「人ならざるものからね」
自分の右腕を、明菜に見せた。
「これは…俺の腕ではない…。俺がこの世で、一番愛した女の腕……。俺が、やつらと戦う為に、残してくれた腕だ」
黒く変色し、筋肉が盛り上がった腕は…女の腕には、見えなかった。
神野は、自分の右手を見つめながら、話し始めた。
「俺が一番愛した女…上野沙知絵は…ある日、自分の変化に気付いた…」
それは、些細なことだった。
研究結果をまとめる報告を、丁寧にノートにまとめていた沙知絵は、自分の心境の変化に気付いていた。
心の中の価値観が、変わっていく…そういった方がいいのだろうか。
自分で打ち消しても、変わらない。
だから、沙知絵は心の変化を止める為に、毎日レポートに書き、昨日のことを信じようとしていた。
そんなある日。
沙知絵は、勤めていた研究所の離れに呼ばれた。
さらに、その離れの地下へと、沙知絵は知らないエレベーターに乗り込んだ。
そして、ついた場所で見たものが、沙知絵の運命を大きく変えることになった。
エレベーターが開くと、そこに…上司の中村が立っていた。
「ようこそ!上野くん」
中村は笑みを浮かべたまま、沙知絵に握手を求めた。
沙知絵は握手を返しながら、周りを見た。
「ここは…」
乗ってきたエレベーターに表示がなかった為、わからなかったが、3分ぐらいは乗っていた。
結構な地下だ。
「まだここは、入り口に過ぎない。君に見せたいのは、奥にある」
真っ暗であまり見えない通路は、ひたすら真っ直ぐ闇中を伸びていた。
中村に促されて歩く沙知絵は、真っ直ぐな通路が、距離をおいて区切られていることに気付いた。
闇に慣れてきて、壁を見つめる沙知絵に、中村は言った。
「防護壁さ…一応核シェルターの一種と思って貰っていい」
中村は、真っ直ぐに前だけを見て、歩きながら、
「一応…死んでるんだが…もしもの為さ」
5分は歩いただろうか。
やっと、行き止まりの鉄の扉が見えた。
「あまり…驚かないでくれたまえ…ここは、声が響くのでねえ」
中村は、扉の横にあるパネルに、親指を押しつけた。
指紋確認のようだ。
三メートルくらいの厚みのある鋼鉄の扉が左右に開き、明かりが中からこぼれてきた。
眩しさに、目を細めた沙知絵の前に、運命が横たわっていた。
「これはね…大発見ではあるが…人にとっては、喜ばしいことではない」
扉のわりに、部屋は狭かった。
何もない部屋の真ん中に、手術台があり、その周りを数人の学者が、囲んでいた。
学者達はちらりと、沙知絵と中村を見た。
中村が学者達に向かって頷くと、学者達も頷き…中村と沙知絵の為に、手術台から離れた。
そこに横たわるもの達。
中村は沙知絵を促し、手術台に近づくことを進めた。
恐る恐る近づいた沙知絵は、妙な異臭に鼻と口をおおいながら、手術台の上を覗いた。
「!?」
そして、絶句した。
あまりの驚きに、臭いすら忘れた。
「フフフ…驚くだろ…。これは、作り物ではない」
中村は沙知絵の横に立ち、怪しげな笑みを浮かべ、
「率直な意見が聞きたい。君には、これが何に見えるかね?」
中村の質問に、あまりの衝撃で固まってしまっていた沙知絵は、口に張りついた手の隙間から、何とか声を絞りだした。
「鬼…」
沙知絵の答えに、満足気に頷くと、中村は手術台の前の方に行き、
「上野くん…。きみは、食物連鎖というものを考えたことがあるかい?」
手術台に横たわる物質を見下ろしながら、
「我々人間は、あらゆるものから、搾取する存在のはずだ…。しかし、そうでなければ?」
中村は手術台の端に手を置き、沙知絵に向かって、振り返ると、
「あらゆる生き物の頂点として、行き着いた人というもの…。それは、真実かな?」
冷たい手術台に横たわるものは、心臓の辺りが裂けていた。死んでいるようだが、それでも圧倒的な存在感を醸し出していた。
筋肉の張りが、つき方が明らかに人を違うし、額から突き出した角は、鹿などの動物とは違い、金属のように光り輝いていた。
その輝きに…角に映る自分を見て、沙知絵はさらに息を飲んだ。
沙知絵はいつのまにか、手術台のものから、目が離せなくなっていた。
中村は笑い、手術台から離れると、沙知絵に背を向け、二十畳はある部屋の壁に向かって歩きだす。
沙知絵は目で、あとを追った。
「進化を知っているね…」
中村の呟くような言葉を聞き逃さずに、沙知絵は頷いた。
「は、はい…」
中村も頷き、
「それは…突然起こったものだろうか?遺伝子に従って……。微生物から、猿へ…人に辿り着く進化の過程。この地球にいる…虫を除く生き物は、進化の過程の中にいる…」
中村は、壁に前で止まると、
「人の…この姿が…進化の今のところの最終地点だ」
後ろにいる沙知絵に振り返り、
「今のところはね…」
フッと笑った。
沙知絵には、中村の言葉の意味がわからなかった。
「だが…これが、生物としての最終地点だと、思うかね?」
言葉を探す沙知絵に、軽く苦笑すると、中村はまた壁を見た。
「他の生物のように、固い皮膚もなく…鳥のように、空を飛ぶこともできず…海から生まれたはずが…水中で生きれない…なんて…」
中村は壁を叩き、
「脆い生き物なんだ!これが、こんな人間が…最終地点のわけがない」
中村は全身を、沙知絵に向けた。
「進化は…終わったわけではないのだよ。猿が、人になるのに、一瞬だったと思うかい?少なくとも、数万年はかかったはずだ。まあ、地球から見たら…一瞬だろうが…」
「博士?」
沙知絵は、訝しげな顔を中村に向けた。
中村は気にせずに、言葉を続けた。
「人が…この世界に君臨した…いや、人が生まれた時から、次の進化は、始まっていたのだよ…」
中村は、にやりと笑い、
「君は、あれが…鬼に見えたと言ったね。ククク…」
手術台を指差した。
「鬼…悪魔……妖怪…あらゆる異形の者達。それは…化け物ではなく、人の先の生物だとしたら、どうする?」
沙知絵は、手術台を見た。
「人は…人が君臨する為に、進化を止めてきたのだよ」
「進化を止めた…?この化け物が…進化…」
沙知絵は、中村のいう意味を考えた。
「世界中に残る…神話や伝説…それは、人が進化を止める為に、行ってきた行為の記録!そして、あらゆる化け物が、個体で進化した人間達だよ」
中村は、少し悲しそうな表情を浮かべ、
「我々は…進化に置いていかれた劣等生物…だが!」
中村は、手術台の死体を睨み、
「生物学の進化から、見捨てられた我々だが!進化とは、別の形で、我々は進んできた!」
中村は、どこからか銃を取出し、手術台の死体を撃った。激しい音は、鼓膜を刺激した。
「武器だ!我々は、劣等生物に成り果てたが…この星を、破壊できるまでになった!だが!」
中村は、銃口を沙知絵に向け、
「我々は、この世界がなくなったら、生きていけない!」
フッと笑うと、銃を床に叩きつけ、
「神よ!もしいるなら!……なぜ、我々に自我を与えた!」
中村は泣いていた。
「滅びるだけなら…ゴミのように、廃棄したらいい!我々に、なぜ自我を与えた!」
中村は絶叫し、沙知絵にすがりついた。
「死にたくない!滅びたくなあいいいい!」
「博士!」
すがり中村を、沙知絵はどうすることもできなかった。
「わ、私は!いや、ここにいる…すべての生き物は!」
中村の顔は、涙でぐちゃぐたちゃだ。
「滅びる運命に逆らっている。研究に研究を重ね…。君は、考えたことがあるかね?生物のトップにいるはずの人間が…なぜ、ここまで、武器を進化させ続け…地球を破壊できるまでになったのに…怯えているのか!」
中村は、手術台の死体を見つめ…ガクガクと震え、
「それは…我々が、劣等生物だとわかっているからだよ」
中村は手術台に近づき、死体に触れた。
「何と…固い皮膚…銃器類でも破壊できない…」
愛しそうに、死体の表面を撫で、
「その癖…心の奧では…願っているんだよ」
中村は恍惚の笑みを浮かべ、
「進化したいと…な!」
そう叫ぶと、中村は上着の内ポケットからナイフを取出し、死体の傷口に突き刺した。
「だが!我々は、進化しない!人間のままだ!叶わぬ憧れ…羨望……そして、嫉妬!」
中村は笑いだした。
「嫉妬に狂う人間という生物の…恐ろしさを知るがいいわ!ハハハハ…」
ひとしきり高笑いをした後、中村は咳払いをして、いつもの冷静さを取り戻した。
「君をここに招き入れたのは、他でもない…彼らの肉体を使った新たな…義手や義足をつくってほしいんだ…。彼らと戦う武器として」
中村は、沙知絵に微笑みかけ、
「それに伴う…拒絶反応等の数値も、とって貰いたい」
しばらくの間を開けてしまう…沙知絵。
それは、仕方のないことだった。
「い、意味がわかりません!」
混乱している頭が、更に混乱する。
「義手や義足が……武器!?……武器って、どういうことですか!」
中村は、じっと沙知絵を見…おもむろに、突き刺したナイフを抜くと、
「それは…簡単なことだよ」
ナイフについた血糊を、ハンカチで拭いながら、
「君は、この化け物達と戦うのに…何が有効だと思う?」
逆に、沙知絵に問い掛けた。
「そ、それは…」
こたえようとする沙知絵を待たずに、中村は口を開いた。
「魔法や…呪文…そんなものは、ナンセンスだ!」
「え…」
「銃も、普通のナイフ類も効かない……ならば!やつらの武器を使うしかない!つまり!」
中村は、ナイフを沙知絵に差し出した。
「これは…ナイフではない。化け物になった者の…鋭い爪を磨いだものだ」
沙知絵は、ナイフを受け取った。明らかに、金属類ではない。
「昔話が、語っているだろ……。化け物を退治する者もまた…異形の者達だ。桃太郎しかり…一寸法師しかり…」
中村は、ナイフを観察している沙知絵に頷き、
「どうしてかは、わからないが…やつらの体は…やつらのものでないと…有効ではない」
そっと右手を差し出した。
「君の協力が必要だ」
しかし、沙知絵はすぐに…その手を握り返すことは、できなかった。
「…やつらと戦う為の義手や義足の開発を…最終的に、承諾したのは……自分の身に変化が、起きたからだ。最初は、そのことに気付かなかった彼女は……」
神野は目を瞑り、思い出すのも躊躇っていた。
しかし、言葉を続けた。
「俺と沙知絵は、一緒に暮らしていた…が、彼女は、研究に関しては、一切語ってくれなかった」
神野は、自分の肩を押さえ、
「俺の腕を…引き契るまでは……」
突然の痛みで、目を覚ました神野は、恐るべき光景を目の当たりにした。
腕を口にくわえ、異形の姿をした沙知絵の姿だった。
痛みよりも、その姿に…神野は凍り付いた。
そして、一瞬にして、間合いをつめられた神野は、信じられない力で殴られ、気を失った。
話は戻る。
中村の握手に躊躇う沙知絵の前に、突然…1人の女が現れた。
腕を組み、じっと沙知絵を見つめる女は…見た目は十代にしか見えない。
しかし、瞳の底から感じるものは、恐ろしく冷たい。
沙知絵の震えに気付き、振り返った中村は女を認め、満面の笑顔になった。
「ああ……彼女は、我々の協力者だ」
中村は、女を前に促した。
一歩前に出た女は、沙知絵に向かって、軽く会釈した。
「彼女は…」
中村が言う前に、女は微笑みながら、口を動かした。
「守口舞子です」
「守口舞子……さん…」
訝しげに舞子を見た沙知絵。しかし、先程の冷たさは、笑顔の中に埋もれていた。
「彼女の証言により……我々は、新たな事実を知った…。進化する人間の真実を!」
そう言って、中村が胸ポケットから、取り出したのは…カードだった。