第86話 家族
「や、やめてください!」
グレイのスーツを着た女は、若かった。
まだ十代かもしれない。
新入社員だと思われる女は、新品の鞄を抱き締めながら、逃げていた。
人通りの少ない路地裏に入り込んだ女は、もうすぐ行き止まりに辿り着く。
あちらこちらに、不信者注意と、訪ね人のポスターが貼られていた。
「最近…この貼りのせいか…女が、よってこないんだよ」
女を追う男の1人が、ポスターを引きちぎった。
男は、3人いて……女を行き止まりに誘導できたことで、本性を口にしだした。
「でも、ここは絶好の場所だぜ!」
「女を襲うのにな!」
楽しそうに笑う二人の男を押し退けて、にやけた男が前に出てくる。
三人とも、見た目は普通の男だ。髪を染めてる訳でもない。
大学生くらいだと思われる。
「お金なら……わ、渡します!」
女は慌てふためきながら、持っていたバッグから、財布を出そうとした。
「きゃっ!」
前に出た男は、女のバッグを蹴り上げた。バッグは、地面に転がった。
男は女に、顔を近付けると、
「金なら、あるんだよ!俺がほしいのは…」
震える女の顎に手をかけ、無理矢理上げると、笑いかけた。
恐怖に歪む…女の顔を舐めるように見、
「その顔だ!その顔が、たまんねえ〜!」
うっとりした表情を浮かべた。
「おい!早くしろよ!」
「もう我慢できないよ!」
後ろの二人が、前の男を急かした。
「……よかったな…あんた…明日から、価値観が変わるぜ?使用後…使用前とはなあ!」
たまらなく嬉しそうな男。
女の震えは、止まらない。
「もっと歪めろよ!」
「ククク…」
震える女の体が、さらに震えた。
だが……。
「ハハハハ!」
それは、笑いから来るものだった。
「ハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」
顎を掴まれながら、女の笑い声は止まらない。
「気が狂ったか…」
男は、女の顎から手を離した、
「ぎゃ!」
後ろの二人から、悲鳴が上がった。
「な!」
驚き、振り返った男の顔に、鮮血が飛んできた。
「ウググ…」
二人の男の体が、宙に浮かぶ。
コンクリートを貫いて、地面から飛び出したものが、男達の股から、口までを貫いていた。
「どう?いつも突くばかりだから…たまには、いいでしょ」
女は笑った。
二人を貫いていたものが、また地面の中に戻ると…二人は地面に落ち、そのまま前のめりに倒れた。
口と股から、血が流れていく。
「松井!山田!」
即死だった。
「ハハハハハハハハ!」
女は、高笑いをやめない。
男は、女の方を向いた。
「その顔よ!ククク…あたしも好きよ。たまらないわよね」
女の様子に、気付き…後退る男。
「本当……ここは、いいわね」
「ヒィ…」
軽い悲鳴…。それが、男の最後の声だった。
「残念ね…。趣味が一緒なのに…」
静かになった行き止まりに、携帯の着信音がこだました。
女は携帯を取ると、電話に出た。
「もしもし…お母さん」
電話は、女の母親からだった。
女は笑い、
「大丈夫よ!心配しないで…」
携帯から、微かに母親の声が、漏れてきた。
「…だって…あの辺は、物騒だっていうから…」
「大丈夫よ!ちゃんと、その道は、避けてるから…」
「綾子…お前に……もしものことがあったら……。お前まで、いなくなったら…」
母親は、泣いていた。
「大丈夫よ!あたしは、兄貴みたいに、いなくならないから…」
電話を切ると、綾子はため息をついた。
地面に開いた穴から、口に手足がついただけの魔物が、うようよと飛び出して来た。そして、転がる三人の死骸に食らい付く。
「きゃっ!」
唐突に、路地裏に紛れ込んだOLが、その惨劇を見て、悲鳴を上げた。
「かわいそうだけど…」
綾子の目が赤く輝き、悲鳴を上げた女の瞳を射ぬいた。
女の体が硬直して、動けなくなる。
「あたし……男はいらない…。女しか…食べないの」
男を食う魔物を蹴飛ばして、綾子は女に近づき…口を開いた。
鋭い二本の牙が覗かれた。
そして、女の首筋に牙を突き立てた。
「!」
僕は、街並みで立ち止まった。
そして、見上げた月が、とても赤く感じた。
「どうした?」
ピアスの中から、アルテミアがきいた。
「い、いや…何でもない」
自分でも、どうして立ち止まったのかわからなかった。
「そんなことより…どうするんだ?携帯が、なかったら…やつらの情報が、はいらないぞ」
アルテミアの言葉に僕は頷き、学生服のポケットから、壊れた携帯を取り出した。
先日のギラ達に、襲撃された際、携帯は壊れてしまった。
異世界にいった後、この世界に戻ってくると…使えないと思っていた携帯が、つながっていた。
行方不明になった僕の携帯を、解約せずに残していたのだろう。
だけど、僕は…この携帯の電源をつけたことはしなかった。
天空の女神であるアルテミアは、この携帯を媒介にして、電波を読むことができたからだ。
しかし、完全に破壊された携帯からは…電波を読めなかった。
新しい携帯に変えて貰おうと、携帯ショップにいったけど…僕が異世界にいた後、厳しくなったようで…身分証明等、提示を求められた。
「携帯を、変えるだけなんですけど…」
と言っても、規則ですからとしつこい。
いろいろごねてみると、ショップ店員は書類を出し、
「一応…住所とお前の方を」
僕は差し出された空欄の氏名や、住所欄を見て、
「もういいです」
と、席を立った。
「お客様!」
携帯を引っ掴むと、僕は店を飛び出した。
「赤星!」
店から、逃げるように出た僕に、アルテミアが叫んだ。
ショップから大分離れてから、僕は足を止めた。
「書けないよ…」
僕は、呟くように言った。
「今さら…住所なんて…」
(そうだ…。僕は、捨てたのだ…。家族も、この世界も)
そして、人間であることも。
僕は、手の中にある…壊れた携帯をただ……見つめた。
「赤星!」
感傷に浸る僕に、アルテミアは叫んだ。
「この携帯ってやつの!手に入れ方を教えろ!」
「え?」
現実に戻った僕は、アルテミアの少し怒り気味の声に、慌てて説明した。
「じゃくさい!」
アルテミアは説明の後、はき捨てるように言った。
「まあ…一応は、理解できた」
アルテミアは少し言葉を切ると、
「……ということはだな…。別に、そんな邪魔くさい手続きをしなくても、新しい携帯だけを手に入れたらいいんだろ?」
「まあ…新しい携帯があれば…いけると思う。多分…中に入れるカードは、変わってなかったし…」
「赤星!変われ!」
アルテミアの命令に、
「モード・チェンジ」
素直に、僕は従った。
アルテミアに変わると、さらに、
「モード・チェンジ!」
姿を変えた。
フラッシュモード。
スピードを重視したスタイルに変わり、目にも止まらない動きで店前に移動すると、そのまま店内に入り…すぐに出てきた。
その間、瞬きの時間もない。
アルテミアの手には、新しい携帯の入った箱があった。
「まさか…モード・チェンジを泥棒に使うなんて…」
ため息をついた僕に、アルテミアは言った。
「一応、金は置いておいたぞ」
先程僕の相手をした店員は、次のお客の対応としている途中で…自分の手元に、無造作に置かれたお金に気付いた。
「え……千円…?」
アルテミアは鼻歌を歌いながら、新しい携帯を取り出した。
「赤星!セットしろ」
「…わかったよ」
もう盗ったものは、仕方がない。
再び僕に変わると、壊れた携帯からカードを抜き、新しい携帯にセットした。
「アルテミア?新しいメールは、来てるか?」
電源を入れなくても、アルテミアは携帯から、ハッキングできる。
電波は、天空の女神の領域だ。
「ああ…。何件かある」
「それじゃ」
僕は、携帯を胸ポケットに入れた。
「いくよ」
次の戦いの場所へ。