第84話 演舞
街角に貼られたポスター。
今や、ネットなどの告知が、メインになっているとはいえ…まだ弱小の劇団にとっては、街に貼るポスターは、重要な発信源だった。
繁華街の中心から、十字路を2つ過ぎたところにある…雑居ビル。
そこは、二十代のオーナーがバーをやっていたり…家賃の安さから、数多くの店が入っていた。
店だけでなく、簡易劇場やスタジオとして利用されていたりして、飲食店以外も多かった。
夢の集まる場所。
明らかに、お客より店員が多いのではないかと、思われるビル内は、夢に生きる人達の熱気と笑い声で、溢れていた。
中山美奈子が、主催する劇団――知恵の輪も、そこを本部として、毎日劇を公開していた。
毎日公演するのは、大変であるが…要するに、人前での練習であった。
仲間内でやるより、お客の前で見せる方が、腕も上がる。
大きな劇場を借りて、発表することがメインであるが…ここでの毎日も、大切だった。
観覧は、タダ(ドリンク代だけを貰う)で行っていた。それでも、客が入らない方が多かった。
だからと言って、公演はやめなかった。
基本飲食店専門のビルの為、厨房を改装した音響ブースで、沢村明菜は…裏方の仕事を任されていた。
本当は、役者希望であるが、まだ入ったばかりの明菜に、なかなかチャンスは回ってこなかった。
美奈子は推薦枠で、役を与えようとしたが、頑として明菜は、それを拒否していた。
(チャンスは、自分で掴む)
明菜は、そう思っていた。
劇団は、役者が8人。裏方が3人と…本当に、弱小劇団だった。
しかし、そんな劇団にも、大きなチャンスが巡ってきた。
世界で有名な音楽家の半生を描く…劇を公演する権利を得ることが、できたのだ。
美奈子の後輩で、明菜の先輩である…藤木里緒菜。
彼女の親友の母親が、その有名な音楽家だった。
その為、小さな劇団内は、異様な緊張感を醸し出していた。
役者8人の内…3人が、女だった。
つまり、3人が…主役を巡って争うことになる。
団長である中山美奈子。
それに、斎藤春奈。
谷口美香。
その三人以外で、新人の明菜も一応、候補に入っていた。
美奈子は、主役はやらないと公言しているので、実際は…春奈と美香の一騎打ちになるといわれていた。
「あなたには、早いわ」
裏で雑用をこなしていた明菜の隣に突然、美香が来ると、上から目線で一言だけ言った。
癖一つないストレートの黒髪を翻し、美香はすぐに、明菜から離れていた。
すると、今度は…春奈が近付いてきて、
「何よ…あれ?同じ劇をやるのに、ぎすぎすしてどうするのよ。別に、主役じゃなくても、今回の劇ができるのは、名誉なことなのに」
妙に愛想笑いを浮かべる春奈に、明菜も愛想笑いを返した。
大学の時は、劇団に所属してなくて、高校の時の雰囲気しか知らない明菜には、美香や春奈のような役の取り合いに、まだ馴染めなかった。
「あなたも、多分…何か役を貰えると思うから、頑張って」
そう言って、優しさをアピールする春奈。
だけど、そんな春奈や美香を引きつらせる出来事が、起こった。
「突然だが…新しい仲間を、紹介する」
美奈子は店に入ってくると、そこにいた劇団員全員に向けて、声をかけた。
「紹介しょう」
美奈子に促されて、ドアの向こうから、1人の女の子が入ってきた。
華奢な体に、黒髪をなびかせて、現れた女は、日本人には見えなかった。
「星野ティアナ…。ハーフです。よろしくお願いします」
「なっ」
美香と春奈は、絶句した。
美奈子に促されて、入ってきた女が、あまりにも美しかったからだ。
モデルや、女優…いや、その辺のレベルでは、比べものにならなかった。
絶世の…美女と言ったら、いいのか。
「よろしくお願いします…だよ」
周りには、聞こえないように、ピアスの中から、僕は囁いた。
「よ、よろしくお願いします」
作り笑いを浮かべながら、頭を下げた…星野ティアナの正体は、勿論アルテミアである。
髪と瞳を漆黒に変え、アルテミアは、この劇団に潜入することとなった。
「突然だけど…彼女も、次の舞台には、出てもらうから!みんな、よろしくな」
美奈子の言葉に、美香と春奈の表情が引きつった。
僕はピアスの中から、周りを伺った。
そう……ついさっきまではいつも通り、僕が潜入するはずだった。
しかし、劇団員募集の貼紙を見て、飛び込もうとした僕は、ビルの入口で、美奈子を見かけたのだ。
ほんの数秒の差だった。
美奈子の方が、先にビルに入っていった為、かち合うことはなかったけど…しばらく僕の動きは、止まってしまった。
「どうした?赤星?」
凍り付いてる僕に、訝しげにアルテミアがきいた。
「し、し、知り合いがいた…」
この世界に戻ってから、知り合いに会うことはなかった。
もう五年もたってるから、会ってもわからないだろうと……たかをくくっていたけど……。
「変わってない!」
美奈子は、高校時代と変わったようには見えなかった。
確かに、雰囲気は大人びているが、間違いない。
「しかし…」
僕は胸ポケットから、携帯を取り出した。
メールをチェックする。
「やっぱりここだ…」
僕は、携帯をしまった。
(何にでも…なれるあたしは……、人以外にもなれる。だけど…演技続けていると…演技は、本物になる)
意味不明な文面だが…僕はどこか、引っ掛かった。
僕に送られてくるメールは、すべてが…やつらに関わってるものではない。
悪戯や、興味本位が多い。
だけど、その違いはすぐにわかった。
この世界に巣食い、一番に束縛しているものは、電波だ。
飛び回る電波や、つながるネット。
人は、自由だと思っているが……この世界は、見えないものに、縛られていた。
(もしかしたら…ブルーワールドより、自由がないのかもしれない)
そのネットの網が、電波で繋がっているのなら…天空の女神であり、雷鳴と風を自由に操るアルテミアにとって、探ることは容易だった。
「モード・チェンジ」
思念を電波そのものに変え、アルテミアはメールから、足取りを追った。
この能力があるなら、すぐに索敵ができると思うだろうが……その情報量は、半端ではない。
電波の海に、溺れそうになる。
さすがのアルテミアも、すべてを把握するなんて…無理だった。
ターゲットを決めて、送った相手くらいなら、見つけられた。
「この世界は…変わってるわね。まるで、世界が2つあるみたい」
アルテミアの感嘆のため息に、僕は頷いていた。
(確かに…ネットは、もう一つの世界だ)
「だけど…問題なのは、そこだけにしか、存在できないってことよ」
アルテミアは、携帯を閉じると、ため息をついた。
「それは、どういうこと?」
アルテミアは、肩をすくめ、
「所詮行けるのは、精神や気持ちだけだ。肉体は、ここにある。あまりのめり込むと…立ち直れなくなる」
アルテミアは、美奈子が入っていったビルの入口に立ち、腕を組んだ。
「よし!」
頷き、そのままビル内に、突入しょうとするアルテミアを慌てて、僕が止めた。
「アルテミア!今のままじゃ、目立つよ!」
事実、アルテミアの周りは、足を止めた男の視線に囲まれていた。
ブロンドの女神である。
人々の目を引くのは、当たり前だった。
「別に構わないだろ…見られても…」
アルテミアは、足を止め…片目を閉じた。
周りを気にしながら、腕を組む。
どんなに美女だとしても、ブロンドの悪魔といわれ、民衆から恐れられていたアルテミアは…ブルーワールドでは、こんな熱い眼差しを向けられたことがない。
妙にポーズを決め、佇むアルテミアに、僕はため息をついた。
「あっあっ…あのお…。お楽しみのところ悪いんだけど……」
僕は咳払いをし、
「目立ってどうするんだよ!」
僕の言葉に、アルテミアは、
「そ、そうだな」
頷くと、妙に体をくねらせながら、ビルの中へを入っていた。
自動ドアをくぐると、
「モード・チェンジ」
アルテミアの姿が変わった。
ブロンドは黒に…瞳も、ブルーから、黒に変わった。
それでも、日本人には見えない。
監視カメラにも映らないほどの動きで、アルテミアは敢えてエレベーターにも乗らず、階段を上がっていった。
フラッシュモード。
黒のスーツ姿になったアルテミアは、エレベーターに乗った美奈子よりも、早く劇団が運営している階に降り立った。
一回転すると、スーツから黒のワンピース姿に変わった。
エレベーターを降り、こちらに向かって歩いてくる美奈子に、アルテミアは微笑んだ。
「あのお〜劇団の方ですか?」
「うん?」
足を止めた美奈子の前に、立つ絶世の美女。
スラッと背も高く…プロポーションも完璧だ。
普通なら、女である美奈子も見惚れるはずだが…美奈子は、アルテミアの美しさより、なぜか懐かしい匂いを感じた。
「どこかで……お会いましたか?」
それが、美奈子の第一声だった。
「え?そ、そんなこと…ないと…」
思いもよらない美奈子の言葉に、しどろもどろになりながらも、アルテミアは笑顔で誤魔化した。
ほとんどの団員が、店の奥に作られた小さな舞台の上で、練習を始めた。
そんな中、明菜だけが、まだ…アルテミアを見つめていた。
「何か…顔についてますか?」
「え…」
いつのまにか、平常心を取り戻したアルテミアが、明菜の顔を見た。
戸惑う明菜を、数秒見つめた後…アルテミアはにこっと笑いかけた。
「ピアスが気になります?…あっ!片方しか、付けてないからですか?」
ピアスは、左耳に付けられていた。三角形のオーソドックスなピアス。
それに、手をかけたアルテミアの左手に、指輪を見つけた時、
「あ…」
明菜は思わず、声をもらした。
アルテミアは、微笑むと、
「機械の操作を、教えて頂けるんですか?よろしくお願いします」
ぺこっと頭を下げた。そして、アルテミアは照明等のスイッチが並ぶ…厨房をつくり変えた空間に向かう。
「アルテミア…」
明菜に聞こえないように、囁くように言うと、
「わかっている…。あの時の女だろ」
アルテミアは一度、僕が明菜に指輪を取られた為……指輪の中に閉じ込められたまま、敵に捕まったことがあったのだ。
その時は、異世界に飛ばされたショックで、明菜はずっと眠りについていた。
「あの女は………怪しい…」
アルテミアは呟くように言うと、くるっと振り返り、満面の笑みを浮かべると、後ろを歩く明菜に訊いた。
「先輩の名前…もう一度、教えて下さい」
「あ!ああ…」
少し拍子抜けしたような表情を浮かべたが、すぐに明菜はこたえた。
「沢村明菜です」
「星野ティアナです」
アルテミアは、明菜に近づき、右手を差し出した。
「ああ…よろしくお願いします」
明菜は、アルテミアの左手を気にしながらも、アルテミアの握手に応じた。
(間違いない…)
目の前にいるのは、紛れもなく………僕の幼なじみの明菜だった。
簡単な機械の説明を受け、少し稽古を見学しただけで、アルテミアは帰ることにした。
その理由は、簡単だった。
「お疲れ様です…」
裏方を受け持つ3人のうち、1人は女性だった。
今時珍しい分厚いレンズの眼鏡に、視線はなぜかいつも下を向いていて、暗い印象を与える女。
劇団員…松野彩香。
「す、すいません…あたしも、今日は上がってもいいですか?こんなに遅くなると、思わなかったものですから」
アルテミアも慌てて、帰る準備をしだす。
「あっ!ごめん!気がつかなかった。今日は、初日だから…無理してもいけないわ。明日は、来れます?」
稽古を見ていた美奈子は、慌ててアルテミアのそばに来た。
「はい」
即答したアルテミアに、美奈子は頷き、
「じゃあ…夕方五時に、来てくれるかな?」
「はい!」
アルテミアは返事をし、頭を下げると、部屋から出ていった。
「あっ!」
明菜はアルテミアに、声をかけようとしたが、あまりの素早さに、タイミングを逃してしまった。
外まで追おうか悩んでいると、美奈子が明菜の肩に手をかけた。
「明日も来るみたいだから…焦るな」
美奈子の言葉に、明菜ははっとし、美奈子の顔を見た。
美奈子は、閉まったドアを見つめながら、ただ頷いた。
急いで廊下に出ると、アルテミアはエレベーターに急いだ。
彩香は、もうエレベーターに乗ったらしく、点滅が一階に降りていく。
「チッ」
アルテミアは舌打ちすると、エレベーターの横にある階段を降りるより、廊下の突き当たりにある窓に向って飛んだ。
「モード・チェンジ!」
ここは四階だった。
アルテミアは飛び降りると、着地した時には…僕に変わっていた。
中心から離れた雑居ビルの前は、人通りが少ない。
まだ周りの店が、開く時間でもなかった。
僕は平然と立ち上がると、ビルから出てきた彩香に声をかけた。
「松野彩香さんですね?」
いきなり横合いから声をかけられ、思わず足を止めた彩香は、恐る恐る声がした方を見た。
僕は深々と頭を下げると、彩香に近づき、
「怪しい者ではありません。あなたからのメールを受け取った者の代理で来ました」
「メール?」
学生服姿の僕を訝しげに見る彩香に、僕は彼女が送った文面を、口にした。
「人が人でなくなっていく…。それは、演じるではなく……変幻…。あたしは、幻に狙われている…助けて…」
僕の口にした言葉に、彩香はびくっと身を震えさせた。
「少し意味が…わかりませんが……演じるではない。つまり、あなたが所属している…劇団のことですか?」
彩香はじっと、僕を凝視すると、唇を噛み締め、
「ここでは何ですから…」
僕に背を向けて、歩きだした。
それは、ついて来いということなのだろう。
僕は、距離を置きながら…彩香の後ろを、ゆっくりと歩きだした。