第80話 救金
「あなたは、素晴らしい人間だ」
見知らぬ人に、そう言われたら、あなたはどうするのだろう。
誰にも、認められない世界で…あなたのことを笑顔で認めてくれる人。
あなたの人柄を褒め、素晴らしいと…簡単に口にする人々。
あなたは、その人達をどう思うだろうか。
孤独で、押し潰されそうな日々の中、あなたに笑顔を向ける人達。
あなたは、その笑顔に救いを求めるのだろうか…。
少なくとも、私はこう思う。
そんな笑顔や言葉に惑わされ、救われてはいけないと。
なぜならば、その後…あなたはその笑顔に、見返りを求められるからだ。
善意の寄付。
お布施。
この世で、愛や幸せ…平和や自由、可能性を口にする団体に、貧乏はいない。
世界中の戦場を飛び回り、医療に携わる人達には貧困が多い。
なのに、争いのない土地で、立派な建物の中で、笑顔ともっともらしい言葉を並べる人達に、金が集まるのは、どうしてだ。
「あなたは、素晴らしい可能性をお持ちだ!それを周りが気づかないだけです」
満面の笑顔を浮かべ、気の弱そうな女に話しかけている中年の男は、小太りでテカッた顔が油切っていた。
「はあ〜」
力なく項垂れる女はまだ、半信半疑であった。
「自信を持って下さい。あなたは、素晴らしい」
「はあ〜」
力なき声を出す女を見て、男は話題を変えた。
「先に送ったDVDは、見て頂きましたか?」
男の質問に、女は無言で頷いた。
「そうですか!ありがとうございます」
男も笑顔で頷くと、
「今日はですね。ビデオを見られたらお分かりのように、あなたと同じ年齢の方々を迎えて、セミナーと言いますか…交流会を行っているですよ。宜しければ、参加なさってみたら!あなたのお友達も参加していますし」
男の提案に、女は頷いた。
何もない質素な部屋に通された女は、丸いテーブルに座る人達に対面した。
どこが上座とかない…円卓は平等を意味していた。
ここへは、友達の誘いで来ていた。
中学時の同級生だ。
結構仲が良かった彼女は…受験勉強でノイローゼになり、高校にはいかなった。
最初は、そんな友達よりも成績が悪かったが、猛勉強の末…一応、進学校に通ることができた。
友達とは卒業間近に険悪になり、疎遠になった。しばらくは気にしていたが、いつしか…記憶の奥に封印できそうになっていた頃…久しぶりに電話があった。高校入学後、初めてのことだ。
彼女は語った…。ある人達と出会い、立ち直ることができたと。
あなたを憎んだこともあったけど、今はそんなことはないと。
明るく語る彼女。吹っ切れたような口調だが、素直に喜べなかった。
中学校の時…初めて、友達の成績を抜いた時の彼女の顔を忘れることはできなかった。
だから、少しの後ろめたい気持ちが後押しして、女は今日…ここに来たのだ。
電話があった次の日、ここの場所への地図と一本のビデオが送られて来た。
あまりの手際の良さに、少し気持ち悪くなったけど…。
「さあ〜皆さん!まずは、自己紹介をお願いします」
円卓のそばで、笑顔を浮かべる若い女と、少し年配の男がいた。
「はじめまして。私は、XX学園の一年…」
次々に、円卓に座る男と女達が、自己紹介をしていった。
ついに、女の隣の男まで来た。
緊張が走る。
「はじめまして!僕は、XY高校の1年…」
その高校の名前が出た時、あきらかに…年配の男達の顔色が、変わった。
「XY高校!」
司会の女も思わず、口にした。
なぜなら、そこは有数のエリート校だからだ。
次は、自分の番だ。
女は、自己紹介をした。
高校名を告げた時、
「ふ〜ん」
と小さな声で、年配の男は呟いた。
彼の興味は、まだ…隣のエリートに向いていたからだ。
そして…自己紹介の後、友達が場を仕切りだした。
彼女は、司会者の前に座っていた。
ここに来て、自分はどんなに助かったのか。
高校もいっていない自分に、未来があり…価値があると教えてくれたと。
涙ながらに話す友達よりも、その後ろで、にこにこと笑顔を浮かべ、立っている二人が印象に残った。
まるで、学芸会を見守る親族のように。
だけど、友達が真剣であることがわかった。
だからこそ…女は、この会に違和感を覚えた。
「洋子!」
会が終わり、そそくさと部屋から出た女の後を、友達が追いかけて来た。
「香織…」
香織は満面の笑みを浮かべ、
「来てくれたんだ」
「う、うん」
「さっきは、泣いちゃって…みっともないこと見せちゃって」
明るく舌をだす香織にノイローゼの頃の面影はない。
洋子は微笑んだ。
「途中まで、送るよ」
洋子は、香織と大きな建物から出た。
「私…今、働いてるんだ」
香織は近況を話し出した。
「そうなんだ」
「一応…高校には、いずれ行くつもりだけど…今は、ここに恩返しをしたいんだ」
香織を背伸びをすると、笑顔になり、後ろを振り返った。
洋子も振り返った。
周囲でも目立つ立派な建物は、どこか華やかだった。
「働いて、ここに寄付してるんだ」
「え?」
思わず、声がでた洋子に、香織は顔を向けた。
「勘違いしないでよ!私が、勝手にやってるの」
真剣な表情で、洋子を見た香織の顔が、成績を追い越した時の顔と一瞬、重なった。
だけど、すぐに笑顔になり、
「だって、私は救われたんだよ!あの人達に、無償で!だから、少しでも恩返ししたいの」
(無償で…)
その言葉が、洋子には引っかかった。
そして、つねに笑顔でいる香織にも、違和感を感じた。
まるで…笑顔の仮面を縫い付けられているような違和感。
「また来てね!いっしょに頑張ろうよ」
途中で、洋子は引き返した。
笑顔で、手を振りながら…。
後日、その団体から電話が来たが、洋子は二度と…いくことは無かった。
誘いを断ってから一度、香織からの電話があった。
しかし、それも断ると、
「あ、そう!」
恐ろしい剣幕で、電話を切られた。
そして、二度と電話がかかってくることはなかった。
「そして…どうしても気になったあなたは、ここに様子を見に来たと…」
「はい…」
その場で、崩れ落ち…真っ青になっている洋子の前に、僕がいた。
そして、その向こうには…人ではない姿を晒し、死んでいる香織がいた。
さらに、建物中に転がる死体の数。
「香織のお母さんから…電話があったんです。最近、香織が変な団体にはまっていて…家のお金を持っていっているって…。それを聞いて、ピンと来たんです。ここだって…。だから、来たんです」
母親の電話の後、前に来た建物に向かった。
ドアを開けた瞬間、異臭がした。
そして、中に入った時、血まみれの香織がいた。
「…私を見捨てないで…私を馬鹿にしないで」
香織の瞳から、涙が流れると同時に、彼女の姿が変わった。
「私を憐れむな!」
そして、洋子に襲いかかって来た。
「私は、素晴らしい人間なんだ!」
それが、香織の最後の言葉になった。
「いやあああ!」
目をつぶった洋子の瞼の向こうに、眩しい光を感じた。
「私は…香織を助けられなかった。この歳で働いて、得れるお金はしれています。多分、あの子は…見捨てられたくなかったんでしょう。こんなところでも…」
やっと落ち着いたのか…涙を流しだした洋子に、僕は首を横に振った。
「君のせいじゃない。人間は、弱い。だけど、それを認め…立ち向かうことができるのは、本人だけだ」
僕は屈むと、洋子の涙を拭った。
「あなたは?」
「赤星浩一」
僕はそのまま、洋子の目を塞ぐと、
「今から、あなたの記憶を操作します。もう泣かないで」
「え…」
洋子は温かい温もりを感じながら、眠りについた。
気がついたとき、彼女は自分の家にいた。
そして、なぜか泣いた跡がある頬に触れた。
洋子をテレポートさせた後、僕は監視カメラに気付いた。
「心配するな。カメラの線から力を送り、記録は破壊した」
アルテミアの声に頷くと、僕は人には見えない結界を張り、周りに燃え移らないように火をつけた。
燃え盛る建物を遥か上空から見下ろしながら、僕は携帯を開いた。
そこには、香織からのメールがあった。
やっと掴んだ心の安定が…お金が続かない為に壊れていく恐怖と、その気持ちに呼応するように…心の底から、恐ろしいものが目覚めてきていると…。
「何かが起きている」
人の弱さを利用した…何かが。
僕は携帯を閉じると、上空から消えた。
「彼女は…ブルーワールドの魔物では、なかった」
最後に香織を姿を、目に焼き付けて…。
その頃の僕はまだ…何も知らなかった。