第79話 微笑
「そうだね…」
彼女は、悲しく微笑んだ。
それに、僕は反応する術を知らなかった。
彼女の微笑み…彼女の思い…同情をひくように、彼女が笑いかけても、それに対して、どう反応したらいいのか。
なぜなら、彼女の微笑みは僕に対してではない。どんな答え…慰め、やさしさも、彼女の求めるものじゃない。
「何黙ってるのよ…赤星浩一……」
彼女は僕を見、少し気まずそうに、下を向き、
「あんたが、話してくれないと……どうしあて、いいかわからないじゃない」
彼女の言うことはもっともだが、慰めることも、やさしくするような言葉も、僕の口からは出なかった。
「赤星って…昔からそうだよね」
彼女は笑い、
「なんか……冷たい…。でも、それなのに…いつも、なんかこういうときは、そばにいて……」
僕から視線を外すと、
「ずるいよ…」
その場から、駆け出した。そんな彼女を僕は、追い掛けることはできなかった。
(昔からか……)
彼女が去った屋上で、僕は1人…空を見上げた。
澄んだ青空に、やけに眩しい太陽。
「そんな資格は、ないよ」
そう…僕には、そんな資格はなかった。
彼女が去った屋上から、僕も消えようと歩き出した。
すると、屋上に姿を見せる者がいた。
「赤星…」
入ってきたのは、同じクラスの松田真平だった。
松田は、僕の顔を見ながら、
「奥野さん……泣いていたけど…。どうした?」
松田の問いかけに、僕は首を横に振った。
個人的なことを、話す気にはなれなかった。
松田の横を、通り過ぎるようとする僕に、
「お前じゃないと思うが……奥野さんを泣かすやつは、許さないぞ」
「ああ……そうだな」
僕は呟くように言うと、屋上の出入口を、ゆっくりとくぐった。
下に伸びる階段を、一度足を止め、見下ろすと…僕は、階段を降り始めた。
何かの違和感を感じ、足を止め、上を見上げたが、灰色のドアの向こうに、少しだけ…空が見えるだけだった。
(ここにいるのか?)
微睡むような午後の雰囲気に浸らないように、僕は拳を握り締めた。
左手の薬指につけた指輪の感触を確かめると、僕は呟いた。
「ここには、何もないよ…」
しかし、誰も僕の言葉に、答えなかった。
ゆっくりと階段を降り、僕は自分の教室に、向かうことにした。
階段を降り、すぐに右に曲がると、1人の男とすれ違った。
「よお」
男は、一言だけ…僕に声をかけると、真っ直ぐに教室とは反対方向に、歩いていく。
僕は振り返り、男の背中を見送った。
男の名は、粟飯原健吾。
サッカー部で、180センチはある長身に、どこかに漂う妖しさの為か…なぜか、女子には人気があった。
その妖しさが、僕には気になったけど、調べても何もない。
(彼は人間だ…)
僕の直感が、粟飯原はシロだと告げていた。
(だったら……誰が?)
僕は前を向くと、教室に向かった。
ガラガラと音をたてて、古くなり立て付けが悪くなった扉を開け、教室に入ると、一足早く教室に戻っていた奥野早織がいた。
奥野はちらりと、僕を見ると、すぐに視線をもとに戻した。
奥野の席は、窓側にあり、僕の席とは、真逆だった。
廊下側の真ん中の席に座り……3分程経ち、次の授業が始まる寸前に、粟飯原が教室に戻ってきた。
その後ろを、走ってきた松田が続く。
僕は、奥野…粟飯原、松田を目だけで交互に見、三人の関係を思い浮かべた。
(奥野さんが……メールを送ったことに、間違いない…。最初は、粟飯原だと思ったが…)
僕は、松田を見つめた。
(彼か……?)
確信はなかった。
なぜなら、まったく反応がないからだ。
(仕掛けるか…?)
自分に問い掛けた時、再び扉が音をたてて開き、数学の教師が入ってきた。
僕は、舌打ちすると、すぐに教科書を用意した。
「起立!」
日直の号令により、挨拶が終わると、生徒達は慌ただしく、教科書を開く。
「は〜い。教科書の65ページを開いて!今日やるところは、必ずテストに出るからな」
髪の毛がボサボサで、やさぐれた感じのする教師は、生徒を見回しながら、ふと僕に視線を止めた。
「特に、赤星!お前は頑張れよ」
名指しで呼ばれ、僕は目を丸くした。
苦笑とともに、一斉に教室内の視線が、僕に向く。
僕は恥ずかしさから、下を向き、
(仕方ないだろ!僕はもともと文系なんだよ!)
昔、学校に通っていた時は、文系を志望していたし…高校一年しか、学校に行っていない。
今は、高校二年で…理系の数学である。もう数式というより…何かの呪いに見えた。
(まあ…おとなしく…テストを受けてる…自分がおかしいんだけど…)
僕は、自分の学力を思い知らされ…愕然となっていた。
終了のチャイムが鳴り、授業が終わる。
慌ただしく、教科書をしまう生徒達。
「ちゃんと予習するようにな!特に、赤星」
余計な一言をいわれても、一応引きつった愛想笑いを浮かぶる僕に、にやりと笑う教師。
まあわかっていた。
いじりやすい生徒がいないと、教師はやりにくい。
教師が完全に出ていくと、粟飯原が僕の席の横に立った。
「ちょっと話がある」
その口調には、怒気が含まれていて、断ることを拒否していた。
でも、その怒りが、僕に向けられていないことは理解できた。
僕が躊躇うことなく立ち上がると、粟飯原は、
「ここじゃ…なんだから」
視線は明らかに、僕を見てなかった。
だけど、視線を追うこともできないから、頭の中でシミュレーションした。
(どちらかは…わからない)
奥野も松田も、席が近い。
(……でも、これからわかるさ)
そう僕が考えている間に、粟飯原は歩きだした。
仕方なく…ちらっと視線だけを向けると、松田と奥野までもが、こちらを見ていた。
教室を出てしばらく廊下を歩き、少し人通りの少ない…図書館へ通じる渡り廊下で、粟飯原は足を止めた。
渡り廊下の中央で、壁にもたれかかり、少し後から来た僕に言った。
「うざいよな。あいつら」
「うざい?」
誰に対してのうざいのか…わからなかった。
少し首を傾げたからだろうか…。粟飯原は、名前を告げた。
「奥野と…松田だよ」
僕のその名前がでた瞬間、唾を飲み込み、
「ふ、二人が…どうかしたの?」
粟飯原は、少し意外そうに僕の顔をじっと見て、ゆっくりと視線を外した。
「お前は、知ってると思うけど……」
また僕の顔を見て、
「俺は、奥野に告白された」
「そ、そうなんだ…」
わざとらしく言ってみても、バレバレだった。
どうやら…粟飯原は、僕が奥野に屋上に連れていかれたのを、知っているようだ。
僕のリアクションには反応せず、粟飯原は言葉を続けた。
「別に嫌いじゃないんだけど……好きとかじゃないんだ。だから……断った」
「そ、そうなんだ」
それも知っていた。
粟飯原は横目で、ちらっと僕を見、
「こういうのって、断ったらいけないものなのか?」
「え?」
「友達や知り合いだったら…断ったらいけないのか」
粟飯原の口調が、強くなる。
「そ、そんなことは…」
予想外の反応に、戸惑い…口籠もる僕。
「気まずくなるんだったら、告白なんかするんじゃないよ!」
その言葉は、僕に向けられたものではなかった。
思わず見た粟飯原の視線は、僕の後ろを睨んでいた。
嫌な感じがして、僕は振り返った。
渡り廊下の入口に、奥野と………松田がいた。
奥野は粟飯原を見つめながら、数秒立ちすくむと、僕達に背をむけて、その場から走り去った。
「お、お、お前!」
逆に、松田は全速力で走ってくると、粟飯原に詰め寄った。
「粟飯原ああ!」
粟飯原の襟首を掴み、松田は粟飯原を持ち上げた。その顔に、怒りが満ちている。
「何だ?松田……お前には、関係ないだろ」
粟飯原は、両手をポケットに入れた。何気ない仕草を取りながら、目だけは松田を睨んだ。
「お、お前は…奥野さんの気持ちがわからないのか!」
さらに腕に力を込める松田に、粟飯原は言った。
「わかってるさ…。だけど、わかってたら、こたえなくちゃならないのかよ?」
そのやけに冷静な粟飯原の口調に、松田はキレた。
「奥野さんは!お前みたいなのでも……好きなんだよ!」
片手を離し、殴ろうとした松田が、逆に…体をくの字にさせて、顔をしかめた。
「本音を言わない男に、殴られる気はない」
粟飯原は、崩れ落ちる松田を見下ろした。
粟飯原の膝が、松田の鳩尾に決まっていた。
「くそが!」
松田は痛みをこらえながら、左手は粟飯原の襟首を離さなかった。
「何で…お前みたいなのを!」
松田は起き上がる反動を利用して、頭突きを粟飯原の顎にくらわすと、左手を離し、右手を握り締めると、全体重を乗せて、パンチをくらわす。
「奥野さんを泣かすやつは、許さない!」
粟飯原はそのパンチを、受けとめると、
「そんな資格があるのかよ」
今度は、蹴りを松田の膝に叩き込んだ。
松田は倒れることなく、粟飯原に向かっていく。
「資格なんてない!だけど!」
「だけど、何だ!」
「奥野さんが好きなんだ!」
殴り蹴り合う二人を止めようとしたが、なせか…止めれない僕の周りを、いつのまにか野次馬で囲んでいた。
「何をしている!」
野次馬の向こうから、先生の声が聞こえた。
やばい…やめさせないと…と思った時、頭の中に、声が響いた。
(赤星…!)
僕ははっとして、我に返った。
さっきまで、微睡んだ雰囲気の中に浸かっていた僕の頭が、いきなり澄んだ。
粟飯原と松田の殴り合いは、続いていた。野次馬を押し退けて、何とか前まで来た先生が、二人を止めようとする。
それとは逆に、僕は走った。
先生が掻き分けた人混みの隙間を、一瞬にして通り過ぎると、僕は全力で走った。
階段を飛び越え、ほんの数秒で、屋上のドアの前に立った。
一度、深呼吸をすると、おもむろにドアノブを掴み、ゆっくりと開けた。
雲一つない青空が、頭上に広がり…一歩、屋上に足を踏み入れた僕に、電流が走った。
唐突だったため、少し驚いた僕は、足下の床を見つめた。
水が溜まっていた。屋上一面に。
だけど、躊躇うことなく、僕はその水の上に、両足を乗せた。
電流が、全身を貫くが…僕は平然と歩きだした。
「さすがね…」
屋上の一番奥で、こちらに背を向けて、奥野が立っていた。
「これくらいの電流じゃ...まったく効かないのね」
奥野の表情は、わからない。
水は不自然な動きで、一斉に涙のように引いていく。奥野に向かって……。
「あり得ない…。君が、助けてくれと…メールしたはずだ…」
僕は、ゆっくりと奥野に近づいていく。
「そうね……。メールしたわ」
奥野は、屋上から見える景色を見つめていた。
「だったら……なぜ?」
僕の問いに、奥野は体を震わせて、笑った。
「何が、おかしい!」
「ごめんなさい……。でも、面白かったでしょ?今回のシチュエーション…。本当は、あなたを主役にしたかったんだけど……あなたはもう…この世界でも、主役にはなれないから」
奥野はゆっくりと振り返り、微笑んだ。
「赤星浩一…。あなたは、この世界の人間ではなくなってしまったのだから…」
僕は、足を止めた。奥野はまだ、話を止めない。
「なのに…あなたは、私達の仲間にもならない」
奥野はまた、顔を前に向け、
「あの裏切り者といっしょね」
「裏切り者?」
「そうよ。魔王の娘でありながら…我ら同胞を殺す!あの裏切り者と!」
奥野は、全身をこちらに向け、
「だけど……あなたはまだ、見込みがあるわ」
奥野は微笑みながら、ゆっくりと僕に近づいてくる。
「いっしょに、この世界を楽しみましょうよ」
奥野の妖しい微笑みを見ていると、僕は頭がくらくらしてきた。
「人間って…おかしな生き物…。男と…女。単なる雄と雌……ただ子供つくることが、目的なのに……あんなに苦しむ」
「ななんだ…」
僕の脳ミソが、とろけていきそうな感覚に襲われた。
「それなのに……好きとか、嫌いとか…。好きといわれても、悩み…。好きと思われていないのに、好きでいようとする」
奥野の近づく度に、僕の頭はおかしくなっていく。
甘く、とろけるような匂いと感覚に、頭は溶けそうだが、下半身は疼いていた。
「かわいい……。あたしがほしくなってきたの?」
奥野はまた、微笑んだ。
「やっぱり!今度は…あたし達が付き合ってみましょうよ。粟飯原にふられたあたしが…あなたに、慰めてもらって、付き合うようになった」
奥野はそう言うと、考え込み、
「それよりも……もっと松田をけしかけた方が、いいかしら?あの男なら、あたしの思い通りに、動いてくれるわ」
この場で片膝をついた僕の耳もとで、奥野は顔を近付け、囁いた。
「どっちがいい?」
軽く耳に息を吹き掛けた。
「くそ…」
意識が飛びそうになる。
(媚薬だ……)
僕は、唇を噛めしめた。
「無駄よ…あたしの魔力から、逃れられる男はいない…最後は、みんな…欲望をさらして…あたしの虜になる」
「何が……目的だ?」
何とか意識を保ちながら、僕は奥野を見た。
目が合うだけで、また頭がおかしくなってきた。
「目的?目的なんてないわ。粟飯原も、いずれはあたしのものにするわ」
そう言ってから、奥野は僕から顔を離すと、考え込んだ。
「強いて言うなら……愛ね。人間の言う愛…」
奥野はまた微笑む。
「交尾とは…違う愛。だけど……みんな苦しそう!結局、愛は欲望と一瞬よ」
「ち、違う!」
「何言ってるの?こんなに、興奮しちゃってる癖に!説得力がないわよ!ただ欲望を、入れたいだけでしょ」
「お、お前には、わからない」
「なにが?」
僕の下半身に、触れようとした奥野の手を払い退けると、
「愛は、お互いの気持ちだ!理解しょうとしない…お前にわかるものか!」
僕はふらつきながらも、立ち上がり、左手を突き出した。
「モード・チェンジ!」
僕の精一杯の叫び声に、呼応して……左手の指輪から光が溢れだし、僕を包んだ。
そして、光を切り裂いて出てきた者に、奥野は絶句した。
「アルテミア…」
その数秒後、奥野の最後の断末魔がこだました。
「え!」
「え…」
先生が止めに入っても、殴り合いをやめなかった…粟飯原と松田は、突然動きを止めた。
二人で互いの服を掴みながら、顔を見合わせた。
「どうして……俺達は…」
「喧嘩してるんだ…」
校門を潜り、学校を去っていく僕は、ふっと足を止め…振り返ると、先程までいた屋上を見上げた。
「結局…今回は、何だったんだ?」
「さあな…」
僕は、ピアスを右だけしていた。そこから、声がした。
屋上に呼び出され、悲しく切なげに…僕に感情をぶつかけた奥野は…紛れもなく……恋に悩んでいた。
あの瞳に、嘘はない。
あの時、魔力も使ってなかったはずだ。
「ただ一つ……わかってることは…あいつは、愛を否定はしていなかった。ただ…どんなものか、わからなかったんだろうよ」
「そうかもしれないけど…」
僕は携帯を取出し、メールを確認した。
助けを求める奥野のメールがあった。
僕は、携帯を閉じ、少し考え込んだ。
「もしかしたら…」
僕は、ゆっくりと歩きだした。
「愛に憧れるが故に…愛を弄ぶ自分を…許せなかったのかもしれない…」
あの時、あの微睡みの中で、僕が頷いたら…彼女は、永遠にあの中にいたのだろう。
男を惑わす能力を持つからこそ、憧れた純粋なもの。
僕は、切なさを胸に歩きだした。
ほんの数日だが…味わえた学校生活に別れを告げて。