第75話 異邦人
魔界の入口での戦いは、熾烈をきわめていた。
しかし、歴戦の勇者が参加している為、人間が魔物を押していた。
「防衛軍の野郎!俺達を囮に使いやがって!」
剣やミサイル、攻撃系の魔法が、カードを介して発動されていた。
「もうすぐだ!」
空中で翼竜の首筋に、剣を突き立てたダラスは、フライングアーマーを装着し、天をかけていた。
「うん?」
何か違和感を背中に感じ、ダラスは地上に着地した。
「隊長!はしゃぎ過ぎですよ!あまり無理しないで下さいよ」
駆け寄ってきた若い剣士に、ダラスは毒づきながら、フライングアーマーをチェックした。
「俺を年寄り扱いするな…」
もう初老を越えたダラスは、カードシステムができる前から、戦い続けて来た戦士だった。
「気のせいか……」
もう一度、空に飛び立とうとしたダラスの背中から唐突に、フライングアーマーが消えた。
「な!?」
絶句するダラスの周りにいる戦士からも、驚きの声が上がった。
「魔法が使えない!」
「どうなっているんだ!」
空を飛んでいた戦士達は、いきなりフライングアーマーが消えて、地上に落ちてくる。
一瞬で、戦場はパニックになった。
その時、風が吹いた。
風は、フライングアーマーが消えて落下して来る戦士達を優しく包むと、そのまま地上に降ろした。
「何が起こった!」
ダラスは状況がわからず動揺していたが、すぐに剣を握り締めた。迷いは、死を呼ぶ。
歴戦の勇者だから、すぐに気持ちを切り替えることができたが、若い戦士は腰が引けていた。
「とにかく!戦え!」
ダラスは戦場に向って、叫んだ。
魔法が使えなくなった者は、腰からナイフを抜き構えて見たが…ゴブリンから後退する。
パニックになった戦士達は、なかなか冷静さを取り戻せない。しかし、なぜか…温かい空気を感じていた。
ダラスは剣を握り締め、ゴブリンの群れと対峙しながら、懐かしい空気を感じて、落ち着きを取り戻しつつあった。
(これは…この感じは……)
戦士達のすべてのカードは、使用できなくなっていた。
ダラスは剣を振るいながら、なぜか…いつもより軽いように感じた。
ゴブリンの胸元を斬り付けながら、風が剣を押してくれているように思えた。
(クスクス…)
妙な笑い声が、ダラスの耳元でした。
(クスクス…)
ダラスは、群れの中へ斬り込んでいく。
(クスクス……まだ気付かないの?それとも……お爺ちゃんになっちゃたから…耳が遠くなったのかしら?)
ダラスは、その声にはっとした。
「ま、まさか……」
ダラスの動きが止まった。
ゴブリン達が、四方から襲い掛かってくるが、ダラスの周りに発生した竜巻が、ゴブリンを弾き返した。
ダラスは目をつぶると、息を整え……ゆっくりと目を開けた。
人々の魔物の間を、精霊たちが飛んでいた。
「ダラス…。気付いた?」
ダラスの肩に、アゲハ蝶のような精霊が乗っていた。
「ステラか……!!」
ダラスの瞳から、涙が溢れた。
遠い昔……。まだカードシステムがなく、魔王ライが君臨する前、世界には精霊や妖精が溢れ……人々は、彼らの力を借りて、生活をしていたのだ。
「生きていたんだな…」
ダラスの言葉に、
「当たり前でしょ!あたし達の寿命は…人間の比じゃないもの」
ステラは、ダラスに笑いかけた。
「隊長!これは、どうなっているんですか?」
近づいてきた先ほどの戦士の周りを、紋白蝶の精霊が飛び回っている。
「そうか…。お前達は知らなかったな!昔、カードなんてなかったとき…我々は、彼らの力を借りて、魔法を使っていたんだ」
ダラスは、若い戦士にまとわりつく精霊を見て、
「お前は、気に入られたようだな…。後で、契約したらいい」
「け、契約って…」
顔の周りを旋回されて、どうしたらいいのか…戸惑う戦士に、ダラスは見本を見せる為に、剣を突き出した。
「我…友との盟約により……風を纏し!凪ぎ払え!」
ダラスの剣先に、風が巻き付き…横凪ぎに払うと、風が刃を化し、ゴブリンを胴体から斬り裂いた。
「凄い……」
感心する戦士。
「どうやら……年寄りは、気付いたみたいだな…」
戦場に、魔法の攻撃が復活した。
「それにしても……どうしてだ?なぜ、お前達は、ここにいる?」
ダラスは、周りを飛び回るステラにきいた。
「彼よ!」
「彼?」
ダラスは、首を捻った。
「彼が……あたし達を解放したの!」
ステラが向いた方向…魔界の境界線である川を渡ったところに、1人の少年がいた。
この世界にはない…学ランという服を着て。
「か、彼は…」
ダラスは、目を見開いた。
「と言っても…彼の力が及ぶ範囲だけだけど…。あたし達が、ここにいられるのは……」
ステラは、少年に笑いかけた。
少年も、微笑んだ。
そして、一歩前に出ると、周りにいる魔物に命じた。
「我の名は、赤星浩一!戦いをやめよ!」
赤星の瞳が赤く光り…戦場を照らした。
魔界に向かう途中、魔物に襲われる人々を次々に助け回っていた僕は、実世界でいう朝鮮半島の手前で…チェンジ・ザ・ハートの中に残るティアナの意識に、止められた。
そして、ティアナから告げられた言葉に、僕は息を飲んだ。
「お願い…」
ティアナの言葉に、僕は一瞬動きが止まった。
それは、信じられない…僕には、想像もできない言葉だった。
「それは……あなたしかできないこと…」
「……」
ティアナの願いに、言葉を返せない。
「この世界にいる者は…これがなければ、生きていけなくなったわ…。だけど…本当はいらないもの…。これがあるから……人は、戦わなければならなくなってしまった」
僕は、朝焼けの太陽の照り返しを受けて、海面に落ちる自分の影を見つめていた。
「人を助ける為…人が、生きる為につくったはずが……今は、権力の象徴となり、富の欲望の証になってしまった」
「だけど……」
やっと出た言葉が、それだけだった。
「お願い……」
ティアナが、心から僕に頼んでいることはわかった。
「しかし……」
こんな言葉しか出ない。
「あなたは…この世界で生まれた人ではない。違う世界からきた…エトランゼ…」
僕は、唇を噛み締めて…何とか言葉を発した。
「だけど……人々から、戦う術を奪うことになります」
「大丈夫……。精霊達が、この世界に戻ったら…」
「それは……」
「魔王…ライを倒したら…」
僕は、昇っていく太陽に全身をさらした。
「お願い……」
僕は目をつぶった。
「カードシステムを破壊して……」
それは、エトランゼである僕にとっても……辛い言葉だった。
「わかりました…」
頷いた僕は、ブラックカードを取出し……じっと見つめた。
ブラックカードだけじゃない。
もう一枚……この世界に来てから、アルテミアに渡されたカードもあった。
いろんな思い出があった。
最初は、海を渡ることもできなくって、ポイントを集める為にバイトしたことや……ゴキブリを殺して、一ポイント貯めたこと…。
そのすべての苦労が…この世界で、生きる普通の人達の苦労なのだ。
「魔物と戦う為に、魔法を使えなくなった人々が…倒した魔物から、魔力を奪うのが、カードシステム。だけど…今は…人が生きる為ではなくなった」
僕は、ブラックカードを起動させ……カードシステムの管理塔である格納庫へと、一瞬でテレポートした。
眼下に広がる砂漠地帯。
地下に潜っている為、塔は見えない。
「だけど……僕が、魔王に勝てなかったら、どうします?それに……この塔には、あなたの心臓があるんでしょ?」
カードシステムを運用する力は、もと安定者達や…力のあった者達の心臓だった。
そのことは…かつて、ブラックカードを持つ者だけが知り得る情報だった。
アルテミアと最後に会った時…あまりの悲しさに、アルテミアが塔を破壊しょうとした理由…だけど、破壊できなかった理由。
僕は、それを知りたかった。
「ここを破壊したら…あなたは生き返れない」
その言葉に、ティアナは軽く笑った。
「あたしの体は、ボロボロだった…。心臓を抜かれなくても…死んでいたわ。それなのに…」
ティアナは一旦、言葉を止め、
「あの子や、あの人は…未だに…気にしすぎている。あたしの脱け殻まで使って……」
「脱け殻?」
その意味はまだ、僕にはわからなかった。
「その脱け殻も……ここも、破壊できるのは、あなただけなの……赤星浩一君」
僕は、右腕を天に向けた。
「アルテミアと……ライをよろしくね」
僕は、上げた腕を地面に向けて、一気に振り下ろした。
「そして……すべての人に、太陽を与えてあげて…。希望という太陽を」
雷空牙……星の鉄槌が、振り落とされた。
格納庫を守る結界をも破壊して……鉄槌は突き刺さった。
「ありがとう……」
これが、ティアナの最後の言葉になった。
カードシステムを破壊して以降…僕は二度と……ティアナの声をきくことはなかった。
僕は、星の鉄槌を落とした後……すぐにその場から離れた。
最後の戦いに挑む為に。
それは、絶対に負けられない戦いだった。
精霊達がついてきたのは、偶然だった。
魔界の入口へ向かう僕の周りを、いつのまにか飛んでいた。
ロストアイランドに閉じ込められ、この世界では、ライの毒により…存在できないはずの精霊がいた。
(もしかしたら…どこかに隠れていたのか?それとも…最初から、存在していたのか?)
この世界の仕組みは、わからない。
ライが何をやったのかも…。
僕に導かれるように、精霊達はついてきたのだ。
魔界の入口に立った僕は、そこにいる魔物達に告げた。
どうしてかは、わからないけど……命じた。
心の中で驚きながらも、外にいる僕は、至って冷静だった。
僕の瞳に照らされたゴブリンや翼竜達は、戦いをやめた。踵を返すと、魔界の奥へと戻っていった。
その様子を見送っていた僕も、ゆっくりと歩きだした。
「き、君は…」
そんな僕に、ダラスが声をかけてきたけど、僕は足を止めることなく、少し振り向いて、少し微笑んだ。
(時間がない……)
ついさっきまで、世界中で襲われていた人々を救ってきたが……カードシステムを失ったことで、大変なことになっているはずだ。
(早く…ライを倒さないと…)
僕は、空中に浮かび上がると一気に、魔界に戻る魔物達を追い越し…ライの居城に向けて、飛び立った。
城の中……ライが座る玉座の後ろに、皮肉にも、十字架が立てられていた。
そこに、磔にされたのは……天空の女神アルテミアである。
意識を失い、まるでキリスト……いや、魔女裁判にかけられた女のように、アルテミアは両手両足に杭を打たれ、磔になっていた。
その前に座るライ。
(アルテミア……)
玉座から離れ、控えている西園寺は、アルテミアの無惨な姿に心を痛めていた。
しかし…それよりも、そんな姿になりながらも、美しいアルテミアに惹かれていた。
(十字架に磔になったイエスを拝むやつらの気が知れなかったが……今ならわかる)
今すぐ近づき、アルテミアに触れたかったが………娘を磔にし、平然と座っているライの不気味さに、西園寺はその場を動けずにいた。
「王よ」
ライの前に、サラが現れ…跪きながら、口を開いた。
「赤星浩一が、到着しました。彼に命じられた魔物達が、次々に戦いをやめております」
「そうか…」
ライは無表情に、そう呟いた。
「いかがいたしましょうか?」
サラの問いにライはしばし答えず、数分後口を開いた。
「あやつは…目覚めた。お前達のように、魔物を率いる者としてつくったのではなく、野にいる魔物は…魔王の力を持つあやつに、逆らうことはできない…」
ライはそう言うと、目をつぶり…瞑想を始めた。
サラは、これ以上何も話さず……頭を下げると、その場から消えた。
(赤星が来たのか?やはり、生きていたか!フッ……それに、防衛軍はどうなった?)
西園寺は、城の中にいたがまったく…防衛軍に関する報告がない。
西園寺はブラックカードを取り出したが……何の反応もなかった。
苛立っていると、西園寺の目の前を、レイラが歩いてきた。
ライの向こうで磔になっているアルテミアを一瞬見上げると、すぐに背を向けて、腕を組んだ。視線は、前を睨んでいる。
レイラも待っているのだ。
赤星浩一を。