第5話 もっともっと
異世界に行かなかったけど、その代わり…夢を見た。
とても綺麗な泉。水面に顔を映すと、とても可愛いブロンドの女の子の顔が現れた。覗いたその瞳に、たくさんの魚が映る。
「お母様!お魚が、いっぱいいますわ」
女の子が振り返ると、日傘をさし、ブロンドの髪を靡かせた…綺麗な女の人が、そばで佇んでいた。すらっとした細身で、華奢な女の人。
女の人は、木漏れ日の中で、微笑んでいた。
場面は変わる。
「悪魔ああ!」
人々が、逃げ惑う。
町全体が水浸しになり、建物はすべて炎に包まれていた。
逃げ惑う人々に襲いかかる…炎の影。炎の爪が一瞬にして、何人もの首を跳ねる。
「今日は、大漁ね」
楽しそうにネーナは笑いながら、人々を殺していく。
「そうね」
膝下まで水に浸かりながら、幼い女の子の首筋に噛みついている…マリーが微笑んだ。口元から、血が滴り落ちた。マリーの周りだけ、異様に水が赤い。
「やはり…十歳までが、おいしいわ」
マリーは舌なめずりをし、空を見上げた。
「そう思わない?お前も」
その瞬間、無数の雷が落ちた。建物を破壊し、逃げ惑う人々を焼き尽くす。
雷鳴が轟き、水面に映ったのは…黒い蝙蝠の翼を広げたアルテミアだった。
「お母様!」
窓の外で…雷鳴が轟く中、黒い巨大な影に抱かれた女。その女性はぐったりと、首をくの字に曲げて眠っていた。彼女の長いブロンドの髪が、床についていた。
「…」
まるで、宮殿のような石造の広間の中央に、影は無言で立っていた。雷に照らされても、床に影を落とすこともなく、抱かれた女の人の影だけが、広間内に伸びていた。
「どうして…お母様を!」
母親を抱く影は、こたえない。
「あらあ。いいじゃない」
右の柱の影から、マリーが姿を現した。
「そうよ。名誉なことよ」
左からは、ネーナが…。
「一生…お父様に、尽くすことができるんだから」
「家畜としたら、大したものよ」
「まあ」
マリーは顔を近づけ、
「一生…飲み物としてだけど…」
クスッと笑った。
「生きた樽ってとこ」
ネーナも笑った。
しばらく、沈黙に震えてから、
「うわああああ!」
アルテミアは絶叫とともに、影に襲いかかった。
しかしその次の瞬間、凄まじい電流がアルテミアの体を包み、そのまま…意識を失った。
「お母様…」
崩れ落ち、意識を失う寸前まで、母親に手を伸ばしながら。
朝。目覚めた時…僕は、泣いていた。涙に驚きながらも、アルテミアの戦う理由が、分かったような気がした。彼女の悲しみが、心の底から伝わってきた。
朝の心地よい日差しの中、僕はベットの横の窓を開け、まだ慣れない眩しさに目を細めながら、外を眺めた。
平和な街並みが見える。
(幸せなんだ)
つくづく、そう思った。
学生服に着替え、リビングにいくと、両親と妹がいる。いつもの朝の光景。
ふっと、隣の部屋にある仏壇に、目がいった。お婆ちゃんの言葉が、思い出された。まだ小さかった僕に、お婆ちゃんはよく言っていた。
誰も、死にに行かなくていい。住む家も、ご飯もある。今の暮らしは、幸せだと。
もし、昔みたいに、なることがあるなら…今度は死んでも、この国と戦うと。大切な人が、死ぬんだったら。
お婆ちゃんは戦争で、お父さんや親戚、友人の多くを亡くしていた。
(お前も…大切な人の為に、戦わなきゃならない時が来る。その時は…大切な人を絶対に、守らなくちゃいけないよ)
お婆ちゃんの言葉を思い出しながら、僕は仏壇に手を合わせ、決心した。
数時間後の昼休み。早めに食事を済ませた僕は目をつぶり、机の上にうずくまった。
「アルテミア!」
場面は変わり、僕は広い草原に立っていた。徐にカードを見ると、百ポイントだけ残っている。それに、僕のレベルが…11になっていた。
「え!?」
びっくりした僕に、
「当たり前だろ。何匹か、倒したんだから」
だるそうな声で、アルテミアが言った。
「ぼ、僕は、戦ってないよ」
「あんたの体、なんだから〜あたしが倒しても、レベルは上がる」
僕は、カードをマジマジと見た。どうしてか、気持ちが昂ぶった。
「それより、あんた。属性は、火…魔術師なんだ」
カードの右下に、表示されていた。
「まあ〜体力なさそうだし。戦士は、無理よね」
「魔術師…」
その表示を見て、僕は少し嬉しくて、なんだか照れ臭かった。
「それより、あんた。さっき、あたしを呼ばなかった?何か用なの?」
「あっ!それは…」
僕が口を開こうとしたとき突然、目の前の地面が盛り上がり、土の中から巨大なミミズが出現した。
僕は怯えながらも、構えた。もう多少のことでは、動じなくなった。
「モード・チェンジ」
だけど、
「ちょうどいいわ!あんたがやりなさい」
アルテミアは、変わることを拒否した。
「え?」
アルテミアの変身拒否に、僕は目を丸くした。
「こんな害虫。やるのは、簡単」
ミミズは、軽く僕の三倍はある。
「手を前に出して、炎をイメージしろ。相手が、丸焼きになってる姿を」
「えええ!」
「とにかく、やれ!」
ミミズは巨大な口を開け、頭上から襲いかかってくる。
「うざい!さっさと、やれ!」
僕は思わず、目をつぶりながらも手のひらを広げ、叫んだ。
「燃えろ!」
次の瞬間、ミミズの全身が、炎に包まれた。
「ひいい」
腰がひけて、無意識に指を曲げると、炎が縄みたいになり、ミミズの全身に絡みついた。恐怖からか…ぎゅと握りしめると、ソーセージのように、細切れに切れた。
「へぇ〜。これが、あんたの基本形か」
僕の手から、伸びる…炎の鞭。
「あんたが、イメージした力の形よ」
後で考えれば…この前戦ったバイの鞭のイメージが、残っていたのだろう。
僕は、自分の手から伸びる炎の鞭を見た。
(ポイント、ゲット。10ポイント)
そう…。この時から、僕の戦いは始まったのだ。
しかし、昼休みは短い。
巨大ミミズを、倒したことの余韻に浸る間もなく…チャイムの音が、僕を眠りから覚ました。
はっと顔を上げると、もう次の授業の先生が、教室に来ていた。慌てて、僕は授業の用意をする。
ふっと僕は思い立ったように、授業中にも関わらず、手を伸ばした。黒板の下にあるゴミ箱に向かって、念じてみた。
(燃えろ)
でも、やっぱり…燃える訳なんて、なかった。
僕は、ガクッと肩を落とした。
「こうちゃん」
放課後。帰宅途中の僕を、女の子が呼び止めた。
栗色の少し癖毛が、かわいい女の子。
沢村明菜。
僕は振り返ったまま、走り寄ってくる明菜に、不覚にも見とれてしまった。
走ってきたから、少し息が荒い明菜は、自然と微笑んだ。
「今日は、部活ないんだ。だから、一緒に帰ろうよ。たまにはね」
明菜と、帰るなんて。昔は、何とも思わなかったけど…今は。
「今日は寒いね」
「あ、うん…」
隣を歩く明菜の横顔を、眺めてしまう。去年より、綺麗になった。心の中で、有名な曲のフレーズが流れた。
幼なじみ。2人の関係を、一言で言えば、そうなる。
単なる幼なじみだ。
「こうちゃん」
だけど、今の思いは。
(幼なじみなんて、羨ましい…というやつもいるけど…近すぎて…)
「こうちゃん!」
今、歩きながら、人の間にある…この隙間を、埋めることなんて。
多分、できない。一生縮まらない。
「こうちゃん!」
明菜はいきなり、僕の顔を両手で掴むと、無理やり自分の方に向けさせた。
「え!?」
(いきなり、距離が)
僕がドキドキしていると、明菜はさらに顔を近づけてきた。
「ま、まずいよ。い、いきなりは!こ、心の準備が…」
パニクる僕に、明菜の期待外れの一言。
「ピアスしてるの?」
「あ…あ…」
目をつぶった僕を無視して、顔から手を離すと、今度は腕を掴み、
「指輪まで!」
明菜は数秒指輪を見つめた後、僕の腕を捨てるように離した。
「一体、どういうことなの!」
「え」
明菜の剣幕が理解できず、驚き…僕は目を見開いた。
明菜は腕を組みながら、僕を睨んでいた。
「あたしが、部活で忙しくしてる間に…いつの間に!」
「な、何のことだよ」
訳が分からない僕に、
「浮気者!」
明菜は、鞄を投げつけた。
「え!」
鞄は、僕の顔面にヒットした。
「浮気者って…僕が、何をしたんだよ」
興奮気味の明菜は、ピアスと指輪を指差し、眉を寄せた。
「だったら…これは何よ!」
こんな恐ろしい…顔をした明菜を、僕は見たことがない。
鬼だ。
「こ、これは…」
僕は指輪を見つめ、口ごもってしまった。
「こ、これは…」
説明しょうがない。戸惑い、口ごもってしまう。
「女に、貰ったんでしょ」
「え!」
戸惑う僕。
(貰ったと言われたら…貰ったんだけど)
さらに、口ごもる僕に、明菜は詰め寄る。
「誰よ!相手は」
「相手は…アル」
明菜の迫力に負けて、僕は思わず、口を滑らせそうになったけど…思い切り、首を横に振って、誤魔化した。
「あるお店で、自分で、買ったんだ」
しばらくの間。
明菜はじっと疑いの目で、僕の目を見つめると、
「だったら…」
また僕の腕を取り、無理やり手を上げさすと、指輪を僕の目の前まで持ってきて、にこっと笑った。
「1日だけ、あたしに貸して」
「え!」
明菜はすうと簡単に、僕の指から指輪を抜き去った。
そして、自分の指にはめた。
「少し…タブタブだけど…」
僕の指は、普通の男の人より細い。
「似合う?」
明菜は、指輪をはめた手を僕に見せた。嬉しそうに、一回転すると、
「1日だけ…貸してね。明日返すから」
いたずらぽい満面の笑みを、僕に向けた。
「う、うん…」
僕は渋々、頷いた。このことが何を引き起こすか、分からずに。
「ありがとう」
この時は、明菜の笑顔に何も言うことができなかった。