天の上
「く!」
横凪ぎの斬撃を、蹴りで受け止めた男の動きに、緑は顔をしかめた。
「フン!」
男はそのまま剣を押し返すと、土を蹴り、浴びせ蹴りのような攻撃を繰り出した。
しかし、握る剣の衝撃を受付、緑の体は脳が命じる前に、後ろに回避させていた。
(くそが!)
緑は、心の中で毒づいた。明らかに、身体能力が向こうの方が数段上だった。
さらに、剣を通して伝わった感触から、相手の体の一部が金属である可能性が高かった。
男は回避した緑を追撃せず、ただ見つめながら、姿勢を正した。
(あたしの腕で鉄を斬れるか…)
魔法をプラスしたらそれも可能かもしれないが、ここはブルーワールドではない。
(ならば)
緑は覚悟を決めた。服でどこまでが金属でわからないならば、見えている部分…顔の部分には剣を突き刺すと。
緑に躊躇いはなかった。未知の敵を目の前にして迷えば、自分が死ぬだけだ。それが魔物がいる世界で生まれた人間の定めだからだ。
剣を握る手に、力を込めた瞬間、遠くの空気が騒いだ。
「刀?何かの撮影?」
二人から20メートル離れた位置に、女子大生がいた。
(民間人!)
緑の注意が一瞬だけ、女子大生に逸れた。
その次の瞬間に、緑の目の前から男が消えていた。
「くっ!」
顔をしかめると、緑は剣を下げ、女子大生に背を向けて、走り出した。
(目立ちたくないということか!)
初会わせであったが、向こうの方が有利であったはずだ。
緑は走りながら、ちらりと空を見上げた。
「まったく!何ですか!いきなり呼び戻して!見失ったとはいえ、ターゲットの住まいはわかっていますし!問題はありませんよ」
追跡中からいきなり呼び戻された輝は、高坂とともに路地裏を歩いていた。
すると、黒のスーツ姿の高坂の胸ポケットに入れてあったスマホが光った。
すかさずスマホを確認する高坂の横で、輝は立ち止まると、両手を首の裏に回し、顎を上げた。
「ここっすね」
カフェと言うよりは、喫茶店。
高坂は無言で頷くと、木造の古風な扉のノブを掴むと、ゆっくり開けた。
「いらっしゃいませ」
微かな鈴の音とともに、優しい年配の男の声がした。
高坂は軽く会釈すると、中に入った。
「ここかあ~」
キョロキョロしながら、輝は中に入った。独りならば、クールを気取る輝であるが、そばに高坂がいると、学生時代の感じに自然と戻っていた。
「これはこれは」
カウンター内にいたマスターは、高坂の後ろにいる輝を見て、目を細めた。
マスターの視線の先を理解すると、高坂は微笑み、六席しかないカウンターに近づきながら、口を開いた。
「初めてここを利用します…が、生徒会長。いや、九鬼真弓さんから噂をきいています」
高坂は席につくと、マスターを見上げ、
「コーヒーを」
注文した。
「かしこまりました」
頭を下げると、マスターは二つのカップにコーヒーを注いだ。
コーヒーを入れる音だけが、店内に響く静かな空間。
「九鬼様はお元気ですか?」
二つのカップを、カウンターに座った二人に出すマスターの言葉に、高坂は微笑んだ。
「だと思いますよ。今は、この世界にいませんが」
「この世界?」
高坂の放った言葉に、マスターは初めて営業スマイルの中に、別の表情を覗かせた。
「…」
逆に高坂は、微笑んだ。
「成るほど…」
マスターは頷いた。
「だから、ここに来て冷静だったのですね」
カウンターの後ろにある二つテーブル席に座るお客は、一人を除いて…人間の姿をしてはいなかった。
「最近、普通の人は…ここに辿り着くことはありませんでしたから…」
マスターは視線をゆっくりと、高坂から輝に移動させた。
「単刀直入にお訊きしますよ」
高坂放ったカップを手に取った。
「死神について、ご存知ですか?」
「死神?」
マスターは視線を、高坂に戻すと、逆にきいた。
「会われました?」
「いえ」
高坂は、カップの中身を見た。
「そうですか…」
マスターの顔が再び、完璧な営業スマイルに戻ろうとした時、高坂は言葉を続けた。
「私は会っていませんが、隣の者は遭遇しています。その時、こちらの銃を抜いて」
「!?」
マスターの顔色が変わる。
「…」
高坂はゆっくりと、カップの縁に口をつけた。
マスターは、そんな高坂をじっと見つめた。
「旨かった」
高坂はカップを、カウンターに置くと、マスターを見上げ、
「また来ます。お代はいくらですか?」
立ち上がった。
「明日…営業時間前なら、お話はできると」
お金を見上げ出そうとする高坂の動きを止めると、頭を下げた。
「承知しました。では明日」
「ぶ、部長?」
一人状況がわからない輝は、コーヒーを飲み干すとあたふたと、高坂のあとを追った。
「ビンゴだ」
高坂は店を出ると、スマホの画面を確認した。
そこには、舞から送られてきた画像があった。緑と戦う男の映像。
テーブル席にいた一人だけ…人間の姿をしていた男が、映っていた。
「マスター」
人間の姿をした男が、目で高坂達が出ていくのを見送った後、口を開いた。
「あいつら…さっき、橘の学校であった女に、匂いが似ている」
「刀を持った女とですか?」
「ああ」
ぶっきらぼうにこたえながらも、男の目に鋭さがました。
「天上くん」
マスターは、カウンターに残ったカップを回収すると、男の顔を見た。
「明日も頼みましたよ」
「わかっているよ」
天上と呼ばれた男は頷くと、その場から煙のように消えた。