特別編 違うから
「最初に言っておく」
ツインテールにとめた髪を左右に振り子のように揺らしながら、前を歩く少女は振り返ることなく、話始めた。
「お前の命など、はいて捨てる程ある塵と同じだ。何の価値もなく、その気になれば、排除するだけのものだ」
「あら〜。それは言い過ぎじゃないかしら」
後ろを歩く女が、ポニーテールにまとめた髪を人差し指に絡めながら、無表情で首を傾げた。
「仮にも、あの御方が気にされる人間よ。塵ではかわいそうよ。せめて…生ゴミくらいは…」
二人の女に、前後を挟まれ…まるで連行のような姿で歩く男はフッと笑うと、肩をすくめて見せた。
「塵でも、ゴミでも構わんよ。ここまで、連れて来てくれたのだからな」
「…」
男の言葉に、前を歩く女がちらりと一瞥を与えた。
「ついたようね」
後ろを歩く女が、足を止めた。
「ここが、貴様らの世界の人間が言う…地獄」
ツインテールの女も足を止めると、人差し指を天にかざした。
すると、足元以外殆ど見えなかった空間に、明かりがついた。光の発信源は、ツインテールの女自身だ。
「の最下層よ」
「ここか…」
黒いスーツを着た男は徐に、再び足を進め、ツインテールの女を追い越した。
「あまり離れると、凍死するわよ」
ポニーテールの女が、無表情で男の背中に声をかけた。
「心配してくれて、ありがとう。これくらいでは、死なないよ」
男の返事に、ツインテールの女は苦虫を噛み潰したような顔になった。
「ケッ!そうだったな。お前は咎人にして、我々と同じだった」
「リンネ様によって…」
ポニーテールの女は、男の全身から漂う闘気のような炎の揺らめきを感じていた。
「人を殺した咎人であることは、認めるが…あくまでも、俺は人間だ」
男は、視線を足元に向けた。
数センチ向こうからは、地平線の彼方まで氷の世界が広がっていた。
(ダンテの神曲では、氷付けの悪魔が閉じ込められ…)
男の爪先の向こうでは、異形の姿をした者達が、水面の下で凍りついていた。
「悪魔…」
息を飲む男と違い、真後ろにいたツインテールの女は、鼻で笑った。
「悪魔?ただの人間だろ」
ツインテールの女の言葉に、男ははっとなった。
(そうだ!神曲の中で、地獄の最下層で氷付けにされているのは…もっとも、重い罪を犯した人間!)
男は、ゆっくりと歩き出した。
「戻るか」
男の後ろ姿を見送りながら、ツインテールの女はため息をついた。
「ええ」
ポニーテールの女が頷くと、二人はその場から忽然と消えた。
(その罪とは…)
男は歩きながら、目を細めると、足下にいる者達の姿が、異形の者から…人間に変わった。
(裏切り)
神曲の地獄で一番罪の重いものは、裏切りとされていた。
(裏切り…。一度も裏切らない人間などいるのか…)
男は、足下の人間達を1人1人確認しながら、歩いていた。
男の名は、幾多流。彼は、弟を探していた。
その弟の名は、高坂真。 魔王アルテミアの真意に気付いた彼は、彼女によって…次元の狭間に幽閉された。
(しかし…あの弟が、裏切りの罪だと…。いや、違うな。ダンテの神曲では、コキュートス…裏切り者の地獄の手前には、かつて神に歯向かった巨人が、鎖で繋がれているはずだ。神に歯向かった罪ならば!真は、入口か!)
と思い、引き返そうとした瞬間、幾多の全身が寒気ではない悪寒におかされた。
「な!」
思わず、声が出た幾多は前を向くと、走り出した。
もう足下で凍りついている人々のことなど、気にならない。
幾多はただ走り続けた。 途方もない時間を。
(最下層の一番奥には…墜天使サタンがいるはずだ。イエスを裏切ったユダと!ブルートゥスとカッシウスを三面の顔で、それぞれを噛み締めて!)
幾多は、地平線の向こうを睨んだ。
(本当に、サタンがいるか?ここが、ブルーワールドの一部だとしたら…)
何もない地平線の彼方に突然、誰かが立っている姿が目に飛び込んできた。
(人がいる!)
幾多は反射的に、スーツの内側から銃を抜いた。
足下には、数え切れない程の人がいるが、地上にいるのは、二人だけだ。
恐らく向こうも見えているはずだ。
銃口を向けながら、幾多は微動だにしない人間を凝視した。男は、地面の下にはいないが…他の人間と同様に、凍り付いていた。
(男?それも…あの服装は!)
男の服装は、幾多が見慣れたものだった。
「学生服だと!」
それだけではなかった。男は、誰かを両腕で抱き上げていた。
男の腕の中にいる者を目にした瞬間、幾多は銃口を下ろし、足を止めた。
「真…」
氷の世界で、高坂真だけが凍り付いてはいなかった。
「…」
幾多は銃を、スーツの内側に戻すと、足を進めた。
高坂を守るように、立つ男を幾多は知っていた。
いや、直接会ったことはない。
しかし、誰もがその存在を知っていた。
「なぜ…あなたがここに」
まるで、幾多に差し出すように高坂を抱く男。その前に立つと、幾多は一礼して、男から高坂を受け取った。
「いや…あなたのはずがないか…。あなたは、地獄になど墜ちるはずが」
幾多が高坂を受け取った瞬間、足下から風が吹き始めた。
その風は、幾多と高坂を包むと、上空へと飛びあげた。
(地獄を抜ける!)
視界さえ、風に遮られた幾多は、どこかに飛んでいく感覚だけを感じながら、思考を巡らせた。
(神曲では、魔王を土台にして、地獄から出て、七つの大罪を祓う煉獄…天国へと向かうだったな)
風が晴れた時、幾多はどこかしらない場所に立っていた。
しかし、地獄とは違い、生命の息吹きを感じる空間は、ここが地上であると教えていた。
(地獄から出られたということは、やはり…彼が、魔王?)
幾多は空を見上げた後、高坂を地面に下ろした。
「あら。ちゃんと出られたようね」
唐突に、後ろから声をかけられても、幾多は驚かずに、振り向いた。
「おかげさまでね」
幾多は、微笑んだ。
「ユウリとアイリも上手くやったようね。弟さんも助かったようでよかったわ。彼も気に入っていたし」
切れ長の目に、華奢な体で、女は幾多に微笑み返した。
「地獄で、彼に会ったよ」
幾多は表情を変えた。鋭い目で、女に問いかけた。
「彼は復活し、アルテミアと和解したはずだ。なのに、どうして!地獄にいる!」
「ウフフ」
女は含み笑いを洩らした。
「あんたなら、知っているはずだろ!魔神リンネ!」
幾多は、リンネを見つめた。
「さあね。それは…」
リンネは微笑みながら、少し考えるフリをした。しばらく間を開けて、リンネは言葉を続けた。
「いい女でもわからないわ」
と言うと、再び微笑んだ。
幾多は溜め息をつくと、きくのを止めた。
「…すまないが、真の友達に、連絡しておいてくれ。それくらいはしてくれるだろ?何しろあんたは」
「あなたの奴隷ですから」
リンネは微笑みながら、頷いた。
「ありがとう」
幾多はフッと笑うと、その場から歩き出した。
「弟さんと話さないの?」
リンネは、幾多の背中にきいた。
「こいつとは話すことはない。思想も考え方も違う」
幾多は、また空を見た。
「どうして、助けたの?」
「弟だから…。いや、それだけではないな。違う考えを持つ者だから、死んでほしくなかった」
それだけ言うと、幾多はその場から去った。
「面白いわね…。人間って」
リンネは、幾多に背を向けるとまた、微笑んだ。
「先輩!」
数時間後、高坂が横たわる場所に、舞と輝が姿を見せた。
「やっと見つけた…」
高坂を抱き上げ、抱き締める舞の姿を見つめながら、輝は無言で笑うと、2人に背を向けた。
「学園情報倶楽部復活か…」
呟くように言った輝の目から、涙が一筋流れた。