幸あることを
「…で」
舞の報告を、新聞の部室で聞いていた高坂は、インスタントコーヒーの入った紙コップをテーブルの上に置いた。
情報倶楽部と違い…ふかふかのソファーがある新聞部の部室には、高坂と緑と如月さやかがいた。
舞の報告は、パソコンの画面越しだった。
「橘アヤトという人物を特定することは、できませんでした。しかし、学園の予定表には、書き込まれていました。書き込まれたのが、いつかは把握できませんでしたけど…。履歴書等を閲覧できればれいいんですが…」
部室に引き込もっている舞は、外に出ることはない。
舞の報告を聞いて、さやかはため息をつくと、高坂の隣に腰掛けた。
高坂の後ろに立つ緑は、目で二人の距離を無意識に確かめた。
「まあ…予想はしていたけどね。ただ…あなたから聞くと、より納得できたわ。ありがとう」
さやかは画面越しの舞に、微笑んだ。
「いえ…こちらこそ」
舞は、頭を下げた後、
「もう少し探してみます」
そう言うと、通信を切った。
「フウ」
高坂は息を吐いてから、コップを手に取り、一口飲んでから虚空を見つめ、話し出した。
「ここは、大月学園だ。誰がどこから来てもおかしくない。ただ…何故来たかという目的が大切だ」
そう言うと、高坂は隣に座るさやかに質問した。
「さやか。お前は、何か…聞いていないのか?理事長から」
「え…」
少し驚きの声を発しかけたが、それを飲み込み…さやかは平然とこたえた。
「何も…」
「そうか…」
高坂は、さやかの方を見ることなく立ち上がると、歩き出した。
「すまんな。役に立てなくて」
「高坂?」
「邪魔したな。いくぞ」
高坂の言葉に、緑はさやかに頭を下げると、背を向けて歩き出した。
「ちょっと!高坂!」
戸惑うさやかを無視するかのように、高坂は新聞部の部室から出た。
「部長。いいんですか?」
真後ろに来た緑の問いに、高坂は軽く肩をすくめた。
「真実を伏せているやつといても仕方があるない。それよりも、緑!輝はどうした?」
「昨日、屋上から飛び降りてきた…自称超能力者を探さしています」
「超能力者…サイキッカーか」
高坂は歩きながら、顎に手をやった。
「はい。向こうの世界の機密文書にも、サイキッカーの記述はあります。精神力が我々より特化した人類と。魔力を使わずに、物を動かしたり破壊したりすることができる。しかし、普通の人類よりも体力は弱く、寿命も短いと」
「なるほど…。この世界でも、魔力よりはポピュラーで知られた力と聞く。一部の大国では、秘密利に研究されているとも…」
そこで、高坂は考え込んだ。
「だとして、彼女の目的は何だ?超能力者が、この学園に来る意味は?」
少し振り返ると、高坂は緑に目をやった。
「知りませんよ。それに、舞の調べだと、本当に超能力者と証明された人物は、この世界にいないそうですよ。まして、ビルから飛び降りて、無傷だなんて…」
今度は、緑が肩をすくめた。
「…」
前を向き、しばし無言で歩きながら、高坂は天を見上げた。
「まあ〜いい。巡回だけは怠らないようにしょう。我々は神ではない。運命を知ることはできない」
高坂は情報倶楽部の部室に戻るのを止め、校内をパトロールすることに決めた。
「了解」
緑は敬礼すると、高坂とは別のルートを回ることにした。
まだ生徒がほとんど来ていないが、二人は校内を念入りに調べることにした。
「ふわああ〜」
時は平然と過ぎる。
退屈極まりない体育の授業を終えた司は着替えるとすぐに、食堂に向かって歩いていた。
まるで軍隊のような団体行動が嫌いだった。それ故に、運動神経は悪くないが、スポーツ全体が嫌いだった。
その為か…何かスポーツをやっていても、体にストッパーがついているかのように、本気になれなかった。
だから、どこにいっても…体育の成績は五段階の二以下が多かった。
(真面目にやれ〜ねえ〜)
体育教師の言葉が虚しく頭に残っていたが、それを忘れるかのような状況を目のすみにとらえ、司は足を止めた。
そこは、校舎と校舎の間の狭い空間だった。
そこに腰を下ろし、血塗れの雀を手のひらに乗せた瑞穂がいたからであった。
「ど、どうしたの?」
普通ならば無視するところであるが、瑞穂の悲し過ぎる後ろ姿に、司は近付き声をかけた。
司の声に気付き、振り向いた涙の目の瑞穂に、再び心がキュンとなったが、冷静に訳をきいた。
どうやら、その雀は屋上のフェンスに引っ掛かり、翼を傷付けて何とか着地したところを、猫に襲われたらしい。
もう生き絶えた雀を、司と瑞穂は校舎の角に埋めることにした。
その為、ご飯を食べる時間はなくなったが…瑞穂と過ごせて、良かった思っていた司に、彼女は呟くように言った。
「どうして…命はなくなるの?どうして…命を奪うの…」
再び涙を流す瑞穂をそばで見て、司は彼女の優しさにしばらくその場から動けなくなっていた。 返す言葉もなかった。
だから、埋めたところをしばし…見つめてしまった。
「手伝ってくれてありがとうございます」
そんな司に頭を下げると、瑞穂は逃げるようにその場から走り去った。
「…」
司は静かに、目線を遠ざかっていく瑞穂の背中に向けた。
「命か…」
そして、無意識に呟いた。
無情にも時は過ぎる。
太陽が沈みかける黄昏時。
繁華街を外れた…レンガ造りの小さな喫茶店の扉を開く者がいた。
「いらっしゃいませ」
テーブル席二つとカウンターのみというこじんまりした店内には不似合いな…大柄の店主が奥にいた。
迷うことなく、カウンターに座ったお客に、店主はいつもの文言を伝えようとした。
「いらっしゃいませ、お客様。当店は」
「いつものコーヒーを」
「いつもの?」
眉を寄せた店主に、お客は言い直した。
「俺に合ったコーヒーをお願いします。マスター」
「あ、あなたは?」
カウンターに座ったのは、アヤトであった。
アヤトはマスターに微笑むと、
「心配しなくていいですよ。俺は混ざっているから」
直ぐ様出てきたコーヒーカップに目を落とした。香しい臭いが、鼻孔を刺激した。
「そのようで…」
マスターはちらっと、アヤトを見て頷くと、頭を下げた。
「しかし…あなたのようなケースは初めて見ます。目覚めているのに、変わっていない」
頭を上げた時、再び温和な笑顔を浮かべていたが、目の奥は鋭かった。
アヤトはコーヒーカップを持ち上げると、水面にマスターの顔を映し、その顔に話しかけた。
「単刀直入に言いましょう。あなた方の神に会いたい。そして、神に会ったら話をしたい」
「用件は?」
マスターは笑顔を崩さない。
「用件はただひとつ。備えて頂きたい」
アヤトは、水面のマスターの目を見つめた。
「何の為に備えます」
「それは…」
アヤトはカップを口許に近付けると、一気に中身を飲み干し、カウンターに置いた。
「この世界を救う為に」
そして、立ち上がり、マスターの目を見つめた。
「世界?」
マスターは目を細めた。
「始まりがいつだったかは、わからない。しかし、まだ始まっていないことはわかっている。何故ならば…まだ生きているからだ」
アヤトは目を瞑り、吐き出すように言葉を述べた。
「エトランゼが!」
「了解しました。マスター」
体育館の屋根の上に、アフロディーテとカミューラがいた。
携帯片手のアフロディーテのそばで、二挺拳銃を握り締めたカミューラが無表情でほくそ笑んだ。
「心配いりませんわ。マスター。この前は油断しましたが…」
カミューラは、拳銃を指でくるくると回し、
「ミュータントだと認識しました故は…どうとでも対処できますわ。それに」
ちらりとアフロディーテに目をやった。
彼女は、妖しい光を放つ日本刀を手にしていた。
「あやつは1人。私が相手している間に、妹が息の根を止めて差し上げますわ」
カミューラは長いスカートを捲ると、素足に絡み付いているホルダーに拳銃を納めると、勢いよく屋根を蹴った。
「エトランゼの!」
そして、生徒達が学ぶ校舎に向かって飛んだ。
「エトランゼ…」
アフロディーテは携帯を切ると、首を回し、グラウンドの向こうの校舎に目をやった。
「排除…。それが…命令」
そして、彼女もジャンプした。
「おおおおっ!」
その時、真下にいた輝が空を見上げていた。
「お、俺の視力よ!上がれ!」
目に力を込めながら、飛んでいくアフロディーテのスカートの中身を凝視した。
「くそ!はっきり見えない!どうして、神は俺にもっと視力をくれなかった」
嘆く輝の携帯が鳴った。
慌てて出ると、高坂からだった。
「舞から連絡が入った!ターゲットはどこに向かっている」
「ぱ、パンツはき、き、北!一般校舎に向かっています!」
「パンツ!?ま、まあ…いい!どの校舎だ!」
「わ、わかりません!」
パンツに気をとられて、どこか確認していなかった。
「チッ!」
高坂は通話を切ると、舞にかけ直した。
「舞!どの校舎だ!」
「すいません!部長!体育館から飛び立った直後に消えています!」
舞は、キーボードに指を走らせていた。
「しかし、飛び立ったのは2名!それだけは確認できました!」
「了解した!」
高坂は携帯を切ると、横目で体育館の位置を確認しながら、近くの校舎に飛び込んだ。
「超能力者か!厄介だな」
放課後…クラブハウスならまだしも、一般校舎にいる生徒は少ない。
しかし、3棟もある為に彼女達が飛び込んだ校舎も階もわからなかった。
「高坂イヤー!」
高坂は走りながら、耳をすますことにした。
「マスター。エトランゼを発見しました」
中央館の渡り廊下の手前で、教科書を抱き締めた瑞穂がいた。
転校してきて間もない為に、他の生徒との差を埋める為、1人校舎に残っていたのだ。
「しかし…問題発生」
アフロディーテはゆっくりと振り返ると、日本刀の先を後ろに向けた。
「九鬼真弓。特A戦力と遭遇しました」
「!?」
帰る前の日課である見回りをしていた九鬼は、日本刀を手にしているアフロディーテを発見し、足を止めた。
「はあ〜。こちらは、センサーの異常でしたわ」
がたっと肩を落とすカミューラの前に、司がいた。
瑞穂と違い、ただぶらぶらとほとんどの生徒が帰り…静かになった校内を探索していただけだった。
「全く反応がない。どうしてこんなノーマルに」
カミューラは無表情で落胆すると、ターゲットを変えた。
「ターゲットを変更します。エトランゼ…水樹瑞穂を始末する為に、妹に加勢致します」
カミューラはそう口にすると、その場から消えた。
「な!」
司は、カミューラが消えたことよりも、口にした名前に絶句した。
「み、水樹瑞穂を始末するだって!」
名前を叫んだ瞬間、司は走り出していた。
「神ですか…」
アヤトの言葉に、マスターは口許に笑みを浮かべながら、空になったカップにコーヒーを注いだ。
「残念ながら、神は…この世界にはいません」
「な」
目を見開くアヤトに、マスターはそっとカップを近づけた。
「正確には、何人も後釜は誕生しましたけど…続きませんでした。やはり…太陽は一つ…」
「後釜?太陽…。なら、その前の神は、どこに?」
アヤトはコーヒーを無視して、マスターに詰め寄った。
「ブルーワールド」
マスターは、アヤトの目をじっと見つめた。
「ブルーワールド?」
「はい」
マスターは頷いた。
「ここではない。異世界です」
そこまで言った時、店の扉が開いた。
マスターは視線を外し、入ってきたお客にいらっしゃいませと挨拶した。
お客がテーブル席に座った為、マスターはカウンターから出た。
その時、アヤトの耳元で囁くように言った。
「神の名は、赤星浩一」
「赤星…浩一」
アヤトは繰り返し、思考しょうとした時、脳裏に瑞穂の姿が映った。
(瑞穂!)
彼女の危険を察知したのであった。
顔色が変わっていくアヤトを見て、お客に説明をしていたマスターは終えた後、アヤトの方を向かずに、話し出した。
「力はなくしましたが、創世の神である月の女神がご健在です。あなたが本当に望むなら、たどり着くでしょう」
折角のマスターの助言を聞いたかわからないが…その場からアヤトは消えていた。
それでも、マスターは気にすることなく、アヤトの残したカップを片付けると、残った中身に微笑んだ。
「若き同胞に、幸あることを」