堕ちた翼
「レダ…」
空母内にある居住空間に、テレポートした僕は膝を折ると、毛布の上にレダをそっと寝かせた。
段ボール等で仕切られたプライベート空間に、安らぎはない。
「僕は馬鹿だから、このやり方しかできないんだ」
レダの寝顔を見てから、僕はゆっくりと立ち上がった。
何も教えられずに無理矢理、空母に連れてこられた何百人もの人々は、すし詰めにされた空間で、何とか自分の居場所をつくり、耐えていた。
普通ならば、パニックになってもおかしくない状態で、何とか人々が正気を保っていられるのは、そばに勇者がいたからである。
「赤星様」
薄い空間に、老婆のか細い声が響いた。
「赤星様」
その声が合図となり、次々に人々がプライベート空間から立ち上がった。
「皆さん」
僕は圧し殺した声で、人々を見回しながら言った。
「心配しないで下さい。ちゃんと帰れます。僕が保証します」
僕の言葉に、人々は少し笑顔になると再び、四角プライベート空間に横になった。
僕と人々のやり取りは、いつも変わらなかった。
毎日同じ質問の繰り返しであるが…それで安心するならば、何度でも言おう。
僕は、人々が横になったのを確認すると、再びテレポートをして、甲板へと出た。
やつらの目的は、わかっていた。
空母内に囚われた人々を狂わせ、殺し合いをさせたいのだ。
そして、咎人の中から、天使を召喚させる。
空母で働く軍人達には、僕を魔王軍と戦わせる為に、民間人を仕方なく監禁しているとでも言っているのであろう。だから、扱いは悪くなかった。
(くそ!)
心の中で叫ぶと、僕は拳を握り締めた。
(力はある!ここから、人々を救いだすことはできる!しかし!)
囚われた人々は、ここだけではなかった。
僕が反乱を起こした瞬間、他の場所で無理矢理、殺し合いを起こさせる手筈になっていた。
(テレポートで、すぐに移動すれば、何ヵ所かは助けることはできる。だけど、何ヵ所では駄目だ!)
苦悩する僕の頭に突然、声が響いた。
(誰もが、1人では何もできないわ)
その声を聞いた瞬間、僕ははっとして振り返った。
「だからこそ、人は助け合う」
甲板の真ん中に佇む…ブロンドの女の人。
「テ、ティアナさん!?」
僕は、驚きの声を上げた。
「下らないことで、悩むくらいならば、人を守る道など、最初から選ぶな」
今度は、前から声がした。
「ライ!?」
再び驚きながら、前を向いた。
海面上で、腕を組むライが浮かんでいた。
「あなたは、1人ではないわ。アルテミアがいる」
ティアナの言葉に、僕はゆっくりと振り返った。
「アルテミア…」
僕の呟きに、ティアナは頷き、
「それだけではないわ。人間を守りたいと思う者は、沢山いる」
僕に微笑んだ。
「ティアナさん!」
「大丈夫」
ティアナは笑顔のまま、消えていった。
「フン!下らん」
ライも消えていく。
「ライ!」
僕が叫んだ時、脳裏に次々に動き出した人々の姿が、浮かんだ。
遺跡の前から、歩き出したジャスティン。
2人で走り続けるカレンと九鬼。
それ以外にも、おかしな空気を察して、調べ始める軍人や、一般のギルドの人々。
その行動を映しながら、バックにかかる音楽は、レダのレクイエムだった。
(彼女の歌が、人々を動かしている)
そして、雲の上で旋回するアルテミアの姿が映る。
(アルテミア!)
僕は、目を見開いた。
(そうだ!悩むことはなかった!アルテミアに話し、騎士団長達に動いて貰えれば、人々を助けることができる!)
僕は強く頷くと、アルテミアに思念を送ろうとした。
その瞬間、いきなり足を掴まれ、バランスを崩した。
「言ったはずよ。あなたは、魔物を滅ぼせばいい。そして、あたし達は…人間を滅ぼす」
「レダ!目覚めたのか!」
甲板の下から、物質を通り抜けるように、レダが頭から姿を見せた。
僕は慌てて、レダの手を振り払うと、後方にジャンプした。
「赤の王よ。私は、あなたに感謝している。まだ人間だと思っていた時、魔物に蹂躙されていた私を、助けてくれたこと!そして、歌を教えてくれたことを」
レダは突然、歌い出した。
曲は、Yasashisa。
実世界の歌で、作曲は河野和美。作詞は、速水明日香。
「その歌は!?」
絶句する僕に、レダは悲しく微笑んだ。
「あなたが教えてくれた曲よ。私を励ます為に、歌ってくれた曲」
魔物に襲われ、精神的にもボロボロになっていたレダに、僕が歌ってあげたのだ。
「この曲は好きよ。人間は、いろんな人の優しさで繋がっている。人は、独りでは生きれない。だから、自分も他人に優しさを送ろう」
レダは天使の翼を広げ、朝日の中、飛び上がった。
「だったら、なぜ!人間を滅ぼす!」
僕も炎の翼を広げ、空中に飛び上がった。
「簡単なこと…。私は、人間ではなく!天使よ!」
空中で、僕とレダはぶつかり合った。
「く!」
何度も激しくぶつかり合う度に、僕の体にダメージが蓄積されていく。
「赤の王よ。あなたが、どれだけ強力な力を持とうと、光に照らされない闇はないのよ」
「チッ」
炎の翼が消え、海面に向けて落下していく僕を、レダは見下ろしながら、手のひらを向けた。
「人間がつくったものの中で、歌は価値がある。だから、歌だけは残してあげる。私の中で」
レダの手のひらから、凄まじい光が放たれ、海面に落下した僕に直撃した。
すり鉢状に抉れた海面は、近くに浮かぶ空母を大きく揺らせた。
「そんなに数がいなくても、私達だけで、人間を滅ぼせる」
レダは、手のひらを空母に向けた。
「だから…」
レダは、歌を歌い出した。
レクイエムを。
「させるかあ!」
抉れた海面から、僕が飛び出してきた。
「無駄よ」
レダから放たれた光の量は、先程の数十倍だった。
「さようなら」
光は、辺り一面を覆い尽くす…はずだった。
「え」
レダは、目を見開いた。
光は一瞬で、消え去ったからだ。
その代わり…さらに眩しい別の光が、レダの前に存在していた。
「あ、あなたは…」
レダの声が、震えていた。
「闇ではないの?」
「さあな」
光輝く翼を持った僕を見て、レダは取り乱す。
「上位の存在であるバンパイアも、人や魔物から命を搾取するもの!そんな汚れた存在が、光の訳がないわ!」
「だったら!」
僕は、手のひらをレダに向け、
「人を滅ぼそうとするお前達は!光だというのか!」
睨み付けた。
「それは、神の裁き!粛清!聖なる行いよ!」
「言葉だけ飾り付けても、やることは殺戮だ!」
「!?」
僕の叫びに、魔物に蹂躙された過去が、レダの脳裏に浮かぶ。
「僕は、光でも闇でもない!ただみんなが期待してくれる!」
僕の瞳から、涙が流れた。
「勇者だ!」
そして、拳を握り締めると、レダの鳩尾に叩き込んだ。
「勇者…」
レダは笑った。
「…」
僕の拳は、レダの体を貫いていた。
「だったら…その勇者様は、どうして泣いているのかしら?」
レダは、震える手で、僕の涙を拭った。
「き、君を…殺したくなかったからだ…。誰も殺したくなかった」
僕の言葉を聞き、レダは笑った。
「懺悔?」
「ああ」
頷く僕に、レダはさらに笑った。
「神は、懺悔はしないわ。常に聞く側よ」
「レダ…。僕は、光ではないよ。闇だ。いや…闇よりも深い闇だ」
僕は、嗚咽した。
「…勇者赤星…」
レダは、自らの指についた僕の涙を見つめながら、こう言った。
「最後に、歌ってくれないかしら…。もう一度、あの歌を…」
「え」
「私へのレクイエムとして」
レダは、自ら僕の腕を取ると、ゆっくりと体から抜き取っていく。
「お願い」
そして、微笑みながら、海に落下していく。
「レダ!」
「歌って」
落下しながら、レダの体が消滅していく。
「うわああああっ!」
僕は絶叫した後、Yasashisaを歌った。
レダは、光に分解されていきながら、目を閉じた。
(歌は…いい)
瞼の裏に浮かぶのは、赤星浩一が自分に歌ってくれている姿。
歌手になる日を夢見ていた…人間だった日々。
そして、堕天使だと思い出してからの自分。
(もっと…歌いたかった…。レクイエムではなく…)
レダは、目を見開いた。
歌いながらも、泣きじゃくる赤星浩一の姿が映った。
(フッ)
そして、微笑みながら、レダは消滅した。
「ま、また…僕は…救えなかった」
消滅したレダを見て、空中で崩れ落ちそうになる僕の耳に、楽しそうな高笑いが飛び込んできた。
「!?」
驚き、慌てて振り返ると、空母に穴が空き、海へ沈んでいくのが見えた。
「な!」
絶句しながらも、助けに行こうとする僕の前に、新たな天使が立ちふさがった。
「お初にお目にかかります。赤の王よ。我が名は、アポロ!」
深々と頭を下げるアポロの横をすり抜けると、僕は空母に向かって降下した。
「おやおや」
アポロは頭を上げると、肩をすくめた。
「もう誰もいないのに」
そして、にやりと笑った。
「!?」
僕は降下した瞬間、空母は爆発し…その中から、光の球が飛び出してきた。
「天使の降臨です」
アポロは腕を組み、楽しそうに見下ろした。
「な!」
僕の目の前で、皮を剥くかのように光球の表面が裂け、白い翼になった。
そして、その中から、裸の天使が現れた。
その姿を見た瞬間、僕はキレた。
先程、僕を頼ってきた人々の顔が浮かんだ。
「うおおおっ!」
咆哮を上げると、瞳が真っ赤になり、僕の手に炎の剣がつくられた。
「…」
降臨したばかりの天使は、僕の接近に気付き、顔を上げた。
「哀れな子羊よ。神に背く罪を知りなさい」
天使は手のひらを、僕に向けた。
そこから感じられる力は、レダを凌駕していた。
「やれやれ〜折角、お会いできたのに…お別れとは」
アポロは上空で、十字を切った。
「残念です」
しかし、十字を切った手が止まった。
「何!?」
突然、顔を強張らせると、生まれたばかりの天使に叫んだ。
「に、逃げろ!」
「?」
アポロの声は、天使に聞こえることはなかった。
一瞬で、燃え尽きたからだ。
「あ、あり得ない!」
「うおおおっ!」
僕は天使を斬り裂くと同時に、翼を広げると、上空に向かって飛び上がった。
「神の使いである天使が!」
アポロは逃げようとしたが、間に合わなかった。
だから、仕方なく…片腕を犠牲にした。
咄嗟の判断で、腕を伸ばし、それが斬られる寸前にテレポートしたのだ。
「うわああああっ!」
僕は、アポロを逃がしたことよりも、救えなかった人々のことを思い、叫んでいた。
(僕は!)
怒りから発生する魔力は、海を荒れさせ、空母の沈むスピードが速くなった。
(救えないなら、破壊する!貴様ら天使を!)
涙は、いつのまにか枯れていた。
その代わり、怒りだけは、治まることはなかった。
(大勢の人々を犠牲にして生まれる天使どもを!)
「赤星…」
その怒りの波動を、遠くの空で感じたアルテミアは、空中で止まると、心配そうに遥か彼方を見つめた。
ぎゅっと胸を押さえながら。