依頼
「…で」
情報倶楽部の部室に戻った高坂は、コーヒーカップ片手に、パソコンの前に座る舞に訊いた。
「どうやったら、戻れるんだ?」
「知りません」
舞は、即答した。
「来たんだから、戻れるだろ?」
もっともそうな高坂の言い方に、舞は敢えて聞こえるようにため息をついた後に、答えた。
「どうやって来たのかもわからないんですよ。無理です」
「しかし、この部室の下に、こちらとあちらを結ぶ糸があるんだろ?どうにか、それを辿って」
なおも食い下がろうとする高坂に、舞はパソコンの手を止めて、背伸びした。
「う〜ん」
しばし、筋を伸ばした後、再びパソコンのキーボードに手を伸ばし、検索文字を打った。
馬鹿を丸め込む方法。
その文字を見て、高坂は舞の肩に手を置き、握り締めた。
「こっちは、真剣に訊いてるんだが?」
「痛い!」
舞は顔をしかめた後、キーボードから指を離し、横目で高坂を睨んだ。
「う」
思わず手を離し、たじろぐ高坂を数秒睨んだ後、舞はパソコンに視線を戻し、顔をしかめながら、言葉を吐き出した。
「糸といっても、真っ直ぐ繋がっているのか、ジグザグなのかもわかりません!それにおそらく…糸といっても概念みたいなもの。辿って帰るのは、難しいと思います!」
言い方は丁寧だが、どこか怒気がこもった口調に、高坂は何も言えなくなり、そうかとだけ呟くと、肩を落とし部室から出ていこうとした。
そんな高坂の雰囲気に気付き、舞はキーボードを叩くと、椅子から立ち上がった。
「あくまでも…それは!我々人間の場合です。神レベルならば、自ら時空間の扉を開き、道を作ることができるかもしれません」
舞の説明に、高坂は小声で、そう…とだけこたえた。
何故ならば、神レベルなど、高坂のような普通の人間には、ジャンプして大気圏を越えることができるようになるくらい…無理なことだった。
「邪魔したな」
部室を出ようとした高坂の後頭部に、マウスパットが飛んできた。
「最後まで話を聞け!」
舞のあまりの剣幕に、高坂は思わず背を伸ばした。
「あ、はい!」
「あんたは、女神の力を手にいれたんだろうが!その銃の力なら、道を作れるかもしれない」
舞は、直立不動の高坂の手をじっと見つめた。
「…で?」
こちらの世界でも、新聞部の部長になったさやかが、新聞片手に部室の中央に陣取るソファに座りながら、くつろいでいた。
「だから、こいつの力を使って、ブルーワールドに戻ろうとしたんだが…まったく反応がないんだ。何回引き金を弾いてもな」
前に座る高坂は、2人の間にあるテーブルに、装飾銃を置いた。
「ふ〜ん」
さやかは、銃の横に新聞を置くと、装飾銃を手に取り…13の銃口を高坂に向け、引き金を弾いた。
「え!」
驚いた高坂は、ソファから逃げようとしたが…銃口からは何も発射しなかった。
「成る程…そのようね」
一応何度も引き金を弾くさやかに、戦慄を覚えた高坂は額から冷や汗を流した。
「お、お前!殺す気か!」
高坂のもっともな言葉に、さやかはテーブルに銃を置いた後にこたえた。
「女神の武器っていうから、女だったら、撃てるかもと」
しらっと言い切るさやかに、高坂はこれ以上文句を言うのをやめると、ソファに座り直した。
「女神の力が使えないとなると…」
あてにしていたことがなくなり、高坂はため息をつき、肩を落とした。
「女神の力か…」
さやかはそう言うと、もう一度装飾銃を手に取り、しげしげと眺めながら、高坂を見ずに話し出した。
「そう言えば、知ってる?この学園で、最近まことしやかに話されている話を?」
「うん?」
高坂は、顔を上げた。
さやか、は銃自体を観察しながら、話しを続けた。
「一部の人だけが入れる喫茶店が、あるらしいの」
「喫茶店?」
「そうよ。噂になって、数人の生徒が言ったらしいんだけど…ほとんどが店を見つけられずに…帰ってきた」
「幽霊屋敷か何かか?」
高坂は、眉を寄せた。
「幽霊屋敷ではないらしいわ。普通の喫茶店みたい。但し、その店に入った者は…二度と戻れないそうよ」
「ちょっと待て!」
高坂は、ソファーから身を乗り出すと、話を止めた。
「おかしいだろうが!入ったら、二度と戻れないんだろ?どうして、そんな話が広がるんだ」
「話は最後まで、聞くように」
さやかは、装飾銃のグリップを握り締めながら、笑いかけた。
「は、はい」
無意識に姿勢を正す高坂。
「帰ってきた人がいるのよ。喫茶店には入らずにね」
「いるのか!」
「うん。その子は、目が虚ろで少し様子がおかしい生徒を発見して、心配になって後をつけたら、喫茶店に入るところを見たの。だから、その子は、気分が悪くなって、休む為にお店に入ったんだろうと思って、その場はすぐに帰ったの。だけど、その生徒はそれから、一週間帰ってきていない」
「え」
「それを知ったその子は、学校の担任に報告したわ。そして、両親と担任が、その喫茶店に向かったけど…見つけることはできなかった。しかし、その子には見えるのよ。その喫茶店がね」
「成る程」
高坂は、頷いた。
「今回の事件は…この世界の謎に迫るかもしれないわ」
「しかし、それとその銃が何か、関係があるのか?」
「さあ〜」
さやかは肩をすくめ、
「でも、女の勘よ」
その後に、高坂にウインクすると、再び銃口を向け、引き金を弾いた。
「やっぱり出ないわ」
「あのなあ〜」
残念そうなさやかを、高坂は睨んだ。
「まったく!」
新聞部の部室を出た高坂は、正門を目指し歩いていた。
「依頼者は、その目撃者。依頼内容は、茶店で消えた生徒の確保。よろしくね。学園情報倶楽部様」
さやかを通して勝手に、依頼を受けられたが、仕方なく…高坂は待ち合わせ場所に向かっていた。
正門の方から、高坂に向かって、頭を下げる女子生徒を発見した。
慌てて、小走りに走った高坂は、顔を上げた生徒を見て、少し驚いた。
「君は!」
なぜならば、そこに立っていたのは、生徒会の一員にして、この世界の情報倶楽部部長の妹である…香坂姫百合であったからだ。
「依頼ならば、君のお姉さんがいるのではないのかい?」
意外そうな顔をした高坂を見て、姫百合は再び頭を下げると、ため息をつき、
「姉ならば、あたしに言われる前に、部員と2人で向かいました」
頭を抱えた。
「部員と2人?」
高坂は、少し引っ掛かったが、あまり深く考えるのをやめた。
「と、とにかく!まずは、その喫茶店のある場所へ」
「わかりました」
高坂は頷くと、学生服の内ポケットにあるカードを起動させた。
これで、高坂の位置は、部室で確認できることになった。
「いきましょう」
「はい」
2人は、姫百合を先頭にして歩き出した。
その頃、喫茶店の前に到着した者が、2人いた。
香坂真琴と、輝であった。
「ここか!」
喫茶店を見上げる香坂と違って、輝はキョロキョロしていた。
「どこに?」
目の前に来ても、輝には見えなかった。
「いくぞ!」
香坂に無理矢理腕を捕まれると、輝は引きずられるように、店に向かって連れていかれた。
しかし、輝には近づいても、店は見えなかった。
ただの更地に見えた。
だけど、香坂が扉を開けた瞬間、輝は目を疑った。
小さいが、喫茶店の店内にいたからだ。
「いらっしゃいませ」
カウンターの中で、深々と頭を下げるマスターを見て、輝の中にいる犬神がざわめいた。
(ま、まさか…)
まじまじとマスターを見上げたながら、輝は周囲の気配を探った。
(人間じゃない)
それがわかった瞬間、輝は後悔し、すぐに出ることを選択した。
「部長」
自分から手を離し、カウンターに向かう香坂の気を、目覚めた犬神が感じ、頭の中で警告として信号を出した。
(ま、まさか!あの人も)
輝は絶句した。
「いらっしゃいませ。どうぜ、カウンターの方へ」
笑顔のマスターに導かれるように向かう香坂真琴とは違い、輝は恐る恐る足を進めた。本当は、奥に行きたくなかった。犬神が、輝に告げていたからだ。
奥にいる者が、危険だと。
「初めてのお客様ですね」
カウンターの向こうから、マスターは笑顔を向けながら、カウンターに座った真琴に説明しょうとした。
「当店に、お飲み物は、一つしかございません。但し…」
「あたしは、大月学園情報倶楽部部長!香坂真琴!」
マスターの説明の途中、真琴は自らの名刺をカウンターに置くと、顎を突きだし、下からマスターを軽く睨んだ。
「いかがなさいましたか?」
マスターは説明を止め、初めてのお客の反応に合わそうとした。
「惚けるじゃないよ!この茶店に入っていた!あたしの学園の生徒達が、行方不明になっているんだよ!」
真琴は立ち上がると、下から突き上げるように、マスターを睨んだ。
「ほう〜。それは、知りませんでしたね」
「惚けるなと言っている!」
真琴は、カウンターを両手で叩いた。
その音が、カウンターに響いた瞬間、テーブル席に座っていたお客達が席を立った。
その動きを見て、マスターはカウンターから目配せをして、座るように促した。
それから目線を外して微笑むと、マスターはカップを取りだし、カウンターの上に置き…ゆっくりとコーヒーを注ぎ始めた。
「申し訳ございませんが、そのような事態を把握しておりませんでした。当店をご利用頂いたお客様が、行方不明になられたとは」
マスターは入れ終わったカップを、真琴の前に差し出した。
「だとそれば、早急に警察に電話をしなければいけません」
「そ、そうだ」
非を認めたマスターの言葉が予想外だった為に、真琴の勢いは思わず止まってしまった。
それに、カップの中から漂う…何とも言えない良い匂いが、まくし立てようとした真琴を落ち着かせた。
「警察に連絡する前に…コーヒーを一口」
マスターは優しく微笑みながら、真琴にコーヒーを促した。
数秒だが、静寂の時が流れる。
真琴は息を飲むと、自分にとってたまらない匂いが漂うコーヒーカップ内を見下ろし、
「そ、そうだな。頂こう!」
震える手で、カップを掴もうとした。
なぜ…手が震えているのか…真琴にはわからなかった。
いや…震えていることすら、わからなかったのかもしれない。
今度は唾を飲み込み、カップを掴もうとした時…輝が後ろから、真琴の腕を掴んだ。
「帰りましょう。部長」
「え」
腕をぎゅっと掴まれた感覚が、呆けたような状態になっていた真琴の感覚を元に戻した。
「ここに、彼らはいません。他をあたりましょう」
輝は、後ろから感じる殺気よりも、カウンターで微笑むマスターの穏やかさに、恐怖を覚えた。
しかし、怯んではいけなかった。
「…」
何も言わないマスターと、静かに目があった。
(く!)
輝は心の中で、顔をしかめた。
しかし、目を逸らす訳にはいかなかった。
だから、終わらす方法を取った。
「御馳走様でした」
カウンターに、コーヒー代を置くと、輝は扉に向かう為に、マスターから視線を外した。
「お代は、結構ですが…」
マスターがそう言ったが、もう輝の耳には届いていなかった。その場から、立ち去ることが優先であった。
「もったいないぞ!」
コーヒーに手を伸ばそうとする真琴を強引に引っ張って、輝は扉に向かって歩き出す。
「失礼しました!」
手を伸ばし、何とか開けると、外に出た。
「犬上!」
真琴が文句を言っているが、構っている場合ではない。
人混みに入るまで、振り返ることなく、輝は真琴を引っ張って歩き続けた。
「どういうつもりだ!部長の言うことをきかずに!」
周りに人が増えてくると、やっと足を止めた輝の手を、真琴は振り払った。
「捜査の邪魔になる!き、貴様は!首だ!」
少しヒステリックに叫びと、真琴はびしっと輝を指差した。
「とっとと帰れ!」
そして、再び喫茶店に戻ろうとする真琴の肩を、輝は掴んだ。
「首で結構!だけど!」
輝は、真琴の肩をぎゅっと掴み、
「学園の生徒を危険にさらす訳には、いきません。学園情報倶楽部のメンバーとして!」
真琴の目を見つめた。
だけど、真琴は輝を見てはいなかった。
「あれは、行方不明の女子!」
「え?」
目を輝かせ、輝の肩越しに、人混みの中から、行方不明になった生徒を見つけた真琴は、輝の手を振り払うと、猛ダッシュで走り出した。
「ち、ちょっと待って〜」
輝が振り向いた時には、真琴の姿は、人混みに消えていた。
「な、何!?」
真琴を見失ったのは、ほんの一瞬である。それなのに、見えなくなるなんてあり得なかった。
「くそ!」
輝は唇を噛み締めると、真琴が走り去ったであろう方向に向かって、走り出した。
「フッ」
マスターは口元を歪めると、カウンターに置かれた小銭を数えだした。
「マスター!」
先程から殺気立っていた男が、マスターに駆け寄った。
「いいのですよ。お金を頂きましたし」
小銭を数え終わると、マスターはまたフッと笑った。
「まあ〜。全然、足りませんが」
「…」
そんな2人の会話を、奥のテーブル席で寛いでいる男が黙ってきいていた。
「ここです」
姫百合に案内されて、やっと喫茶店にたどり着いた高坂は、内心は平常を装っていたが…心の中では、絶句していた。
(ここに、喫茶店があるだと!?)
何故ならば、高坂の目には、何もない更地しか映っていなかったからだ。
しかし、実世界とは違い、ブルーワールドで過ごした経験が、高坂にいろんなことを考えさせていた。
(異空間の扉でもあるか?いや、魔法が使えないこの世界で…。いや、神隠しとかあったか!)
ある日突然、人がいなくなることを神隠しと言った。
高坂は、そんな迷信を信じてはいなかった。
おそらく、誰に拐われたか、もしくは、異空間に引きずり込まれたが、正解だと思っていた。
「姉が、中にいるかもしれません」
恐る恐る中を覗こうとする姫百合を、高坂は止めた。
「慎重にいきましょう」
「あっ!はい」
自分の行動が軽率だったことに気付き、姫百合は直立不動になった。
だが、高坂は別のことを考えていた。
(最初の問題は、どうして…彼女に見えて、俺には見えないかだ。何か違いがあるのか?)
高坂は迂闊には、近付けなかった。
「相変わらず、固いな」
悩んでいる高坂の目に、何もない空間から、見えない扉を開けるように、男が飛び出してきた。
「!?」
驚く高坂と違い、姫百合は普通だった。勿論、彼女の目には、普通に店から出てきたとしか見えなかった。
だから、少し気になったのは、出ていた人が、高坂の知り合いのようだったからだ。
「流!」
冷静に判断しょうとしていた高坂は、幾多流の登場により、感情を露にした。
「お、お前は!ブルーワールドに戻ったんじゃないのか!」
「そうさ。戻ったけど、また来ただけさ。ここのコーヒーが飲みたくてね。普通の人間にも美味しいからさ」
「普通の人間!?」
高坂は、眉を寄せた。
「じゃあね〜真!」
幾多は、どこからか…炎でできたナイフを取り出し、それを空間に刺し込んだ。
「できれば〜ブルーワールドで会いたいな。向こうなら、いろんなことができるからさ」
そして、そのナイフをドアノブのようにして引くと、空間が開き、ブルーワールドへの道が開いた。
「な!」
あまりの驚きに、高坂は幾多に近づくタイミングを失ってしまった。
扉はすぐに閉まり、何事もなかったかのように、普通の景色に戻った。
「い、今のは!」
幾多がいなくなった瞬間を見て、呆気にとられた姫百合よりも、何もできなかった自分の不甲斐なさよりも、ブルーワールドへの帰り方を目にして、高坂は希望に心を躍らせた。
(普通の人間でもいける)
高坂は左腕の制服を捲ると、手首に巻き付いたブレスレットに目をやった。
「いけるな」
右手をブレスレットに添えると、形が変わり、装飾銃に変化した。
そして、その銃のグリップを握り締めた瞬間、高坂は目を疑った。
更地に見えた場所に、喫茶店が立っていたからだ。
「なるほど」
高坂は頷いた。




