終幕から開幕へ 終わるべき世界
「この世界に入ることが、できるなんて…」
茉莉は立ち上がると、侵入者を睨んだ。
「何者です?」
「フン」
しかし、侵入者は茉莉ではなく、俺を睨み付け…ただ殺気だけを放っていた。
(ひぇ〜)
俺は動けないながらも、後ろにいるだろう侵入者の魔力を感じ、怯えていた。
「その態度!」
茉莉は、自分を見ようともしない侵入者の態度にキレた。右手を突きだすと、炎の気弾を放った。
しかし、侵入者はそれを片手で弾き返した。
茉莉の真横を通り過ぎ、後方で気弾は爆発した。
まだ安定していない世界が、激しく揺れた。
「え」
茉莉は、信じられないものを見たかのように、唖然としていた。
「まったく〜」
侵入者は頭をかいた。
「何を!ちんたらやってるんだ」
そして、一瞬では距離をつめると、固まっている俺の背中を蹴った。
「うわあ!」
ふっ飛んで、そのまま倒れるかもしれないと思った俺の体は、反射的にバランスを取り、踏みとどまった。
どうやら、ショックで茉莉の呪縛が消えているらしい。
俺は後ろを見ないようにして、茉莉の方に目をやった。
「し、信じられない…」
全身を小刻みに震わせる茉莉の全身から、数秒毎に漏れる魔力の強さがあがっていく。
「や、ヤバい」
俺が振り返ると、両腕を組んだアルテミアと目があった。
「何が、ヤバいって?」
まだ赤く染まっていないアルテミアの瞳の奥に、言い様もない怒りを感じた俺は、思わず後退った。
「あ、あたしは!!」
茉莉は歯を食い縛ると、今度は両手をアルテミアに向けた。
「神よ!」
瞳が真っ赤になった茉莉の両手から、さっきとは比べものにならない程の炎の気弾が放たれた。
至近距離でありながら、球体の気弾の大きさは、半径十メートルをこえた。
炸裂すれば、この空間が破壊されるかもしれなかった。
アルテミアはにやりと笑うと、片手を突きだした。
「あなたのような存在を認めない!」
茉莉の叫びに、アルテミアは鼻を鳴らすと、放たれた気弾を片手で掴んで止めた。
それから指を曲げ、気弾を少し圧縮し、くす玉くらいの大きさにすると、それを俺に向かって投げた。
「浮気をした罰だ」
「え!」
体の自由が戻ったとはいえ、魔力の使えない俺は、高速で近付く気弾を避けることもできなかった。
この世界が、向こうと裏表になっている限り、破壊させる訳にもいかなかった。
仕方なく…俺は、気弾の直撃を受け入れた。
「太陽様!」
茉莉は絶叫した。
「フン」
アルテミアは、そっぽを向いた。
気弾の直撃により、俺の体は一瞬で消滅した。
「太陽様あああ!」
絶叫する茉莉は手を伸ばしたが、気弾の炸裂によって発生した目映い光は、すぐに終息した。
再び何もない暗闇に、戻る。
「太陽…様…」
その場で崩れ落ちる茉莉。
その様子を無言で見つめるアルテミア。
「よ、よくも!太陽様を!」
すぐに立ち上がった茉莉は、アルテミアを睨み付けた。
アルテミアは息を吐くと、肩をすくめて見せた。
「太陽様は、わたくしが初めて好きになったお方!その方とならば、わたくしのつくる新しい世界に、人間をつくることも許したのに!」
茉莉の姿が、変わる。
「2人で、肉体を入れかえ!互いの体を確かめ合った仲なのに!」
蝙蝠の羽に、牙を生やした姿は…神ではなく、悪魔であった。
「肉体を入れかえねぇ〜」
アルテミアは腕を組み直し、
「あたしは、嫌だね」
茉莉を見た。
「何!」
茉莉は、アルテミアの言葉に眉を寄せた。
「だって、そうだろ?互いの体を入れかえてどうする?」
アルテミアも眉を寄せ、
「知りたいのは、相手の体か?心だろ」
右手の親指で、自分を指差した。
「肉体なんて、いつでも知れる。大切なのは、中身。てめえのやり方だと一生、相手の気持ちはわからないぜ」
「な」
絶句する茉莉に、アルテミアは強烈な言葉を放った。
「お前…恋なんてしていないだろ?」
「!」
アルテミアの一言は、茉莉の心に突き刺さった。
「き、き、貴様!」
茉莉の羽が、左右に広がった。
「フッ」
アルテミアは、にやりと笑った。
実際…茉莉は恋をしていただろう。
しかし、茉莉は恋を知らな過ぎた。
アルテミアの挑発に怒りながらも、太陽を失ったことに対する悲しみがわいてこないことに、自ら気付いていた。
勿論…それは、錯覚である。
アルテミアの言葉に、翻弄されているのだ。
すぐに、来ない痛みこそ…真の痛みである。
この戦いが終わった…数時間後ならば、茉莉も気付いたかもしれなかった。
「死ね!」
すべての魔力を解放した茉莉が、アルテミアに襲いかかる。
アルテミアは、一歩も動かない。
ただ目だけを、茉莉に向けて言った。
「2人だけの世界?笑わせるな!」
「キイィ!」
甲高い声を上げると、茉莉の両手の爪が伸び、アルテミアを切り裂こうとした。
「2人だけで生きていける程…世界は甘くない」
アルテミアは右手を伸ばすと、飛びかかってきた茉莉の顎を掴んだ。爪が両肩に突き刺さったが、アルテミアは表情一つ変えない。
「!」
空中で身動きできなくなった茉莉が見たものは、赤く光ったアルテミアの瞳だった。
にやりと笑ったアルテミアの口許から、牙が覗かれた。
「お前の力…貰うぞ」
「イ、ヤ…」
顎を捕まれている為に、茉莉はちゃんと話せなかった。もがこうとしても、まったく動けなかった。
背中から生えた羽は、消滅し…爪は落ち、瞳の色も戻っていく。
「殺すことは、簡単だが…」
数秒後、アルテミアは茉莉を床に投げ捨てた。
「本当の愛を知ってからにしてやる」
「あ、あああ…」
茉莉は起き上がると、魔力を失った己の手を見て、わなわなと震えていた。
何とか魔力を発動させようとするが、まったくできない事実に気付くと、発狂したかのように、絶叫した。
「いやあああっ!」
「フン」
アルテミアは、茉莉を無視するかのように、背を向けた。
「いくぞ…赤星」
「うん…」
アルテミアの左手に、指輪がはめられていた。
そして、ピアスから俺の声がした。
「…ア、アルテミア」
歩き出したアルテミアに、話しかけようとした時、突然…足を止めた。
「どうした?」
アルテミアは、空を見上げた。
「アルテミア様」
真っ暗の空間に、サラの声が響いた。
「空間移転の術式は、破壊しましたが…おかしな波動が、アルテミア様の頭上に」
「そうみたいだな」
アルテミアは空を見上げ、そこに浮かぶものに目を細めた。
先程、光を発して太陽のようになっていた何万人の魂の塊が、浮かんでいた。
しかし、光ではなく…闇を放ちながら。
「どうやら…この世界を包んでいるのは、人間の闇か」
アルテミアの背中から、翼が生えた。
「絶望が放っているのは、かつての願望。人の夢で、世界を形成する」
「アルテミア様!」
サラの声に、焦りがあった。
「わかっている!」
アルテミアは飛び上がると、魂の塊に手を伸ばした。
その次の瞬間、アルテミアの視界が真っ暗になり…床に着地した。
「おかえりなさいませ」
「!?」
着地したアルテミアは、顔を上げた。
「ここは!?」
断崖絶壁に囲まれた谷の底。
風によって数百年間削られた剥き出しの岩肌に、アルテミアは見覚えがあった。
「おかえりなさいませ。天空の女神…いや、今はこういうべきかな?魔王と」
谷底に、数百人の兵士がアルテミアを囲むように転回していた。
その輪の中から、黒いコートを身に纏ったヤーンが一歩前に出てきた。
ヤーンは仰々しくお辞儀をすると、アルテミアを見つめ、
「向こうの世界の人間の魂を使い、クーデターを起こすという計画は、あなたによって阻止されたようですが…代案が決まりましたので、気にしていません」
ヤーンは、顔を上げた。
「てめえ〜。何が言いたい」
アルテミアは、自分を囲む兵士達に目をやった。
(防衛軍?)
俺も、周りを見た。
「なぜならば、それ以上の戦力を我々は手に入れたからですよ」
ヤーンは、人差し指を空に向けた。
「紹介しましょう!防衛軍、最強戦力!」
「な!」
空から谷底まで、一瞬で下りてきた人物を目にした時…俺とアルテミアは、絶句した。
「赤の将軍!赤星浩一!」
なぜならば…俺だったからだ。
「何!?」
俺は目を疑った。
アルテミアと俺の前に着地したのは、紛れもなく俺のオリジナルとなる…自分自身であったからだ。
「…」
防衛軍の軍服を着た俺が、アルテミアに向かって手を突きだした。
「チッ!」
アルテミアは舌打ちすると、後方に飛んだ。
俺の手から放たれた衝撃波は、アルテミアの後ろに聳える崖をすり鉢状に抉った。
その大きさは、アルテミアの身長の五倍はあった。
「クッ!」
腕をクロスして、防御の体勢にしたが、アルテミアの全身の肌が痛んだ。これでも、威力を流したはずだった。
「フン!」
崖に激突こそしなかったが、全身が痺れてしまったアルテミアに向かって、俺がジャンプした。
アルテミアの首根っこを捕まえ、すり鉢状に抉れた岩肌に、背中から激突させた。
「殺すなよ」
ヤーンは、楽しそうに笑った。
「あ、赤星」
アルテミアは顔をしかめ、俺の腕を振り払おうとしたが…首筋に深くめり込んだ手は、逃げることを許さなかった。
さらに力を込めると、アルテミアの体は岩肌にめり込み…そのままトンネルを掘っているかのように、穴が空き始めた。
すり鉢状態に抉れた岩肌に、さらにひびが走った。
「赤星!」
アルテミアの全身が輝き、光に包まれた。
同じく首を絞めている俺の体も、光で包まれていた。
「アルテミア…」
崖を削りながら、俺は腕を曲げると、アルテミアを引き寄せ、耳元で囁いた。
「!?」
しかし、何を言ったのは、ピアスの中にいる俺にはわからなかった。
俺は、アルテミアをさらに奥に押し込むと、ピアスに向かって言った。
「僕がいなくなったら、君が赤星浩一をやれ。だから、意識を一つにはしない!」
俺は、アルテミアの首から手を離した。
「アルテミアを頼んだ!」
そう言うと、俺は魔力を四方八方に放った。
「赤星!」
アルテミアは翼を生やすと、すぐに全身を覆い、ドリルのように回転し、上ではなく地下に掘り進み出した。
「うおおおっ!」
俺から放たれた魔力は、周囲の石を抉り、吹き飛ばしながら、消滅させた。
「クッ」
その魔力の凄まじさと、爆音と光に、崖側にいた兵士達は退避した。
ヤーンもまた、顔を背けながら、目を瞑っていた。
「赤星浩一!」
音が聞こえなくなってから、ヤーンは叫んだ。
手で庇いながら、目を開けた瞬間、ヤーンは絶句した。
目の前に、新しい谷ができていたからだ。
「な!」
その谷の真ん中に、背を向けた赤星浩一が立っていた。
「ア、アルテミアはどうした!」
ヤーンの周りで彼を守るかのように、隊を組み直す兵士達。
赤星浩一は、空を見上げ…一言だけ言った。
「逃げられましたよ」
「何!」
ヤーンや兵士達が、空を見上げた時には、アルテミアの姿は見えなかった。
勿論、アルテミアは飛んで逃げたわけではなかった。
地下から逃げたのだ。
アルテミアが空けた穴は、赤星浩一の足元にあったが…彼によって埋められていた。
「おのれ〜」
ヤーンは悔しがると、その場で地団駄を踏んだ。
「まあ〜いい」
しばらく踏んだ後、ヤーンは赤星浩一の後ろ姿に、目を向けた。
「アルテミアをも凌駕する力!あの力さえあれば、いつでも始末できる!」
ヤーンは、ニヤリと笑った。
「赤星…」
防衛軍の魔敵詮索レーダーに引っ掛からないように、数百キロ向こうにある地中海海底まで、穴を掘り進んだアルテミア。
海中に出ると、マーメイドモードに変わった。
人魚を連想させるその姿で、アルテミアはアフリカ大陸に向かった。
できる限り、離れるつもりだった。
(アルテミア)
水中での俺の声を聞いて、アルテミアは海面を目指し、浮上した。
顔だけを海面から出すと、辺りを警戒しながら、アルテミアは話し出した。
「防衛軍は、やつらの手に落ちたらしい。何でも…民衆をやつらは人質にしているようだ」
アルテミアは顔をしかめ、
「その為…ジャスティンは、防衛軍本部を無血開城し、今はどこかに幽閉されているらしい」
ゆっくりと海に流されるように泳ぎ出した。
俺は、あの短時間でよくそこまで話せたなと、我ながらも感心してしまった。
「そして、あいつも…人々を人質にとられている為、やつらの言いなりになっている!」
「え!」
俺は、アルテミアの話には驚いてしまったが…そう考えると、自分自身の行動の意味が理解できた。
「あいつが、分身であるお前と融合せずに、逃がした意味はただ一つだ!」
アルテミアは、海面から飛び出すと、翼を広げた。
「自分を殺しても、お前が残る!そう考えたんだろうな!そんな勝手をさせるか!」
アルテミアは、一気に地中海から、アフリカ大陸の地平線に沿いながら、低空で飛んだ。
「勝手は許さん!自分勝手は、あたしだけの専売特許だ!」
アルテミアは、前方を睨んだ。
「フッ」
防衛軍本部内で、1人チェスをしていた白髪の男は、笑っていた。
いろんな形をした駒達。
それを指で掴みながら、男は口を開いた。
「すぐに、本部を移そう。こんな猿臭い島にあるなど、虫酸が走る」
次々に駒を動かし、
「魔物と違い…人間は、一種類しかいない」
ふと手を止めた。
そして、前を向くと、磨き上げられた扉の表面に、己の顔を映った。
「我々…ブルーアイズこそが、唯一の人間。あとの瞳の色は…猿と同じ!」
男は再び、駒に目をやった。
「猿は、我々の糧になれ!そうでなければ…生まれた意味がない」
「帰ったか」
カードの魔法を使い、旧防衛軍本部内に入ったヤーンを、2人の男が出迎えた。
一際綺麗なブロンドの髪と青い瞳を持つ…兄と弟。
しかし、ヤーン自身は…黒い髪に、漆黒の瞳だった。
「少し計画が変わったが…問題はない」
3人の中で一番背が高い、兄のディーンが笑いかけた。
「兄さんは、何年も向こうの世界にいたんですから」
短髪の少し癖毛は、弟のレーンであった。金色の剣聖と呼ばれる程の戦士である。
「少し疲れた故に…失礼します」
2人の間を通り抜け、ヤーンは廊下を歩き出した。
「エリートか」
ヤーンは呟くように、それだけを口にした。
2人の方を振り返りことは、まったくしなかった。
「しかしな。フフフ…」
ヤーンは含み笑いをしながら、自らの腹の辺りをさすった。
すると、服の下が少し妖しく光った。
他人格編完。