運命の螺旋
「首尾はどうかね?」
ただ広く、何もない部屋に置かれた椅子に座る男は、前に立つティアに訊いた。
「問題なく…」
とティアがこたえた瞬間、部屋の中にテレポートして来たものがいた。
「問題はあるよ。だけど、気にすることはない」
「おお〜!」
椅子に座っていた男は、その声に立ち上がると、その場で跪いた。
「神よ!」
「フッ」
テレポートしてきたのは、赤星光一であった。
光一は、跪いた男を一瞥すると、ティアを見、
「それよりも、君の妹の方が問題だ。彼女は、歌で人々に警告を発しているね?まあ〜そんなことで、計画が頓挫することはないが…あまりいいことではない」
光一の言葉に、ティアは鼻で笑った。
「単なる歌よ」
そして、ティアは光一を見、
「何の力もないわ」
それだけ言うと、失礼しますと呟き、部屋を出ていこうとした。
横を通り過ぎたティアに、振り向くことなく、光一は訊いた。
「君達の望みは、人間が支配するこの世界の崩壊…。つまり、人間を滅ぼしたいだったよね」
光一の言葉に、跪いている男はこたえた。
「はい!そうでございます」
「なのに…歌かい?」
光一は、目を細めた。
「鎮魂歌ですよ。少し早めの…。そして、最後の歌」
ティアはそう言うと、光一の背中に頭を下げ、部屋から出ていった。
「神よ!」
男は跪いたまま、話し出した。
「本当は、この世界の人間は、この世界で滅ぼすのが一番でございますが!向こう側が、どうしてもこの世界の人間の魂がほしいと申すものですから」
顔を上げた男の眼窩に、目玉はなかった。
「…で、お前はどうすんだ?この世界が滅んだら?」
光一の言葉に、男はにやりと笑った。
「向こうで生きますよ。自由な姿で」
「…」
光一は、男のそばを通り、椅子に腰かけた。
男は跪きながら、体を半転させ、もう一度深く頭を下げた。
「女神テラであった赤星綾子は、この世界を魔獣因子を持つ人間だけのものにしょうとしました。しかし、人間の数が多すぎます。一気に処理するならば、異世界に落とせばいいだけです」
「あなたは、人間が憎いのかい?」
光一は、男を見下ろした。
「この世界の人間が、憎いのです!少し違ったくらいで、差別する低能な!この世界の人間が!」
そう言った男の眼窩の底が、もぞもぞっと動いた。
「そうだね」
光一は、足を組み、
「君の思いは、理解しているよ。何故なら…」
口許を緩め、
「僕は、君達によって生み出されたからね。この世界を壊す為にね」
その後、にやりと笑った。
「か、神よ!無知で無能なこの世界の人間達に、絶望を与えて下さい!何とぞ!」
男の祈りに似た願いに、光一は頷いた。
「君の願いは、必ず叶うよ」
「ありがとうございます」
男は、額が床につくほど頭を下げた。
「よお」
その頃、部屋を出たティアが歩いていると、廊下の壁にもたれていたジャックが声をかけてきた。
「じじいは、元気だったかい?」
「…」
ティアは、足を止めた。
「それにしても、化け物の癖にな。よくこんな屋敷を建てられたものだな?」
ジャックは、廊下の先に目をやった。
この屋敷の持ち主の名は、菱山五郎。
戦前から、今の姿でいる化け物であった。
自らの力だけで、魔獣因子に目覚めた彼は、戦後の混乱期に頭角を示し、財を増やしたのだ。
その人間離れした能力を使って。
だが、頭角をあらわしていく彼の正体を知った部下に、寝込みを襲われて、目玉を潰されたのだ。
勿論、その部下は殺されたが…その出来事があってから、滅多に人前には出なくなり、裏で財を蓄えていったのだ。
「くくく…。まあ〜いい金づるだがな」
ジャックは、楽しそうに笑った。
「…そうね」
ティアはそれだけ言うと、ジャックの前を通り過ぎた。
「………フッ」
ジャックは、横目で遠ざかっていくティアの背中を見送った。
「力か…」
宮殿のような家に帰った俺は、ベットに横になりながら、ブラックカードを見つめていた。
「いいアイデアと思ったんだけどな…」
さっきのように、砂の世界にいくのは、できない。
「だったら…ブルーワールドで」
とも思ったが、世界を越える時に使うポイントが申し訳なかった。
俺が、貯めたポイントならまだしも…ブルーワールドの人々の税金を勝手に使うようなものである。
(それに、魔力なしでも戦うと決めたはずだ)
俺はカードを握り締めると、枕元に置いた。
(うん?)
なぜか、妙な光を窓から感じた。
俺は上半身を起こすと、窓の方を見た。
「明るい?」
いつも真っ暗な風景しかうつさない窓は常に、カーテンで閉ざされていた。
そのカーテンが、外からの明かりで透けていた。
「何だ?」
俺は窓に近付くと、カーテンを開いた。
少し離れた場所にある…巨大な屋敷が輝いていた。
「あんなところに、屋敷が?」
朝は起こされると、すぐに猫沢に拉致される為に、窓から外を見たことがなかった。
「世の中…金持ちが多いのか?」
自分が生まれた家を思い出して、俺はため息をついた。
ブルーワールドに行ってからは、城とかを見たことがあったけど、実世界ではいたって庶民的な家しか周りになかったので、珍しく感じた。
明かりが消えれば、闇に溶け込む程の色使いの屋敷が、何故か今日だけ…輝いていた。
「うん?」
魔力で探ることのできない俺であるが、嫌な雰囲気をその屋敷から感じ取っていた。
「闇の…祭宴」
何故か…そんな言葉が、口から出た。
「窓は開けるなと言ったはずだが」
いつのまにか真後ろに、猫沢が立っていた。
「今日は、外が明るかったから…少し気になってね」
俺は後ろを見ずに、答えた。
別に、猫沢がいても驚くことはない。
「フン」
猫沢は鼻を鳴らすと、俺の背中に目を細めた。
注意されても、まだ外を見ている俺のそばに来ると、カーテンを閉めた。
「あのお屋敷は、お嬢様の親戚がお住まいになっておられる。しかしな。今は、疎遠になっている」
「疎遠?」
カーテンを閉めるとすぐに、俺から離れた猫沢の動きを目で追った。
「…」
猫沢は答えない。
「何かあったのか?」
俺は再び、カーテンを開けようとした。
すると、素早い動きで、猫沢がそれを止めた。
再びそばに来た猫沢の目を、俺は見つめた。
「クッ!」
お嬢様の体でいる俺の瞳は、開八神茉莉のものである。
声もまた…。
猫沢は顔をしかめると、目を瞑り、顔をそらした。
そして、数秒後…猫沢は話し出した。
「お嬢様が生まれたからだ」
猫沢は俺から離れると、背を向けて歩き出した。
「このことは、お嬢様にも言ったことはない。だが…あの方のことだ。薄々勘づかれていらっしゃることだろうがな」
猫沢は扉の前で足を止めると、
「だから、そのカーテンは開けるな!」
最後に念押ししてから、部屋を出た。
俺はしばらく、閉まった扉を見つめた後、再びカーテンに目をやった。
「?」
いつのまにか、明かりが消えていた。
(何だったんだ?今のは)
ほんの数分間だけ、ついた明かり。
俺には、何を祝福していたかのように思えた。
(闇の祝福?)
「フッ」
その頃、男の部屋を出た赤星光一は、ティアとは逆の方向に歩いていた。
「初めまして、そっくりさん」
「!?」
突然、真横から声をかけられて、光一は足を止めた。
そして、目だけを向けた。
「客人か」
「ウフフフ」
廊下の壁にもたれていたのは、リンネだった。
「何か用かな?」
光一はゆっくりと、体を向けると顎を上げ、見下ろすようにリンネを見た。
リンネはそんな光一に、微笑んだ。
「何がおかしい?」
リンネの無意味な笑みが、光一の癇に障った。
「別におかしくはないわ」
リンネはじっと見つめながら、腕を組んだ。
「ただ…姿形を似せても、あなたと彼は違うと思ったの?」
「彼?」
リンネの言葉に、光一は眉を寄せた後に、せせら笑った。
「ああ!あいつのことか!この世界の神になれるはずが、たった1人の女に騙されて、すべてを失ったあいつか!」
「…」
リンネは、光一を見つめたまま、何も言わない。
「女など!腐るほどいる!どんなに美しい女も、すぐに飽きる。それに、美しい女もまた、腐るほどいる!そして、簡単に手に入る!」
光一は手のひらを、リンネに向け、
「しかし、神は1人だけだ」
拳を握り締めた。
「そうね」
リンネは素っ気なく、こたえた。いつのまにか、顔から笑みが消えていた。
光一は自分の言葉に酔っているからか…リンネの変化に気付かない。
「客人よ。あなたには、期待している。あなたの力で、この世界を焼き尽くすことをな!ハハハハ!」
拳を下げると、光一は体の向きを戻し、廊下を歩き出した。
光一が見えなくなると、リンネのそばで、刈谷が跪いた。
「あの無礼な男…。ご命令とあらば」
「よい」
リンネはそう言うと、逆方向に歩き出した。
「リンネ様?」
「つまらない男。たった1人なのは、神だけではないわ」
リンネは、前方を睨んだ。
「それなのに…」
そこまで言ってから、リンネは苦笑した。
不機嫌になっている自分に対してである。
「まあ〜いいわ」
リンネは再び微笑みと、ゆっくりと廊下を歩きながら、空間に染み込むように姿を消した。
刈谷も跪きながら、頭を下げると…同じく姿を消した。
「今日も…進展がなかったな」
リビングで、新聞を広げると、香坂真琴はため息をついた。
「お姉ちゃん!何て格好を!」
二階から下りてきた姫百合が見たものは、下着姿でソファーにもたれる姉の姿であった。
「別にいいだろう?」
香坂真琴は、新聞から顔を覗かせた。
「そうだ。構わんよ」
香坂真琴の前に、テーブルを挟んで父親がいた。
「お、お父さん!?」
「フッ」
父親は煙草をふかすと、天井を見つめ、
「ただ…娘の成長に、感動しているだけだ!」
拳を握り締めた。
「そうだぞ。姫。気にするな。風呂上がりは、楽にするものだ」
新聞を下ろした真琴の胸を見て、姫百合はたじろいだ。
「そうだ。姫百合も」
笑顔を向けた父親に向かって、姫百合は座布団を投げつけた。
「変態親父が!」
リビングを抜けて、キッチンにいくと、笑っている母親がいた。
「あんなパパで、ごめんね」
母親は笑いながら、謝った。
しかし、その母親の胸を見て、また姫百合はたじろいだ。
(こ、この家系は!)
気を取り直し、姫百合は母親に訊いてみた。
「ママ…。確か、おばあちゃんは、外国人と結婚したんだよね?」
いきなりの姫百合の質問に、母親は首を捻り、
「ああっ!あたしのお母さんね」
思いだしたように頷き、テーブルに置いた急須から湯飲みにお茶を入れながら、言葉を続けた。
「最初の旦那さんが、外国の方で…子供ができて、すぐに亡くなったそうよ。あたしは、その次の旦那さんが…つまり、あなたのお爺ちゃんとの間に、できた子供よ」
「じゃあ!前の旦那さんの子供は?」
姫百合は、人数分のお茶を入れ終わった母親に向かって、テーブルから身を乗り出した。
「残念なことに、行方不明になったそうなの。戦後の混乱に紛れてね。随分、探したそうだけど…」
母親は、お盆に湯飲みを置いた。
「結局、見つからずに…。旦那と子供を失ったショックから、おばあちゃんが立ち直るに時間がかかったそうよ。あたしの父親に出会うまでね」
祖父母が、姫百合の母親を生んだのは、四十歳手前だとは、聞いていた。
「だから、あたしによく言っていたわ。お前には、兄がいるとね」
母親は、真琴達のテーブルにお茶を運んでいく。
「確か名前は…クラーク」
「クラーク…」
姫百合は、見たことのない叔父の名前を口にした。
「うん?」
湯飲みを2人の前に置いた後、母親は首を捻った。
「そう言えば…前の旦那さんと結婚する前に、婚約者がいたと…え?籍は入れていたのかしらね?そこまでは、覚えていないわ」
母親の旧姓は、本田であった。
その本田の名は、父親方の名前ではなかった。
「へぇ〜」
母親の話に、真琴が感心した。
「でも、どうしてこんなことを訊くの?」
リビングに来ない姫百合の前に、母親は湯飲みを持って戻ってきた。
「べ、別に!」
姫百合は椅子に座ると、キッチンでお茶を飲むことにした。
「複雑だねえ。いつ聞いても」
父親は煙草を灰皿に置くと、湯飲みに手を伸ばした。
「あたしができてからは、落ち着いたと言っていたわ。その行方不明になった兄が、きっと…自分の願いを叶えてくれていると」
「願い?」
父親は眉を寄せた。
「それだけは、教えてくれなかったのよ」
母親は、ため息をついた。
「…」
姫百合は無言で、お茶を飲み干すと、椅子から立ち上がった。
「ご馳走様」
そして、慌てて二階へと階段を上った。
「風呂入れよ…ヒクシュン!」
再び新聞を広げた真琴は、くしゃみをした。
「あんたは、何か着なさい。湯冷めするわよ」
父親の隣に座った母親は、真琴に向かって顔をしかめた。
その頃、部屋に入った姫百合は、着ていたTシャツを脱ぐと、鏡に背中を向けた。
「やっぱり…遺伝じゃないんだ」
うっすらとだが、金色の産毛が生えていたのだ。
それから、前を向き…小さな胸に手を当てた後、姫百合は目を瞑った。
「やっぱり…剃ろう」
ゆっくりを背中を鏡に向けると、金色の産毛を剃ることに決めた。
「女神よ」
マスターの声に、美奈子はコーヒーカップを持つ手を止めた。
ここは、喫茶店。
しかし、ある遺伝子が、目覚めた者しか来ることのできない場所。
アルテミア達との戦いでダメージを受けた美奈子は、疲れを癒す為にここに来ていた。
カウンターに座り、ゆっくりと一杯目を楽しんだ後のおかわりが、目の前に来た時…マスターが口を開いたのだ。
「何だ?」
美奈子は、コーヒーカップを置いた。
「近頃…目覚める者が、多くなっているようです。恐らく、この世界の危機に対応して」
「で、どうしているんだ?」
美奈子は、上目遣いでマスターを見上げた。
「初期段階は、わかりませんが、ある程度まで目覚めた者は保護しております」
マスターは、じっと美奈子の目を見つめていた。
「フッ」
美奈子は視線を外すと、コーヒーカップを手に持ち、一口啜ってから、言葉を続けた。
「で、どうしたい?」
美奈子の問いかけに、マスターは即答した。
「あなたの力をお借りしたい」
「しかし…新しい神は、できたはすだが?」
「!」
美奈子の言葉に、マスターは目を見開いた後に、顔をしかめた。
「あれは、我々が求める神ではありません。人工的、作為的な神です!我々が求めるのは」
「あたしは、無理だ」
美奈子は、マスターの言葉を遮った。
「め、女神!」
「だけど、目覚め始めた人達のケアはしなければならない。そのホローはする」
美奈子は、コーヒーを飲み干すと、カウンターを立った。
「女神!」
まだ何か言おうとするマスターの前に、美奈子はお金を置いた。
「ご馳走様」
そして、マスターに微笑むと、カウンターから離れ、店を出た。
「部長」
店を出るとすぐに、麗菜の声が頭に響いた。
「女神になってる暇はない」
美奈子は、真っ直ぐに前を見つめ、
「それに…その前に、この世界をどうにかするぞ」
そのまま…町の雑踏の中に紛れていった。
振り返ることなく。
もし、振り返ったとしても…今いた喫茶店を見つけることはできなかったであろう。
「す、すいません…」
明かりの消えたマンションの一室。その真ん中で、怯えながら携帯電話をかける男。
「ひ、人を…」
男の足下に広がる血溜まり。
「こ、殺しました」
この言葉を聞いて、着信を受け取った者は、にやりと笑った。
「毎度あり」
それだけ言うと、携帯は切れた。
数分後…明かりが消えた部屋に、外からの光が射し込んだ。
まだ12時前だ。
開けたドアを締めると、藤崎聖人はにやりと笑った。
「いい匂いだ」
鉄分を含んだ独特の匂い。それは、血の匂いだった。
黒のコートを翻し、藤崎は、土足のままマンション内に上がった。
「こんちは!ご連絡ありがとうございます」
匂いが漂ってくる部屋に、足を踏み入れようとした藤崎は、床に落ちている名刺に気付き、拾い上げた。
そこには、自分の名前と携帯電話が書かれてあった。
「処分するものは、どこですか」
血溜まりの中で、こちらに尻を向けて、土下座するかのように、額を床につけている男がいた。
先程、電話してきた男である。
「処分するものは?」
最初、藤崎も…懺悔の土下座だと思ってしまった。
しかし、その考えは数秒で、変わった。
「やれ、やれ」
藤崎の耳に、微かに聞こえる…ピチャピチャという音。
「一番、最悪のパターンだ」
藤崎は、頭をかいた。
男は、土下座をしていた訳ではなかった。
床に溜まった血を、舐めていたのだ。
蜥蜴のような長い舌で。
「チッ。殺した反動で、目覚めたか」
藤崎は、舌打ちした。
「本当に…ついてないな」
名刺を胸ポケットに突っ込むと、藤崎は立ち去ろうと、男に背を向けた。
「他を当たるか」
欠伸をして、部屋を出ようとした藤崎の背中に向けて、何かが飛んできた。
振り返ることなく、それを避けた藤崎。
飛んできたものは、針のように細く長くなった舌であった。
壁に突き刺さった舌を見ることなく、振り向いた藤崎は、人間ではなくなった男を睨んだ。
「人を呼んでおいて〜物はないわ。今度は、命を狙うかね?」
いつのまにか、男の腕が二本増えていた。
「俺は、お前らが嫌いなんだよ。食事はかぶるし…」
藤崎はため息をつくと、コートの中に手を入れた。
「不味くて、喰えないし」
そして、手を出した時には…デザートイーグルが握られていた。
「じゃなあ」
藤崎は躊躇うことなく、引き金を弾いた。
「…やれ、やれ」
何回か引き金を弾いた後、硝煙の匂いに、藤崎は顔をしかめた。
「折角のいい匂いが、台無しだ」
肉片に変わった男に、一瞥をくれると、藤崎は部屋から出た。
「まだ変幻の途中でよかったよ。あいつら…銃で死なないやつもいるからな」
マンションから出た藤崎の携帯が、また着信を告げた。
「やれやれ…。今度は、普通の人間にしてくれよ。こちとら、主食をしばらく食べていないんだからさ」
コートから携帯を取り出すと、耳に当てた藤崎は、にんまりと笑った。
「君か!連絡を待っていたよ」
「マスター」
喫茶店のカウンター内で、コーヒーを入れていたマスターの前に、1人の男が駆け込んで来た。
そして、小声で連絡事項を伝え、すぐに店の外に出た。
「そうですか…。何とか処理できましたか」
マスターへの報告内容は、藤崎が殺した男の処理についてであった。
血の匂いをかぎ分けることに長けた者達が、日夜警戒に走り回っているのだ。
「目覚めた者の中には、すぐに悪意や憎しみにかられ、すぐに相手を殺す場合が多いです。そして、その衝動は、憎しみから食欲に変わります。人を口にしてしまったものは、正気に戻った時、知ります。自分が人間ではなくなったと…。しかし…」
マスターは入れ終わったコーヒーを、カウンターから出て、テーブル席に運ぶ。
「その者は、再び…人間社会には戻れない」
カップルの前に、コーヒーを置くと、マスターはカウンター内に戻っていく。
「我々は、人間と生きることを決めた。初期衝動で殺し、食べたとしても…心のケアによって、心だけは人に戻ることもある」
「そうですね」
カウンターの端に座っていた浅田仁志は、コーヒーカップの中身を見つめながら、静かに頷いた。
「だが…そんな目覚めたばかりの者を殺し回っている連中がいるようだ」
仁志の前に来たマスターの目に、怒りが浮かぶ。
藤崎が彼らを殺しているのは、意図的ではない。
しかし、それがわかることはなかった。
「やつらでしょうか?この世界を破壊しょうとしているもの達」
仁志の言葉に、マスターは首を横に振った。
「違うだろうな。私が知っている範囲では、やつらの目的は…この世界の崩壊。ならば、目覚めさせた方が、人々の混乱を産むはずだ」
「だったら、誰が?」
仁志は、首を捻った。
「それは…」
マスターが考え込もうとした時、店の扉が開き、新たな迷い人が入ってきた。
「いらっしゃいませ」
何故店に入ったのか、自分でもわからずに、ただキョロキョロするお客に、マスターは笑顔を向けた。
「やあ〜。久しぶりだね。君から連絡をくれるなんて、嬉しいよ」
笑顔を浮かべる藤崎を、人里離れた山奥に呼び出したのは…俺だった。
「何人、殺したんだい?こんなところに連れてくるなんて…秘密の倉庫とかあるのかい?」
期待に胸を膨らませている藤崎には、悪いが…俺は、まったく違うことを考えていた。
(こいつの体から、漂うのは…火薬と血の匂いだ)
「最近の高校生は進んでるね!何人もやっちゃうなんて」
藤崎は、俺の方に鼻を向け、風が運んでいる匂いを嗅いだ。
「確かに…俺は、人を殺したこともある。数多くの人以外の存在も殺した!しかし、それは…この世界ではない。なのに、気付くとは…あんたは一体何者だ?」
俺の質問に、藤崎はきょとんとなり、まじまじと顔を見つめた後、
「何を言っているんだ?こんなに血の匂いを染み込ませているのに」
ゆっくりと俺の体を指差した。
「え?」
俺は驚いた。
やつが感じ取ったのは、俺の魂ではない。
この肉体に染みついた匂い。
そして、この体は…開八神茉莉のものであった。