溜め息を彩る静けさ
「さっさとはきなさい!お前達の目的をな!」
椅子に縛られた輝に、鞭を片手に詰め寄る香坂真琴。
その異様な雰囲気に、輝は体にくねりながら、何とか逃れようとする。
「しゅ…主旨が違うような」
いつのまにか、真琴の手には、蝋燭も握られていた。
(き、期待と…不安)
そんな真琴の雰囲気に、妙な世界の入り口を垣間見た輝ははっとして、首を横に振った。
(ち、違う!今は、そんな趣味に目覚める場合じゃない)
輝は目を瞑り歯を食い縛った後に、言葉を吐き出した。
「た、助けて…」
か細い声だった。
そんな輝の声は、音を立てて開いた扉の音に、かき消された。
「お姉ちゃん!」
薄暗い部室に、廊下の照明が飛び込んできた。
「また!生徒を拐ったのね!」
怒りながら、部室に入ってきたのは、小柄で細身の女の子だった。
「これは、我が妹よ」
真琴は鞭と蝋燭を、部室の端に投げ捨てると、入ってきた女の子に両手を広げて見せた。
「お姉ちゃん!」
女の子は輝を指差し、
「これを何よ」
真琴をギロッと睨んだ。
(こ、これは何!?)
物のような呼び方に、軽いショックを覚えた輝。
「フッ」
真琴は不敵に笑うと、言い放った。
「人間だ!」
「そういう意味じゃない!」
ピシッと言い放つと、女の子は真琴を睨み付け、
「いつもいつも、生徒を拉致して!この部室が何と言われているか知ってるの!学園の北○鮮よ!」
さらに睨み付けた。
「北○鮮上等よ。だったら、我が妹よ!お前は、世界の警察を気取るアメリカか!それとも、口先だけの日本か!」
言い返す姉に、妹はキレた。
「誰がアメリカよ!口先だけの日本よ!あたしは!」
女の子は、腕に巻いた腕章を見せ、
「この学園の生徒会の一員よ」
ビシッと言い切った。
その腕章を見て、真琴を鼻で笑った。
「雑魚ね」
その言葉に、女の子は目を見開いた後、顔を真っ赤にしながら口を開いた。
「誰が雑魚よ!」
「フン!生徒会の中でも、地位が中途半端な会計が、何をいうか。会計に、この学園の治安が守れるか!」
真琴は突然腕を組むと、勝ち誇ったように言葉を続けた。
「この学園の平和を守るのは、あたしだ!文句があるなら、お前の上を呼べ!」
「う、上って…」
いきなり、女の子のテンションが下がった。
「フフフ…。そうだったな。噂の生徒会長は行方不明。そして、副会長も事故で学校を去ったんだったな。実質…生徒会は、お前だけ…ククク…ハハハハ!」
高笑いを始めた真琴を見て、悔しそうに握り締めた拳を震わす女の子。
それを見て、さらに笑い続ける真琴。
(…)
どこかほったらかしにされた感がある輝はただ…女の子を見つめていた。
(レ、レベル高けえ〜)
しかし、ただ…ぼおっとしていた訳ではない。
(姉は、スレンダーボディに破壊力を見せつける2つの爆弾をそ、備えているが…)
輝は、真琴の胸元をちらっと見た後、女の子に目を戻し、
(これが同じ遺伝子を持つと思えないほどの違い!しかし!しかし!女の差は、胸じゃないないことを教えてくれる奇跡のバランス感覚!さらに、あどけないベビーフェイスを真っ赤にするほどの気の強さ!)
輝の心の中で、涙を流してくれた。
(神よ!あなたに感謝します!いろんな女性を用意してくれたことに!)
そして、心の中で敬礼した。
(犬上輝!確信しました!僕は、この世界で生きていけます!)
ぱっと笑顔になる輝。
(可愛い女の子がいれば、犬上輝は生きていけます!)
「…」
「…」
にやける輝を、いつまにか言い争いをやめた姉妹が見ていた。
「と、とにかく!」
咳払いをした後、女の子は視線を真琴に戻し、
「この生徒を解放して下さい!」
少し輝から体を遠ざけながら強い口調で言った。
「解放?」
真琴はわざと眉を寄せて見せてから、フッと笑い、
「誰を解放しろと?」
意味深げに女の子に訊いた。
「?」
妙に自信ありげな真琴を、訝しげに女の子は見た。
「この男は、情報倶楽部の生徒だ」
真琴はにやりと笑うと、輝に目をやった。
「え!」
驚いた女の子は思わず、輝に顔を向けた。
「嘘だと思うなら、訊いてみればいい」
自信たっぷりな真琴。
「そんなあり得ない!こんな独裁者の下に、部員なんて」
女の子は、にやけ続ける輝に訊いた。
「あ、あなたは、情報倶楽部の部員なの?」
「はい」
まだ半分夢見心地の輝は、頷いた。
勿論、輝が所属しているのは、別の情報倶楽部である。
「うっ!」
輝の答えに、後ずさる女の子。
「わかったか?あたしは、こいつを拉致した訳ではない。こいつは、自らの意志でここにいるのさ」
「そ、そんな馬鹿な!」
予想外の状況にショックを受けたが、女の子は生徒会の意地を見せる為に、反論しょうとした。
「で、でも!部員を縛るなんて…」
しかし、反論はできなかった。
女の子の目に、飛び込んできたものが…何も言えなくさせたのだ。
部室の角に転がる…蝋燭と鞭。
(そ、そっち!)
否定しょうにも、椅子に縛られた輝はにやけている。
「き、き、今日のところは…し、失礼するわ」
女の子は、蝋燭も鞭も輝も視界に入らないように目を閉じると、踵を返し、扉に向かって走った。
「うぶな子」
真琴は、微笑んだ。
「アメリカを気取るなら、不純異性交遊とか難癖をつけて、しょっぴけるのに」
「は!」
ここで、我に返る輝。
助かるチャンスを逃したことには気付かず、女の子がいなくなったことに驚いていた。
「い、今の素敵な少女は!」
「うん?」
真琴はちらりと輝を見た後、女の子が閉め忘れた扉に目をやり、
「我が愛しの妹…香坂姫百合だ。あたしの姫だ」
口許を緩めた。
「姫…百合…さん」
目を輝かせる輝に気付き、真琴は釘を刺した。
「手を出したら、殺す」
「…」
その口調に、輝は自分の状況を思い出した。
輝が拉致されている頃、高坂とさやかはコンサート会場に着いていた。
数分後、二人は静寂に包まれていた。
演奏が終わったのだ。
無駄な音が一切ない…完成された演奏とシンプルな楽曲。
それらを従えて、圧倒的な存在感を示す…歌姫。
拍手すら、忘れてしまう程の歌声に、観客は演奏の終了すら気付かない。
無音の空間に、一人の観客が溜め息をつくと…次の曲が始まった。
ある意味…拍手ができるということは、余裕があるということであろう。
観客はただ…息をする自由しかない。
コンサートが終わるまで、魔法をかけられたように、観客は歌声にとらわれていた。
割れんばかりの拍手は、歌姫が頭を下げるまで発生することはなかった。
まったく別の空間に変わったような会場内で、高坂はずっと腕を組み、歌姫を睨むように見つめていた。
「…帰るぞ」
アンコールを求める観客の叫びに、高坂の声は、隣にいるさやかにも聞こえなかった。
アンコールとは叫んでいないが、さやかも手拍子をしていた。
「…」
そんなさやかを見て、高坂は観客とは違う溜め息をつくと、席を立ち…ホール内から出ようとした。
異様な熱狂の中、アンコールを待たずに席を立ったのは、高坂を入れて2人だった。
「どうなさいましたか?」
ホール内から出てきた女に気付き、関係者が慌てて近付いて来た。
「少し…息苦しくって」
女は関係者に微笑むと、ゆっくりと歩き出した。
「確かに…凄い歌手だわ」
近づいてくる女の雰囲気に、関係者は息を飲んだ。
「だけど…」
女の目が一瞬だけ、鋭くなった。
立ち止まった関係者の横を、女はすり抜け、
「自由がないわ」
そのまま、外への扉に向かう。
「歌を楽しめる自由が…」
女は、外に出た。
もう…真っ暗になっていた。
外を見上げても、コンサート会場の光で、星は見えない。
(本当に凄い歌手だったわ。だからこそ…違和感があった)
女は前を向くと、町並みに目を細めた。
(その違和感が…彼女にとっても、不本意だったら)
そのまま、一度目を瞑った。
(だとしたら…)
女は、頭に浮かんだ言葉を飲み込んだ。
それからゆっくりと目を開けると、町を歩く人々を見つめた。
(音楽は…人を幸せにする。だけど…不幸にすることはない。だって…言葉通り、音を楽しむものなんだもの。楽しめないのは…自分のせいよ。音楽は関係ないわ)
その言葉は、女が口にしたことではなかった。
かつて…女が少女だった時に、師匠ともいえるある女性が語った言葉だった。
(だけど…)
女の脳裏に違う女性が映った。
日本人ではない。
妹の遺骨を抱きながら、女性は自らの頭を、拳銃で撃ち抜いた。
(ティア)
女は、唇を噛み締めた。
(彼女は…音楽で不幸になった)
女が思考を続けようとしたが、ふいに鳴った携帯電話が現実に戻した。
「はい」
画面を見ることなく電話を出た女は、聞こえてきた声に微笑んだ。
「元気にしてるの?香里奈ちゃん」
電話の相手は、速水香里奈だった。
「今は、日本よ。あなたこそ…」
と言いかけて、女は言葉を止めた。
「そう…あなたも日本なのね」
女は歩き出した。
「ママ…」
携帯から香里奈の声が、漏れてきた。
ママと呼ばれる女の名は、速水明日香。
彼女もまた、歌手であった。
「あたしは今から、ダブルケイに戻るわ。あなたはどうするの?」
明日香は母親の顔になると、微笑みながら歩き始めた。
「メッセージか…」
高坂はホール内から出ると、出てきた二つ折りの扉にもたれた。
「わからんかった」
音楽に疎い高坂には、レダからのメッセージを受けとることはできなかった。
「しかし…」
顎に手をあて考え込もうとした瞬間、突然扉が開き…高坂は前のめりに倒れそうになった。
「何ライブ中に、抜け出しているのよ」
会場から出てきたのは、さやかだった。
扉の隙間から、アンコールを歌うレダの歌声が聴こえてきた。
高坂は何とかバランスを取ると、閉まっていく扉の隙間からホール内を見つめた。
「最後まで聴くのが礼儀よ」
少し怒っているさやかを無視するかのように、高坂は扉が閉まると、外に向けて歩き出した。
「ごめんだな。あれ以上いたら、息が詰まる」
顔をしかめた高坂の背中を、さやかは睨んだ。
「あんたは、音楽がわからないのよ」
「わからなくても、会場内の空気はわかる。何だ?あの空気は!異様だ!なのに、周りの人間はそれに気付いていない」
高坂は軽く舌打ちし、
「もし…世界の崩壊を伝えているとしても、伝わらない!」
会場の壁を叩いた。
「崩壊を止めることはできない!それだ!」
高坂は振り返り、出てきた扉を睨み付けた。
「あの歌手は、それがわかっている!ほとんどの人に伝わらないことをな!わかるやつだけでいいのか!ふざけるな!」
「高坂…」
「だったら、もっと幸せになれる空間を作れ!せめてな」
そこまで言ってから、高坂ははっとした。
「ま、まさか!」
会場内を見回し、
「敵がいるのか?」
拳を握り締めた。
「彼女の緊張感が、歌によるものだけでないならば…」
しかし、周囲を見回しても、2人には敵の存在を確認することはできなかった。
高坂達が飛び出したホール内で、壁にもたれてステージ上のレダを睨むように、中山美奈子は立っていた。
一時期は劇団を率いていたことがある美奈子は、レダの歌を理解することができていた。
しかし、そのメッセージが伝えたいことを知っていた美奈子にとっては、それを歌うレダの存在こそが注意すべき相手であった。
勿論、周囲にも気を配っていた。
(人間以外の気は感じない。恐らく…レダも人間。まだそれくらいで、確証はできないが…)
そこまで考えてから、美奈子は息を吐いた。
「フゥ〜」
会場を支配する静けさと、妙にリンクしてしまった自分の緊張感を解く為だった。
(それにしても…ここまでの歌唱力とはな)
美奈子は改めて、レダの歌声に感心していた。
(部長)
そんな美奈子の頭に、麗菜の声が響いた。
「うん?」
目だけを動かした美奈子は、会場から出ていく明日香の姿をとらえた。
(あの人は!)
思わず目を見開いた。
美奈子の記憶が一瞬で、過去に飛んだ。
まだ人間だった頃、美奈子の劇団は、里緒菜のコネで…高校生の頃の明日香を主人公にした劇をするはずだったのだ。
しかし、劇団員だった松野彩香が、魔獣因子に目覚めたことにより、美奈子の日常は激変した。
そして、魔物の腕を移植された神野真也との出会い。
さらに、劇団に紛れ込んでいた…炎の魔神リンネとの遭遇。次々に起きる日常の変化が、美奈子の体に眠っていた女神の力を目覚めさせる結果になった。
そして、彼女は…人間ではなくなった。
もし…それらの出来事がなかったならば…美奈子は今でも、劇団を率いて幸せに過ごしていたかもしれなかった。
(幸せ?)
美奈子は、そんな考えを鼻で笑った。
(何も知らないことが、幸せだというならな)
美奈子は、明日香が扉の向こうに消えても…しばし、見つめていた。
(知ってしまったからには)
美奈子は拳をぎゅっと握り締め、
(戦うだけだ!この世界を守る為にな)
改めて、決意を固めた。
「敵は、何者なんだろうね」
夜の帳の中、廊下を並んで歩く理香子に、中島が訊いた。
「わからないけど…」
理香子は首を捻りながらも、女神としての本能が確信したことだけを口にした。
「匂いが…この世界のものなのよ…ね。つまり、さっきの男は紛れもなく…この世界で生まれた人間…。だけど…」
理香子自身が一瞬、間違えた…闇の波動を思い出すと、そう決めつけていいのかわからなかった。
(魔獣因子と呼ばれるものは…月の女神であるあたしが生まれ変わる以前に、この世界を創った時にできたバグみたいなもの。あたしが目指したのは…人間の為の世界)
理香子はちらりと、廊下の窓から外を見た。
(魔物がいない世界なら…人は幸せになると思っていた…)
窓の向こうに見える人工物を見つめながら、理香子は口を閉ざした。
窓と理香子の間にいた中島は、自分を見ていない理香子の複雑な瞳の色に、下を向いた。
そのまま…無言で廊下を歩いていく2人の後ろ姿を見送る者がいた。
猫沢巫女である。
「フン!」
軽く鼻を鳴らすと、猫沢は理香子達に背を向けて歩き出した。
しかし、すぐに足を止めた。
柱の影にもたれるように、真田がいたからである。
「ご苦労」
眼鏡を指先で上げながら、真田はフッと笑った。
「…」
猫沢は無言で、頭を下げた。
「お嬢様が襲われたようだ」
真田はにやりと笑い、
「確証はないがな。しかし、今のお嬢様なら、やつらも気づくまい」
猫沢に背を向けた。
「もうすぐお嬢様のお帰りの時間だ。一応、護衛を頼むよ。純一郎だけでは、心許ないからな」
最後にそれだけ言うと、影の中に消えようとする真田に向かって、猫沢は口を開いた。
「ここは、月の故郷。知られ過ぎています。そんな地になぜ?」
「出過ぎた質問だが…」
真田は眼鏡を外すと、猫沢の横顔を見つめ、
「君ならばこたえよう」
口許を緩めた。
「!?」
猫沢は無意識に、距離を取り、構えた。
恐ろしい程の魔力を感じたからだ。
「フッ」
真田は、眼鏡をかけ直した。
そして、廊下の窓から外を見つめながら、話し始めた。
「闇が生まれたのは…月があるからだ」
「!」
その言葉に、猫沢は目を見開いた。
「厳密に言うと、闇はあった。しかし、昼と夜。闇と光のように、明確に別れていた。それなのに…月ができた為に、闇は光を知り、嫉妬した」
真田は天井を見上げ、その上にある月を睨んだ。
「闇の女神デスペラードは、元から闇の女神と呼ばれていた訳ではない。彼女は、月の女神イオナがいた為に、闇となったのだよ」
そう言うと、真田は猫沢に視線を戻し、
「嫉妬。欲望。羨望。絶望。それは、月の許にある。ならば、月の光こそが、やつらの餌になる。そして…」
にやりと笑い、
「やつらは、昼間の太陽に気付かない!次元が違うからな」
そのまま、影の中に消えた。
最後に、一言だけ残して。
「故に、君は職務だけ全うすればよいのだよ」
「!」
真田が消えると同時に、いた場所の闇が濃くなっているように感じた。
「フン!」
猫沢は鼻を鳴らすと、歩き出した。
「人は…闇」
校門の影の中から出てきた真田は、眼鏡を人差し指で上げると、迎えに来ていたリムジンの中に入った。
「なのに…光を生める存在でもある。しかし、光を放つのは、1人でいい。たった1人で」
真田は、リムジン内のソファーにもたれると、眼鏡を外した。
リムジン内は、結界を張っており、魔力が漏れることはない。
「真田家の悲願。お仕えするお家を、天下一にすること。今回は、しくじる訳にはいかない」
真田の眼が、赤く輝いていた。
「月の女神も月影も…。砂の使者も…。やつら闇も!我らの為に働くがいい」
真田は、運転席でハンドルを握っている男に話しかけた。
「と思わぬか?才蔵」
「御意」
才蔵といわれた男は、頭を下げた。
「我が作に抜かりはない。近い内に、この世界の国々は一つになる。太陽に照らされてな。そう…人間は、見上げることなく、分相応に前だけ向けばいいのだよ。人の幸せは、真上にはない。前だけだよ」
真田は再び、眼鏡をかけ直した。
猫沢と純一郎…そしてお嬢様の姿が、校門の向こうに見えたからだ。