灰になれ
「フゥ〜」
場末の喫茶店で、少し香りのきついコーヒーをカップから少しすすると、白髭をたくわえた老兵士が、ため息ともつかない声を出した。
カードシステム崩壊後、非現実的と言われた科学の原理も利用されて、急ピッチでつくられた公共放送手段である…テレビ。
そこから流れる解放軍の放送を、画面を見ずに聞いていた老兵士の耳許で、アゲハ蝶に似た精霊が首を捻った。
「ダラスは、参加しないの?あの組織に」
精霊の言葉に、ダラスと言われた老兵士は軽く笑うと、コーヒーカップをカウンターに置いた。
「ステラ…」
ダラスは、精霊の名を呼ぶと、カップ内の茶色の液体に目を落とし、徐に話し出した。
「この世界は、残酷なことで溢れている。俺がここで休んでいる今この時にも、どこかで人は魔物によって蹂躙されているだろう。なのに…」
ダラスはちらりと、テレビの画面に目をやった。
「やつらに落ち度があったからといって、人間が人間を殺すシーンを流してどうする?」
ダラスは、コーヒーカップに手を伸ばさず…席を立った。
「子供が見ているのに…」
「ダラス…」
「確かに、この前の戦いで、人類は多くの犠牲を出した。しかし…」
ダラスの脳裏に、逞しくなった少年の背中が浮かぶ。
「人類は、希望を得た。前に進む太陽をな」
ダラスは店を出た。
彼の肩に、ステラが腰を下ろした。
「いくか?」
ダラスは、腰につけた鞘に手を触れた。
「1人で?」
ステラは笑った。
「違う」
ダラスは、町から出た。
そこからは、魔物の領域だ。
「この地が、世界に繋がっている限り…」
しばらくすると、悲鳴が聞こえてきた。
「人類は、1人ではない」
ダラスは鞘から剣を抜き、走り出した。
その頃、ダラスがいた喫茶店からさらに町の外れ…廃墟に見える雑居ビルの地下のバーに、アルテミアがいた。
「ぷはぁ〜」
カウンターに肘を付けながら、一気にジョッキー内のビールを飲み干したアルテミアは、満足気に顔をしかめた。
「酒なんて、久しぶりだ」
アルテミアはカウンターに音を立てて、ジョッキーを置くと、少し離れたところにいるバーテンダーに、目配せでおかわりを要求した。
バーテンダーは愛想笑いを浮かべると、震える手でジョッキーを取り、サーバーに向かう。 その後ろ姿も、小刻みに震えていた。
アルテミアの恐ろしさは、世界中に知れ渡っていた。
ブロンドの悪魔を筆頭に、踏み倒しのアルテミア…無銭飲食のアルテミア。
この世界の警察に通報したところで、アルテミアをどうこうできる権力は、人間にはなかった。
(まあ〜。手持ちの金が少しあるから)
僕は、安心していた。
しかし、数分後…事態は僕の予想を裏切った。
カウンターに並ぶ…ジョッキーやグラスの大群。
「た、足らない!?」
唖然とする僕。その後ろでは、ドリンク類がなくなった為に、来客を断る店員の姿があった。
「すいません」
「誠に申し訳ございません」
頭を下げる店員の脇を、じゃあと一言だけ言ってカウンターから離れたアルテミアが、横切っていた。
「ア、アルテミアさん?」
僕の声を無視して、アルテミアは鼻歌混じりで、上機嫌に帰っていく。
カウンター内にいたバーテンダーは、護身用の剣に手を伸ばしかけたが…泣く泣く掴むのを止め、肩を震わし、その場で崩れ落ちた。
店員達も、アルテミアが近づいてくると、本能的に身を引いた。
入れずに、文句を言っていたお客も、アルテミアを見て、素直に帰ることを選んだ。
こんな雰囲気の中、1人の女がカウンターから一番離れたテーブル席から立ち上がった。
そして、悠々と帰ろうとするアルテミアの前に立ちはだかった。
「ブロンドの悪魔だな?」
女はそう言うと、腰につけた鞘から剣を抜いた。
しかし、アルテミアは足を止めない。
「ブロンドの悪魔だな!」
女は少し語尾を強めた。
ショートカットの栗色の髪に、漆黒の瞳。細身の体は、今にも折れそうに見えるが、全身から漂う殺気は、抜いた剣より鋭かった。
「ア、アルテミアさん?」
状況判断をして対処しなくてはと、僕は口を開いた。
飲み代はツケにして貰うとして、まずは殺気立っている女性を何とかしなければならない。
「アルテミアさん…。前にいる女の人が声をかけていますけど…」
僕の言葉に、アルテミアは片方の眉をはねあげた。
「お前は、あたしを、ブロンドの悪魔って思っているのか?」
怒気のこもった声に、僕は危険を察知した。
咄嗟に出た言葉は、こうだった。
「思ってません」
「そうだろ?」
アルテミアは満足気に頷くと、女の横を通り過ぎようとした。
「待て!」
すると、女は日本刀に似た剣の刃を横にすると、横凪ぎの斬撃を放った。
その攻撃をアルテミアは紙一重で、見切った。
「何のつもりだ?」
アルテミアは横目で、女を睨んだ。
「ブ、ブロンドの…」
女は呼び方を変えた。
「て、天空の女神だな?」
「…」
アルテミアは数秒、女を睨んだ後、足を進めた。
「誤魔化されないぞ。ブロンドの髪に、見た目は、絶世の美女…そして」
「絶世の美女だとお!?」
アルテミアは女の話の途中で、いきなり足を止め、振り返った。
「それでも、表現が足りんわ!」
そして、ギロッと女を睨むと、再び前を向き、歩き出した。
「ア、アルテミア!」
女は床を蹴ると、剣を振り上げ、アルテミアの頭上から斬りつけようとした。
「フン」
アルテミアは前を見つめながら、鼻を鳴らすと足を止めた。
「貰った!」
振り下ろされた剣は、アルテミアの残像を真っ二つにした。
「!?」
女の剣先は、床に突き刺さった。
「アルテミア!」
なのに、剣はすぐに床から抜けた。女は振り向きながら、腰を回転させ、横凪ぎの斬撃を狙う。
「ほお」
アルテミアは感心したように頷くと、そばにあった木製の椅子を足で引っ掛けて、女に投げた。
「チッ」
女の斬撃は椅子を斬り裂き、一瞬で灰にした。
「いいおもちゃだな」
アルテミアは、両手を組んだ。
先程、剣が突き刺さっていた床の一部も、灰になっていた。
「我が剣は、斬ったものをすべてを灰にする!燃えるよりも速く、燃え尽きるのだ!お前もな」
女は、突きの体勢で突っ込んできた。
アルテミアは両手を組んだまま、欠伸をした。
「まったく…」
それから、剣に向かって歩き出した。
「彼氏のかたき!」
女の叫びは、すぐに消えた。
「飲みなおしだな」
女の体が宙に舞い、床に叩きつけられたからだ。
「酔いがさめた」
アルテミアは人差し指と親指で、女の剣をつまんでいた。
背中からの衝撃を受け、女は気を失っていた。
「アルテミア?」
僕は指先から、湯気が上がっているのを確認した。
「この体は、お前のものだ。それに、この程度の熱…。モード・チェンジしなくても、耐えられる」
アルテミアは振り返らずに、剣を後ろに投げた。
カウンターの中で、怯えていたバーテンダーの前に突き刺さると、カウンターの一部が灰になった。、
「これで足りない分は、支払うぞ。武器屋に持っていけば、大量の釣りが返ってくるはずだ」
偉そうに言ったアルテミアに、僕は突っ込んだ。
「アルテミアのものじゃないだろが!」
と言っても、アルテミアは払うつもりはなかった。
僕は心の中で、お金ができたら、きちんと払いに来ることを誓った。
「それにしても、アルテミア…。さっきの女の人…彼氏を殺されたって言ってたけど」
アルテミアが、女の人に恨まれ絡まれるのは、一度ではない
「知るか!」
アルテミアは顔をしかめた。
ゆっくりと店から離れながら、次の店を探す。
しかし、悪い噂はすぐに広まる。
アルテミアが通ると、店は次々にクローズとプレートを出したり、シャッターを閉め出した。
「チッ!」
アルテミアは舌打ちすると、背中から翼を生やし、違う町にいく為に空に飛び上がった。
「く、くそ!」
数分後、気をとり戻した女は、痛む背中を確認しながら、立ち上がった。
「ア、アルテミア…彼氏のかたき」
ふらつきながらも、女は自らの剣を探した。
「その話。詳しく聞かせてくれないかい?」
女の目の前に、カウンターに刺さっていた剣を抜き、それを差し出す男が現れた。
「あ、あなたは!?」
女は、目の前に立つ男が誰か気づくと、その場で敬礼をした。
「あの女の飲み代も払おう」
男がそう言うと、彼のそばで控えていた2人のボディーガードが動き出した。
「あなたが、どうしてここに!?」
まだ驚きを隠せない女に、男は微笑んだ。
「一般の人達の暮らしを知ることも、大切だからね」
「そ、そうでしたか!」
女は改めて、背筋を伸ばし、姿勢を正すと、再敬礼をした。
「元防衛軍!第233部隊所属しておりました!ヨルダ・マーティーンです」
「固い挨拶はいいよ」
「は!ありがとうございます!オーティス・ハイネス様」
女の前に立つのは、仮面を被ったオーティスだった。
「先程の話…興味深い」
オーティスはヨルダに向かって、優しく微笑んだ。




