第39話 天使のヴァンパイア
僕は頭をかき、目の前に立つ老戦士に、訊いてみた。
この世界のいいところは、言葉が通じないことがないということだ。
魔物に、つねに襲われ続けている人類は、生き残る為には、言語をわけている場合じゃなかった。
日本語かどうかは、わからないけど…アルテミアと融合している時に、自然と話せるようになっていた。
でも、まだ本当かわからないから……明らかに、日本人ではない人には、緊張してしまう。
僕の愛想笑いにも、ドラゴンキラーを構えている男は、ぴくりとも動かない。
(やっぱり…通じないのかな)
不安になってきた僕は、視線を男から外した。
その瞬間、男の後ろに、巨大な竜の死骸を発見した。
「なんだ!これは」
さっき、僕が通った時にはなかった。
いつのまに現れ、いつのまに死んだのか…僕にはわからなかった。
(この人が倒したのか?)
だとしたら、相当な使い手だ。
それに、僕にドラゴンキラーを向けている。
僕は一転して気を引き締め、男との距離を確認した。
ちょうど三メートルくらいだ。
これは、ドラゴンキラーの間合いである。
(人とは戦えない)
僕は、カードを取出し、フライングアーマーを召喚させ、この場から逃げようとした。
ダラスは、赤星に近づくと、手を差し出した。
「ようこそ、勇者よ。歓迎するよ」
「あ、ありがとうございます」
僕は戸惑いながらも、ダラスの手を握り締めた。
男はカードを見て、目を丸くした。
「カードを持っている?普通のに、人間なのか」
男はドラゴンキラーを手に装備しながら、僕にきいた。
「我は、ダラス…。君の名は?」
僕は、カードを指でつまみながら、
「赤星浩一」
「赤星浩一……」
ダラスには、聞き覚えがあった。世界に、数百人いる勇者のネットワークで、語られていた噂話。
防衛軍は、公表していなかったが…。勇者アルテミアが、魔王に倒された後、異世界の人間を呼び、融合したと…。その融合した者の名は、
「赤星浩一だったはず…」
ダラスは、ドラゴンキラーを下ろした。
(だとしたら…納得できる。今の力は、アルテミアのものか…)
噂話は、融合の具体的なことを告げてはいなかった。
「初期段階は、終えたか」
小型の水晶玉を、右手にかざしながら、クラークは呟いた。自然と、口元が緩んだ。
「しかし、まだ…始まったばかりだ」
クラークは口をつむぎ、気を引き締めた。
手を下に下ろすと、水晶玉は消えた。
クラークは、歩きだす。
「しかし…格納庫に現れた時は、ひやりとしたが…結果的には、良かったか…。黒竜の力を吸収できたしな…後は」
クラークが立つところは、何もない断崖絶壁の山奥だった。
自然にできたところではない。防衛軍が、地形を利用する為に、魔力で作った総本部だった。
崖そのものが、障壁となっており、その下…数百キロの底には、安定者の間があった。
誰も、基地だと気付くものはいない。
他の本部は、きちんとした構造物で、場所も明かされているが…ここだけは、別だった。
アメリカ大陸のグランドキャニオンを真似、アルプスの山々の尊厳さを合わせ持ち、遠くにはナイアガラの滝を連想される場所まである。
「悪趣味で…観光地を真似ただけだな」
クラークは鼻で笑うと、崖っ淵まで来て、その底を覗いた。
「こんな基地…気休めにすぎん」
遥か底を覗いていたクラークは、頭の中心を貫くような魔力を感じ、思わず顔を上げた。
「この感覚は」
クラークはカードを取り出し、目に当てた。
赤く光る目が、急速に接近してくる飛行物体をとらえた。
「あれは…」
クラークは目を戻すと、気配を消し、崖に飛び込むと、地面の端を掴み、身を隠した。
カードが警告を出す前に、クラークはカードをオフにした。
防衛軍本部に、けたたましいサイレンが鳴り響いた。
「来たか」
クラークは、天を見上げた。
真上にあった太陽を、何かが隠した。
影が、辺りを暗くした。
その影は…ゆっくりと翼を広げた。
白い羽根が、辺りに舞い落ちる。
翼を広げた瞬間、太陽より眩しく、暖かい光りが零れた。
「エンジェルモード」
クラークは、その美しい体に見惚れながらも、嫉妬した。
激しい憎悪も湧いてきた。
だが、それらを必死にこらえた。
「来たな!アルテミア」
防衛軍本部の頭上に現れたのは、天空の女神アルテミアだった。
アルテミアは、二メートルはある両翼で全身を包むと、回転し出した。
まるで、白いドリルのようになる。
そのまま、防衛軍が迎撃態勢に入る前に、魔法障壁でコーティングされた地面を貫き、地下の本部内に突入していく。
アルテミアの姿が見えなくなったのを確認すると、クラークは手に力を込め、勢いよく、崖から飛び出した。
地面に着地すると、崖の底を覗き込んだ。
アルテミアの目的は、わかっていた。
しかし…。
クラークは、にやりと笑い、
「問題は、アルテミアがやつに勝てるかだ…」
アルテミアの勝敗によって、クラークの行動は変わる。
「少し前なら…勝てなかっただろう」
防衛軍本部は、クラークの立っている場所から、崖を挟んだ向こうにあった。
「今なら、勝てるはずだ」
クラークは、両手をスボンのポケットに突っ込むと、崖っ淵から、何もない空間に足を出した。
そして、ゆっくりと空中を渡っていく。向こうの地面まで、50メートルほど。
本部の上までたどり着くと、クラークはアルテミアが掘った穴まで行き、底を覗いた。
「さあ…アルテミアよ。今日、お前の人間ごっこは、終わりを告げることになる」
「何事だ!」
防衛軍の地下にある安定者の間に、近づくものがいる。
「この感覚は?」
暗闇に包まれた部屋で、空中を遊泳していた五個の椅子が、止まった。
「て、天空の女神!」
五人は一斉に、上を見た。
天井と思われる空間から、埃のようなものが、パラパラと落ちた。
「馬鹿な!あり得ぬ」
「ここは、上とは、空間が違うのだぞ」
「穴を掘ったぐらいで、たどり着けるものではないぞ」
軽いパニック状態になる五人と違い――先程から、椅子を動かすことなく、静かに瞑想していた白老の安定者が、ゆっくりと目を開いた。
「驚くことは、あるまい。あやつは、ティアナの娘…」
「しかし、長老!最近まで、天空の女神に、空間を破る力はなかったはず」
一番若いと思われる安定者が、長老と呼ばれた白老の安定者の前まで、椅子を動かした。
「時は動いておる」
落ち着いた口調の長老に、若い安定者はキレた。
「冗談じゃないぜ!俺達は、ここが安全で、贅沢な暮らしができるっていうから、安定者をやってやってるんだぜ」
「そうよ」
安定者はつねに、フードを被っているが、五人は椅子を降り、フードをとった。
三十代後半から〜四十代後半までの男女。
「戦う為にいるわけじゃないわ」
真っ黒な髪をなびかせて、弾けそうなバストが、女を強調している。
眼鏡を人差し指で上げると、女は言った。
「あんな化け物と、戦うなんて…あたしの体に傷ついたら、どうするのよ」
その言葉に、長老は笑った。
「お主達は、安定者…。五人の力を合わせれば、アルテミアに勝てるかもしれない」
「嫌よ。あたし、もうここから出るわ」
女はブラックカードを出し、テレポートしょうとする。
しかし、テレポートできない。
「え?」
唖然とする女の体が、吹き飛び、部屋の壁に叩き付けられた。
それを見て、四人は長老に顔を向けた。
長老は、四人を見ず、
「お前達に、力を与えたのは、ティアナを殺す為だけだ」
「だけど…もうティアナはいないわ…」
女がそう言った瞬間、長老は妖しく笑い、
「確かに…お前達は、優秀ではあるが―――用なしだ」
長老から漏れてくる魔力に、残りの安定者は身を震わせた。
「あたし達を始末する気なの!」
壁にめり込みながら、女は長老を睨んだ。
「それは……お前達次第だ」
長老が、にやりと笑った瞬間、天井の闇に崩れた。
五メートルぐらい上から、光を纏った天使が降りてきた。
あまりにも、眩しいその光に、五人は目をふさいだ。
天使は、音も立てず…床と思われる闇に着地する。
「アルテミア」
長老は、呟くように言った。
ゆっくりと着地した瞬間、アルテミアはエンジェルモードを解いた。
「てめえらが、安定者?」
黒いジャケットに、白いTシャツ姿というラフな姿のアルテミアは、舐め回すように、五人を見ると、鼻を鳴らした。
「全員レベル100くらいね…大したことないわね」
アルテミアは、チェンジ・ザ・ハートを槍へと変えた。
一振りすると、
「かつて、安定者だったティアナ・アートウッドについて、ききたいことがあるのよ」
「女神!」
壁にめり込んでいた女が叫ぶと、壁から外れた。そのままブラックカードを取り出した。
五人の安定者は、右手をアルテミアに向けて突き出した。
「自惚れた女神に、死の制裁を!光の裁決を」
無数の光の矢が、アルテミアに放たれた。
「下らない」
アルテミアは、チェンジ・ザ・ハートを横凪ぎに振るった。
無数の光の槍は、それだけで消滅した。
「馬鹿な!」
唖然とした五人に、アルテミアはチェンジ・ザ・ハートを投げた。
五人の横腹にヒットし、苦悶の表情のまま…五人は崩れ落ちた。
「チェンジ・ザ・ハート……」
「ティアナの武器か…」
うずくまる五人に、アルテミアはゆっくりと近づき、一番年寄りそうな小太りの男の残り少ない髪の毛を掴み、無理やり立ち上がらせた。
「さあ。話してくるかしら?」
アルテミアは髪の毛を引っ掴みながら、小太りの安定者の顔を覗き込んだ。
そして、にこっと微笑んだ。
あまりの美しさに、小太りの安定者の顔が真っ赤になり、思わず顔をそらした。
「気持ち悪い!」
アルテミアは、その照れた表情に、ぞっとして、髪の毛を掴んだまま、近くの壁に向けて、安定者を投げつけた。
ぶちぶちと音がして、毛根から髪が抜けた。
完全に、ハゲになった小太りの安定者に、
「ヅラでも、召喚しやがれ!」
と毒づくと、他の四人を見下ろした。
「もう一度、てめえらにきく!ティアナ…あたしのお母様を殺したのは、誰だ!」
アルテミアはアルティメット・モードになれたことで、ティアナの力を受け継ぐこととなったが…それは、力だけではなかった。
記憶も受け継いだのだ。
白い鎧を身につけた瞬間、浮かんだ死の瞬間。
「あたしは、今まで魔王が殺したと思っていたけど…」
アルテミアは、槍の先を五人に向けた。
「お前達なのか?」
静かに、怒りを押さえるアルテミアの瞳が、赤く輝く。
「そ、それは…」
圧倒的な魔力の差に、四人の安定者は動くこともできない。
「こたえろ!」
アルテミアの体が、変わっていく。口元から、鋭い牙が生えてくる。
「ククククク…」
アルテミアの後ろから、含み笑いがした。
アルテミアは驚いて、後ろを振り返った。
誰もいない。闇があるだけだ。
「折角、母親が魔力を抑えてくれているのに…これじゃ台無しだな」
声は、闇からする。
「誰だ!」
アルテミアの瞳がさらに、赤く輝き、前方の闇を照らした。
すると、白いフードを被った老人の姿が浮かんだ。
(気付かなかった)
アルテミアは心の中で、舌打ちした。
「何者だ」
アルテミアは素早い動きで、槍を老人に向けて、突き出した。
老人の腹に突き刺さるはずが…チェンジ・ザ・ハートは突き抜けた。まるで、虚空を突いたように。
フードの下にある白髭をたくわえた口だけが笑う。
「くそ」
アルテミアはそのまま、槍を上に突き上げた。
口を裂き、フードを切り裂いた。
左右に分かれ、落ちるフードから、現れるはずの顔。
それはなかった。
裂けた口だけが髭とともに、笑っていた。
闇が笑っていた。
アルテミアは槍を抜くと、後方に少し下がり、間合いを取った。
「おまえは…」
アルテミアの体に、緊張が走った。
体が強ばる。
そんなアルテミアの様子に、闇に浮かぶ裂けた口は、楽しそうに笑った。
「我が、誰か分かったか?」
口の周りの闇が、凝縮し…さらに暗さを増す。
口は、更に大きくなり、唇は回転し、髭は渦を作る。それは、まるで宇宙にある星雲のようになる。
「ラル!」
アルテミアの雷鳴を纏った槍が、闇に突き刺さる。
しかし、雷鳴は星雲に吸収される。
見えない闇の手が、チェンジ・ザ・ハートを掴んだらしい。
アルテミアは、凄まじい力で壁に激突し…そのまま、どこにテレポートさせられた。
闇が、上の本部に通達した。
「天空の女神、アルテミアを駆逐せよ」
その指令は、本部中に響き渡った。
「ラル…。我々は、どうなる?」
痛みから、立ち上がり、何とか体勢を整える五人の安定者に、ラルは鼻で笑った。
「好きにしろ。ジャスティンとクラーク以外は、替えがきく」
高笑いしながら、闇より深い闇は…部屋から消えた。
しばらく、静寂に包まれた後、一番若い安定者が、頭をかいた。
「面倒臭くなりそうだぜ」
「心配するな…。もうお前達にすることはない」
五人の後方の壁から、声がした。
一斉に振り返った五人の見たものは…。
「クラーク」
小太りの男が声を荒げた。
「何しに来た?」
若い安定者の言葉に、クラークは肩をすくめ、
「私も一応、安定者なもので…」
クラークは、天井を見上げ、
「これから、起こる出来事を見届けたいと思いまして」
女の安定者は、キレる。
「お前は、安定者と言っても、私達と違う!汚れた存在よ」
クラークは苦笑し、
「まあ…今は静かに見守りましょうよ。この戦いを」