第393話 幽玄の如く
「見えた!これが…世界を覆う結界」
魔界と世界を分断する結界の前に、僕とアルテミアは来ていた。
東アジアから、東ヨーロッパまでを横断する巨大な結界は、強力な魔物を人間が住む側に入れない為に、先人達によって造られたと言われているが、定かではない。
それに、神レベルと言われるもの達は容易に通り抜けることができた。
勿論、今の僕やアルテミアが通れないことはない。
今までは律儀にも、結界の隙間を通って魔界に入っていた。
どうも…結界を直接通るのが、忍びなかったのだ。
「いくぞ!」
アルテミアは翼を広げると、一気に結界へとぶつかっていった。
まるで光のカーテンのような結界は、単なる映写された映像のように、まったく何も感じさせずに通ることができた。
しかし、結界を通り過ぎた時、違いははっきりとした。
空気が違う。
澄んでいるのだ。
「ここが…魔界」
「懐かしい匂いだ」
アルテミアは少しだけ感傷に浸ったが、すぐに表情を引き締めた。
「アルテミア!」
「ああ…わかっている」
少し離れた場所で、巨大な魔力を感じられた。
「この気は、サラか」
アルテミアは、巨大な魔力の正体を知った。
「誰かと戦っているように、感じるけど…」
サラが戦っていると思われる相手からは、魔力を感じられなかった。
しかし、凄まじい気のようなものを感じ取れた。
「人間!?」
僕は、驚いた。さらに詳しく探ってみた。
「人間もどきではない!普通の人間なのか?だけど…この強さは…魔神をこえている」
信じられない強さを感じた僕は思わず、唾を飲み込んだ。
「すごい」
今、肉体はアルテミアが使っているが、僕は体が震えるのがわかった。
いや、魂が震えているのだ。
「…」
アルテミアは無言で、サラの魔力が感じられる方向を見つめていたが、すぐに前を向いた。
そして、一気にスピードを上げた。
「アルテミア?」
サラの方に行くと思ってしまった僕の思惑を置いていくかの如く、アルテミアはジャングルの上を疾走する。
「フン」
アルテミアは、軽く鼻を鳴らした。彼女の脳裏には、ある映像が浮かんでいた。
カードシステムの要であった塔の周りで、戦うアルテミアと男。
そして、男は…自らの心臓をアルテミアに差し出した。
(ジャスティン・ゲイ!)
アルテミアは心の中で、名を叫んだ。
「アルテミア!」
飛ぶ速さは、音速をこえた。僕の声も、かき消された。
「あたしらには、あたしらのやるべきことがある!」
数分後、アルテミアは空中で急停止した。
「ああ…」
僕は突然、目の前に現れた建造物に声を失った。
「どうやら…あいつも、待ってるらしいな」
アルテミアは口元を緩めたが、額から冷や汗が流れていた。
歴代の魔王が住む城は常に、特殊な結界が張られていて、場所がわかっていても容易に近付くことはできない。
それなのに、魔王の懐内に簡単に入れた。
「クッ!」
アルテミアは顔をしかめると、城の中には入らずに、ある場所に着地した。
そこは、向日葵畑。
172センチくらいのアルテミアでは、向日葵の高さの中に埋もれてしまった。
向日葵から漂う太陽の匂いと、吹き抜ける爽やかな風が、アルテミアを包んだ。
「お母様…」
自然と口に出た言葉に、アルテミアの瞳から涙が流れた。
頬を伝う涙を拭う暇もなく…アルテミアは、真横を睨んだ。
「お母様〜ねえ。魔王の娘ともあろうものが」
向日葵畑に、炎の道ができた。一瞬で燃え尽き、黒くなった土の上を、腕を組みながらゆっくりと近付いて来る女。
「てめえ!お母様の向日葵畑を!」
アルテミアの感情が一瞬で、怒りに染まる。
「弱く、脆く…そして、感情に支配されやすい。そんな女が、魔王の娘だなんて…恥じよ」
女は、アルテミアの前に来ると、見下げるように顎を上げた。
「リンネ…」
僕の声に、リンネは視線をピアスに向けた。
「赤星浩一」
殺気がピアスを射ぬく寸前、回転する2つの物体が飛んできて、一つになった。
「フレア!」
両手を広げ、アルテミアの前に立つのは…紛れもなく、リンネの妹フレアであった。
「フレア」
リンネは、フレアの目を見つめた。
真っ直ぐに力強く、守るものの為に身を盾にする妹を見て、リンネはフッと笑った。
「悲しい女…」
リンネは呟くように言うと、フレアに微笑んだ。
「だけど…幸せなのね」
「!!」
驚くフレア。
そんなフレアの肩に、後ろからアルテミアは手を置くと、
「ここは任せろ!お前は、赤星と一緒に行け!」
前に出た。
「え?」
そして、ピアスを外すと城に向けて投げた。
「行け!赤星!ライのもとへ」
「え、え!」
ピアスは、空中で回転した。
「肉体を呼べ!」
アルテミアはピアスを見ずに、叫んだ。
「で、でも!」
「オウパーツならば大丈夫よ。しばらく、集まることはないわ」
リンネが、話に割って入った。
アルテミアは思わず、リンネを睨んだが、リンネは微笑みを崩さない。
「わ、わかった!」
ピアスは地面につく寸前、砕けた。すると…地面に、オウパーツを腰に着けた学生服姿の僕が立っていた。
「行け!」
アルテミアが、後ろに立つフレアに言った。
フレアは無言で、泣きそうな目で頷くと、2つの回転する物体に戻った。
「アルテミア!」
僕の両手に、トンファータイプになったチェンジ・ザ・ハートが握られた。
「あたしは、こいつをやる!お前は城に行け!」
「だ、だけど!」
僕は、視線をリンネに向けた。
リンネは笑いかけると、ウィンクをした。
「く!」
思わずたじろぐ僕。
この女達に逆らう気は、なかった。
仕方なく…僕は2人に背を向けて、走り出した。
その後ろ姿を見送りながら、リンネは自分を睨むアルテミアに訊いた。
「行かせてよかったの?」
「ああ…」
アルテミアは徐に、構えた。
「ほんとに?」
目を見開いて、驚いて見せるリンネに、アルテミアは悲しげに笑って見せた。
「死んでもなお…守りたいという思い…。自分が、真似できるとは思えない」
「!?」
アルテミアの答えに、リンネの息が止まる。
「凄いよ…」
ぽつりと、アルテミアは呟いた。
その瞬間の表情を見て、リンネは悟った。
「そうか…。お前も」
リンネは、アルテミアとフレアの姿が重なった。
(愛を知ったのか)
リンネは、唇を噛み締めた。
どんなに望んでも、自分には未だに理解できない感情。
それを妹とアルテミアは、知っているのだ。
リンネの敗北感は、怒りに変わった。
(お、お前達は!)
リンネの炎が、燃え上がる。
しかし、リンネは知らない。
愛に悩み、嫉妬する己自身が、愛を知っていることに。
愛は幸せだけではない。悩み、苦しむことも愛なのだ。
しかし、リンネと2人には、決定的な違いがあった。
相手がいること。
愛は、相手がいて初めて…わかるのだ。
自分が苦しい程…愛していることに。
「フン。場所を変えましょう」
リンネは向日葵畑から、戦いの場を変えることを提案した。
自ら焼いてしまったが、すべてを焼き払えば…ライが悲しむと、リンネは心の底で思ってしまった。
「当たり前だ!」
アルテミアは、リンネの後ろにできた道を見ながら、怒りを露にした。
「行くわよ!」
2人は一瞬で向日葵畑から、かつて防衛軍が全滅した草原に移動した。
地面につくと同時に、2人は無言で攻撃を仕掛けた。
その瞬間、2人がぶつかった衝撃波が、城の周辺の空気を震わした。
「始まったか…」
城に戻っていたカイオウは、渡り廊下の花壇の前で、座禅を組み、静かに時を待つことにした。