第386話 悪性
「フン!下らない」
ライの居城から、離れまで伸びる渡り廊下。そこに植えられた花々を見つめながら、リンネは顔をしかめた。
その後ろで、控えるユウリとアイリ。
彼女達が、何かを言うことはない。
「あんなものが、愛である訳がない」
リンネは花に手を伸ばしかけて、止めた。
そして、しばし…花を見つめた後、
「フン」
また鼻を鳴らすと、城の方へ廊下を歩き出した。
その後を静かに、ユウリとアイリが立ち上がると歩き出した。
「…」
3人が消えた後、離れの影から渡り廊下に姿を見せたのは、刈谷であった。
「リンネ様…」
呟くように言うと、リンネ達が去った方に、深々と頭を下げた。
それから、リンネが手を伸ばすことを躊躇った花々の前まで移動すると、じっと見下ろし、
「貴女は…花より美しい」
ゆっくりと手を伸ばし、花に触れた。
「こんなものよりも…」
そして、花を握り潰した。
同時刻。
人間もどきによる襲撃と増殖が一段落したことが確認された防衛軍本部では、対策が急がれていた。
「あのもの達は、何だ?」
白で統一された建物内を闊歩する副司令官の後ろを、隊員達が続いていた。
「やつらの細胞のサンプルは、採取しておりますが…まだ分析は終わっておりません」
白衣を羽織った科学班だと思われる隊員の答えに、副司令官は苛立ちを露にした。
眉を寄せ、
「急がせろ!」
と告げると、
「は!」
白衣を羽織った隊員は頭を下げて、隊列から離れた。
そんな白衣の隊員の後ろ姿を、明らかに高官だと思われる白髪の男が、振り返り目を細めた。
「科学ですか…。そんな迷信…。やはり、私には信じられませんな」
呟くように言った男の言葉に、副司令官は前方を睨みながら、
「カードシステムやディグシステム…。科学という理論がなければ、なし得なかった技術は多い。我々人類が生き残る為には、科学という知識も必要だ」
西園寺によって、旧防衛軍に導入された科学という知識は、新生防衛軍でもいかされることになった。
「やつらの生物的な肉体構造を詳しく分析するには、科学の力が必要だ」
副司令官の言葉に、白髪の男は口ごもった。
「し、しかし…ですな…」
白髪の男の何か言いたげな様子に、副司令官は頷き、
「言いたいことはわかっている。この世界を、あの世界のように、科学の繁栄によって汚すことはない!」
そう言い切った。
「副司令!」
その時、廊下の向こうから、1人の隊員が走ってきた。
「分析結果がでました」
「有無」
副司令官の目が、変わった。深く頷くと、走ってきた隊員に先導されて、副司令官達は研究室を目指した。
白く塗られた鉄の扉を開いた時、副司令官達は信じられない結果を聞くことになった。
「何だと!?」
それは、知ってはいけないことだったのかもしれなかった。
「彼らは…」
やけに汚れた白衣を身に纏い、髭をボーボーに生やした男は、副司令官に斜め四十五度の角度で顔を向けながら、数秒間を開けてから言葉を発した。
「我々人間と変わりません」
「な」
絶句する副司令官を見て、髭の男は逆にあまりない頭髪をかきながら、視線をそらし、言葉を続けた。
「…と言いましても、健康的な人間にはありませんけど」
「ど、どういい意味だ!」
副司令官の取り巻きの1人が、声を荒げた。
「それはねえ〜」
髭の男は、試験管の中で液体に沈んでいる細胞を見つめ、少しだけ顔をしかめた。
「は、早く!言え!」
取り巻きの苛立ちに、髭の男は深くため息をついてから、細胞の正体を口にした。
「癌細胞ですよ…」
「癌細胞!?」
取り巻きは、驚きの声を上げた。
副司令官は息を飲み、試験管の中の肉片を見た。
「増殖の速さ。そして、人間に本来ある細胞が、裏返った姿…」
髭の男は、試験管に手を伸ばすと、肉片を目の前まで持って来てじっと見つめた。
そして…感嘆と取れるため息をついた後に、言葉を続けた。
「なぜ癌細胞ができるのか…。長年、謎に思っていましたが…今やっと、答えが出そうですよ」
「答え?」
副司令官は、眉を寄せた。
「ええ!」
髭の男は、大袈裟に頷くと、試験管を天井に掲げ、
「進化ですよ!進化!癌細胞が、すべての肉体を覆い尽くした時、人は新たな肉体と力を手に入れることができる!」
興奮気味に話し出した。
「ば、馬鹿な!あり得ない!」
側近の1人が叫んだ。そして、試験管を指差した。
「癌細胞は、他の臓器を蝕む!そして、次々に転移して、人を殺すのだ!」
「それは、違う!」
髭の男は、首を横に振り、
「死んだ人間は、弱いのだ!進化の痛みに、堪えられなかったのだ!それに、人間の体は生まれ変わるのだ!古い臓器など必要ない!」
きっぱりと言い切った。
「な」
その言葉の勢いに、絶句する取り巻き。
「しかし…今まで、癌細胞を取り除くことなく、生きれた人間はいない」
副司令官は、静かに口を開き、髭の男の目をじっと見つめ、
「仮に…肉体すべてに癌細胞が転移しても生きているとしょう。しかし、癌細胞は、人間の脳をも浸食する。そうなれば…どうなる?」
質問を投げ掛けた。
すると、髭の男は自分の頭を人差し指で示し、
「狂うだけですよ。それが、やつらの実態です」
にやりと笑った。
「!」
目を見開いた副司令官の横を、髭の男は通り過ぎた。
「狂う…即ち、やつらもまた…進化の途中ということですよ」
そして、副司令官達に背を向けたまま…ため息をついた。
「人間の進化の先はどこにあるんだ」
「少なくとも、これの中にはない」
肩を落とす男の横を、副司令官達が横切り…そのまま研究室を後にした。
「邪魔したな」
副司令官は研究室を出る前に、ちらりと試験管の中の細胞に目をやった。
そして、部屋を出ると、廊下を歩く速度を速めた。
「ふ、副司令!」
慌てて後を追いかける取り巻き達に、副司令官は前を睨みながら言葉を発した。
「やつらの体の構造はわかった。しかし、断じて!やつらは人間ではない!」
本部に入った報告により、やつらが細胞分裂後…いろんなものに変異していることが明らかにされている。
姿形や能力を個々で変える生物は、人間ではない。
「ライめ!恐ろしい生物をつくりよったわ」
副司令官の怒りは、ライに向けられていた。
癌細胞をベースにした人間もどき。
その発想は、悪意があり…かつ、人間に根本的な恐怖を与えることになる。
「全部隊に伝えろ!やつらは、人間ではない!討つべき敵だとな!」
人の姿をしたものから産まれ、人の形をした化け物。
士気が下がり、混乱することは明らかだった。
だからこそ、組織の上から敵だと認識させなければならなかった。
「やつらを見つけ次第駆逐せよ」
副司令官は歩きながら、両拳を握り締めていた。
 




