第369話 夢現
「九鬼さん」
教師や生徒達の近づいてくる足音を聞き分けて、エルが駆け寄りながら言った。
「オウパーツを、私が預かってもいいですか?」
「え?」
九鬼が頷く間もなく、エルは2つのオウパーツを拾い上げると、教師達の声がする方と反対側に走り出した。
「エルさん…」
九鬼は、エルの背中を見送っていると、校舎の端を曲がってきた教師と生徒が姿を見せた。
「何があった?」
割れた窓ガラスに気付き、スピードを上げた教師に、九鬼は振り向き、深刻な顔を向けた。
「誰かの悪戯だと思います」
「生徒会長!?」
立っていたのが、九鬼であることに、教師は驚いた。
「窓ガラスは、早急に入れ換えますので…」
九鬼は、教師に頭を下げた。
「あ、ああ…」
なぜか、教師はそれ以上何も言えなくなった。
凛とした九鬼の雰囲気が、何も言わせなかったのだ。
「生徒会で片付けますので」
頭を下げた九鬼に、教師は両手を振り、
「大丈夫だ。おい!お前ら、ホウキと塵取りを持って来い!」
一緒に来た生徒達に命じた。
「あたしもやります」
慌ててるように、九鬼は掃除道具を取りに走りながら、エルが持っていたオウパーツのことを気にしていた。
(あれは、危険だ。早くエルさんから回収して、どこかに封印しないと)
九鬼はさっさと、掃除を終わらせてエルの許に向かうつもりだった。
「は、は、は…」
2つのオウパーツを抱えながら、エルは走っていた。
そして、あまり人が来ない西校舎の裏側に来た。
「オウパーツ…」
足を止めたエルは、両手に抱えているオウパーツに改めて目を落とした。
「…」
父であるクラークが、自分の祖父に預けた右足のオウパーツとは違うが、危険なことは知っていた。
だから、どこかに封印するつもりであった。
自分の体に半分流れるエルフの力を使って…。
しかし、エル自身も忘れていることがあった。もう半分の血を…。
彼女の父…クラークは、人間であったが…彼は、魔獣因子を持っていた。
「アハハハ!すべては、王の為に!」
天井を仰ぎながら、笑う麗華の後ろに、1人の男子学生が立った。
「その王が、貴様らを無用と判断なされた」
「うん?」
両手を下げると、麗華は振り返った。
「しかし、その盾が…赤の王、もしくは天空の女神のものになったならば、少々厄介になるかもしれない」
眼鏡を人差し指で押さえながら、顎を引き、上目遣いで麗華を見ている学生は、刈谷雄大。
「よって…貴様らを排除する!」
「お、お前は!」
麗華が体の向きを、刈谷に向けた瞬間、全身が燃え上がった。
「我が愛しき炎の淑女の名において…」
刈谷は顎を上げ、見下すような格好になった。
「オウパーツを舐めるな!」
麗華を包んでいた炎は消え、学生服も燃えてはいなかった。
「成る程な…。噂に聞いた通りか」
刈谷は、フンと鼻を鳴らした。
「貴様!?炎の魔法使いか!」
麗華は、仮面のオウパーツを発動させながら、刈谷に近づいてくる。
「心外だな」
刈谷は眉を寄せると、右腕を突きだしながら、麗華に向かって歩き出した。
「まあ〜それだけ、上手く人間になれているということかな」
そして、発動中の仮面のオウパーツに触れた。
「馬鹿目!」
麗華は、にやりと笑った。
「ほお〜」
刈谷は一歩下がり、塵になった右腕を見つめた。
「成る程な」
オウパーツの効果を体験し、刈谷が頷くと、なくなった右腕の付け根から炎が噴き出し、揺らめきながら腕の形になっていく。
「お、お前は、人間ではないのか!」
今度は、麗華が一歩下がった。
「フッ」
刈谷は、元通りになった右手の人差し指で眼鏡を上げると、ギロリと仮面のオウパーツを睨んだ。
そして、おもむろに話し出した。
「確かに、オウパーツ自体を破壊するのは不可能のようだ。全身をオウパーツで包まれていたら、始末できなかっただろうな」
「ま、まるで、今なら何とかできるような言い方だな!先程経験しただろうが!オウパーツ以外も、炎で焼けなかったことを!」
まだ余裕ぶる麗華を見て、刈谷は右手で十字を切った。
「憐れだな…」
「何の真似だ!」
目を瞑り、神に祈るような仕草をした刈谷に、麗華は怒りを覚えた。
ゆっくりと、目を開けると、刈谷は麗華を見つめ、
「人は、愚かな行為をした者に、こうやって最後の祈りを捧げるのだろ?」
ゆっくりと目を細めた。
「誰が、愚かだ!」
麗華のオウパーツが、振動波を発生させた。
「身を持って教えてやろう」
そう言った瞬間、刈谷の体の中から次々に、彼にそっくりな炎でできた人間がでてきた。
そして、数十体となった炎の人間は、麗華の周りを囲んだ。
「無駄なことを!」
一斉に襲いかかるが、炎の人間は振動波ですぐに分解された。
しかし、攻撃が届かなくても、次々に迫って来る炎の人間によって、あることが起こっていることに、麗華は気付いた。
自分の周りだけが、蒸し風呂のように暑くなっていることに。
「オウパーツは、あらゆる攻撃を防ぐ!しかし、直接攻撃ではない熱気はどうかな?」
刈谷は、体から炎の人間を生み出し続けながら、フッと笑った。
「そ、そんな…馬鹿な!」
全身が汗だくになり、さらに熱気で皮膚が焼けて、全身に火傷のような痛みが走った。
「い、いやあ!」
麗華は絶叫すると、走り出した。
オウパーツの力で、炎の人間達を消滅させながら、道を作ると、刈谷が立っている場所とは反対方向へ駆け出した。
「フン」
しかし、刈谷も炎の人間達も、麗華の後を追うことはなかった。
「あ、あたしは!オウパーツを王に捧げるまでは!」
熱気が支配する廊下を抜けて、右に曲がった瞬間…麗華は闇の中にいた。
「こ、ここは…」
明らかに、空間が変わった世界。
どこまであるかわからない広さ。そして、1ミリ先が見えない闇の深さ。
そんな闇の空間に、1人の男が立っていた。
それも、麗華の目の前に。
「ヒィ」
小さな悲鳴を上げた麗華の頭に向けて、闇に立つ者は手を伸ばしてきた。
「これが…オウパーツか」
目の前に立っているのに、麗華にはその者の顔が見えない。
「気安く触るな!これは、王の捧げものだぞ!」
精一杯強がって見せた麗華は、オウパーツを発動させた。
しかし――。
「な!」
麗華は絶句した。
オウパーツが発動しても、目の前に立つ者の腕は、塵にならなかった。
「やはり…この程度か…」
落胆の声が聞こえた次の瞬間、オウパーツが割れた。
「我の身を守る価値もない」
真っ二つになったオウパーツを、目の前に立つ者は、闇の中に投げ捨てた。
「ああ…」
頭を包んでいたオウパーツがなくなった瞬間、麗華の瞳は目の前に立つ者の姿を映した。
「王よ…」
一筋の涙が流れた時、麗華の頭の先から爪先までを、衝撃が貫いた。
「下らん」
その場で崩れ落ちた麗華を見ることなく、闇に立つ者は背を向けて歩き出した。
すると、闇の奥に火が灯った。
「ライ様…」
闇の中で控えているのは、リンネだった。
リンネの炎に照らされて、オウパーツを破壊したものの姿が、闇に浮かび上がった。
魔王ライであった。
「いくぞ…」
それだけ言うと、ライはリンネの横を通り過ぎた。
「は」
リンネは頭を下げた後、立ち上がると、そのままライの後ろに続いて歩き出した。
2人の姿が奥に進むとともに、まるで霧が晴れるように、闇が消えていった。
そして、普段の廊下に戻ると、ただ倒れている麗華がいるだけだった。
「く、くそ!どこにいった!」
空間は違うが、ライ達が消えた方向と同じ廊下の奥から、高坂が姿を見せた。
先程、オウパーツにやられたダメージが回復するとすぐに、麗華を探して校舎内を走り回っていたのだ。
「うん?」
そして、廊下に倒れている麗華を発見した。
「大丈夫ですか!」
仮面のオウパーツが取れている為に、高坂は倒れている生徒を麗華とは思わなかった。
慌てて抱き上げると、背中まで伸びた黒髪が、滝のように下に流れ落ちた。
「ううう…」
まだ意識があった麗華の目には、自分を抱き上げた高坂が、森田拓真に見えた。最後の力を振り絞って手を伸ばすと、高坂の頬に触れた。
「拓真…。あ、あたしは…人間の…未来の為に…」
「拓真!?ま、まさか!」
麗華を抱き上げた高坂の腕が、震えた。
「だけど…あたしは…」
麗華は自嘲気味に笑うと、高坂を見つめ、
「あなたは、言っていたわね…。情報倶楽部の…部員は…情報…に踊らされては…いけないと…」
そう言った後、涙目で微笑んだ。
「ごめんなさい…拓真」
そして、高坂の頬から手が落ちると…そのまま、息を引き取った。
「せ、先輩!!」
高坂は腕の中で重くなった麗華を抱きしめながら、絶叫した。
その声を聞きながら、廊下の外に立つ者がいた。
エルである。
「仮面のオウパーツ…」
無残にも2つに割れたオウパーツが、草むらに転がっていた。
しかし、エルがしゃがみ…手を伸ばした瞬間、割れていたオウパーツは一つになった。
「フフフ…」
再び一つになったオウパーツを、エルが手にした時、後ろから声がした。
「エルさん!」
その声を聞いた瞬間、エルは仮面のオウパーツを抱き締めて、走り出した。そのスピードは、人間を軽く凌駕していた。
廊下の横にある草むらに、飛び込んで来たのは、九鬼だった。
「うおおお!」
急いで、エルの姿を探していた九鬼の耳に、高坂の咆哮が飛び込んで来た。
「!?」
九鬼は一旦エルの捜索を止め、開いている窓ガラスを潜り抜け、廊下に着地した。
「蘭花!?」
泣き叫ぶ高坂の腕に、抱かれている麗華を、九鬼は黒谷蘭花と間違えた。
しかし、似ているからこそ、即座に九鬼は理解した。
「違う…。黒谷麗華か…」
九鬼は、遺体となった麗華に黙祷を捧げたが、彼女の頭に仮面のオウパーツがないことに気づいていた。
(一体…どこに?)
九鬼は、嫌な予感がしていた。
そして、あれほど疼いていた右足が、落ち着いていることにも気付いていた。