第359話 一本道
「ったくよお」
極楽島近くの港町から山道を北に上がった山奥に、伊賀の里はあった。
しかし、数週間前にその土地にいた多くの若者が命を落とした為に、里には年寄りと子供しかいなく、活気というものがなかった。
それは、隠密行動を取る者達の静けさではなく、生気がないのだ。
そんな土地に取材に来た男は煙草を吸おうと、グレーの背広からケースを取りだしたが、生憎…空になっていた。
ケースを握り潰すと、男は頭をかきながら、歩き出した。
「すべてが…上手くいかないな」
男の名は、後藤。新聞記者である。
甥っ子である梨々香から、極楽島での出来事を詳しく聞き出そうとしていたが…肝心な時に寝ていたらしく、覚えていないらしい。
伊賀の大軍が、島に上陸して全滅したことも知らないらしい。
「何をしに行ったんだ」
甥っ子の命があっただけでもよかったが…やはり、島で何が起こったが知りたかった。
「…ここに来ても、何もわからないか」
昔は隠れ里だったようであるが、最近は道も整備されて、開けた町になっていた。しかし、観光地ではない為に外から人が来ることは少ない。
「やれやれ…」
肩を落とし、村から出ることを決めた後藤の横に誰かが来た。
「無駄足でも…何か得るものを見つける…。それが、一流じゃないのかな」
「うん?」
後藤が横を向くと、煙草ケースが差し出された。
「例えば…空気が綺麗とかな」
無精髭を生やした男が、後藤ににやりと笑いかけた。
「それでも、吸うかい?」
その言葉に、後藤は息を吐くと、
「生憎…こちらは、美味しい空気よりも」
ケースから飛び出た一本を喰わえ、火をつけた。そして、思い切り吸い込み、煙を吐き出すと、男を見ずに答えた。
「体に悪い煙が好きでね」
「なるほど」
男は納得すると、煙草ケースを着ている紺のスーツの上着に突っ込んだ。
「まあ〜そうだな」
男は、隠れ里の周りを囲む山に目をやり、
「人間は、綺麗な自然の中では無力だからな」
悲しげに笑った。
「そうだな…」
後藤は煙草を喰わえながら、呟くように言ったが、頷きはしなかった。
「伊賀部隊の全滅はショッキングなことだったが…それ以上のショックなことが起こったのさ。だから…ここに来てもわからないはずだ」
男の言葉に、後藤は煙草を吸うのを止めた。
「どういう意味だ?」
眉を寄せて、後藤は男の方を見た。
「…」
男は無言で、村に背を向けると、ゆっくりと歩きだした。
その動きを、後藤は目で追った。
男が足を止めないことに気付くと、後藤は吸いかけの煙草を携帯用灰皿を取り出すと、捩じ込んだ。
「チッ」
舌打ちすると歩き出そうとした後藤の動きを止めるかのように、男は話し出した。
「簡単なことだ。戒厳令だ」
「戒厳令だと!?」
後藤はその言葉に、絶句した。
「フッ」
男は軽く笑うと、足を止めて振り返った。
「そうだ」
「ば、馬鹿な!誰がそんなものを!」
驚きながらも、事態を推測しょうと考え込む後藤の姿を見つめながら、男は話を続けた。
「詳しくは知らない。なぜならば、戒厳令だからな。俺のような下っぱの刑事に、情報が来る訳がないだろ?」
「な」
目を見開く後藤に微笑みながら、男は視線を村に戻し、
「だから、わざわざ来たのさ。その村にな」
少し目を細めた。
「成る程な…。何か掴んだな?」
後藤もまた、口許に笑みを作った。
「掴んだことは、大したことじゃない。だが…そこから導かれた答えが…絶望に近い」
男はそう言うと、煙草ケースを再び取りだし、一本を口に喰わえた。
「ふぅ〜」
ゆっくりと煙を吐き出す男の行為に、後藤は逆に落ち着きよりも焦りを感じた。
「空気よりも…こんな煙が美味く感じるとは…人間は…いや」
男はまた自嘲気味に笑い、
「俺が、汚染されているのか」
そう言うと、すぐに煙草を吸うのを止めて、真剣な眼差しで後藤を見た。
その視線の鋭さに、後藤は思わず息を飲んだ。
「魔王が復活した」
男はその言葉を発した後、数秒だけ黙り込んだ。後藤を見る視線だけが、鋭さを増した。
「な、何!?」
後藤の手から、簡易灰皿がこぼれ落ちた。
「ば、馬鹿な!」
灰皿を拾わずに、興奮して詰め寄ろうとする後藤に、男は目を細め、
「仕方あるまい。我々人間は、魔王に対して何かした訳ではない。このしばしの平和は、たった1人の異世界から来た勇者によって、もたらされたもの」
男は視線を後藤から、村や周囲の自然に向け、
「感謝こそすれ…慌てるのは筋違いだ」
空気を吸い込むと、再び背を向けて歩きだした。
「ま、待て!」
手を伸ばし、止めようとする後藤。しかし、男は止まらない。
後藤は舌打ちすると、簡易灰皿を拾い、後を追った。
「しかし…絶望だけではない。希望もある」
男は、整備された道を歩きながら、振り返らずに話し続ける。
「希望だと!?」
隣まで追い付いた後藤は、男の方を見た。
「赤星浩一が復活した」
男は前を向きながら、後藤の方を向かない。
「何!?」
その報告で、後藤の心の中に光が灯った。
「昨日から、地球のあちこちで小規模ながらも、魔王軍の攻撃が始まっている。その戦地に、必ず駆け付ける者がいる。ある時は…天使。そして、ある時は…雷鳴轟く剣を振るう勇者」
「それが、赤星浩一!」
後藤は、笑顔になった。
「だが…」
その笑顔を否定するかのように、男は重い口調で言葉を続けた。
「それでいいのか?」
男は足を止め、後藤を見た。
「え」
すぐには止まれず、少し前で足を止めた後藤は振り返った。
「我々は、それでいいのか?人間は、それでいいのか?異世界から来た少年に、任せるだけで!」
男の言葉は、安堵の気持ちを抱いてしまった後藤の心に突き刺さった。
「この世界の人間は、守られるだけでいいのか?」
男は、後藤を睨んだ。
「うう」
口ごもる後藤に答えを求めていないのか…男はまた歩き出した。
横を追い抜かれた後藤は下唇を噛み締めると、遠ざかっていく男の背中に叫んだ。
「だったら、どうしろというのだ!」
「決まっている!」
男は振り返ると、人差し指を銃に見立てて、後藤に向けた。そして、にやりと笑い、
「戦うのさ!」
「お、お前!」
「だから、警察を辞めたよ。人々が危険に晒されている時に、パニックを恐れて戒厳令をひく組織など、いても仕方がない」
「ば、馬鹿か!今、まともに機能しているのは、警察組織だけだぞ!」
後藤は歩き出した。
「だったら、作ればいい!」
男は、歩く速度を上げた。
「何をだ!」
「新しい防衛軍を!」
「な、な!」
防衛軍という単語に驚き、舌が回らなくなる後藤。
心を落ち着ける為に、何度が咳払いをした後、歩きながら答えた。
「防衛軍は、腐敗していた。多くの人が集まる組織は、必ず腐敗する」
「しかし!集まらなければ、一人一人の力はあまりにも無力」
2人が歩く道は、隠れ里から遠ざかるごとに、左右は緑しかなくなっていく。そして、その奥には魔物がいる。
行きは、住民が使う送迎バスで来た為に、ある程度安全だったが、今は危険である。
「腐敗しない組織をつくれ!水も流れなければ、すぐに澱んでくる。組織も同じだ。上を固定すれば、濁ってくる。つねに、上を代えればいい」
「そんなことできるか!」
「できるさ」
男は道の先を睨みみながら、
「権利者とは少し違った…象徴とでもいうべき存在を、担げはいい」
「昔いたという人神か?」
「そんな飾りではない。それに、もし…あの人がそうなったとしても、ずっと同じ場所にはいないだろうな」
「誰だ?」
「1人しかいない」
男は足を止めた。そして、上着の中から銃を取り出した。
「うん?」
後藤も、前を睨んだ。
今までは、隠れ里から一本道だったが、ここから先は急なカーブで先が見えなかった。
「魔物の反応があるわ」
今まで姿を見せてなかったアイが、後藤のそばに飛んで来た。
「アイ…。剣をくれ」
後藤の言葉に頷くと、アイは剣を召喚した。
一振りして、後藤が男の横に来たら、おもむろに続きを話しだした。
「ジャスティン・ゲイ。彼が、象徴になれば…誰も文句は言わない」
「ホワイトナイツか…」
呟くように言ってから、後藤は顔をしかめた。
「都合がいいな」
確かに、伝説の3人組は人類の誇りだった。たが…ティアナがアルテミアを産んだ為に、その評判は地に落ちた。
「ああ〜都合がいい」
男は、銃を前に突きだした。
「だが、それが人間だ」
「クッ!」
顔をしかめた後藤が走り出すと、男は銃を構えながらその後ろに続く。
援護射撃をする為に。
男の名は、田崎純一。
日本警察に入社する前は、後藤と同じところで戦い方を学んだ中である。
彼らの師匠の名は、ブレイクショットの1人…ダラス。
警察と防衛軍という違う道を歩いた2人であるが、道は繋がっていた。
人の未来という一本道と。
人はただ…やられるだけではない。
人類がすべて同じ道を歩くならば…そのうねりは、そう簡単には止めることはできないだろう。
例え…神であっても。