第353話 紡ぐ拳
「ジャスティン・ゲイ…」
その名を聞いた真由と理沙以外の人間は、唾を飲み込んだ。
「ジャスティン・ゲイ…」
九鬼は何とか力を込め、上半身を上げると、前に立つジャスティンの背中を見つめた。
頭の中に、カレンの言葉がよみがえった。
「人類最強の戦士…」
「エル君」
ジャスティンは、小脇に抱えていた布に包まれているものを、九鬼のそばに屈んだエルに投げた。
「少し預かってくれたまえ」
と言うと、ゆっくりと真由に向かって歩き出した。
「に、人間…人間、人間!」
真由の瞳が赤く光った。気合いのようなものが飛んできて、ジャスティンをふっ飛ばそうとした。しかし、ジャスティンは軽く肩を後ろに反らすだけで、攻撃をいなした。
「な!な!な!な!」
次々に攻撃を放つが、ジャスティンの歩きを止められない。
ついに、目の前まで来たジャスティンと、真由の目が合う。
「死ね!」
真由は、手刀を突きだした。
ジャスティンはその動きに合わす様に、軽く拳を突きだした。
カウンターの形になり、拳が真由のボディに決まった。
しかし、硬化している真由の皮膚は、拳の衝撃を通さないはずだった。
「フン」
ジャスティンは当たった拳を握り締めると、震わすような拳撃を加えた。
波紋が、真由の皮膚に伝わり、衝撃が内蔵を震わした。
「な!」
内側から感じるダメージに絶句しながら、真由は離れた。
「き、貴様…」
真由は無意識に、ジャスティンの拳が届くであろう範囲から距離を取った。そして、悠然と立つジャスティンを睨んだ。
「何者だ!」
その叫びに、ジャスティンは軽く両肩をすくめ、
「只の人間さ」
一言だけ言った。
「うそつけ!只の人間に、こんな攻撃ができるか!」
キレる真由の様子に、ジャスティンは頷いた。
「そうか。そうだったな」
ジャスティンの脳裏に、若き頃の記憶がよみがえった。
「世間を知らない子供に、人間のすべてがわかるはずがない」
「な、何!?」
「ただ…人間を憎むだけの小娘に、何がわかる」
ジャスティンは初めて、構えた。
「き、貴様にこそ!あたしの何がわかる!人間に虐げられてきたあたしのことが!」
真由の記憶に、リタであった頃の記憶がリンクした。頭をかきむしり、
「人間は、仲間を平気で差別する!」
涙目で、ジャスティンを睨み付けた。
その言葉に対して、ジャスティンは答えた。
「確かに、人のそういう部分は否定しない!しかしな!」
ジャスティンは地面を滑るように、一歩前に出て、
「お前は、そんな人間だけを知っている訳ではないだろ!お前のことを心から、心配していた人間もいたはずだ!」
ジャスティンの叫びに、真由ははっとした。
魔物に自ら連行される自分を、止めようと必死に手を伸ばす男の姿を…。
(お、お兄ちゃん)
そのことを思い出した瞬間、真由の瞳から涙が流れた。
「女神が泣いている…」
さやかは、2人の戦いを見つめながら、真由の変化に気付いた。
誰もが、真由の心に…人の温かさが少しだけでも戻ったと思った。
目の前にいるジャスティン以外は…。
「そ、そうね…」
真由は頭を垂れ、
「そんな人間もいた…」
呟くように言った。
しかし、すぐに顔を上げると、目の前に立つジャスティンを睨んだ。
「だからどうだと言うのよ!」
ジャスティンの姿が、兄とだぶる。
「そんな些細なことで!あたしが許すと思ったか!」
真由は、ジャスティンを涙目で睨み付けながら、両手を左右に突きだした。
「人は、みんな!死ね!」
巨大な竜巻を発生させようとした瞬間、ジャスティンが動いた。冷静に手刀で、真由の手首を折った。
「何!?」
そして、唖然とする真由の顎を、膝で蹴り上げると、完全に竜巻の発生を阻止した。
「技が発動すれば、防ぎようがないだろうな」
ジャスティンは、顎を天に向け、体を反らしている真由を見つめ、
「だったら、発動させなければいい」
改めてゆっくりと構え直した。
「に、に、人間が!」
体を反らしたままの体勢で、蝙蝠の羽を広げると、真由は空に飛び上がった。
「さ、さすがに…空は飛べないだろう!ここは、魔法を使えないのだからな!」
真由は空中に浮かびながら、折れた手首を回復させようとしていた。
「空か…」
ジャスティンは、真由を見上げながら、笑った。
そして、次の瞬間…ジャスティンの姿が消えた。
「な」
「え?」
「どこ?」
その場にいた誰もが、目を疑った。
ジャスティンを見失ったのだ。
「ど、どこかに隠れたのか!」
真由は魔力を両手に集中させると、骨折を完治させた。そして、そのまま治った手を地上に向けた。
「まあ〜いいわ!この一帯ごと吹き飛ばしてやるわ」
「なるほどな…回復には、少し時間がかかると」
「!?」
耳元から声がして、真由は目を見開いた。
次の瞬間、後ろに現れたジャスティンの手刀が、真由の翼を切り裂いた。
「ば、馬鹿な!」
地上に落下する真由を、上空で掴むと、
「すまないけど…クッションになって貰うよ」
そのまま、2人は地上に激突した。
「ぐわあ」
受け身を取れなかった真由が、血を吐くのと同時に、ジャスティンは真由の上から離れた。
「人は、空を駆けることはできないが…飛ぶことくらいはできるのさ」
そう言うと、ジャスティンは真由が立ち上がるまで、着地したところから動かなかった。
「き、貴様は…に、人間なのか…?」
立ち上がった真由の目に、畏怖の色が浮かぶ。
「そうだ…。それだけが、確かなことだ」
ジャスティンは寂しげに笑った後、哀れむような目で真由を見た。
「!?」
そのジャスティンの目を見た瞬間、真由は己の目を見開いた。
そして、次の瞬間、絶叫した。
「あたしをそんな目で見るな!あたしを!そんな目で見るな!あたしをそんな目で、見るな!」
真由の魔力が上がっていく。
その変化を冷静に分析して、ジャスティンは呟くように言った。
「怒りか…」
「人間が!人間如きが!あたしを、そんな目で!見るな!」
真由が両手を左右に突きだすと、風が腕にまとわりついてくる。
しかし、先程と違い、ジャスティンは動かない。
ただ強大になっていく風の勢いを見つめていた。
「女神の…一撃…」
真由の次の攻撃を理解した理沙は、動けない足に舌打ちすると、変身を解いた。
二つの乙女ケースを、さやかと緑に投げた。
すると、ケースが開き、光のカーテンが2人の前にできた。
高坂の前にも、ダイヤモンドの乙女ケースが浮かぶと、光のカーテンを作った。
「気休めかもしれないけど…」
理沙は、九鬼を見た。
「真弓!」
「あ、あたしも…」
変身を解こうと、眼鏡に手をかけようとした九鬼の手を、エルが止めた。
「心配いりません」
今、変身を解いたら、九鬼の右足から血が噴き出す。
「あの方が、させません」
エルの力強い言葉に、九鬼は眼鏡を取るのを止めた。
「死ね!」
竜巻に、雷鳴が絡み付き、両腕を軸にして、まるで竜のように回転する。
「怒り…薄っぺらい感情だ…。そんなもので、縛られている者に…人間は負けない」
ジャスティンの脳裏に、一人の戦士の姿が浮かぶ。
「先輩…」
強風が、戦場である草原の草花を地面に押し付ける。
そんな中で、ただ1人…ジャスティンは落ち着いていた。
「…使いますよ」
ジャスティンは、真弓を見据え、こう言った。
「モード・チェンジ」
その瞬間、ジャスティンの姿が消えた。
「え」
女神の一撃を放とうとした真由の顔面に、ジャスティンの拳が突き刺さった。
「な!」
しかし、ふっ飛んでいる時間もなかった。
「うおおっ!」
雄叫びを上げたジャスティンは、真由の顔面に、腹に、肩に…あらゆる場所をほぼ同時に、殴る。
その両腕の殴る速さは、音速を越えていた。
普通ならば、自らの腕も砕ける程の速さでありながら、ジャスティンの体は壊れなかった。
壊れたのは…真由の肉体だけだ。
「あたしは…空の女神…。女神が…人間…如きに…」
真由の顔が歪み、口がなくなっていく。
口だけではない。
真由であるものが、すべて…塵になっていく。
「うぐうあ!」
最後の力を振り絞って、真由は両腕の竜を放とうとした。
しかし、その竜をジャスティンは、消えかけている真由の肩口から渦の中心に、両腕を突っ込むことで奪い取った。
「最後は…己の技で滅せよ!」
ジャスティンは、足で消えかけている真由の体を空中に蹴り上げた。そして、そのまま下から両拳を竜とともに、真由の体に叩き込んだ。
「に、人間如きが!」
聞こえるはずのない真由の最後の声が、草原にこだました。
女神の一撃の力は、真由を消滅させた後、島を覆う結界を突き破り、月に向かって飛んでいった。
「ふぅ〜」
ジャスティンは息を吐くと、突き上げていた両腕を下ろした。
「まだ…長時間の使用はできないか…」
ジャスティンは自らの体を確かめた後、拳を握り締めた。
「それでも…砕けていない!」
かつて…ティアナ・アートウッドが開発したモード・チェンジ。
一気に、レベルをあげることが可能であるが、体の負担が大きかった。
鍛えていたとはいえ、十代の女の子だったティアナは、モード・チェンジの多用することで体を壊していくことになった。
しかし、そうしなければならなかったのだ。
時代が、ティアナにそうさせたのだ。
それに、ティアナがそうしなければ…人間は今の繁栄を手にしていたかわからなかった。
共に戦いながら、ジャスティンは自分もモード・チェンジを使おうとした。
しかし、それをティアナが止めた。
(本当は…モード・チェンジを使うには、じっくりと肉体を鍛えなくちゃいけない。恐らくは…何年もかかるはずよ)
ティアナは肉体強化のモード・チェンジ以外に、ライトニングソードを使用することで、属性変化も多用していた。
あくまでも人間として戦うことを決めたジャスティンは、肉体強化以外は使用する気がなかった。
ジャスティンは、前を見た。
(先輩…。やっと…あなたの背中が見えましたよ)
遥か前方に、白い鎧を身につけたティアナの背中が見えた。
(そして…)
ジャスティンが後ろを向くと、九鬼や高坂がいた。
ジャスティンは微笑んだ。
(人間は…こうして、繋がっていく)
たった1人の力は弱いかもしれない。
だが…人間の本質は、1人では語れない。
人は、過去から未来にみんなで紡ぐ生きものなのだから。
ジャスティンは、前方を歩くティアナに頭を下げた。
(いずれ…あなたを追い越します。その時こそ…あなたのすべてを未来に紡ぎましょう)
ジャスティンは頭をあげると、ティアナに背を向け、少しだけ過去に戻った。
人類の為、1人だけ先を歩くティアナを越えることを約束しながら。
「うん?」
ジャスティンは、九鬼のそばに向かう前に、足を止めた。 そして、再び後ろを見た。
ティアナはいなくなっていた。
その代わりに…2人の戦士がいた。
「アルテミア…。赤星君…」
ジャスティンは森の向こうで始まった戦いを感じながらも、前を向くと再び足を進めた。
(しかし…心配はしない。君達なら、大丈夫だ)
力強く頷くと、九鬼のそばまで歩み寄った。
そして、九鬼の右足を見下ろしながら、口を開いた。
「こんな状態で、こんなことを言うべきではないのだが…時間がない。エル君」
ジャスティンは、エルから預けていたものを返して貰うと、 それを握り締めながら、九鬼に言った。
「君の足を取り戻す方法がある。しかし、リスクがある。それでも、君が望むならば…」
ジャスティンは、手に取ったものを包む布を外した。
すると、中から封印を施された木箱が姿を見せ…さらに木箱を開けた瞬間、九鬼は目を見開いた。
「これは!?」
箱の中には、メタリックな色をした足の形の防具が入っていたからだ。
「こ、これは!?」
驚いたのは、九鬼だけではなかった。
「オウパーツ」
三つの乙女ケースが光のカーテンを放つのを止めると、持ち主に戻っていた。
ダイヤモンドの乙女ケースを握り締めながら、高坂は箱の中身に絶句していた。
さやかも震えていた。
「オウパーツをつければ、体の一部を零からでも復元することが可能だ。」
ジャスティンは箱の中の足の形をした防具を見つめた。
「なぜならば…ばらばらになったオウパーツを一つに戻す為には、宿主は五体満足でいなければならないからだ」
九鬼は、ジャスティンの言葉の意味をすべてを理解していなかったが…そんなことが止める理由にならなかった。 再び戦えるならば…。九鬼は、手を伸ばした。
「しかし…気をつけてほしい。オウパーツをつけたものは、邪悪な思念に侵される。それを阻止できるのは、闇を払う心を持つ者だけだ。カレンから、君の話は聞いていた。君ならば、オウパーツの思念に勝ってるはずだ」
そして、木箱の中に九鬼の指が触れた。
「了解しました」
九鬼は頷くと、オウパーツを箱から取り出した。
生身で、防具を触った瞬間から…九鬼の新たな戦いが始まったのだ。