第352話 解放
「ば、馬鹿な…」
視界が回転し、天と地が逆になる感覚よりも、真由は自分の置かれている状況に唖然としていた。
「真弓!」
肩車で、真由を投げた九鬼の背中を跳び箱のようにして、理沙はジャンプした。膝を曲げると、背中から地面に落ちた真由の首筋に叩き込んだ。
「こ、こんなことが」
痛みよりも、翻弄される自分をすぐには、認められなかったのだ。
「とどめよ」
真由から離れた理沙の前に、プラチナの乙女ケースが飛んで来た。すると、乙女ゴールドの足に、プラチナのブーツが履かれた。
「月光…」
「なめるな!」
空中で蹴りの体勢に入った理沙に向かって、仰向けになっている真由の目が光った。
「な!」
突然、突き上げるような衝撃を感じて、理沙は遥か上空にはね上げられた。
「ゴールド!」
その様子を見た九鬼が地を這うような低姿勢で、真由に向かって走り出した。
「あ、あたしは…空の女神だ!」
立ち上がった真由の口が開くと、突風が発生し、九鬼に向かって来る。
「は!」
スピードが上がった九鬼は、風よりも速くなり、突風を回避すると、真由の後ろに出現した。そして、捻りを加えた回し蹴りを放った。しかし、真由の首筋にヒットしたはずが、体を通り過ぎた。
「ざ、残像!」
唖然とする九鬼の後ろに、現れた真由の手刀が、背中に突き刺さった。
しかし、
「残像!?」
歯軋りにした真由の上空に、無数の九鬼が舞っていた。
「月影流星キック!」
そして、無数の蹴りが真由に向かって落下していく。
「馬鹿め!」
再び赤く光った真由の眼光が、九鬼の残像を消し去っていく。
すべてが一瞬で消えたが、肝心の本体がいない。
眉を寄せた真由の鳩尾に、目の前に現れた九鬼の正拳突きが決まった。
「無駄だ」
しかし、ダメージを受けたのは、九鬼の方だった。
激しい痛みを感じて、九鬼は咄嗟に後方にジャンプした。
距離を取りながら、九鬼はにやりと笑っている真由の表情に気付いていた。
「教えてあげる。隠し手があるのは、お前達だけではないということをな!」
真由のその言葉を聞いて、
「いけない!」
ふっ飛ばされていた理沙が、慌てて襲いかかった。
「女神の力を見せてやる!」
両手を広げた真由の魔力が、一気に上がった。
蝙蝠の羽が生え、さらに赤く光る瞳と鋭い牙が、口許から覗かれた。
「きゃ!」
生えた羽に、理沙は叩き落とされた。
「ここからが…恐怖の始まりよ」
一気に数倍に膨れ上がった魔力に、空気が震え、空間が一瞬歪んだ。
「女神の解放状態…」
何とか立ち上がった理沙は、真由の姿に目を細めた。
「そうよ。あなたが、捨てた姿でもあるのよ。月の女神…イオナよ」
真由は振り返り、理沙に笑いかけた。
それだけで、理沙の額に冷や汗が流れた。
「数秒よ」
真由は笑った。 そして、視線を前にいる九鬼に向けた。
「数秒で、殺してあげる」
「く!」
九鬼は構えた。
「な、何なのよ」
その時、戦場についた緑は、絶望していた。詳しい状況がわからなくても、真由の圧倒的な魔力は理解できた。 その為に、足がすくんで動けなくなっていた。
「何秒がいい?60秒まで、選ばしてあげるわよ」
無闇に動けなくなった2人に向かって、真由は微笑んだ。
「いいわ。好きな秒数でかかってきなさい。一発は、プレゼントしてあげる」
「く、くそ」
九鬼は、攻撃を躊躇った。カウンターならば、少しはダメージを与えることができるかもしれなかった。
しかし、こちらから仕掛ければ…次の瞬間、死が待っていた。
「数えるわよ。いち」
ゆっくりと余裕を持って数え出した真由に、突進してくる影があった。 一気に森の向こうから、光のような速さで襲いかかってくる影は、光輝いていた。
「高坂ダイヤモンドパンチ!」
「な」
唖然とする真由の頬に、ダイヤモンドの拳が突き刺さっていた。
「数秒もいるか!思った瞬間が、やるべき時だ!」
高坂の渾身のパンチは、突進力も加わって、普通よりも威力を増していた。
「やれたか?」
途中で下ろされたさやかが、戦場である草原に姿を見せた。激しく息を切らしながらも、高坂と真由の様子を見つめていた。
「邪魔だ!」
しかし、真由は高坂の右腕を片手で掴むと、緑がいる森の方に投げ捨てた。
「うわああ!」
木々を数本薙ぎ倒すと、高坂の体は地面に落ちた。
「ノーダメージだと!?」
ふらつきながらも、立ち上がった高坂は、自分を拳を握りしめて、呟くように言った後…フッと笑った。
「だが、調子に乗るなよ!いつも通りのことだ!」
高坂ダイヤモンドになっていない普段の時は、敵にダメージを与えたことはない。
「駄目でしょが!」
高坂に駆け寄った緑は、背中にくくりつけていた木刀を抜くと、高坂の頭を小突いた。
「み、緑!?」
突然の突っ込みに、驚く高坂から眼鏡を強引に取ると、
「部長より…あたしの方が」
自分にかけた。
すると、ダイヤモンドの乙女スーツに身を包んだ緑に変わった。
「いくわよ」
高坂のお陰で緊張が解けた緑は、木刀を振りかざし、真由に向かっていく。
「…」
理沙はその様子を見て、真由を挟んで立つ九鬼に頷いた。
目を見ただけで、九鬼は理沙がやろうとしていることを理解した。
(これが…最後のチャンスよ)
(わかったわ)
無言の会話を交わした2人は、足にムーンエナジーを集中させた。
「えい!」
木刀を、真由の脳天に叩きつけようとしたが、
「邪魔だ!」
簡単に片手でふっ飛ばされた。
「きゃ!」
地面を転がる緑。
高坂はそれを見ながら走り出すと、生身のままタックルの体勢で飛びつき、真由の足元にしがみついた。
「今よ!」
理沙が飛んだ。
「月光キック!」
月の光とは思えない程の眩しい光を纏い、理沙の飛び蹴りが真由に炸裂したはずだった。
しかし、現実は…真由の手に掴まれることになるが…その前に、
「今よ」
月の光に紛れて、真由の死角から九鬼の蹴りが飛び込んで来た。
「月影キック!」
文字通り…影は、光のもとで発生する。
「やったか?」
蹴りを止められながらも、理沙は…九鬼の蹴りが決まったことを確信していた。
しかし、月光キックの光が消えた時…理沙は言葉を失った。
真由に当たったのは…九鬼の右足の膝から下だけだった。
「ま、真弓!!」
「あははは!」
真由は理沙を投げ捨てると、九鬼の右足を掴み、消滅させた。
「これで、得意の蹴り技は出せないわね」
「く、くそ!」
真由の足元で、右足から血が噴き出す九鬼の姿があった。
「せ、生徒会長!?」
驚く高坂を、簡単に足を震わすだけでふっ飛ばすと、真由は…足元で痛みに堪える九鬼を見下ろした。
咄嗟に、ムーンエナジーが傷口を覆って止血したが、足がなくなった事実は変わらなかった。
「まずは…一匹」
真由は嬉しそうに笑いながら、九鬼を踏み潰そうと足を上げた。
「真弓!」
立ち上がろうとした理沙は、足に激痛を感じた。先程、蹴りを受け止められた時に、足首を折られていたのだ。九鬼程ではないが、理沙も攻撃能力を奪われていた。
「さようなら…生徒会長」
一気に足を下ろそうとした瞬間、真由は横から衝撃を加えられ、ふっ飛んだ。
「エル君…。手当てを」
「は、はい」
九鬼のそばに、日本地区の人間とは明らかに彫りの深さが違う女が、駆け寄った。
「え」
そして、真由がいた場所に立つ男。
草原や周りにいた…誰もが、いつ2人が現れたかわからなかった。
「な、何者だ!」
それは、女神である真由も同じだった。
「なるほどな…」
男は、真由の顔を見て、納得した。
「き、貴様!名乗らんか!」
真由は突然2人が現れたことよりも、攻撃を受けた部分が、痛んでいることに驚いていた。
「大した名前ではないのだけどね」
軽く肩をすくめた後、男は徐に…その名を口にした。
「ジャスティン・ゲイ。単なる道に迷っただけの人間さ」
そして、にっと笑って見せた。