第345話 存在意義
しばらく平穏だった島に、魔物達の興奮の声が響き渡った。
「血に興奮しているのか」
アルテミアは、三日月状の島の西部に来ていた。
合宿所がある港が一番北であるが、島の形から反対側の一番先の岬よりも、西部の奥が一番、南を向いていた。
その為とは言えないが、西部の緑は濃く、青々と茂った草木が熱帯ジャングルのような様相を呈していた。
そんなジャングルの中に、アルテミアはいた。
「チッ」
アルテミアは舌打ちした。
多くの人間が死んでいくのが、わかっていた。しかし、助けに行っても手遅れであることも。
バンパイアであるアルテミアは、血の匂いに魔物よりも敏感であるが…敏感であるが故に、手遅れであることもわかるのだ。
それに…この場所から動くことが、さらに魔物を解き放つこともわかっていた。
本能に従順なはずの魔物達がなぜ、西部から動かないのか。
それは、彼らの本能が血の匂いに興奮するよりも、死に怯えているからだ。
アルテミアという死を与える存在に。
「どうする?」
移動することよりももっと重大なことに、アルテミアは悩んでいた。
いや、覚悟はしていた。最悪の結果が訪れることに。
(やれるか?)
アルテミアは、頭の中でシミュレーションを行っていた。
来るべき…魔王ライとの戦いに備えて。
「血の匂いが充満している。それだけではない。運命の速度も加速している」
程なくして夜を迎えた島の中で、1人力を蓄えていた理沙は…空に浮かんだ月を結界越しに見上げた。
「やはり…もう始まるのか」
あと6日あると思っていた理沙は、下唇を噛み締めた。
女神として最大の力を発揮する為に、月の力を集めていた理沙は、フルパワーまでチャージできないことを悟った。
(このままでは…勝てない)
女神であるはずの理沙の額から、汗が流れた。
(だけど)
理沙は上空の月を睨むと、覚悟を決めた。
(そう都合よくいくはずがない)
両手を月に突きだすと、
「我が分身である月よ!すべてに平等に降り注ぐ月の光よ。今宵だけは…少しだけ我に強く降り注いでおくれ」
その光を集め出した。
「やはり中止にする!夜が明けたら、全生徒に告げる!」
食堂にいながら、まったく食事を取っていなかった絵里香は、苛立ちと心配が頂点に達した。
「支援者達には、あたしが直接謝りに行く」
と言った絵里香を見て、リンネは心の中で笑った。
「くそ!」
食堂から結界内に入ろうとする絵里香の背中に、リンネが声をかけた。
「前田先生。夜は危険ですわ」
「な、何を悠長なことを!」
絵里香は足を止めて振り返ると、睨むようにリンネを見た。
(だって〜手遅れだから)
心の中でそう思いながらも、リンネは真剣な表情をつくり、絵里香を見ると、
「それに、どうやら…隠密部隊も全滅したようですよ」
視線を床に落とした。
「な!」
絶句した絵里香は、リンネに訊いた。
「どうして、それを!?」
「そ、それは…」
リンネはあくまでも落ち込んでいるように演じながら、勿体ぶって言葉を続けた。
「数時間前に、血だらけの人が結界を出て、埠頭から増援を呼んでいたから」
「な!」
絵里香はリンネの話を聞くと、埠頭を目指して食堂を飛び出した。
「増援部隊に、生徒達の救出を頼まれては…」
リンネは目で絵里香を追いながら、見えなくなると小声で嘲るように言った。
「半分以上は死んでますけど」
それからクスッと笑うと、長テーブルに頬杖をつき、結界の方に目を向けた。
「首尾はどうなっているの?」
「は!」
リンネの言葉に、結界の向こうから姿を見せたユウリとアイリが跪いた。
「我が炎の騎士団も、この島の周りに待機しております」
「いつでも、攻撃を開始できます」
2人の言葉に、リンネは頬杖をつきながら、軽く肩をすくめると、
「それじゃ〜あ、つまらないわ。あくまでも島の中の者達ですましてくれないと」
ユウリとアイリに笑いかけた。
「承知致しました」
2人が頭を下げた。
「お前達は、騎士団とともに待機しておけ。あくまでも、赤星浩一が復活した時の為だ」
リンネの言葉に、再び2人は頭を下げた。
「…ところで、あやつはどうしておる?」
リンネが言うあやつとは、刈谷のことである。
「は!」
アイリは頭を下げながら、
「女神ソラと接触後、まだ島に留まっております」
報告した。
「人に手を出したのか?」
リンネは、訊いた。
「い、いえ…」
そこまでの報告を、刈谷から聞いてはいなかった。口ごもるアイリと違って、ユウリが言葉を続けた。
「あやつは、手を出しておりますん」
きっぱりと言い切ったユウリに、リンネは笑いながら問いかけた。
「何故そう思う?」
リンネには、2人がそこまで刈谷から確認していないことはわかっていた。
だけど、敢えて訊いた。
心配気にちらりと、ユウリを見たアイリ。
しかし、ユウリは臆することなく、堂々と述べた。
「今のあやつは、人間。それも、とても人間らしい人間ですから」
「人間らしい人間?」
予想外の言葉に、リンネは眉を寄せた。
「は!偽善者ではなく、英雄でもなく…ただ、己に素直な人間。時に、人が見せる嘘偽りがございません。故に、あやつの周りにいる取るに足らない人間を、殺すことも守ることもしないでしょう」
ユウリは顔を上げ、
「互いに対して干渉しない…無関心でいることこそが、もっとも人間らしいと思います」
そこまで言うと、再び頭を下げた。
「フッ」
ユウリの言葉を聞いて、リンネは微笑んだ。
「…」
どういう反応が来るかわからないユウリとアイリは黙り込む。
「…やっぱり」
リンネは二人を見下ろし、
「人間の学校に行かせて、正解だったわ」
満足気に頷くと、
「とっても面白いことを言える女になったわね」
席を立った。
「リンネ様…」
「島の周りで、待機しなさい。いなくなったのがバレても、あたしが上手く言っておくわ」
そう言うと二人を追い越し、結界に入ろうとするリンネに、ユウリは体の向きを変えて口を開いた。
「恐れながら、申し上げます。ここ数日でわかったことが、ございます!人間は、屑!どんな動物よりも貪欲で、愚か!大局を見ることができずに、目先のことしか考えておりません」
ユウリは再び顔を上げ、
「我らの使命は一つ!我らが炎で、人間を焼き尽くすこと!その思いに、改めて気付かされました」
床を擦るように、リンネの方に進み、
「どうか…我ら清浄の炎に、人間を焼き尽くすご命令を!」
床に額がつく程、頭を下げた。
「ユウリ…」
リンネは振り返ることなく、口を開いた。
「は!」
「人間は…」
少しだけ横顔を向け、
「王の食料よ。屑でもね」
口元を緩めた。
「リンネ様…」
「それにね…。人間には2種類いるの。屑とそうでないもの」
リンネは前を向き、結界の向こうを睨み、
「そして、そうでないものは…最高の王への貢ぎ物になるわ」
にやりと笑うと、結界の前で止まった。そして、ゆっくりと振り向くと、
「ユウリ、アイリ…。あたし達が存在する理由は、すべて王の為。炎の意味でさえね。それだけは、覚えておいてね」
微笑みかけた。
「は!」
二人は頭を下げた。
リンネは満足気に頷くと、結界内に入った。
「さあ〜始めましょうか」
リンネはゆっくりと歩き出した。
その頃、埠頭に着いた絵里香の目の前で、続々と上陸する忍者部隊の姿が映った。
その数300。
彼らも威信をかけていた。
真の宴が始まる。